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オーストラリア・キャンベラ 環境保護団体「ブループロテクター」団員(当時) カイル・ハドリー


 日本、中国、インドネシア──。

 あれから様々な巨獣たちが、次々と世界に現れ始めた。

 

 各国はこれは世界規模の異常事態だと叫び、国連も緊急会合を開いた。

 G7やASEAN、アフリカ連合に至るまで、各地で「巨獣対策会議」が立ち上げられたが、どこも混乱の渦中だった。

 中東では、巨獣の出現が「終末の預言」と結びつけられ、一部地域では暴動や難民の移動すら発生した。

 人間社会の脆さが一気に露呈した時期だった。


 それでもまだ、あの頃の俺たちは何も理解してなかった。

 むしろ、どこか楽観的だったんだよ。

 “初めての出現で皆が混乱してるだけで、上手くやれば共存できる”って、そう信じていた。

 信じたかった。


 俺は当時、オーストラリア東海岸の環境保護団体、「ブループロテクター」に所属してた。

 主に沿岸部のマナティーや海鳥の保護活動を担当してたが、海洋哺乳類全般に対してはずっと強い思い入れがあった。


 大学では海洋生態学を学び、卒業後はすぐに団体に入って、傷ついた生き物を手当てし、汚染された海岸の清掃に奔走した。

 自分の人生を懸けるに足る、誇りある仕事だったよ。


 動物保護ってのは、ただ住処を整備したり、狩猟者から守ればいいってわけじゃない。

 過剰に増えれば、逆に生態系を破壊しかねない。

 人間社会との衝突も避けなきゃならない。

 “守る”ってことは、同時に“制御する責任”も伴うんだ。


 だからこそ、保護の対象がどんな生き物なのかその生態、知能、行動範囲、人間との適切な距離そういうのを正確に理解しなきゃならない。

 

 ただ、世の中にはそれを理解しないアホな集団もいる。


 理想だけを掲げて、現実には目をつぶる奴ら。

 生物の見た目と簡単な知識に惑わされて、「守らなきゃ」という感情だけで突っ走る奴ら。

 善意を盾にして、考えることをやめた奴らだ。


 そいつらは、自分の信念こそが正義だと疑わない。

 自分の理想が、全てに勝ると信じて疑わない。

 目先の正義に囚われて、物事の全体像も、複雑な構造も見ようとせず、「かわいそう」「守るべき」の一言で片づけようとする。


 その裏に、どれだけの犠牲や矛盾があるかにも気づかずに、な。


 動物実験で犠牲になったモルモットがいたから、今救われてる命がどれだけあるのか。

 森林伐採で切り倒された木が、俺たちの生活のどこで、どれほど支えてくれてるのか。

「動物を食べるのはかわいそう」と言ってヴィーガンになった奴が、その農業のためにどれだけ多くの生き物の生息地が奪われているか、害獣として駆除された無数の野生動物の存在を、どれだけ知ってるんだ。


 それでも、自分のスタンスさえ清らかであれば、すべて正しいと信じている。


 そして俺もそうだった。


 子供の頃から海で生まれ育った俺には、海はただの風景じゃなかった。

 小さな入り江で釣りを覚え、友達と貝殻を拾い、夕暮れの潮風に包まれて家に帰る。

 そんな当たり前の思い出が、今でも鮮明に残ってる。


 海は俺にとって“遊び場”であり、“友達”であり、“守るべき存在”だった。


 だから、海の問題には人一倍敏感だった。

 海が汚れていくことは、まるで自分の一部が壊れていくようで、見ていられなかったんだ。


 学生時代に見た一本の環境ドキュメンタリーが、俺の人生を変えた。

 海鳥の腹から出てくる無数のプラスチック、油にまみれて死んでいくアザラシ、海岸線に打ち上げられる魚の群れ──。

 その映像が頭から離れなくて、俺はすぐに環境保護団体「ブループロテクター」に入った。


 最初は清掃活動から始まった。

 ビーチのゴミ拾い、啓発ポスターの配布、子どもたちへの環境授業。


 けれど活動を続けるうちに、俺はもっと直接的な“命”の現場に惹かれていった。


 漂着したウミガメの手当て、傷ついたイルカの搬送、油にまみれたカモメを洗い流す作業──。

 そうやって救った小さな命たちの鼓動を感じるたびに、「俺は正しいことをしている」と心の底から信じていた。

 

