賭け
日本・大阪 臨時巨獣特別調査員(当時)/猟師 網倉結衣
私たちが最後に立てた“可能性”は、雅久が変異したガクラの亡骸と、再構築の途中にあった彩を──あの二人を、融合させることだった。
ガクラは確かに“核”を奪われた。
でも、彼の肉体そのものは“核”の影響で変異した、いわば“核”そのものに近い性質を持っていた。
そして彩は、本来そちら側に立つはずだった存在。
まだ琥珀の中で眠っていたけど、少なくとも、再構築は続いていた。
だからこそ、できるかもしれない──そう考えるしかなかった。
正直に言うわ。
あの計画に根拠なんてなかった。
誰も試したことがなく、成功例も存在しない。
壊れた車に、壊れたエンジンを詰め込むような、有り合わせを繋ぎ合わせた滅茶苦茶な計画。
希望的観測とか、悪あがきとか、そんなことは全員分かってた。
それでも、私たちには他に何も残っていなかった。
アラーガに奪われた“核”を取り戻す術も、世界各地で暴走を始めた巨獣を抑える余裕もない。
仮に今この瞬間に彩が目覚めても、状況を立て直す時間そのものが残っていなかった。
これから行われる核攻撃が本当に成功するかどうか──誰も判断できなかった。
だから、残された“二つの欠片”を、一つに戻すしかないと思った。
この世界に、もう一度アラーガへ立ち向かえる存在を甦らせるために。
計画の開始条件は、核攻撃が実施された瞬間だった。
ガクラの亡骸はアラーガが拠点にしていた大阪へ放置されたままで、私たちは近づくことすらできなかった。
だから作戦が始まり、アラーガが海へ誘導された瞬間を狙って、再構築中の彩を運ぶ私たちは大阪への上陸を決行した。
猶予はあまり無かった。
長い間、あそこ一帯がアラーガの縄張りだったから大阪周辺の巨獣は消えていた。
でも、主がいなくなれば話は変わる。
あれだけ巨大な縄張りが空けば、別の巨獣が入ってくる。
世界中で都市が襲われていた時期なら、なおさら。
だから、ガクラの亡骸へ辿り着くまでの時間は文字通り、限られていた。
とはいえ、嵐が去った後に残っていた街は完全に崩壊していて、まともに歩ける道なんて一つもなかった。
道路は瓦礫で埋まり、建物の骨組みが崩れ落ち、どれが道だったのかさえ分からない。
地図なんて意味はなかった。
そんな道を、私たちは歩き続けた。
遠くから聞こえる核攻撃の衝撃音が地面を震わせても──歩みを止めることはしなかった。
廃墟の中をかき分けながら、どうにかガクラの亡骸へ辿り着いた時、目の前にあったのは、私たちが知っている姿とはあまりにもかけ離れた“残骸”だった。
敗北して“核”を奪われて以降、常にアラーガの嵐に曝されていたその身体は、灰のように脆く、触れれば崩れてしまいそうなほど劣化していた。
その状態を見た瞬間、胸の奥で不安が一気に大きくなった。
この状態の肉体が、本当に融合に耐えられるのか?
“核”を失った“器”としての雅久と、再構築途中の彩という中途半端な状態で、本当に融合が成立するのか?
仮に融合できたとして、アラーガに対抗できるほどの力が戻るのか?
