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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第八章 イングラントの鮮烈な毒
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4 迎撃

 フランクは激昂していた。自分に対して激怒していた。


 イングラントへ逃がしたのは、紛れもない自分なのだ。王子さまと幸せになってくれ。小娘みたいなことを考え、あの女を逃がしてしまった。そしてその結果がこれだ。


 ブラバン公と結婚したのもハンフリーと結婚したのも、全ては戦をするためだ。フランクに近づいたのも、甘い言葉をかけたのも、愛情からではありえない。鱈党を手懐けてネーデルラントを手にするための、単なる手段。そして何が「正しい伯位」だ。ホラント、ゼーラントそしてエノーの「正しい女伯」が、イングラントの艦隊で攻めてくるか? 

 「富めるものにも貧しきものにも、平等かつ正当な裁きを」登位のときのヤコバの言葉は、完全に嘘っぱちだ。「高貴なるおれのジャック」は、忠実なるヴァンフリートに毒殺を謀らせた。これのどこが正当だ? トゥーレーヌ公のときは、確かに姫ではなかっただろう。けれどあの時実母までが疑っていた。つまりそういう女なのだ。やりかねないやつだったのだ。

 ヴァンフリートは騙されていた。そしておれも騙されていた。あれは確かに魔女なのだ。思いのままに男を操る、姿だけは美しい魔女。「あの従妹に会ったものは誰もが魅入られ、そして服従してしまう」善良公の言ったセリフを思い出す。まさにその通りなのだ。あのブラバン公でさえ、実のところは魅入られている。服従しそうだったからこそ暴力的に押さえつけ、徹底的に嫌われた。従兄である善良公は、そこをきちんとわかっていたのだ。だからこそ、捉えようとした。善良公はヤコバを捉え、自分に服従させようとした。ブラバン公では不可能だったが、あのひとなら……


 思考が空転してしまう。激昂しているフランクは、冷静には考えられない。主と仰ぐヨハン伯は衰弱していて起き上がれない。対峙すべきブラバン公はその行方をくらませている。ブラバン軍は組織したのに、司令官が逃亡している。

 そこに襲ったさらなる災厄。聖エリザベトの祝日の晩、またもこの日だ。三年前の災厄と同じ、二十年前の悪夢と同じ、忌まわしい祝日の夜。第三次聖エリザベト大洪水は、三年間の補修の全てを洗い流した。三年前のあの朝に呆然と立ち尽くした我々は、そのあと補修をやりなおした。流された堤を改めて築きなおし、新式の排水風車で水を汲み出し、ようやく土地を取り戻したはずだった。そのすべてが再び消えた。三年間の努力の全ては文字通り水の泡となってしまった。築いたばかりの新たな堤は強度が足りず、脆くも崩れ去ってしまった。そしてひとの気力も奪った。もう一度堤を築こう。干拓をやりなおそう。そんな気には誰もなれない。生き残ったひとへの救済。それすら手がまわりきらない。

 被災した民の怒りは、攻めてきたヤコバに向かった。こんなときに攻めてくるのが「正しい女伯」であるはずがない。外国の力を借りて、イングラントの軍を率いて、こんなときに攻めてくるのは「侵略者」でしかありえない。やり場のない民の怒りは、侵略者ヤコバに向かった。あの女がやっているのは、結局戦だけではないか。民を守る戦ですらない。領土を守る防衛ではない。ただの破壊と殺戮だけだ!

 フランクは身動きとれない。とてもじゃないが、ブラバンになど行けない。さらに南のエノーなど、どう考えても論外だ。だがこちらは必ず守る。こちらに手出しは絶対に許さない。

 エノーの諸都市はハンフリーを認めてしまった。イングラント摂政であるグロスター公ハンフリーを女伯の夫と承認し、イングラントの兵隊どもに布陣を許した。だがこちらは絶対許さん。ホラント、ゼーラントの諸都市は団結して拒絶する。ゼーラント領主であるフランク・ファン・ボールセレはこちらの指揮を正式に任されている。


「北方は君に任せる。君ならば、必ず勝てる」


 動けないヨハン伯に代わって、動いたのは善良公だ。フランクを北方の指揮官にし、ブラバンには手のものを送り込む。頼りにならないブラバン公に代わって、その軍の指揮をとらせる。軍事的に動くだけでなく、情報戦にも持ち込んだ。我が従妹ヤコバ姫は「ブラバン公妃」だ。正当な姫の夫はブラバン公だ。その結婚は無効ではなく、ハンフリーは「浮気相手」だ。ハンフリーとの結婚は「重婚」である。「重婚」は「罪」であり、「正しいキリスト教徒」のすることではない。よって、イングラント王子グロスター公ハンフリーは異端者である。善良公は言いきった。ただ言っただけじゃない。煽動文書を作成し、複写させてバラまいた。重婚の異端者ハンフリーに鉄槌を!