 だけど、理想に燃えていた俺には、浅はかなことしか理解できていなかった。


 環境問題を引き起こした“原因”がなぜ存在するのか。

 なぜ、国も企業もそれを止めないのか。

 そして、それを“ただ止めるだけ”で何が失われるのか。


 俺はそこに一度も目を向けようとしなかった。

 

 国や企業が環境改善のための法案を出そうが、エコ製品を売り出そうが、「本気でやってない」と決めつけ、いつも批判の言葉を探していた。

 海は汚れたまま、動物は死に続けているその事実を理由に、あらゆる努力を“偽物”と切り捨てていた。


 国や企業が環境改善の法案を出そうが、俺からすれば、実際に海が綺麗にならないなら意味が無かった。


 新しい工場の建設現場ができれば、真っ先にプラカードを掲げて抗議に向かった。

 その工場が何を作るのか、なぜ必要なのか、環境への配慮がどこまで考えられているのか──そんなことは一切、聞こうともしなかった。

 ただ「環境に悪い」という一点だけで、止めるべきだと決めつけていた。


 現場に居座って工事を止め、記者を呼び、テレビで訴えた。

 それがどれほど多くの人の生活や雇用を奪っているかなんて、考えもしなかった。


「自分たちは正しい」という信念だけがあった。

 それがどれだけ周囲に迷惑をかけようが、どんな矛盾を抱えようが、気にしなかった。

 

 もしかしたら、とっくに事実とかどうでもよく、自分が正しいことをしていると酔いしれていただけなのかもしれない。

 頭の中では海のことを真摯に考えていたつもりでも、その中に企業や人々の事など頭に無かった。

 

 “守ること”を履き違えた俺にとって、複雑な現実よりも、単純な正義を追い求める方が簡単で、考えるよりも気持ちよかった。

 美しい言葉で包めば、自分のやっていることが正義だと証明できていたつもりだった。

「この地球は人間だけのものじゃない」「すべての命に価値がある」そんな言葉を何百回も口にして、自分を満足させていたんだ。


 だけど、“命”を語るなら、まず理解しなきゃいけなかった。


 何を守るのか、どう守るのか、それによって誰が救われ、誰が犠牲になるのか。

 現実の命には、優劣も、矛盾も、避けられない痛みもある。

 それを受け止めずに、理想だけで“守る”なんてできるわけがなかった。

 

 ──そして、巨獣は、俺たちが知っていたどんな“命”とも違っていたんだ


 オーストラリア近海で最初の巨獣──「アーク」が確認されたのは、2004年の春先だった。


 それはまるで、巨大なクジラのようだった。

 けれど、全身は灰色の滑らかな皮膚に覆われ、その表面を、虹色の光が薄く流れるように揺れている。

 体側からは、透明でありながら光を受けて虹色に輝く“ベール”のようなヒレが、幾重にもたなびいていた。


 現実のものとは思えなかった。

 

 初めてテレビ中継でその姿を見た時、俺たちは言葉を失った。

 危険性よりも先に、あの“美しさ”に目を奪われたんだ。


 気づけば、すぐに現地へ向かっていた。

 そして実際に目の前で見た時、その印象はさらに強くなった。


 映像なんかじゃ比べ物にならない。

 あのベールの揺らぎも、光の変化も、すべてが現実離れしていた。

 あんな生き物が存在すること自体が、奇跡に思えた。


 中には“この美しい生き物を保護せねばならない”と感極まって泣き出す者までいた。

 ……いや、当時の俺も半分は泣いてたかもしれない。

 

 地元の漁師たちや州政府は警戒態勢を敷いていたけど、俺たちはそんな空気を正面から無視した。


 観察する。

 接触する。


 それが当然だと、本気で思っていた。 


 けど、問題が起きたのはその直後だった。

 政府が軍を派遣してアークを駆除しようとした。


 最初は「威嚇だ」と言ってたが、どう見ても完全武装だった。

 政府は、アークの行動パターンや捕食記録、生態分析などをもとに、あれが極めて危険で、なおかつ知能を持つ“敵性存在”だと判断していた。


 政府関係者は俺たちに説明したよ。

 