疑問はいくつもあった。
でも、立ち止まったところで、すべてが終わるのは分かっていた。
だから、進むしかなかった。
最初に問題になったのは、あのボロボロになったガクラ──雅久の肉体と、再構築中だった彩を、どうやって融合させるのか──そこだった。
単純に彩を雅久へ接触させたところで、まったく反応が起きない可能性もあった。
“核”を失っている以上、外側からの刺激ではどうにもならない──それは、事前の検討段階から想定されていたことよ。
じゃあどうするか。
結論として、私たちは“内側から”やるしかないと判断した。
かつて雅久が生体スキャンを受けたとき、体内構造がある程度分かっていた。
全身が膨大な繊維の束みたいな組織で構成されていて、その繊維が器としての役割を担っていた。
そして頭部だけは、他の部位とは違って、ぽっかりと空洞になっていることも分かっていた。
──だから、淡い期待だけど、“核”を失っていても、何かしらの中枢だけは残ってるかもしれない”って思った。
もしそこに彩を届けられれば、融合のきっかけが生まれるかもしれない。
正直、成功する保証なんてどこにも無かったけれど、他に方法も無かった。
私たちは、ガクラの亡骸に到着してすぐ、頭部を目指して移動を開始した。
最初に到着した尻尾側から頭部まで、ガクラの周囲を沿うように、その隣を歩いて進む道中──私はずっと、雅久が変異したガクラの体を見ていた。
肉体はすでに崩壊寸前まで劣化していたけど、それでも辛うじて原型は保っていた。
金属と植物が混ざり合ったような繊維組織──あの異様な構造は、やっぱり生物というより、“巨大な樹”に近い印象だったわね。
交渉の時も感じていたことだけど──あれが、“人間だった頃の雅久”と同一の存在だなんて、とても実感できるものじゃなかった。
慎重に進んで、私たちはガクラの頭部スキャンで確認されていた“空洞の領域”まで辿り着いた。
頭部に到着した時には、すでに外殻は大きく崩壊していた。
本来なら強固な装甲で覆われていたはずの部位が裂けて、内部構造が露出していた。
そこから、スキャンで確認されていた“空洞領域”へと繋がっていた。
もちろん、完全に何も無い空っぽの空間だなんて思ってなかったわ。
だから、巨大な脳とか、眼球のような器官とか、あるいは私たちには理解できない“中枢”があるんじゃないかと想像していた。
でも、そこにあったのはそんなものじゃなかった。
そこに“いた”のよ。
網倉雅久──彼自身が。
私たちはずっと、雅久自身が変異して、ガクラになったんだと思ってた。
でも本当は、雅久はガクラの中に残っていた。
それも失踪から10年も経っているのに、姿だけは行方不明になった当時のまま、10歳の少年そのものだった。
それでも、身体はもう完全に“人間”ではなかった。
黒かった髪はところどころ白く変色していて、体の一部も黒く変質していた。
背中からは皮膚を破り出すように無数の繊維が伸びていた。
その繊維は頭部の空洞全体に張り巡らされ、樹の根のように体内の繊維構造へと繋がっていた。
いえ繋がっていたんじゃない。
あの繊維こそがガクラそのものだった。
後から考えれば、構造は単純だった
雅久を中心にして、そこから外側へ無数の繊維が伸び、その繊維の網が巨獣としてのガクラの身体を作っていた。
つまり、雅久自身が脳として存在し、アラーガに奪われた“核”を中心にして、ガクラという存在は成立していた。
項垂れるように眠っていた雅久の身体は小さかったけれど、背中から伸びた繊維だけは、弱々しく赤い光を放っていた。
“核”を失ってから、すでに数ヶ月は経っていたはず。
飲まず、食わず、嵐に晒され続けて、それでも──まだ呼吸していた。
彼はまだ完全に死んでいなかった。
ガクラの力がほんの少しだけ残っていたんだと思う。
私たちは動揺していたけど、やることは決まっていた。
私は再構築途中の彩を、壊さないように慎重に抱えて、ゆっくりと彼の元へ近づけた。
その瞬間──眠っていたはずの雅久が、ゆっくりと目を開けて、こちらを見た。
左目は赤く変色していた。
もう、人間じゃない何かになってしまったんだって一目で分かった。
それでも、その顔つきは行方不明になる前と同じ、あの大人しくて控えめな少年のままだった。
ガクラとして変異し、10年間も戦い続けて、アラーガに敗北し、“核”を奪われた。
色んなものを全部を背負ったはずなのに、目の前にいた彼は、驚くくらい弱々しかった。
痩せ細っているわけでも、傷だらけでもないのに、力が抜けきっているみたいに、存在そのものが薄くなっている感じだった。
それでも──彼は、まっすぐ私を見つめていた。
ガクラに変異して、人としての自我がどこまで残っているのかも分からない状態なのに、目だけは確かに“雅久”のままだった。
あの目を見た瞬間、分かった。
“彼は、もう一度戦うつもりなんだ”って。
正直、もし本当に彼と再会できたとき、私は何を言えばいいのかずっと考えていた。
10年間、戦い続けて人類を救ったことを労うべきなのか。
