偵察
スペイン・マドリード ヨーロッパ連合陸軍偵察部隊(当時) ホセ・モンボウ
軍の中で最も危険で、同時に最も重要な仕事と言えば、俺たちのように巨獣どもが蔓延る地帯──特にベルゼブブ軍の領域深くに入り込む偵察部隊だろう。
前線で戦う部隊が見ているのは“敵の姿”だが、俺たちが見るのは“敵の巣”そのものだ。
奴らがどこに集まり、どの個体が指揮を執り、どんな動きをしているのか。
その情報を持ち帰るかどうかで、戦況がひっくり返ることだってある。
だがな、言うは易く、行うは地獄だ。
俺たちが足を踏み入れる場所は、まともな通信も届かない“死の底”だ。
ドローンが一瞬で爆発し、装甲車が踏み潰され、音を立てるだけで命を落とす。
そんな場所で息を潜め、泥と血の臭いの中で敵の動きを追う。
それが俺たちの仕事だった。
ガクラに追い詰められてからというもの、奴らの空気は明らかに変わった。
前線基地を放棄して中枢基地へと戦力を集中させたベルゼブブ軍には、かつて支配者のように街を闊歩していた時の余裕など、もう欠片もなかった。
中には苛立ちを抑えきれず、建物や仲間をまるで八つ当たりのように攻撃する個体すらいた。
フランス・パリでの敗北を境に、奴らはついに“決断”したようだ。
当時、俺はスペイン・マドリードでの偵察任務中だったが、現地で見たのは“脱出”、あるいは“再編”の光景だった。
マドリードの中枢基地は放棄され、飛行型は仲間を抱えて離陸し、飛べない個体は即席の筏や船を作って海を渡り始めた。
以前、ベルギーの中枢が放棄されてパリへ合流した前例があったが、今回の放棄は規模が違った。
ヨーロッパ全土──ポルトガル、ノルウェー、そしてイギリス・エディンバラまでも。
ベルゼブブ軍は、信じがたいことにすべての中枢基地を放棄した。
それによって、我々の計画は大幅にズレた形になったが、同時に戦闘も損害もなく、ヨーロッパ各国が“解放”されたのも事実だ。
まるで、敵の方から戦場を譲り渡したかのように。
ただ一つだけ、例外があった。
奴らはすべての戦力を、ある一点に集結させていた。
あの動きの意味は明白だった。
奴らは守りを捨て、最後の一拠点に決戦を挑もうとしている。
今まさに“総力戦”の局面が始まったことを意味していた。
その最終拠点は──イギリス・ロンドン。
そしてそこには、ベルゼブブの頂点に立つ女王個体──ベルゼブブ・クイーンが君臨していた。
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イギリス・ロンドン ヨーロッパ連合陸軍偵察部隊(当時) ジョナサン・エルドリッチ
ベルゼブブ軍に最初に占拠された国──イギリス。
あの日以来、我々は長い年月をかけて、失われた祖国を取り戻す術を探り続けてきた。
イギリス廃屋や基地を隠れ家として転々とし、巨獣どもの索敵を逃れながら、ロンドンを観測し、記録し続ける毎日。
あの街はもはや都市ではなく、ベルゼブブ・クイーンを中心とした“巣”へと変貌していた。
ベルゼブブ軍の中枢にして、最も巨大で、最も不気味な基地。
ヨーロッパ中のベルゼブブ軍が、まるで臣民のように集い、そこを中心に秩序を保っていた。
彼らにとっての“首都”であり、我々にとっての“悪夢の玉座”だ。
我々はその場所を、皮肉と憎悪を込めてこう呼んだ。
王城。
そこにクイーンがいる限り、この戦争は終わらない。
我々は日々、いかにして奴らを瓦解させ、あの女王個体を討つかを考え続けていた。
どれほどの戦力と犠牲をもってすれば、再びこの島を取り戻せるのか。
しかし、どれだけ記録を積み重ね、戦術を練っても、現実は無慈悲だった。
奴らの規模と勢力の前では、我々の策など、海の泡のように儚いものにすぎなかった。
核弾頭で一気に仕留め、クイーンを倒すことも不可能ではなかった。
だが、祖国にそれを投下し、象徴ごと消し飛ばすなど──それはまるで、ロンドンが奴らの巣であると認める行為そのものだった。
我々にできるはずもない。
仮に、撃ったところで奴らの防御網に阻まれ、無駄弾に終わるのが関の山だっただろう。
結局、我々に許されたのは、あの忌まわしき“王城”を、静かに──そして正確に観測し続けることだけだった。
だがそれも、ガクラによって大きく変わった。
フランス・パリでの敗北を境に、ベルゼブブ軍はそれまで保持していたすべての中枢基地を放棄した。
ポルトガル、ノルウェー、スペイン、アイルランド、そして最初に奴らが襲撃したイギリス・エディンバラの巣までも捨て去り、残る戦力のすべてをロンドンへと集結させたのだ。
我々は、その“収束”の光景を幾度となく目撃した。
飛行型が仲間を掴み上げ、黒い影の群れとなって空を覆い、陸地は無数の兵士たちが即席の船で海を越えて進軍していた。
やがてロンドンは、まるで呼吸する生物のように脈打ち始めた。
街そのものが生きているかのように膨張し、変貌し、ひとつの巨大な要塞へと姿を変えていった。
内陸のロンドンよりも、海に面したサウスエンド・オン・シーの海上には防護壁が築かれ、沿岸部には砲撃型がずらりと配備されていた。
まるで“王国”を守るかのような徹底した防衛構造──そこに、奴らの恐怖と執念がありありと見えた。
王城の奥に潜むクイーンが姿を現すことはなかったが、焦燥と狂気がその巣全体から滲み出ていた。
それは、奴らが取り得る最後にして最大の戦術だった。
同時にそれは、長きにわたって我々を蝕み続けた喪失と屈辱の時代に終止符を打つ、ヨーロッパ奪還の最終決戦の始まりでもあった。