「この個体は過去数日の間に沿岸生物群を大規模に捕食しており、その行動は漁業に甚大な損失を与えている」

「視覚的に美しくても、それは人間にとっての幻想に過ぎない」


 彼らはしっかりとした調査データを持っていて、論理的に話してくれた。

 今思えば、彼らの態度は冷静で真摯だったと思う。

 実際、彼らの話を聞いて、大人しく引き下がった団体は多かった。


 だけど、俺たちは反発した。

 

「なぜ、あんなに美しい生き物を殺さなければならないのか?」

「何も分からないのに、すぐに殺すなんて身勝手すぎる」

 

 現場では、プラカードを掲げて軍の前に立ちふさがる者まで出た。

 一部はテレビの取材に向かって涙ながらに訴えた。


「地球の命を、また人間は踏みにじるのか」と。


 今思えばいつものアホな環境保護団体の癖だった。


 国や企業が環境への影響をしっかり理解していて、専門家と協力して丁寧に対策を練っていると懇切丁寧に説明しても、誰も聞こうとしない。

 やってることを“悪”だと決めつけたら、その瞬間から耳を塞ぐ。

 相手が説明すればするほど、それを“言い訳”だと断じて叩き返す。


 社会や生活にどれだけ影響が出るかなんて考えない。

 出ても気にしない。

 なにより、自分の“正しさ”が脅かされるのを恐れてたんだと思う。


 俺たちは軍の活動を妨害した。

 やり方は、反捕鯨団体の手口と同じだった。

 小型船を突撃させ、団員自身が船首に立ち、盾になる。

「この生き物を殺すなら、まず俺たちを殺せ」と叫んでな。


 軍は当然、引き金を引けなかった。

 守るべきは俺たち国民であって、あのときはまだ俺たちの“正義”が通じていた。


 俺たちは勝ち誇った顔で、軍の包囲を突破し、アークの周囲に船を浮かべて、何日もその場に居座り続けた。

 

「守ったぞ」

「これが本当の共存だ」


 なんて、互いに讃え合いながらな。


 ネットには、今でもあの時の写真が残っている。

 夕陽に染まった海面に、ベールをたなびかせるアーク。

 その手前で、笑いながら記念撮影している俺たち。


 ──愚かしい記録だ。


 俺はあの虹色の巨獣の「美しさ」だけを見て、すべてを肯定した。

 けれど、自然はそんなに都合よくできていない。

 “美しいものは善”なんて、ただの人間の幻想だったんだ。

 

 だから、アークが突如としてキャンベラに上陸し、人々を襲い始めたとき最初は誰も現実を受け入れようとしなかった。

 

「今は機嫌が悪いんだ」

「偶然に決まってる」

「軍が無闇に刺激したせいだ」

 

 そんな言い訳ばかりが飛び交った。

 

 その時になって、初めてあの“ベール”の正体が分かった。


 あれは装飾でも、美しさの象徴でもなかった。

 海水中の微生物や魚類を一瞬で麻痺させる、毒素を含んだ繊維だったんだ。

 揺れるたびに海や空気中へと微細な毒素を拡散し、それを吸った生物は神経をやられ、痙攣し、やがて呼吸を止める。


 海洋生態学を学んだくせして、気付かなかったよ。

 弱肉強食の世界で見た目が派手な生き物は、自分が毒を持ってる警告だと思わせることがあるって。

 

 陸に上がったアークは、空気中にその毒を撒きながら市街地を練り歩いた。

 ベールが風に揺れるたび、人が倒れ、車がスリップし、鳥が落ちた。


 そいつらを、アークは食べた。


 あぁ、そうだ。

 今なら分かる。

 あんな巨体を維持するには、それ相応の“餌”が必要だったんだ。

 

 当時、世界にはまだ巨獣同士の捕食関係はまだ確立されてなかったし、ましてやオーストラリアには、あの生物の腹を満たせる大型獣はクジラくらいしか存在しなかった。

 結果として、奴が食い尽くしたのは周辺のクジラと魚類そして、次に狙われたのは、人間だった。

 

 俺たちは、自分たちの正義で、海を守った気になっていた。

 

 だが実際には、アークによる環境破壊を手助けし、生態系を崩壊させ、結果として人間が狩られる事態を招いた。

 アークを守ることばかり考えていて、クジラや魚が食われていることを、自然の在り方として目を潰ってたんだ。


 それがどれだけ自然に影響を与えるか、奴が食い尽くしたらどうするのか、なんて一切考えなかった。


 何が保護だ。

 何が共存だ。

 結局俺たちは、自然を守ったつもりで、ただ“人間社会”を差し出しただけだったんだ。


 あの日、キャンベラは事実上、崩壊した。

 軍はようやく本格的な反撃に出たが、すべてが手遅れだった。

 奴が駆除されるまでに街の中心は毒に覆われ、数万人が食い殺された。


 そして俺たち?