あるいは、それが本当に彼自身の意思だったのか、それとも““核”として組み込まれた本能”がさせていたのか問いただすべきなのか。
もし自分の意思だったなら、どんな気持ちで戦い続けていたのか──聞かなきゃいけないとも思っていた。
──逆に、言葉では言えない恨みをぶつけるべきなのか。
私は、一度だけじゃない。
何度も、彼を恨んだことがある。
世界を救う存在になったおかげで、私たちが生きられているのは分かっていた。
それでも、雅久がガクラになったことで、孤児院は閉鎖されて、私たちは色んな連中に振り回され、人生が全部狂った。
“あいつがいなければ”って、心のどこかで思ったことだってある。
そういう感情があったから──もし再会したら、自分がどうなるのか分からなかった。
前の交渉の時は、姿が“ガクラ”だったから、まだよかった。
巨獣を相手にしていると割り切れば、冷静でいられた。
けれど──人間としての雅久と向き合った時、自分がどうなるのか。
そんな不安が、ずっと付きまとっていた。
でも、ガクラの脳として雅久の体は黒く変質し、もはや二度と人に戻れない姿へ変わり果てていたのに──そこにいたのは、少年だった頃の面影を残した、あのままの姿だったのに──私は、何も言わなかった。
──言う必要がないと分かったから。
私はただ、黙って彩を彼に差し出した。
雅久は弱りきった表情のまま、しばらく彩を見つめ続けた。
そのあとだった。
彼の背中から伸びていた繊維が、ゆっくりと彩に向かって動き出し、まるで拾い上げるようにして包み込んだ。
多分、彼は分かっていた。
“本来ガクラになるべきは彩だった”ってことを。
自分が“代わり”だったことも、全部。
繊維が二人を完全に覆い尽くした瞬間、内部から赤い光が強く脈打ち始めた。
次の瞬間、私たちと調査班の目の前で、亡骸同然だったガクラの肉体が、急速に再生を始めた。
崩れかけていた外皮が内側から持ち上がるように修復されて、欠損していた部位が繊維によって埋められていく。
内側から新しい層が押し出されるように形成されて、まるで時間を巻き戻しているみたいに復元されていった。
その間、外皮の隙間からは淡い赤い光が断続的に漏れ出していた。
脈動と同期して、全身が呼吸しているみたいに明滅していたのを覚えている。
“核”を失って死んでいたはずの雅久が、彩と融合した直後、再び“ガクラ”として動き出した。
頭部の外殻も、内側から押し上げるように再構築されていった。
空洞だった領域が閉じていって、外界との接続が遮断されていく。
その途中──完全に覆われる、ほんの一瞬だけ。
雅久が、ゆっくりと私の方へ視線を向けた。
それが何を意味していたのか──正直、分からない。
今になっても、答えは出ていないわ。
すぐに外殻が閉じてしまって、彼の表情を読み取る余地なんてなかったから。
けれど、そこに“迷い”が一つも無いのだけははっきりしていた。
ガクラという巨獣に変わり果てても、“核”を奪われて死んだも同然身であっても、自我がどれだけ薄れていたとしても──その目だけは曇っていなかった。
言葉なんていらなかった。
その視線だけで十分だった。
完全に再生が終わる前に、ガクラはゆっくりと立ち上がった。
再生の途中でまだ外皮も脆く、繊維もむき出しのままなのに、彼は迷うことなく海の方へ歩き出した。
考えるまでもなかったわ。
“雅久は、アラーガと決着をつけに行く”。
巨獣を暴走させ、世界を崩壊寸前まで追い込み、そして何より──彩から“世界樹”を奪った存在。
巨獣時代を引き起こした元凶に、雅久は向かっていった。
私は、姉みたいに振る舞っていたけど──雅久のことも、彩のことも、詳しいことなんて知らない。
2人の本当の関係は一体どんなものだったのか。
何を抱えていたのか。
雅久がどこまで知っていたのか。
全て理解した上で、人として生きることを捨てたのか。
アラーガと戦う決意は、10年間戦い続けた末だったのか。
それとも10年前、私と最後に会ったあの日から決まっていたのか。
分からない。
私にできるのは、見たものと、人から聞いた話を繋げて憶測を言うことだけ。
──でもあの時、雅久と目が合った瞬間だけは、少し分かった気がした。
迷いも恐怖も、言い訳もない。
人としての自我が揺らいでいた状態であったとしても、彼が選んだのは、全て“自分の意思”だった。
私はその巨大な背中を、ただ見送るしかできなかった。
『この時、あなたは一言だけ告げたそうですね』
──無意識だった。
でもこれから先、どんな結末を迎えても──あれだけは分かっていたんだと思う。
たとえ届いているかどうか分からなくても、どうでもよかった。
返事がなくても、それでもいい。
ただ、伝えてなかった言葉を言いたかっただけだと、あの時の私はそう思ってたはず。
雅久が大戸村へ向かう直前、人間だった頃の彼と最後に会った時に伝えるべきだった言葉。
「さよなら」
https://www.pixiv.net/artworks/147023903




