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新時代

日本 ジャーナリスト 幸崎誠斗


 ガクラが死んだからって、世界の混乱が全部消えたわけじゃない。

 長年続いた巨獣時代で、国も国境も、国際情勢そのものも、完全に塗り替えられちまった。


 存在していたはずの国は消え、逆に、昔は影も形もなかった新しい国家がいくつも生まれた。

 かつて良好だった国同士の関係が、難民問題や資源配分を巡ってギクシャクしてる例も珍しくない。


 アメリカやヨーロッパだって例外じゃない。

 今でも行政機能を完全に取り戻せていない都市や州は山ほどあるし、復興って言葉が名ばかりの場所も多い。


 各国の難民が集まって誕生した新興国もあるが、どこも経済の安定に必死だ。

 巨獣時代に積み上がった混乱のせいで内情は不安定だし、周辺国との関係も微妙なまま。


 正直、前途多難って言葉が一番しっくりくる。


 中国に関しちゃあ、もっとキナ臭い。

 新香港政府を名乗る連中が、香港とその周辺を領土にした独立国家を目指して、露骨に動き始めてる。

 昔の中国だったら力づくで潰されて終わりだっただろうが、今は事情が違う。

 国力が落ちて、国内の立て直しを最優先にしなきゃならない今の中国相手なら、現実味があるって話だ。


 それと、誰も表じゃ口にしないし、指摘されれば「そんな事実はない」って一斉に否定するが──裏じゃコソコソと動いてるって噂もある。

 新しい「ガクラ」を探してる、って話だ。


 網倉雅久っていう、ただの少年にあれだけの力を与えた“核”。

 それをもう一度手に入れられないか、水面下で捜索してる国や組織があるらしい。

 まぁ、今のところは噂とか陰謀論の類だが、無理のない話だ。


 世界を救える力。

 巨獣を従え、莫大な電力と資源を生み出す可能性。

 それを欲しがらない国の方が少ない。


 しかも、大戸村という具体的な場所と前例が残ってる。

 当時の調査資料や報告書を、今になって一から洗い直してる連中がいるってのも、あながち嘘じゃないだろう。


 笑えるのは、あれだけ「オカルトだ」「神話だ」って切って捨ててきた連中まで、今じゃ声を潜めてることだ。

 ガクラと世界樹とアラーガを見ちまった以上、もう完全否定はできない。


 理屈じゃ説明できない現実が、世界の前に突きつけられちまったからな。

 

 そのせいか、宗教ってもんも根本から揺さぶられた。

 もともと10年も人類を救い続けてた時点で、「ガクラこそ真の神だ」とか「救世主だ」って連中は世界中にいた。

 既存宗教の中には教義を書き換えてガクラを「神の使徒」に位置づけるところもあれば、完全にガクラ中心の新興宗教に生まれ変わる連中もいた。


 一方で、これまでの神を守るためにガクラを「偽神」「悪魔」「人類を試す存在」と断じる過激派も出てきた。

 

 それでも、その頃はまだ否定もできた。

 国家も研究者も「未知の存在」「研究すればいずれ解明できる」って理屈を並べて、何とか現実に引き戻そうとしてたからな。


 だが、本当に世界を救っちまった。

 たった一人の少年が地球の力を得て、アラーガを倒して、巨獣時代を終わらせて、しかも死んだ。

 それでいて、戦後も生き延びて復興するための鍵を残してな。


 これで「神じゃない」なんて言えるか?

