執事
イタリア・ローマ イギリス王室専属執事(当時) S(仮名)
ヨーロッパ奪還計画における最大の戦力──ガクラ。
その存在を巡って、日本と彼の関係者との利害が錯綜し、外交は幾度となく暗礁に乗り上げていた中、その膠着を打ち破ったのは、他ならぬイギリス国王陛下でした。
陛下自らが日本に渡り、網倉結衣殿に頭を垂れた。
その事実は、かつて世界に覇を唱えた大英帝国の象徴に泥を塗るような屈辱でありながら、同時に奪われた故郷を取り戻すための、現実的で唯一の突破口でもあり、それが絶好の機会を切り拓きました。
あの映像が公表されると、国内の空気は一変しました。
その姿は人々の心を揺さぶり、失意に沈んでいた国民の士気を劇的に高めたのです。
政治的な効果という意味では、疑いようのない成功でした。
やがてその出来事は、発行される歴史本やドキュメンタリーで繰り返し取り上げられ、陛下は「国を救うために自らを賭した王」として称えられ、物語は脚色され、神話の一節のように語られる。
それはまさしく──デウス・エクス・マキナ。
歴史を進めるために舞台裏から現れた都合の良い存在のように描かれている。
ですが、私は知っています。
かつてお傍近くで仕えていた陛下は、そんな都合のいい舞台装置でもなければ、威厳に満ちた君主でも、奇跡を呼ぶ使い手でもありません。
私の目に映っていたのは──“イギリスの死”を体現するかのような姿でした。
国民と同じように、自らの無力さを恥じ、祖国を奪われた現実に押し潰されながら、それでも生き延びてしまい、ただただ「国王」という役割を演じ続けた男。
それ以上でも、それ以下でもありません。
だからこそ、あの日本での出来事を「神話」と呼ぶ風潮には、どうしても居心地の悪さを覚える。
どれほどみすぼらしい物乞いであろうとも、後世の言葉はそれを「英雄」と書き換えてしまう。
歴史というものは、そうやって真実の痛みを覆い隠してゆくものです。
……国王陛下に仕え、最も近くにいた身でありながら、随分と酷い言い草だと思うでしょう。
逆賊でも、非国民でも、好きに呼んでも構いません。
いずれにせよ、私は祖国に帰る資格などありませんから。
私は先祖代々、イギリス王室に仕える執事の家系に生まれました。
幼い頃からその宿命を疑うことなく受け入れ、父からは徹底した英才教育を受けてきました。
執事としての立ち居振る舞い、礼節、茶器の扱い方といった表の作法だけではありません。
交渉の場での立ち回り、随行時の警戒手順、陛下の呼吸や視線の癖から体調や心理状態を読み取る訓練まで──すべてを叩き込まれてきました。
先代国王陛下に仕え、やがて幼い頃の現陛下の世話も任され、信頼を得ていくうちに、私は自分の未来を疑わなくなっていったのです。
新たな国王に仕え、その役目を全うし、やがて自分の子にもその技術と誇りを伝える──それが、私の家系が続けてきた「正しい道」であり、私に課せられた人生そのものだと信じていました。
……ですが、あの日。
ロンドンが陥落し、イギリスという国そのものが地図から消えたあの日に、私たちはすべてを失ったのです。
戦場と化したロンドンの混乱の最中、急遽手配されたヘリで王族全員を脱出させようとした刹那、ベルゼブブは軍の想定を裏切り、地中から突如襲撃をしかけてきました。
その不意打ちはあまりに苛烈で、先代国王陛下を乗せたヘリは炎に包まれ、空中で爆ぜ散りました。
それも──陛下と私の、ほんの数十メートル先で。
どうにか攻撃をくぐり抜け、私たちの乗るヘリは辛うじて飛び立ちました。
窓越しに見下ろすロンドンの街は、奴らに蹂躙され、軍は潰走し、国民は虐殺され、街並みは燃え盛る炎に飲み込まれていました。
かつて王国の中枢だった都市は、数十分のうちに「戦場」と「廃墟」に塗り替えられていったのです。
その光景を、まだ幼き頃の陛下はただ無言で見つめ続けていました。
あの時、私は気づいてしまったのです。
それは王の心を砕くには十分すぎる悪夢だったと。
玉座も、国旗も、王室の肖像も、誇りも、そして未来も──すべてが炎に奪われました。
私にとって陛下に仕えることは「永遠の秩序」の象徴でした。
王室は揺らいでも続き、国は形を変えても存続する。
そう信じて疑わなかった。
しかし、その秩序は瓦礫の下で無惨に崩れ去ったのです。