 あのとき、誰一人、あの光景を前にして動けなかったよ。


 見ていた。

 自分たちが“守った”生き物が、街を焼き、命を奪う光景を、ただ無言で。


『しかし、あなた方はずっとあの巨獣の近くにいたのでしょう?捕食以外で人を襲う凶暴な巨獣が多く存在する中、あなたたちは長期間アークと接触しても襲われることはなかったのは、何故でしょうか?』


 ……水族館でサメが他の魚を襲わない理由、知ってるか?


 あれはな、飼育員が毎日きっちり餌を与えて、“満腹”にしてるからだ。

 腹が満ちている間は、わざわざ同じ水槽の魚を襲う必要がない。


 だが一度でも空腹になれば──話は別だ。

 同じ水槽の魚なんて、あっという間に消える。


 俺たちも、それと同じだった。


 アークにとって俺たちは、襲う価値のない、都合のいい“予備の餌”。

 近くにいても手を出されなかったのは、単にあいつの腹が満たされていたからだ。


 仮に多少は空腹だったとしても、目の前にあるのがせいぜい20人程度じゃ、割に合わない。

 あんな巨体からすれば、腹の足しにもならない数だ。


 それよりも、海中で数千、数万の群れをなす魚たちを狩る方が効率的だった。

 あのベールは、そのための“狩りの網”だったんだよ。


 俺たちにあの麻痺毒を使わなかったのは、目の前に餌が少なかったからだ。

 

 だから、俺たちは無事だった。

 いや無視された、ってだけの話だ。


 ──それでも、当時の俺たちは「共存が成立した」と思い込んでた。


 実際はただ、“まだ狩られてなかっただけ”だったのにな。

 アークにとって、俺たちは襲う価値のない、都合のいい“非常食”。

 そばにいても手を出されなかったのは、単に“腹が満たされていたから”……ただそれだけ。


 間抜けな話だが、それを“信頼”や“共存”だと錯覚していた。


 でもな、共存なんて、結局は“人間の都合”でしかないんだ。

 そんな関係がいつまでも続くわけがない。


 キャンベラを襲う1時間前のことだった。

 仲間の一人が、アークと「触れ合う」って言い出して、スーツを着て海に飛び込んだ。


 俺たちからすれば、見慣れた光景だった。

 あいつはこれまで何度もやってきたし、アークも一度も危害を加えなかった。


 巨大な体に触れて、そのまま並んで泳ぐ。

 それを“交流”だなんて呼んで、俺たちは勝手に意味を持たせていた。


 だからあの日も、虹色の巨体に向かって泳いでいく姿を、俺たちは拍手で送り出したんだよ。


「しっかり遊んでこい」ってな。

 

 ──あいつがアークに手を伸ばした、その瞬間だった。

 腹を空かせていた奴は、一切のためらいもなく喰らいついた。

 

 動きは、あまりにも自然だった。

 判断も、逡巡も、何もなかった。


 船の上にいた俺たちにまで、骨が砕ける音がはっきり聞こえた。

 仲間の叫び声も、血も、ほんの数秒で泡に飲まれた。

 

 そこには“共存”も“感動”もなかった。

 ただあいつが、“空腹を満たした”という、それだけの事実が残った。


 俺の仲間は、非常食として消費されたんだよ。

 あの時初めて、“守っていた”つもりが、“飼われていただけ”だっていう事実を突き付けられた瞬間だったんだ。


――――――


 カイル氏が所属していた環境保護団体「ブループロテクター」は、アークによるキャンベラ襲撃の要因として責任を問われ、政府命令で即日解体。

 彼を含む所属メンバーは“環境の守護者”ではなく、“凶悪犯罪者”として刑務所へ収監された。

 その後、刑期を終えて自由の身になった彼は、漁師として生計を立て、状況に応じて捕鯨団体に参加するなど、かつてとは対照的な立場で海と関わり続けている。

https://www.pixiv.net/artworks/146367641

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