大戸村
日本・大戸村 巨獣特別調査員 高梨友美
巨獣の中でも、ガクラとアラーガは特に異質で、根本的な部分がほとんど解明されていません。
まず、肉体を構成する細胞組織がどのような仕組みなのか。
エネルギーを熱線として放出する機構は何か。
その肉体や能力を維持するために、どれほどのエネルギーが必要なのか。
そして、そもそもそれだけのエネルギーをどのように生成しているのか。
さらには、人類がその原理を再現できる可能性があるのか。
研究の出発点となる基礎情報すら、ほとんど得られていませんでした。
特にガクラについては、異常な点が群を抜いていました。
アラーガが「火星の世界樹になれなかった種」であった可能性を考えるなら、原理不明でも異常な能力を有していたこと自体は、仮説として理解の余地があります。
しかし、ガクラの正体が「網倉雅久」という当時10歳の少年だったことが、ガクラの謎の一つでした。
血液DNAが一致した時点から、彼の生い立ちや関連記録を徹底的に調べ上げましたが、特筆すべき点は何一つありませんでした。
彼はあくまで「普通の子供」だったのです。
身体能力は同年代の男子と比べて平均的で、際立った強さや持久力もありません。
肉体が特別頑丈だったわけでもなく、むしろ一般的な風邪で通院した記録がありますし、車に轢かれて骨折したり、高所から落ちて頭を打ったり、拾い食いして腹を壊したり、野球で頭にボールが直撃して気絶したり……。
孤児院で行われていた戦闘訓練にも参加していましたが、成績は可もなく不可もなく――むしろ、彼より優秀な子供のほうが多かったくらいです。
性格や言動、生活習慣にも不審な点はなく、特別な兆候は見られませんでした。
DNAも人間として標準的な範囲にあり、遺伝的な異常や特異性は確認されません。
分かったのはせいぜい純粋な日本人だったことだけ。
つまり、アラーガのように“特別な存在として生まれた”わけでは決してない。
では、なぜ一人の少年がガクラへと変異し、あれほどの能力を獲得したのか――。
ガクラに変異した後の彼は、自我そのものが不安定で、日本語に反応を示すことはあっても、まともなコミュニケーションは全く成立しませんでした。
こちらが質問しても、言葉として理解しているのかどうか判断できず、有力な情報を直接得ることは不可能。
となれば、私たちが一から自分たちの手で原因を探るしかありませんでした。
必然的に有力視されたのは、「何らかの方法で後天的に得た力である」という説でした。
ただの人間である以上、外的な要因で変異したと考えるのが最も自然です。
そして、アラーガの出現を機に、ガクラの能力が地球の世界樹由来のものだと判明したことで、この仮説は決定的になりました。
しかし、その瞬間からまた新たな謎が浮上しました。
その世界樹の力を、彼はいつ、どこで手に入れたのか。
その方法は現在も存在するのか。
他の人間でも、ガクラと同等の力を得る可能性はあるのか。
まさにここが、私たち調査班が最初に直面した“最大にして最も本質的な課題”でした。
ガクラの正体が判明して以降、私たちは彼の足取りを徹底的に調査し、この疑問の答えを追い続けました。
政府も極めて重要な案件として扱い、大規模な調査資金を投入していました。
もちろん、世界中の政府も公には口にしませんが、裏では同じ情報を血眼になって探していたはずです。
巨獣を打ち倒せるほどの膨大な戦闘能力、莫大なエネルギーを生み出す仕組み、そして環境さえ改変する力――そんなものは誰もが喉から手が出るほど欲しがるに決まっています。
ガクラが健在だった頃から、各国は“第2、第3のガクラ”を求め続けていました。
もしその力を共有できれば、巨獣が溢れる世界で生き抜くための決定的な戦力になるだけでなく、人類文明の進化に直結する。
そして、それを独占できた国家がどれほどの国際的優位を得るかも明らかでした。
本音を言えば、世が落ち着いた状況だったなら、日本は“ガクラ誕生の鍵”を狙う各国のスパイだらけになっていたでしょうね。
ただ、雅久の足取りについては、私たちが行った調査の中でも最も難航した部類でした。
彼が最後に確認されたのは、牛鬼毒種と白無垢との縄張り争いが起きた後、広島の孤児院。
そこで、同じ孤児院出身で姉貴分でもあった網倉結衣と会話した場面が“最後の目撃”とされています。
それ以降、彼の行方は完全に途絶えました。
有力な目撃情報は一件もありません。
おそらく、仮に誰かが見かけていたとしても、記憶に残らなかったのでしょう。
あの時代、一人で行動する子供は珍しくなかった。
特に目立つ行動をしていなければ、印象に残らないのは当然です。
当時の広島では稼働している監視カメラがほとんどなく、映像記録による追跡も期待できませんでした。
そのため、私たちができたのは、わずかに残る証言や周辺状況、地理的条件など、散在する状況証拠を一つずつ拾い上げていくことだけでした。
まず真っ先に有力視されたのは、大戸村でした。
あの村は、時代とともに過疎化が進み、最終的には巨獣の「牛鬼毒種」の縄張りとなって毒に汚染され、完全に廃村となった地域です。
しかしその一方で、古くから「禍咎羅伝承」が残されており、記録が残る限り、日本で唯一その名を持つ存在が語り継がれてきた場所でした。
ガクラの外見や能力が、その伝承の禍咎羅と極めてよく一致していたことから、調査班のほとんどが「この村と何らかの深い関係がある」と考えました。
