祈り
日本・東京 避難民(当時) 掛田京一
あの時は本当に混乱の極みだった。
世界規模で巨獣が暴走し、防衛線は次々と崩壊。
東京は正式に放棄が決まって、俺たちは半ば追い立てられるように避難を始めた。
その最中に、アラーガへの核攻撃が失敗したって情報が飛び込んできて……しかも、そいつがそのまま東京に向かってるって。
当時の俺は港の避難船に乗り込もうとしていた。
船がアラーガの接近で出航しないってことは、とっくに知ってた。
海に逃げても追いつかれる、だからシェルター代わりに使うって説明も聞いていたが、それでも構わなかった。
どっちにしろ船で別の街や国に逃げたところで、行った先で別の巨獣に襲われるのがオチだ。
だったら、まだ分厚い鋼鉄の船体に籠もっていたほうが、わずかにマシだと思えた。
陸路はもう無理だった。
山に向かう道も他の街へ抜ける道路も、全部避難民で詰まってて、動く気配すらなかった。
周囲は怒鳴り声とクラクションで溢れててもおかしくない状況なのに、実際は違った。
みんな声を出す余裕すらなくて、ただ無言で歩いてた。
“どこに逃げても結局は同じだ”って空気が、あの場にいた全員に染みついてたんだと思う。
避難列の中でも、誰も声を上げなかった。
怒鳴り声も泣き声もなくて、ただ足音とサイレンだけが響いてた。
全員が「終わった」と思ってたんだと思う。
俺も、正直そうだった。
アラーガが東京に現れたのは、その時だった。
まだ奴は遠くにいるはずなのに、嵐の余波みたいな強風が港まで吹き抜けて、港湾施設の照明やクレーンがギシギシ音を立てて揺れていた。
それが、ある瞬間に急に勢いを増したんだ。
まるで街全体が、何か巨大なものに吸い寄せられていくみたいに。
夜空は雲で完全に覆われて、月も星も見えなかった。
その雲の裏側で、炎みたいな赤、氷みたいな白、雷の青が、次々と閃光になって走った。
“天気がおかしい”とか、そういうレベルじゃない。
避難してる俺たちですら、何が起きてるのか理解できなかった。
で、その光に目を奪われていた時だ。
──上空を、奴が通過した。
重力に逆らって、空を泳ぐみたいに進む巨獣。
核攻撃を食らった直後とは思えない、あまりにも滑らかで歪みのない外殻。
話では「核攻撃でも倒せない」と聞かされていたけど、それでも多少は傷が残るもんだと勝手に思い込んでいた。
だけど実際のアラーガは、本当に何のダメージもなかった。
パッと見ただけで分かるほどに“無傷”だった。
その瞬間、港の空気が変わった。
絶望を通り越して、全員が「もうどうにもならない」って理解した顔をしていた。
アラーガが東京のど真ん中で停止すると、奴の体が一瞬だけ黄金に光った。
その光に呼応するみたいに、地面の至るところから振動が伝わってきて……次の瞬間、巨大な植物の塊のような“世界樹”が地面を突き破って姿を現した。
まるで、アラーガに呼び起こされたみたいに。
そいつは世界樹に触れると、何かを吸い上げるようにエネルギーを溜め込み始めた。
体表の紋様みたいな部分が脈打って、見る間に巨大な光球が形成されていく。
アラーガが放つ超高出力のビーム。
話だけは聞いたことがあったが、実物は想像していたよりも遥かに現実離れしていた。
それを見た避難民たちは、もう耐えられなくなったんだと思う。
港にいた全員が一斉に避難船に押し寄せ始めて、さっきまでのわずかな秩序なんて完全に吹き飛んだ。
叫び声と泣き声が混ざって、船のタラップは押し合いへし合いで崩壊寸前。
自衛隊員ですら制止を諦めてたくらいだ。
その中で、俺はすでに船内にいた。
外で起きてる騒ぎは分かってたけど、不思議と冷静だった。
「あぁ、これが地球の世界樹なんだな」
「本当に奴に奪われちまったんだな」
そんな風に思ったんだけど、別に深い意味はなかった。
あの光球を見た瞬間、どこに撃つつもりなのか、どれほどの威力があるのかは想像もつかなかった。
でも、今ここから逃げようが、避難船の奥深くに隠れようが、ほとんど意味がないことだけは理解してた。
あの光球から逃れても、今度は嵐や衝撃波に巻き込まれて消し炭になるのがオチだし、もし奇跡的に生き延びたとしても、東京そのものの崩壊は免れない。
自衛隊なんて防衛戦と、アラーガへの核攻撃で消耗しきっていた。
いまさら奴に反撃したところで通じないのは誰の目にも明らかで、実際あの場で自衛隊がなんのリアクションも取れなかったのが、その証拠だった。