 否定しようにも、現実の方が強すぎた。


 結果、世界中の宗教は一斉に改革を迎えた。

 信仰を巡る衝突、暴動、小規模な内戦まで起きた国もある。

 皮肉な話だが、巨獣がいなくなった後に、人間同士が一番醜く争ったんだ。

 救われたはずの世界が、別の形で揺れ始めた。 


 それでも時間が経つにつれて、少しずつ落ち着いてきてる。


 ガクラはもういない。

 棘弾は電気を生み続けてるし、世界樹は地中に戻ったままだ。

 誰かが再び世界を救ってくれる、なんて都合のいい話はもう無いって、皆が理解し始めたんだ。


 さらに世界が変わったのは政治だけじゃない。


 生態系も完全に書き換えられた。

 かつては人類の脅威だった巨獣の多くが、今じゃ野生動物に近い存在になりつつあって、新しい生態系の一部として定着し始めている。

 危険がゼロになったわけじゃないが、「共存」って言葉が、ようやく机上の空論じゃなくなってきた。 


 結局、残されたのは「救われた世界」と、それをどう生きるかって現実だけだ。

 ガクラは神だったのか、地球の兵器だったのか、それともただの少年だったのか。

 その答えは、これから先も統一されることはないだろうな。


 ただ一つ確かなのは、ガクラがいなけりゃ、今こうして“混乱について記事を書く世界”そのものが存在しなかったってことだ。


 アラーガの災厄で、世界は一度、文字通りまっさらにされた。


 だからって、奴が死んだから昔の世界に戻れるわけじゃない。

 二度と、あの頃には戻らない。


 それでもだ。

 ガクラが残した棘弾、資源、時間、そして生き残った人類そのものが、瓦礫の上に新しい世界を組み上げ始めてる。

 混乱は続いてるし、争いの火種も山ほどある。


 だが、少なくとも今は「終わり」じゃない。


 全部壊れた世界で、どうにか次の時代を始めようとしてる。

 それが、ガクラの死後に残った現実だ。

   

■■■■■■


日本 国際巨獣研究委員会(IBRC) 日本支部 総責任者 巨獣災害対策統括官 加島達哉


 アラーガを打ち倒した後、ガクラが消失し、世界樹が本来の機能を取り戻し、人類の手が届かない地中奥深くへ戻ってからというもの、世界の状況は明確に変化いたしました。

 

 それまで断続的に確認されていた新規の巨獣発生事例は、ほぼ完全に途絶えております。 

 また、既存の巨獣個体につきましても、かつて見られた無差別的かつ過剰な攻撃性は著しく低下し、現在では人間の生活圏に無闇に接近する事例は激減しております。

 例えるならば、野生動物が人類の存在を理解し、一定の距離を保つようになった状態に近いと言えるでしょう。


 この現象については、“地球の意思”が世界樹を取り戻したことにより、本来は防衛機構として機能していた巨獣の攻撃性が抑制され、既存の巨獣種が生態系の一部として再編・帰化しつつあるのではないか、という見方が現在の研究者間では有力です。


 もちろん、すべての危険が排除されたわけではありません。


 巨獣という生物群そのものの脅威は、依然として極めて大きく、個体差や環境要因によっては、依然として人類にとって脅威となり得る存在であることに変わりはなく、警戒と観測を継続する必要があります。

 現在もなお、地域によっては民間レベルでの巨獣との衝突は続いており、場合によっては軍や準軍事組織が出動する事態も発生しております。


 何しろ、確認されているだけでも、その種数は数十万規模に及びます。

 巨獣時代の終結から現在に至る数年間、多くの危険個体が駆除されてきましたが、それでも人類が排除できたのは、全体から見ればほんの数%程度に過ぎません。


 しかも、巨獣たちの繁殖能力そのものは依然として高いままです。

 駆除によって減少した個体数すら、時間とともに容易に補填されてしまう状況は、根本的には変わっていないのです。


 つまり、人類はいまだに地球の支配者へ戻ったわけではないのです。


 人類の勢力圏は限定的であり、未踏破地域や巨獣優勢地域は世界中に広く残存しています。

 人口も大きく減少したままで、崩壊後の姿を留めたまま放棄されている都市も少なくありません。


 復興が進んだ地域ですら、巨獣災害への備えは、現在も社会基盤の一部として組み込まれ続けています。

 防壁、避難壕、監視網、民間武装組織──そうした“巨獣時代の遺産”なしでは、現在の社会は成立しないのです。


 そのため、人類がかつての文明水準と生活圏を完全に回復するには、なお数百年単位の時間が必要ではないかと考える研究者も少なくありません。

 あるいは、人類と巨獣が対立を繰り返しながら、共存する現在の世界こそが新たな均衡点であり、この状況そのものが恒久的に続くのではないか──そのような見解すら存在しています。


 ただし、少なくとも──「巨獣時代」と呼ばれていた頃と比較すれば、世界全体の緊張度は明らかに別次元の水準まで低下したと言ってよいでしょう。

 被害の規模や人的・物的損害も、かつてとは比べものにならないほど抑制されています。

 

 国家が、明日の滅亡を前提に動いていた時代。

 都市の崩壊が日常となり、人類そのものの存続が危ぶまれていた時代。


 それと比較すれば、現在の世界は、間違いなく“安定”へ向かっている。


 その結果、各国は防衛一辺倒の対応から脱し、社会制度の再建、物流網の復旧、教育や農業の再整備といった、“未来を前提にした復興”へ、本格的に力を注げる段階へ移行しつつあるのです。


