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最後の抵抗

アメリカ・ダラス アメリカ大統領(当時) エドワード・ブラック


 あの日、私はホワイトハウスの地下状況室で報告を受けていた。

 “壊滅”──その一語だけが、各国の混線した通信の間から、かろうじて拾い上げられた確かな事実だった。


 世界中が巨獣の暴走で混乱していたとはいえ、あの合同艦隊は、人類が持てる戦力をかき集め、唯一“反撃の形”を残していた組織だった。

 国民性や戦術思想がそれぞれ異なる寄せ集めとあったとしても、各国の指揮官たちは経験豊富で、艦隊も航空戦力も、十分に戦えると考えられていた。

 最悪でも“持ちこたえる”ことはできると……私自身、そう判断していた。


 だが、結果は真逆だった。


 艦隊は何一つアラーガに通用せず、損害だけを積み上げ、最後には“戦闘結果の評価”すら不可能な状態にまで潰された。

 報告にあった「重力の崩壊」、「照準を持つ雷撃」、「嵐そのものが攻撃手段」という情報は、当初、軍の分析班でも情報機関でも受け入れがたい内容だった。

 現象の説明が理屈と一致せず、記録映像も断片的で、誰も状況を完全に把握できなかった。


 しかし、理解できないからといって現実が変わるわけではない。

 アラーガは存在し、しかもアメリカだけでなく、人類そのものの存続に関わる脅威であることだけは、否定のしようがなかった。


 問題は、我々が「何を選択しなければならないか」だった。

 そして、嫌でも受け入れざるを得ない事実がひとつあった。

 

 通常兵器では、アラーガには一切通用しない。

 その結論に至った以上、我々は“最後の手段”に踏み切るしかなかった。

 

 “核攻撃”。


 各国が保有する核弾頭を可能な限り集約し、全てをアラーガに向けて投射する。

 放射能汚染については、事が終わった後でガクラが残した棘弾の環境浄化能力を転用して処理できる──当時は、そうした見通しにすがっていた。

 