 これは効いた。思った以上に効果があった。信仰心のあるものに、「異端」という語は強烈だ。よそから攻めてきた異端者ならば、必ず滅ぼさねばならぬ。イングラントの異端者は、この地の姫をかどわかしている。ブラバン公のお妃を、善良公の従妹の姫を、誑かして奪い取った。ならばそれを滅ぼすことこそ、正しいキリスト教徒の務め。この煽りに味方の戦意はますます上がり、敵のほうは消沈していく。ハンフリー自身すら、消沈していく。

 このイングラントの王子さまを、善良公は良く知っていた。イングラントは同盟国で、本来なら敵じゃない。ハンフリーは「まともな」男だ。騎士道精神にも溢れ、正義感も備えた騎士だ。彼が軍を出したのは、ひとえにヤコバを信じたからだ。ブラバン公との結婚は、すでに無効だ。姫はそう言いきっている。それは確かにウソではない。弱腰の法王は、一度確かに口にしたのだ。そして、ホラント、ゼーラント、エノーの伯領。これはヤコバ姫のものだ。領地もその称号も、本来ヤコバ姫のものだ。ヨハン叔父に強奪された、伯領を取り返す。姫の主張は確かに正しく、だからこそ軍を出した。「侵略」だとは、王子さまは考えてない。妻の土地を取り返す。窮地にある貴婦人に、助けの手を差し伸べる。ハンフリーの側からしたら、彼らこそが「正義」だろう。不当にも占領された土地を、解放する正義の騎士。けれど、現実はどうだ。ネーデルラントは頑強に抵抗し、ハンフリーを認めない。

 年があけて一四二五年一月六日、衰弱していたヨハン伯は逝去した。ヤコバの陣営からしたら、「時は来た」と思っただろう。伯位は本来ヤコバのもので、簒奪者は頓死した。もしもヤコバがブラバン公のもとにあったら、伯位は取り返せていたかもしれない。けれど事実はそうではなかった。ヤコバとともに攻めてくるのは、イングラントの軍隊だ。グロスター公ハンフリーは、「イングラントの摂政」なのだ。

 ホラントもゼーラントも、ヤコバ姫を拒絶している。ハンフリーに至っては、「間男」の「異端者」扱い。しかも戦は敗色が濃い。騎士道精神に満ち満ちた王子さまは、時代錯誤な手段をとった。善良公に宛て侮蔑の手紙を送りつけた。なぜ不当な真似をするのか。正当なるヤコバの領地を、何ゆえ横奪しようとするのか。ブラバン公との結婚は、すでに無効とされている。貴方の行為は窃盗であり、まともな騎士のすることではない。

 善良公はそれに応え、決闘を申し込んだ。無駄な戦で無辜の兵を死なせるのでなく、頭領ふたりが一騎打ちで勝負をつける。神は必ず正しいほうに味方する。だから、勝ったものこそが正義。 

 フランクですら呆れたが、王侯は「こう」なのだ。騎士物語の世界の中に、彼らはいまだ生きているのだ。決闘による神明裁判。それを本気で信じているのだ。ハンフリーは当然受けた。神がどちらに勝たせるか、確かに皆が興味を示した。だが実行には至らなかった。イングラントで騒乱があり、摂政であるハンフリーはやむなく帰国と相成ったのだ。残されたヤコバ姫は、それでも剣は置かなかった。

 

 最後はモンス籠城だった。最期の牙城たるエノーの都市に、ヤコバの軍は立て籠もる。守備も結束も硬く、ブラバンの包囲軍は突入できない。フランク率いるホラント、ゼーラントの軍は北方にいる。いまだに残る釣り針党を、足止めするのがその任務。少数だが彼らはしぶとく、油断はできない。町をひとつとられてしまい、奪還はできてない。だが援軍だけは許さん。それだけは断固阻止する。


 ヤコバは彼らを待ってたはずだ。喉から手が出るような思いで、援軍を待ってたはずだ。だがおれが行かせなかった。行かせるわけにはいかなかった。そして、友軍が先に着いた。ブラバン公の包囲軍に善良公率いるブルゴーニュの大軍が加わり、圧倒的な兵を並べて完全に包囲した。ヤコバ姫は、玉砕は選ばなかった。 









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