 実際、北米および東アジアでは、対巨獣緊急統合司令部の縮小・再編が始まっており、欧州圏では巨獣災害復興特別条約に基づく国境を越えた都市再建計画が進行中です。

 かつて壊滅的被害を受けた地域でも、人の往来が徐々に戻り、経済活動や自治機能が再起動し始めています。


 国連を中心とした国際社会も、軍事的抑止から長期的な共存と管理へと方針を転換しつつあり、IBRC自体も研究機関としての役割を再定義する段階に入っています。


 また、ガクラの死後においても、彼が遺した棘弾は現在なお稼働を続けており、安定した電力および各種資源を生み出しています。

 これらは各国の復興インフラの中核として組み込まれつつあり、特定地域ではエネルギー自給率の劇的な改善すら確認されています。


 さらに、ガクラ細胞の影響を受けた人々の一部は、現在も対巨獣戦力として活動を継続しており、各国で制度化・管理化が進められています。


 彼自身は姿を消しましたが、その存在が世界に残した影響は、決して過去のものではありません。


 アラーガの襲来によって、人類は滅亡寸前にまで追い込まれました。

 多くの都市が失われ、多くの命が失われ、世界そのものが崩壊の淵に立たされたのです。


 それでも、その破滅の果てには何も残らなかったわけではありませんでした。


 人類はまだ地球の支配者ではありません。

 失われた世界を取り戻したわけでもありません。


 ですが少なくとも、人類は再び「明日」の話ができるようになった。

 明日の滅亡を恐れながら生きるのではなく、明日の暮らしを考えられるようになった。


 私は、それこそが巨獣時代の終焉がもたらした最大の変化だったと思っています。


『一部ではこんな意見もあるそうです。もし網倉雅久が存在しなければ、彩が10年前の時点でガクラ、あるいはそれに準ずる存在へと変異し、アラーガは討たれ、巨獣時代は早期に終結していたのではないか、と』


 ……そう考える方々のお気持ちも、決して理解できないものではありません。


 多くの人々、少なくともIBRCの見解でも、本来、“地球の意思”を宿す“器”であり、ガクラ、もしくはそれに相当する存在へと変異する運命にあったのは“彩”でした。

 

 その彩が、広島において巨獣へと変異し、肉体の再構築に10年を要する結果となった。

 それが、当時まだ少年であった雅久を守るための行動であったと推測されている以上、議論が生まれるのは避けられないでしょう。


 事実として、その後に雅久がガクラへと変異し、人類のために戦うことになった結果、アラーガの討伐は10年遅れました。

 その間に発生した犠牲者、都市の崩壊、国家や社会の混乱──それらが現実として存在する以上、網倉雅久の存在が世界に大きな負荷を与えたことは否定できません。

 

 私自身も研究者である前に一人の人間として、もし10年前に彩が変異していれば、あの日あの場所で命を落とした人々は救われたのではないか、と考えてしまう瞬間がないとは言えません。

 アラーガの目覚めによる災厄そのものが起きなかった可能性についても、思いを巡らせたことはあります。


 ですが、だからといって、網倉雅久を「世界に犠牲を強いた無責任な子供」と断じてよいのでしょうか。


 雅久がどこまで真実を把握していたかは不明ですが、仮に彼が“核”の存在と役割を知っていたとしても――まだ10歳の少年だった彼が、生半可な覚悟で“核”が眠る大戸村へ向かうことができたでしょうか。

 

 当時の大戸村周辺は、複数の巨獣が徘徊する極めて危険な地域でした。

 それを承知の上で踏み込む決断が、果たして逃避や無責任さから生まれるものだと、私は思えません。


 さらに申し上げるならば、雅久はガクラへと変異した時点で、人間としての意思はすでに曖昧なものとなっており、人類と明確な意思疎通を行うことは極めて限定的でした。


 それでもなお、ガクラとして人類を救うという行為は、本当に核に宿る役目に従った結果だったのでしょうか。


 彼が本当に向き合っていたのは、人類の存亡か、あるいは地球の運命なのか。

 それとも、自分にとって大切な一人の少女だけだったのか。

 棘弾による電力供給や環境改変、人間の肉体強化といった現象もまた、単なる副次的な産物ではなく、崩壊した世界しか知らない孤児だった彼自身が思い描いた「理想の世界」の反映だったのか。


 人としての自我が揺らぎ続ける中で下された「人類を救う」という選択が、単なる“核の役割を果たしていただけ”だったのかどうか──この点については、今も研究者の間で議論が続いています。


