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演説

オランダ・デンハーグ ヨーロッパ連合海軍イギリス部隊原子力空母艦カンタベリー 艦長 サミュエル・モンタギュー


 ベルゼブブ軍がロンドンへ全戦力を集結させたという事実は、ヨーロッパ奪還計画における“最終段階”の到来を意味していた。


 我々の作戦目的は2つ。

 1つは名の通り、ヨーロッパ大陸の完全奪還。

 そしてもう1つは、ベルゼブブの頂点に君臨する女王──ベルゼブブ・クイーンの撃破だ。


 いかにしてロンドンを奪還しようと、クイーンが生存している限り、奴らの統制は完全には断てない。

 クイーンが存在するということは、再編と反撃の芽を温存させることであり、奪還は一時的な勝利に終わる危険があった。

 

 だが、逆を言えば──この一戦でクイーンを討てば、ベルゼブブ軍の支配構造は根本から崩壊する。

 そうなれば、イギリスで始まった長き戦いは終わりを迎えることになる。

 

 奪還の定義は人それぞれだが、少なくとも私にとっては、物理的にロンドンを取り戻すだけでは不十分だ。


 クイーンを倒し、ベルゼブブ軍の壊滅を以て初めて、本当の意味での「奪還」が成る。

 それは我々イギリス人のみならず、既に首都を奪還したフランスやドイツ、ポーランド、そして祖国を追われた全てのヨーロッパ人が共有する悲願であった。


 だからこそ、我々は全力を賭して臨まねばならなかった。

 海上からの包囲、上陸部隊の投入、空中支援、陸軍との綿密な連携──すべての要素が一糸乱れぬように組まれねばならない。

 失うものは多く、犠牲も避けられない戦いだが、失われた過去を取り戻すためには、それ相応の覚悟が求められるのだ。


 その覚悟を胸に、我々はハーグの臨時海軍基地に全戦力を結集した。


 そこは、巨獣混乱期に急造された基地で、オランダ奪還後にイギリスでの最終決戦の一大拠点として再配備された場所だ。

 コンクリートと鋼で慌ただしく組まれた桟橋、臨時の格納庫、疲弊した兵站ライン——昼夜を問わず、無数の声と機材の金属音が途切れることはなかった。


 艦隊は分散配備されていた。

 潜水艦は海中深くに身を潜め、駆逐艦や上陸艦は湾口を封鎖するように並び、輸送船団は予備編成で待機する。

 航空支援は対巨獣ミサイルを精度重視で配備し、上空哨戒は連合艦載機が担った。

 歩兵、工兵、医療班、補給隊──すべてを時間と距離で精密に織り合わせる指揮系統が、ここでは命そのものだった。


 計画は一見、単純だった。

 

 海を渡り、サウスエンド・オン・シーでガクラがベルゼブブの防衛部隊を破壊して防護壁を突破する。

 テムズ川を遡上し、ロンドンに侵入し沿岸砲撃で陸上の戦力を削り、上陸部隊が河岸を確保する。

 前進の軌跡上で巣の外縁を徐々に削り、最終的にクイーンの玉座へ到達する——理論上は綺麗に繋がる工程だ。

 

 だが、我々は知っている。

 理論と現実は、常に異なる。


 ここで堅く守った鉄則が一つある。

「我々はガクラの助力を前提に計画を組み立てるが、決してそれに依存してはならない」

 

 ガクラはヨーロッパ奪還において重要な戦力であり、かつてない恩恵をもたらす存在だ。 

 しかし同時に、あの存在は独立した行為主体であり、日本を通じて「頼み」を受けて動くに過ぎなかった。

 

 命運を丸投げすることは許されない。

 それは単なる軍としての面目の問題ではなく、祖国を取り戻すという義務が我々にはあるのだ。

 イギリスに生まれ、祖国のために戦う一兵士として、戦わずして結果をただ座して待つなど──それは英国の兵士として名折れである。


■■■■■■


オランダ・デンハーグ ヨーロッパ連合軍 最高司令官(総司令) ローワン・レッドメイン


 決戦の朝──バーク基地の港は、これまで見たどの朝とも違っていた。

 艦艇はすべて出港準備を終え、補給は前夜のうちに完了していた。兵士たちは持ち場ごとに整列し、無駄な動きはなく、長期戦を経た部隊特有の、慣れ切った静けさだった。


 この作戦は、ヨーロッパ奪還作戦の最終段階にあたる。

 イギリス本土を再確保できるかどうかで、ヨーロッパ全域の再編計画が成立するか否かが決まる。失敗は許されなかった。


 ヨーロッパ奪還作戦──その名の通り、この戦いは単なる一地域の奪回ではない。

 失われた国家、崩壊した都市、地図から消えた文化。

 それらを「もう一度、存在させる」ための最終決戦だ。

 だからこそ、士気を整え、覚悟を固めるために軍を導くべき言葉が必要だった。

   