あの瞬間の閃光と轟音、そして炎に包まれた街並みは、今なお瞼の裏に焼き付いて離れません。
私たちはフランスへ亡命し、それからヨーロッパの国々が次々と陥落するたび、亡命を繰り返し、最後に辿り着いたのは、イタリアでした。
その頃には、国民たちの心は既に摩耗しきっておりました。
それでも人々が縋りついたのは──陛下でした。
故郷を失い、文化財も国の記録もろくに持ち出せぬまま喪失し、残されたのは「イギリス亡命政府」という名ばかりの肩書きと、ただひとり陛下の存在だけ。
しかし、誰よりも深く心が挫けていたのは、他ならぬ陛下だったのです。
目の前で家族を失い、なし崩し的に新たな国王とならざるを得なかった陛下に、もはやイギリスも宮殿も存在せず、与えられた役割は「他国に身を寄せる難民たちの代表」に過ぎませんでした。
その現実の重さに押し潰されながらも、イギリス難民たちはなお陛下に希望を託しました。
それは彼らにとって生き延びるために必要なものでしたが、未だ心が癒えていない陛下にとっては、とてつもない負担でしかありませんでした。
常に「国王」としての品格を求められ、その心労に目を向ける者は、私のようなわずかな側近だけ。
──人々の拠り所としての象徴であることを求められながら、ひとりの人間として心の弱さを吐露することすら許されない。
女に甘えることも、酒に逃避することもできない。
ただひとつ許されていたのは、自室に籠もり、在りし日の写真や記録に目を落とし、失われた時間に思いを馳せることだけでした。
歴史家はそれを「歴史的瞬間のための雌伏の時」と美化するでしょうが、実態は過去の日々に安らぎを求める、哀れな男の日常でした。
そして年月を重ねるごとに、情勢は悪化し、人々はただ「今を生き抜くこと」に必死になりました。
イギリスの政治家や軍人たちも、日々の情勢に追われ余裕を失うにつれて、次第に陛下に深く触れることを避けるようになっていきました。
その中で、イギリスの象徴として在り続ける陛下の存在意義は、かつての尊厳を宿すものではなく──ただ人々が心の拠り所として消費するばかりの、“空虚な象徴”へと変わっていったのです。
陛下に与えられた役目は、既に地図から消えたイギリスの最後の文化にして、最後の旗。
それも、やがて他のヨーロッパ亡命政府と同じく、ただイタリアという大国の内部に吸収され、静かに消えていくかもしれない。
その先行きの見えなさ、その中身の空洞さ──それこそが、イギリスという国家の「死」を、そのまま具現化した姿だったのです。
表に立つ陛下は、常に穏やかな笑顔を浮かべていました。
難民キャンプを訪れれば子どもたちに言葉をかけ、支援団体の前では感謝を述べ、各国の要人の前では毅然とした「国王」を演じ続けた。
その振る舞いは完璧で、非の打ち所がなく、だからこそ人々は疑わなかったのです。
陛下が弱っているなどとは、誰も考えようとしなかった。
イギリス難民たちは、陛下の心境など顧みることなく縋りつきました。
失われた祖国の代替として、未来の保証として、あるいは不安を押し付ける先として。
「陛下がいれば、我々はまだイギリス人だ」
その言葉が、どれほど無責任な重さを持っているのかを、理解しようとする者はほとんどいませんでした。
一方で、亡命社会の内部では、別の声も大きくなっていきました。
ヨーロッパの難民社会にあって、多くが苦しむ中、イギリス難民から象徴として担ぎ上げられた陛下に対し、同情や敬意ではなく、疑念と不満を口にする者も現れ始めました。
「もはや存在しない国の亡霊に、なぜ優遇が与えられるのか」と。
そうした言葉は、表向きには届かぬよう配慮されながらも、確実に陛下の耳へと流れ込み、心を削っていきました。
それでも陛下は、笑顔を崩しませんでした。
崩せなかった、と言うべきでしょう。
皮肉なことに、そうした重圧の日々の中で、陛下ご自身が次第に「王であること」に依存していったのです。
それは誇りの残滓などではなく──自分に“まだ残された存在意義”としての王位への依存でした。
イギリスも、家族も、故郷も失った陛下に唯一残されたもの。
空虚な己が、多くの人々から“希望”として求められるための、最後の拠り所が「国王陛下」という肩書きだったのです。
王であることを手放せば、自らの存在価値が崩れ落ちる。