実際、ガクラという名前の由来自体がその伝承から取られているほどの一致性ですから、最初の調査対象になるのは当然でした。
しかし、蓋を開けてみれば、関係はまったく掴めませんでした。
村を徹底的に調べましたが、雅久が訪れた痕跡は一切確認されなかったのです。
荷物もない、生活痕跡もない。
廃村で住民もいないため、当然ながら目撃情報も皆無で、本当に来訪したのかどうかさえ不明でした。
さらに地理的に考えても、子供が一日やそこらで到達できる距離ではありません。
もともと交通網が途絶えている上、周囲は巨獣が徘徊する危険地帯です。
仮に巨獣の目をかいくぐりながら最短ルートで進めたとしても、複数日どころか、場合によっては数週間規模の時間が必要になります。
しかし、雅久が孤児院から失踪してから、ガクラとして確認されるまでの日数を考えると、どうしても無理がありました。
いえ、厳密に言えば「日数だけなら絶対不可能」というわけではありません。
ですが、単に“彷徨って偶然辿り着いた”とするには無理がある、ということです。
ガクラへ変異するまでの期間を極端に短く見積もったとしても、大戸村に向かって一直線に移動した、としか説明できない時間幅でした。
逆に言えば、「最初から目的地を理解して動いた」と考えなければ成立しない移動経路ということになります。
さらに言えば、大戸村は牛鬼毒種が縄張りにしていた影響で、当の巨獣が移動して死亡した後も、毒の汚染が濃厚に残っていました。
人間が無防備に立ち入れば、それだけで生命に関わる危険な区域だったはずです。
そもそも、広島の孤児院出身である網倉雅久と大戸村との間には、記録上まったく接点がありません。
地理的にも遠く、生まれてから孤児院で育った彼に、縁があった形跡はどこにも見つかりませんでした。
大戸村に向かう動機や目的も不明で、そこが何より問題でした。
彼の残したノート類や紙片もすべて収集し、文字の癖まで把握するほど何度も読み返しましたが、関連する記述は一切ありませんでした。
それならばと、大戸村以外にガクラへ変異し得る可能性を求めて調査範囲を広げましたが、結論は同じでした。
どの地域にも、どの記録にも、雅久が“世界樹の力”を得たと推測できる接点は存在しなかったのです。
彼が何かしらの記録を手にして変異の方法を知ったのだとしても、その“記録”とは何だったのか。
そもそも、どうやってそんな代物に辿り着いたのか。
もし誰かから聞いたのなら、その人物はなぜガクラ化しなかったのか。
仮に実験の結果だとしても、どういう手順で“変異”に成功したというのか。
それに、当時は誰ひとり世界樹の存在を知らなかったのに、どうして彼だけが世界樹由来の力を得られたのか――。
私たちは、その答えを求めて長いこと調べ回りました。
けれど、探れば探るほど謎は増えるばかり――まるで底なし沼でしたよ。
本当に頭を抱えました。
転機になったのは、アラーガの事件です。
奴がガクラを倒して“核”を奪い取ったことで、世界各地で異常気象や地殻変動が同時多発的に発生したあの時。
大戸村も例外じゃありませんでした。
地盤そのものが歪み、地形が大きく変わったんです。
その変動の際に、大戸村の“禍咎羅伝承”を保管していた神社の真下から、巨大な植物の塊が露出したんです。
見た瞬間に、私たちは世界樹と関係があると察しました。
しかし、採取した表面サンプルやスキャン解析の結果、それは世界樹そのものではなく、世界樹から分離した独立構造体だと判明しました。
内部は完全な空洞で、調査員は「まるで特別な部屋だ」と口を揃えました。
そして私たちは、武器と防護服を揃えて万全の体制を整え、その内部へと潜入しました。
中に進んでまず目に入ったのは、中心部にそびえる巨大な樹でした。外側の植物塊と同じ材質ではありましたが、より精密で、有機的というより“構造物”に近い印象がありました。
そして、その根元の周囲に散乱していたのが、破れた服や潰れた携行品の数々。
網倉雅久は、確かにここに来ていたんです。
残されていた物品を整理すると、武器、食料、ガスマスク、折り畳まれた地図……どれも計画的に用意されたものでした。
つまり彼は“大戸村に何かがある”と理解した上で、自分の意思でここを目指した。
そして、この場所で“何か”おそらく後にガクラの体内から確認された“核”と同質のものを見つけ、変異したのだろう、という結論に至りました。
この場所の構造と残された痕跡を考えると、雅久がここで“きっかけ”を得たのは、ほぼ間違いないと判断せざるを得ませんでした。
さらに、彼がなぜその“何か”を見つけられたのか、そこで何を見たのかを探るため、私たちは散乱していた荷物類を精査しました。
ところが、その調査の中で、決定的な違和感が生まれたんです。
10年も放置されていたはずの地図やノートは、外側こそボロボロでしたが、文字は読める程度には形を保っていました。
内容には、大戸村を目的地とした明確な行程、道順、必要な装備リストまで丁寧に書き込まれていた。
ただ、問題はその“文字”でした。
雅久の筆跡ではなかったんです。
孤児院時代からの記録、彼が残していたメモ、走り書きの癖私たちはすべて照合しました。
しかし一致する点が一つもない。
まるで、まったく別の人間が作成した計画書でした。
そして、そのノートの持ち主として記されていた名前。
かすれてはいましたが、確かに読めました。
“彩”。