 あの日、私は壇上に立ち、静かに整列する兵士たちの顔を見渡した。

 長年奪われ、焼かれ、失われたものすべてを抱えた表情だ。

 疲労と、しかし確かな希望が混在していた。


 会場の前方、海上には既にガクラが待機していた。

 黒い巨体は海面に半ば沈みながら、ほとんど動かずにそこに佇むだけで圧力を発し、我々の小ささと同時に、救いであることを知らしめていた。

 

 とはいえ、日本語しか反応しない彼は、英語で語られた演説の意味は理解しておらず、ただ聞き流していただろう。

 興味もなければ、我々の形式を尊重する義務もない。

 にもかかわらず、彼がそこにいること自体が士気を高めていた。

 

 我々がどれほど兵力を集め、どれほどの兵器を揃えようとも、人類だけでは越えられなかった壁がある。

 ガクラは、その壁そのものを破壊しうる存在だ。

 

 これは事実として記録しておくべきだが、彼はこの作戦において象徴的存在ではなく、ヨーロッパ奪還作戦における切り札であり、主戦力の一角──いや、それ以上の意味を持っていた。

 単独での制圧能力、対巨獣戦における突破力、そして敵側に与える心理的影響──どれを取っても、通常兵器とは比較にならない。


 その時、私に求められていたのは、耳障りのいい言葉でも、感情に訴える鼓舞でもなかった。

 必要だったのは、状況を正確に整理した上での判断と、それを実行に移す冷徹な意思を明確に示すことだ。


 この戦いは、生存と奪還のための軍事作戦だ。

 栄光や英雄譚を語る場ではないし、精神論を並べ立てたところで、誰も求めていない。

 

 目的は明確だった。

 イギリスの奪還、そしてロンドンに巣食うクイーンの討伐。

 それ以外の目標は設定していなかった。


「我々は今日、単に土地を取り戻すために出るわけではない」


 私はそう切り出した。

 声を張ったのは、感情を煽るためではなく、全員に確実に届かせるためだ。


「我々の目的はクイーンを討ち、ベルゼブブの支配構造を根絶することだ。これが成らねば、奪還は空虚に終わる。だからこそ、この戦いは我々の全てを賭した一戦である。」


 その後に示したのは、感情ではなく軍事的事実だ。

 海上封鎖の範囲。

 上陸線の時刻と優先目標。

 航空支援の着弾ウィンドウ。

 ガクラとの連携窓口と最終確認の手順。

 

 士気を保つ言葉が不要だとは思っていない。

 だが、それより先に、各自が自分の役割と立ち位置を正確に理解している必要があった。

 自分がどこで、何を担い、何が起きた場合にどう動くのか。それを曖昧にしたまま戦場に出すことはできない。


 とはいえ、士気というものは数値や配置表だけで管理できるものではない。

 作戦計画がどれほど精密でも、現場に立つ人間の中に疑念や恐怖が残っていれば、判断は鈍り、行動は遅れ、結果として計画全体の歯車が狂う。

 私はそれを過去の作戦で何度も見てきた。 

 混乱は、いつの時代でも敗北の始まりだ。

 

 それを防ぐことこそが、あの場で総司令官である私に課せられていた役割だった。


 その点を踏まえた上で、私は言葉を続けた。

 感情に訴えるためではなく、兵士たちが何を理解し、何を覚悟した上で戦場に向かうのかを、明確に共有するためだ。


「我々は、この戦いで何が起きるかを理解している。負傷者は出る。住む場所を失う者も出る。命を落とす者もいるだろう。それを否定するつもりはない」


 事実として避けられない損失を、先に明言した。


「それでも我々が戦う理由は明確だ。未来を確保するためだ。次の世代に、国と社会を残すためだ。その一点のために、我々はここにいる」


 私は感情を煽りすぎないよう意識していた。

 士気は必要だが、過剰な高揚は統制を乱す。

 恐怖を抑えるために怒りや熱狂に頼ると、現場判断が極端になる。

 これは多くの失敗例が証明している。

 

 演説する私の役目は、その火を無闇に煽ることではない。

 消えないように管理し、燃え広がらないよう制御し、必要な方向にだけ熱を向けることだ。

 感情だけを燃え上がらせれば無秩序に繋がる。

 秩序は勝利の前提であり、統制された意志こそが人々を生かす。


 演説の最後、私は具体的な命令に移った。

 感情の余地を挟まない、誰もが即座に理解できる実務的な指示だ。


 各艦は定められた海域に展開し、予定時刻から一切の遅延を許さない。

 上陸第一波は時間厳守、目標達成後は即座に第二波へ引き継ぐ。

 航空支援は事前に共有されたウィンドウ内でのみ要請可能とし、逸脱時は即座に中止判断を行う。


  ガクラの介入タイミングは日本側の窓口を通じて最終確認する。

 通信は二重、三重にして断絶を許すな。

 撤退ルートは常に維持し、孤立部隊を出さない。

 傷病者は最優先で治療、補給線は絶対に切らせない。

 

 これらは特別な命令ではない。

 