その恐怖こそが、陛下を“王の仮面”へと縛りつけ、彼を静かに蝕んでいったのです。
私たち側近は、その姿をまざまざと見せつけられながらも、なお仕え続けるしかなかったのです。
ロンドン陥落で、私が失ったのは先代国王陛下だけではありません。
父も母も、兄弟も、そして妻までも失いました。
残されたものは何ひとつなく、ただひたすら、かつてイギリスと呼ばれたものの残滓にすがるしか道がなかったのです。
そして──ガクラ殿が人類の救世主として現れ、ヨーロッパ奪還の可能性が現実味を帯びるようになった時、人々はその希望に活気を取り戻し、戦いの備えに急ぎました。
今度こそ、二度と訪れないかもしれない故郷を取り戻す絶好の機会。
その機会を与え、戦いの鍵となったガクラ殿に、誰もが尊敬と畏怖の入り混じった眼差しを向けるようになりました。
陛下と私もまた、心を震わせた者のひとりです。
イギリスに戻れるかもしれない──死ぬまでに一生訪れないと思っていた可能性が、手に届く場所に現れた事実は、私に希望を与えました。
しかし、陛下はガクラ殿のもたらす影響知るや、一転して、その巨大な存在を恐れていきました。
ガクラ殿が各地で人類を救うたび、人々は沈黙した神に代わる「実在する救済者」として彼を崇め始め、やがてそれは信仰の対象にまで変質していったのです。
その影響は、宗教界全体を大きく揺さぶりました。
長年、人々の精神的支柱であった宗教は急速に求心力を失い、「宗教崩壊」と呼ばれる混乱状態に陥りました。
キリスト教も例外ではなく、ローマ教皇が信徒離反と、ガクラ殿を巡る神学的解釈の対立、その政治的圧力の板挟みに遭い、過労によって倒れたという出来事は、陛下にとって決定的な前例となりました。
陛下は理解しておられたのです。
国王という存在もまた、形こそ違えど、神と同じように「人々の心の拠り所」として機能する象徴であるということを。
とりわけ、イギリスという国家そのものが消滅し、実体を失った時代においては、その傾向はさらに強まっていました。
人々は国家ではなく、制度ではなく、「顔のある象徴」に縋るしかなかった。
その役割を、陛下は半ば強制的に背負わされていたのです。
しかし、人の心というものは、常に都合の良い救いを求めるもの。
長年祈り続けても沈黙を守り続けた神に見切りをつけ、現実に都市を救い、人命を守るガクラ殿へと祈りの対象を移す者が、各地で急増していました。
それは信仰の移動であると同時に、「象徴の乗り換え」でもありました。
神の立場を喰らい尽くし、新たな崇拝の中心となったガクラ殿。
一方で、家族も国も失い、ただ「国王」という肩書きに縋り、笑顔を貼り付けた道化を演じ続けることしかできなくなった陛下。
世界に救済と未来をもたらす存在と、過去の残骸として象徴を演じ続ける存在。
その対比は、あまりにも残酷でした。
それは人類全体にとって救済であっても、陛下にとっては、自らの立場と存在意義を根底から揺るがす“もう一つの王”でもあったのです。
もし、ガクラ殿がヨーロッパ奪還に成功し、イギリスを取り戻したとして、その時、果たして陛下はどうなるのか。
その時、ただ象徴でしかなかった陛下に、居場所は残されるのか。
イギリス王室最後の生き残りとして。
亡命政府の象徴として。
“新しいイギリス”を掲げる最後の旗として。
国を失い、王冠を失い、それでもなお“イギリス王”として在り続けてきた。
しかし、“イギリス奪還”という悲願が、もしガクラ殿の力によって成し遂げられたなら──人々は、かつての祖国ではなく、“ガクラ殿を真の王とするイギリス”を求めるのかもしれない。
その瞬間、自らを支えていた“イギリス最後の王”という立場すら失われるのではないか。
ガクラ殿に救われたイギリスに、“かつての王”の存在意義はあるのか。
国を失い、家族を失い、それでも象徴であり続けることで自分を保ってきたあの方にとって、最後の拠り所さえ奪われれば、自分には何も残らない。
陛下は、その恐怖に震えていました。
ヨーロッパ奪還の機運が高まるにつれ、陛下の心は、自らの存在意義を失う恐怖によってすり減り、削がれていきました。
希望に沸く世界の中で、ひとり陛下だけが、その希望の重みに押し潰されていくように、私には見えたのです。