 仮に10年前、彩が変異していた場合、より早期にアラーガを打ち倒せた可能性があることは否定できません。

 

 しかし、人間と同じように思考し、言葉を交わすことができたとしても、“地球の意思”という存在が、人類と本質的に異なる存在である以上、人としての倫理や感情を保ったまま、人類だけを贔屓する存在になり得たのかどうかは、誰にも断言できないのです。


 結果論ではありますが、最終局面において人類を救ったのは、ガクラという存在であり、同時に最後まで人類の味方であり続けた網倉雅久の判断でした。

 

 それが本能だったのか、使命だったのか、それとも最後まで残っていた雅久自身の意思だったのか──その答えを、我々は知ることができません。

 できるのはただ事実を記録し、分析し、推察することだけです。


 ですが、網倉雅久の行動によって救われた人々が存在し、今日まで人類が存続している──それだけは紛れもない事実です。

 彼の選択がなければ救われなかった命や、存続すら叶わなかった国家が存在します。

 

 彼が戦い続けたことで、各国は体制を立て直す時間を得ました。

 彼が遺した棘弾によって、人類は膨大な電力と資源を恒常的に得る手段を獲得し、復興を現実のものとしました。

 彼の細胞の影響を受けた人々は、巨獣に対抗し得る力を得ました。

 そして、彼がいなければ、ヨーロッパを取り戻すことは不可能だったでしょう。


 その10年間の積み重ねがなければ、アラーガが目覚めたあの時、奴に呼応して暴走する巨獣たちの前に人類は抵抗する間もなく滅んでいたはずです。


 アラーガを打ち倒し、巨獣時代を終結させること。

 そして、その後の世界に復興の土台を残すこと。


 結果として、網倉雅久はその両方を成し遂げました。

 だからこそ、人類は巨獣時代を“生き延びた”のではなく、“新しい時代を迎える”ことができています。

 

 彼の選択は、決して完璧でも、合理的でもなかったのかもしれません。

 それでも、彼の行動は常に誰かを守るためのものであり、自分だけが生き残るためのものではありませんでした。

 それは、彼の歩みを追った者であれば否定できないでしょう。


 彼は世界を変えました。

 そして、その変化の先で人類は生き残った。

 少なくとも歴史が証明できるのは、そこまでです。


 ですが、この点だけは、研究者としてではなく──一人の人間として申し上げたい。


 もし彼が本当に「世界に犠牲を強いた存在」でしかなかったのなら、人類は今こうして彼について議論することすらできなかったでしょう。


■■■■■■


日本・広島 猟師 網倉結衣


 巨獣時代が終わって、世界に残ったのは、壊れた街と、疲れ切った人たちだった。


 焼け跡のまま放置された街もある。

 復興が始まった地域でも、人手も資材も足りない。

 国も自治体も必死だったけど、失ったものが大きすぎた。


 だから不安は沢山あるわ。


 復興の途中で、また巨獣が現れたらどうしようとか。

 社会が限界を迎えたまま、日本がおかしくならないかとか。

 仕事はどうなるのか。

 ちゃんと食べていけるのか。

 自分がこの先、普通に笑って生きられるのか。

 そのうち心が壊れてしまうんじゃないか、とかね。


 戦争を知らない世代って言葉が昔はあったらしいけど、私たちは逆だった。

 “巨獣を知っている世代”だった。


 避難警報も、シェルターも、瓦礫も、死体も、全部が日常にあった。

 空を見上げて、「今日は何も来ないといいな」って考えるのが当たり前だった。


 だから、平和になったと言われても、すぐには信じ切れない。

 静かな夜ほど、逆に怖く感じる時もある。

 あまりにも長い間、私たちは“何かが来る世界”で生きすぎたのよ。


 それでも──私は最後まで見届けたいと思ってる。


 私の弟みたいな存在だった雅久は、ガクラになって、命を捨ててアラーガを倒した。

 彩は、最後には再び世界樹へ戻った。


 あの2人が何を残したのか。

 その答えは、たぶんこれからの世界が決めるんだと思う。


 この先、本当に明るい未来が来るのかは分からない。

 また争いが起きるかもしれないし、人間同士で壊し合うのかもしれない。

 復興だって、きっと何十年もかかる。


 だけど、それでも生き残った私たちには、その続きを見る責任がある。


 だから私は生きる。

 雅久と彩が命を懸けて繋いだこの世界を、最後まで自分の目で見届けたい。

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