 だが、最終決戦という言葉に引きずられ、基本が疎かになることを防ぐため、あえて口に出して確認した。


 式が終わると、港は一瞬静まり返った。

 歓声も拍手もなかったが、それでいい。

 次いで旗がはためき、兵士たちの視線は前方に固定され、余計な動きは消えていた。


 艦が汽笛を鳴らし、上陸艇が滑り出す中、私は司令室へ戻り、刻々と変わる情勢を注視した。

 決断は私に委ねられているが、それを実行に移すのは現場の人間であり、その前提にあるのは相互の信頼だ。

 あの朝の演説は、その最低条件を整えるためのものだった。

 

 私は港の司令室から、ガクラが各艦隊を率いて海上を進むのを見ていた。

 重装甲の艦艇群、空の哨戒、輸送艦の列、そして小さな上陸艇群。

 それらすべてが一つの意思のもとに動いている光景は、私にとって奇跡でもあり、責務の重さの再確認でもあった。


 それを見る私は、過去を頭に浮かべていた。

 エディンバラで始まったベルゼブブの侵略。

 先代陛下の喪失。

 イギリスを放棄せざるを得なかったあの日、フランスへ逃れる折に目にした侵略に呑まれていくロンドンの姿。

 祖国を奪われ、散り散りになって逃げ延びた屈辱の日々。

 亡命政府としての無力感、民衆の疲弊、内部に生じた軋轢と分断、消耗するばかりの物資──そして、それらの改善の兆しが見えないどころか、日に日に悪化していく現実。

 絶望と喪失の日々に、我々の心は摩耗し続け、現状維持をするだけでも限界を迎えつつあった。


 だが、あの屈辱の時代に一筋の光が差したのも事実だ。


 ガクラの出現は、我々にとって単なる戦力以上の意味を持った。

 彼は単なる戦力としてだけでなく、防衛体制を再構築するための時間を我々にもたらした。

 前線の圧迫が緩和され、兵力と資源の再編が可能になり、奪還計画を立案できる段階にまで状況が改善した。

 彼の介入によって、各国は復興の準備を進める余地が生まれた。

 希望が生まれ、失ったものを取り戻す可能性が現実味を帯び始めた。

 

 国王陛下が色褪せた礼服のまま他国の前で頭を下げ、孤児院の少女が顔をしかめながらも協力の手を差し伸べた──そんな屈辱と赦しが折り重なって得られた、唯一無二にして、誰もが待ち望んでいた機会であった。


 私にとってこの作戦は、34年前に英国陸軍参謀総長として本土放棄の決断を下して以来、心に重くのしかかってきた屈辱だった。

 あの時、選択は合理的だった。

 兵力差、補給状況、民間被害──すべてを勘案すれば撤退は避けられなかった。

 それでも結果として、私は祖国を失った当事者であり、その判断の責任を最後まで負う立場にあった。


 年を取り、前線に立つこともなくなった今でも、その事実だけは変わらない。

 立場や年齢が変わっても、過去に下した判断と、その結果として祖国を失ったという現実を、毎日引きずって生きてきた。

 忘れてしまえば楽だったのかもしれないが、少なくとも私自身は、それを望まなかったのだと思う。

 

 この機会を待ち続けていたというより、どんな形であれ、あの日に屈辱を受けた当事者として、この問題に決着がつく場面を生きて見届けたかった。

 それだけだ。

 責任を負ったまま終わらせず、途中で目を背けることなく、最後まで関与したかった。

 

 あの演説の場でも、私の内側では、イギリスを失ってから長い時間をかけて沈殿してきた感情がはっきりと存在していた。


 怒りとも後悔ともつかない、整理しきれないものだ。

 冷静に言葉を選び、必要な事実だけを述べていたつもりだが、内側では長年抑え続けてきた思考が途切れることなく続いていた。


 老いた身には過剰とも言える執着だったかもしれないが、それを抑え込んでしまえば、自分がここに立っている意味そのものが失われる気がしていた。

 

 私は英雄でありたかったわけではない。


 ただ、敗北と撤退を経験した者として、その結末に立ち会う責任があると考えていただけだ。

 それが執念であり、未練であり、屈辱を受けた者として最後まで抱え続けた心境だった。

 

 もっとも、これは私個人の雪辱や感情の清算だけを目的とした戦いではない。

 祖国を奪われ、家族を失い、文化を傷つけられた者たち──ヨーロッパ各国の人々が長年にわたって抱いてきた屈辱と無念を代わりに晴らすための戦いでもあった。


 この計画が成り立っていたのは、単純な英雄譚や軍事的発想だけではなく、政治的取引、宗教的動揺、研究者たちの倫理的葛藤、被害者たちの痛み、他国の利害──すべてが混じり合い、ここまでの道程を形作った。


 あとは、あの戦いでクイーンの統御を断つか否か──ロンドン決戦は単なる都市の奪回だけでなく、ヨーロッパの命運を左右していた。

https://www.pixiv.net/artworks/146876823

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