そして、仮にこの街を捨てて別の地域に移ったところで、結局は巨獣だらけの世界なんだ。
……ただ、どうしようもない現実を受け入れるしかなかったってだけだ。
それはどうやら俺だけじゃなかった。
あの混乱の中でも、群衆の一部には俺と同じように奇妙に落ち着いて、現状を諦めて受け入れた顔をしてるやつが何人かいた。
そして、アラーガの光球が膨れ上がり、強烈な光を放った時、俺はもう覚悟した。
もう終わった、と。
その瞬間だった。
視界が赤く染まって、赤い熱線がアラーガの光球に直撃した。
直後、あれほど膨れ上がっていた光球が凄まじい爆発を起こし、それをまともに受けたアラーガが、大きく体勢を崩した。
巨体が揺れ、空中で姿勢を維持できなくなったまま、地上へ向かって落下していった。
何が起きたのか、理解が追いつかなかった。
絶望して死ぬ覚悟ができた瞬間、突然助かったのだから。
続いて響いたのは、嵐の音をかき消す咆哮。
でもそれはアラーガのものじゃない。
俺たちの後方、海の方角から聞こえた。
聞き覚えのある、あの咆哮だった。
それを耳にした瞬間、パニックになってた連中も、諦めて動きが止まっていた連中も、全員が黙った。
まさか、と思った。
あいつは負けたはずだった。
大阪でアラーガに敗北して、“核”を奪われて、死んだとされていたはずなのに。
咆哮の聞こえた方向へ、俺たちは一斉に振り向いた。
港の先、黒い海の上に──彼は立っていた。
ガクラ。
嵐で真っ暗な世界でも、赤い光を鈍く放つガクラの姿ははっきりと見えた。
最初に思ったのは、嬉しいとか、安心とかじゃない。
「なんで?」だった。
だってそうだろ。
あいつは大阪で負けた。
アラーガに敗北して、“核”を奪われた。
世界中が死んだと言っていた。
専門家も、軍も、政府も、みんなそう発表していた。
なのに、なんで立ってる。
なんで海の上にいる。
なんで、また現れた。
理解が追いつかなかった。
分かったのは、咆哮を上げながら一直線にこっちへ向かってくるガクラの視線が、完全にアラーガだけを見据えていた。
自分を打ち倒したあの怪物に、再び挑むつもりなんだ、と一目で分かった。
それを理解した瞬間、避難民も自衛隊員も、港にいた全員が動きを止めた。
今なら逃げられる──本来なら、そう考えるべきだった。
だが、逃げようとか、危険だとか、そういう判断が頭からすっぽり抜け落ちていた。
誰もがただ、嵐の中で向かい合う二体を見上げていた。
今にして思うと、あの場にいた全員が、本能的に理解していたんだと思う。
──“この戦いで全てが決まる”。
俺たちが生き残るか、東京がどうなるかとか、そんな話じゃない。
これまで続いてきた全てに決着をつける戦い。
人類の歴史も、世界の行く末も、そして、この地球の運命すら──その全てが、あの2体に懸かっているのだと。
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日本・東京 避難船〈みずほ丸〉船長 安達将弥
心の中で祈りながら、それでもアラーガが放とうとする光球を前に、全てを受け入れるしかなかった、あの瞬間。
死んだはずのガクラが現れた時、私はただ圧倒されるばかりでした。
正直に言えば、あの時の私は何を考えていたのか、今でもはっきりと思い出せません。
ガクラが生きていたことへの驚きだったのか。
自分たちを救ってくれる存在が現れたことへの安堵だったのか。
それとも、人類の命運を左右する歴史的瞬間を目の当たりにしているという、言葉にできない感情だったのか。
ただ一つだけ、確かなことがあります。
私は、あの戦いを最後まで見届けようと思ったのです。
本来なら、あれは逃げる最後の機会でした。
ガクラが現れたことでアラーガの注意は逸れた。
その隙に港を離れれば、少なくとも避難船に乗っていた人々だけでも助けられたかもしれない。
避難船の船長である以上、本来なら私は直ちに出港を命じ、安全海域への退避を最優先に判断するべき立場でした。
ですが、私は命令を出しませんでした。
出せなかった、と言うべきなのかもしれません。
目の前で始まろうとしていた戦いから、どうしても目を離すことができなかったのです。
そして、それは私だけではありませんでした。
船員たちも。
避難民たちも。
港に残っていた自衛隊員たちも。
誰一人として、その場を離れようとはしませんでした。