 今振り返れば、あまりに楽観的で、場当たり的な作戦だったと言わざるを得ない。


 だが、アラーガが地球そのものを“人の住めない惑星”へ変えつつある以上、私の署名によって汚染地域が増えるかもしれないという逡巡は、もはや意味を成さなかった。


 議会は機能していなかった。

 国家規模で通信網が寸断され、国防総省でさえ各地域の司令部と断片的な連絡しか取れなかった。

 その中で“国家の意思決定”というものは、ごく限られた人数が、後世すべての責任を背負う覚悟で下すしかなかった。


 アメリカは、連絡の取れる範囲で各国と調整し、集められる核兵器をすべて配備する方針を固めた。


 唯一の被爆国であり、状況的に核攻撃の中心地になる日本ですら反対はしなかった。

 かつての惨劇を知る立場としても、もはや“拒否する理由がなかった”のだろう。

 判断が正しいか否かを議論する段階など、とっくに過ぎていた。


 ……とはいえ、率直に言えば、私自身はその時点で勝算をほとんど信じていなかった。


 人類が積み重ねてきた文明の総力を投入したとしても、アラーガに届かない可能性がある。

 それでも他に手はなかった。

 “選べる選択肢が存在しない”という状況に追い込まれていた、という方が正確だ。


 作戦の要点は、アラーガを大阪市内から海上へ誘導し、そこで核弾頭を集中投射するというものだった。

 市街地での使用を避けたのは、日本への配慮ではない。

 大阪に存在する“世界樹”への影響を避けるためだ。


 世界各地に露出した一部とはいえ、あれは地球そのものを構成する重要な要素だ。

 損壊すれば、地球環境そのものが破綻する可能性すらあった。

 そのため、核攻撃はどうしても海上で行う必要があった──それが、唯一の条件だった。


 誘導作戦は、アメリカ軍と自衛隊の合同部隊によって実施された。

 素人の目で見ても戦力は心許ない──それは事実だ。


 だが、他の合同艦隊はすでに壊滅し、生き残った戦力で作戦行動が可能だったのは、そのわずかな部隊だけだった。


 大阪での戦いは、手も足も出ない完全な敗北だった。

 しかし、それでも“敗北の中の収穫”と呼べるものが、ほんの少しだけあった。


 アラーガの操る嵐は、通常の戦術概念では説明できないほどの乱流を生み、ミサイルの軌道制御すら奪う。


 だが、爆発の衝撃によって、その乱流に一瞬だけ“隙間”が生じることが確認された。

 アラーガに直接攻撃できる可能性があるとすれば、その一瞬だけだった。


 我々は、その“たった数秒の窓”を唯一の拠り所にして作戦を組み上げるしかなかった。


■■■■■■


日本・大阪 日本海域共同防衛任務群所属 米海軍第3艦隊・原子力空母フォール・リッジ艦長 サム・テイラー・コールマン


 アラーガへの核攻撃。

 それを成立させるには、アラーガを海上へ誘導し、嵐の乱流に“わずかな隙”を作り続ける必要があった。


 通常であれば複数の戦闘航空団、護衛艦隊、支援部隊が必要になる規模の作戦だが、残存戦力ではまったく足りない。

 正直、要求される人員に対して現場の兵力は“桁が違うほど”少なかった。


 そこで、我々は作戦志願者の募集を行った。

 結果は……圧倒的だった。


 戦える航空機や艦艇が残っていれば、それを動かせる人間の数だけはまだいたと言える。

 任務群の各艦、各航空隊、さらには補給・整備部門に至るまで、志願者の名簿はあっという間に埋まり、私のもとにも次々と“どうか出撃させてくれ”という直訴が届いた。


 もちろん、志願者全員を出すわけにはいかなかった。

 損耗を前提にした作戦とはいえ、必要なのは“数”ではなく、“安定して嵐に近づける技量を持つ者”と“最小限の戦力を確実に動かせる指揮体系”だったからだ。


 だが、あの時の志願者の数と表情は忘れられない。

 誰もが、生きて戻れないと分かっていた。

 それでも、“ここを逃したら二度と地球を取り戻せない”という思いが、彼らを前に進ませていた。


 合同艦隊による、二度目のアラーガとの交戦。

 その戦力規模は、前回と比較して“戦いと呼べるのか疑わしいほど”に少なかった。


 中国やオーストラリア、ロシアの艦隊も、最初の大阪沖戦で壊滅的な損害を受けていた。

 艦隊の大半を失い、自国の沿岸都市防衛すら維持できない状態では、共同作戦に戦力を割く余裕などなかった。

 どの国とも、アラーガ討伐作戦からの撤退を正式に通告してきたのは、そのためだ。


 自衛隊も可能な限り艦艇を出してはいたが、残存する可動艦はごくわずかで、戦力と呼べる規模には程遠かった。

 むしろ、“出せるだけ出した結果がこれだけだ”という事実が、当時の日本の状況を端的に示していた。


 残されたのは、我々米海軍第3艦隊の空母戦力、僅かな護衛艦艇、そして各国から辛うじて派遣された生き残りの航空部隊だけだった。

 表向きは“合同艦隊”だが、実態は“残った者だけで組んだ寄せ集めの臨時打撃集団”にすぎなかった。


 作戦そのものは、極めて単純な方針に従って組み立てられた。

 アラーガの重力干渉を踏まえ、艦隊は陣形を維持しない。

 散開したまま個別に砲撃し、反撃は各艦の迎撃システムと船長の判断による回避に委ねる。

 

 つまり、隊列も統制も存在しない。

 前回以上に、完全に“単艦ごとの独立行動”が前提だった。


 最も嵐の影響を受ける航空戦力──戦闘機や武装ヘリ──は、基本的に投入しない。

 飛ばしたところで乱流に飲まれ、雷撃か重力波の餌食になるのは明白だった。

 

 使用するのは嵐に穴を開ける飽和攻撃と、核攻撃発射時のみ。

 それ以外で運用するなら、作戦状況に重大な変化があった時か、緊急の救援が必要になった場合のみ。

 それ以外は、極力温存する。


 紙の上では効率的に見えるかもしれないが、現場としては「使いたい戦力を使えない」という、歯がゆい戦い方だった。


 つまりこの作戦は、各艦の性能と、乗組員の経験と勘を全面的に頼る以外の方法がなかった。

 統制された艦隊戦ではなく、各艦が“自分の生存と任務だけを見据えて”戦う、一見すると無秩序な戦いだ。


 ……口で説明すれば簡単だが、実際には“犠牲を前提とした作戦”だった。

 それでいて、残存装備は限界ギリギリ、補給もほとんど望めない。

 あれは、我々に残された最後の抵抗と呼んで差し支えない。


 そして何よりも重かったのは、

 この作戦が失敗した場合、その後が存在しないという現実だ。


 もし誘導に失敗すれば、核攻撃そのものが実施できない。

 もし核攻撃が通じなければ、人類はアラーガに対して打ち手を完全に失う。

 どちらに転んでも、後戻りはできない。


 我々は、そんな状況で作戦を開始した。

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