逃げれば助かるかもしれない。
そんなことは、誰もが分かっていたはずです。
それでも、誰も動かなかった。
巨獣時代をもたらした元凶アラーガと、その時代に生まれた少年だったガクラ。
二体が激突する、その瞬間を前にして、誰もが本能的に理解していたのでしょう。
──この戦いで、全てが決まる。
私たち一人ひとりの未来だけではない。
人類の未来そのものを決める最後の戦いに、私たちは最後まで立ち会おうとしていました。
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日本・東京 保育士 曽田陽香
本当に、もうダメだと思ってた時だった。
アラーガが、こっちに光球を撃ち込もうとしてきて──次の瞬間、それが横から弾き飛ばされたんだ。
何が起きたのか分からなかった。
音も、衝撃も、一拍遅れてやってきてさ。
それで、咆哮が聞こえた方を見たら──ガクラがいた。
……死んだはずのやつが、だ。
あれを見た時のことは、今でもうまく言葉にできないよ。
助かったのか、どうなのか、何も判断できなかった。
「なんでいる」「まだ戦う気なのか」って、頭の中はそればっかりでさ。
アタシたち大人は、ただ突っ立って見てることしかできなかった。
──でもな、そんな中で子供たちは違った。
さっきまで泣いてた子が、声を上げてさ。
「あれ見て!」って、指差してはしゃいでた。
あの時だけは、はっきり分かったよ。
あの子たちにとっては、“理由”なんてどうでもよかったんだ。
そこに、“何か”が来てくれた。
自分たちを“助けてくれるかもしれない存在”が現れた。
それだけで、十分だったんだ。
……柄じゃないけどさ。
あの時、初めて思ったよ。
奇跡って、本当にあるのかもしれないってな。
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日本・東京 内閣官房副長官 危機管理担当 天野達広
核攻撃が失敗し、アラーガへの打つ手を完全に失った時点で、首相官邸地下の危機管理司令室にいた私たちには「もう諦めるしかないのか」という、重く沈んだ空気が流れていました。
アラーガを止められない以上、残る選択肢は“逃げる”ことだけ。
東京の放棄を決断し、どれだけ多くの国民を遠方へ退避させられるか、その一点だけに意識が向いていたのです。
既にアラーガに呼応した巨獣群の暴走によって防衛戦力は各所で分断・消耗しており、東京の外縁部における遅滞戦闘も長くは持たないと見ていました。
我々は東京の段階的放棄を決断し、優先順位を明確にした上で、どれだけ多くの国民を遠方へ退避させられるか、その一点に指揮系統の全てを集中させていたのです。
交通網の寸断を前提とした輸送計画の再構築、地下シェルターの収容限界の再計算、医療・電力・水資源の最低維持ラインの設定。
やっていたのは、勝つための準備ではなく、「どこまで生き残らせるか」という計算でした。
そんな中で、突然、ガクラが復活し、東京で再びアラーガに挑むという報告が入ってきました。
半ば信じがたい内容でしたが、すぐに防衛省から中継映像が送られ、私自身もそれを確認しました。
浮遊して東京の中心部に陣取るアラーガと、それに向けて進撃するガクラ。
映像を見た瞬間、誰もが気づいたと思います。
──いま、決戦が始まろうとしているのだと。
結果的に見れば、直前まで進めていた避難誘導は正しかったと言えます。
彼らが戦場とする区域の住民は、すでに避難済みで誰もいない。
その他の区域は地下シェルターへ避難済み。
もっとも、それで被害がゼロになるわけではない。
都市インフラの崩壊、シェルターの耐久限界、二次災害の発生──想定すべきリスクはいくらでも残っていました。
残る私たちにできることは、そのシェルターの頑丈さを信じ、そして状況を見守ることだけでした。
少なくとも、両者が衝突しても即座に新たな民間人被害が出る心配はない──その点だけが、唯一の救いと言えました。
ただ、我々日本政府──ひいては人類にできることは、そこまででした。
総理はなおも可能性を探ろうとしていました。
防衛大臣、統合幕僚長に対して、「何とかしてガクラの支援はできないのか」と、半ば叫ぶように問い続けていたのを覚えています。
ですが、返ってきた答えは一貫していました。
「現時点で投入可能な戦力はありません。仮に残存部隊を投入しても、戦況に影響を与えられる見込みはない」
「本件は、事実上の一騎打ちです」
「総理、我々にできるのは、これ以上の被害を抑えることと──あとは、結果を待つことです」
言葉を選んではいましたが、意味するところは明確でした。
先の核攻撃で、自衛隊の戦力はほぼ尽きていたと言っていい。
航空戦力は稼働機の大半を失い、地上戦力も再編が必要な段階。
残存戦力は各地の避難誘導と治安維持に回されており、これを引き剥がせば、それ自体が新たな被害を生む状況でした。
仮にガクラの支援を試みたとしても、投入できる火力も装備も、アラーガの戦闘能力に対しては有効打になり得ない。
むしろ、接近した時点で嵐に巻き込まれ、損耗を増やすだけになるという評価が下されていました。
他国に支援を要請したところで、彼らもまた自国の巨獣暴走への対処で精一杯で、部隊を派遣する余裕などなかった。
日本で核攻撃に協力していたアメリカ軍も壊滅状態で、追加の戦力投入は期待できなかった。
仮に応じたとしても、戦力が到着するころには決着はついていたでしょうし……どのみち、核攻撃でも倒せなかったアラーガの発生させる嵐で壊滅していたはずです。
だからこそ、私たちに残された行動はただ一つでした。
祈るしかない。
──ガクラがアラーガを打ち倒すこと。
──この異常事態を終わらせること。
──そして、奴が奪っていった“世界樹”を取り戻すこと。
もはや、それ以外に人類の生存を賭けられる要素は残されていなかったのです。
私は、最後の望みをガクラに託しました。
元は人間でありながら、少年だった頃の面影を完全に失った、あの無機質な顔。
そこに感情を読み取ることはできませんでした。
かつて少年であった彼が、どのような意思で立ち向かおうとしているのか。
巨獣へと変わり果て、人間としての自我がどこまで残されているのか。
それでもなおアラーガに決戦を挑む行動が、本当に彼自身の意思によるものなのか。
それでも、ただ一つだけは明確でした。
アラーガへ向けて進み続ける。
進路を変えず、速度も落とさず、あの圧倒的な存在へ正面から向かっていく姿勢からは、“砕け散るまで戦う”という覚悟だけは、疑いようがなかったのです。
実のところ、ガクラが初めて姿を現した時から、私はずっと頭のどこかで引っかかっていた疑問がありました。
私の故郷、大戸村に伝わる古い“禍咎羅伝承”。
そして、現実に存在するガクラ。
両者は同じ存在なのか。
それとも、あの伝承こそガクラ誕生を予兆していた、いわば予言書のようなものなのか。
あるいは、伝承とは無関係で、ただ名前と姿が似ているだけの、全くの偶然なのか。
ですが、当時の私には、真相を追及する余裕などありませんでした。
目の前で世界が終わろうとしている状況で、そんな理屈はどうでもよかった。
ただ、祈るしかなかったのです。
私たちはこの戦争を、未来を、あの“少年の成れの果て”の背に乗せてしまった。
それが政治家として許されない判断であっても、人として許されない選択であっても、ほかに道はなかった。
あの時、我々日本政府にできることは、もう何ひとつありませんでした。
政策も、軍事も、外交も、意味をなさなかった。
ただ、私たちにできるのは、ガクラという存在に、最後の希望を託して見届けることだけ。
結果がどう転がろうと── あれが人類最後の戦いになると、全員が理解していたのです。
そして、その前提を受け入れた瞬間、私たちは覚悟を決めました。
何かを成し遂げるための覚悟ではありません。
結果を変えられないまま、それでも見届けるしかないという現実を受け入れる覚悟です。
国家としても、個人としても、これ以上介入する余地はない。
その事実を、誰もが理解していた。
だから、私は官邸の地下対策室で、誰にも分からないよう静かに、心の中だけで祈りを捧げていました。
アラーガがゆっくりと降下を始め、空気が震え、東京全域のセンサーが軒並みエラーを吐き出していく。
状況の把握すら困難になる中で、それでもなお──ガクラだけはその巨影へ向けて、一歩も引かずに前進を続けていた。
その映像を、総理は終始、目を逸らすことなく見つめ続けていました。
そして、縋りつくように──しかし、極めて小さな声で、一言だけ呟いたのです。
「……お前は本当に、厄除けの獣神なのか?」
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