そしてあの日、充分に蓄えた戦力とあらゆる準備を終え、最後の準備にして計画最大の要であるガクラ殿の助けを得るため、ヨーロッパ各亡命政府から選出された特務外交官が日本へ向かっていた頃。
それまで内政や準備で陛下に構う暇のなかった首相たちが、陛下の元を訪れ、台本を手渡してきました。
まだ交渉は難航していたとはいえ、成立した時に備えた打ち合わせ。
彼らは戦地へ向かうイギリス国民のために、陛下に発破をかけるスピーチをしてほしいと願い出たのです。
ついに訪れた、イギリスの象徴としての役目を果たす時。
少なくとも、彼らはそう考えていたのでしょう。
しかし、台本を手にした陛下の手は震え、口元はわなわなと震えていただけでした。
私はすぐに「体調が悪い」と打ち合わせを打ち切らせ、陛下を自室へお連れしました。
椅子に座り、項垂れる陛下。
その時、陛下は小さく、しかしはっきりと呟いたのです。
「あのスピーチを終えたら、私はもう……用無しなのか」
そこに、王としての威厳はありませんでした。
あったのは、役目を終えた後の居場所を失うことを恐れる、何も無い空虚な男の姿だけ。
ヨーロッパ奪還計画が本格始動するその目前、象徴としての自分が終わる未来を思い浮かべたことが、陛下の心を乱していたのです。
「私は、ただ消えた国の王として道化を演じてきただけだ。何もしていない。みんなの心が私から離れていく。他の国の連中は私を厄介者と見ている。そんな中、ガクラがヨーロッパを取り戻した時、私はどうなる?私にできないことを成し遂げたガクラに、全てを奪われるだけだ。国民の尊敬も、国の象徴という立場も。あのスピーチをすれば、私はもういらない……私は、どうすればいい?」
陛下は泣いていました。
ずっと国王としての振る舞いを求められてきた陛下が、初めて弱音を吐き、立場を奪われることへの恐怖に駆られていたのです。
それを見た私の心にあったのは、悲しみでもなく怒りでもなく──失望でした。
私が望んでいたのは、陛下が新たなイギリスの象徴として君臨する姿でした。
荒廃した街、薄汚れたイギリス国民、破れかかった国旗。瓦礫の山と化した宮殿にボロボロの玉座。
──その上に立つ陛下から確かに感じられる輝きと、崩壊したイギリス再興の宣誓。
そこに私がいなくてもいい。
ただそこに、陛下が君臨する新しいイギリス、希望のある未来の始まりを夢見て、あの困難な時代を陛下に仕えて生き延びたのです。
ですが、あの時、私の前にいた陛下は何だったのか。
私やイギリス国民、そしてヨーロッパの人々がようやく希望を見出し、戦士たちが戦いを挑まんとしていた時、陛下は自分の存在意義に縋りつく無様な姿だった。
ヨーロッパ奪還のため、各国が必死に動き続ける中で。
ガクラ殿の助力を得るための日本との交渉が難航し、誰もが焦燥に追い立てられていた、あの時。
陛下はただ、自らに残された最後の立場に縋っておられた。
家族も国も失い、唯一「国王陛下」という地位と肩書きだけにしがみつく男に、私の夢見たイギリスは無かったのです。
気づけば、私は陛下を殴っていました。
それも、平手打ちなどではなく、握り拳で陛下の尊顔を殴りつけていた。
顔に痣が残ることも、打ち所が悪ければどうなるかも考えませんでした。
親がするように叱るのでもなく、ただ衝動に駆られただけの暴力でした。
そして私は、堰を切ったように思い思いの言葉を口にしました。
その内容は覚えていません。
説教なのか、願望だったのか、今までの不満だったのか、それともただの罵声だったのか。
気づいた時、私は涙で顔も執事服も汚し、目の前には呆然と私を見つめる陛下が映っていました。
──この時、私はあってはならないことをしてしまっていたのだ、と気づきました。
私もまた、陛下にイギリスの象徴という理想を押し付けた、蒙昧なイギリス国民の一人に過ぎなかったのです。
本来なら誰よりも近くで陛下を支え、その苦悩を理解し、その重圧を受け止めなければならない“執事”でありながら──私は陛下を“イギリスの象徴”として扱い、その理想像を勝手に作り上げ、そこへ押し込めようとしていた。
陛下自身の苦悩や弱さではなく、“こうあるべき王”という幻想ばかりを見ていたのです。
そして、それを無意識のうちに押し付けていた。
今にして思えば、私自身もまた、多くを失っていました。
陛下と同じように、家族を失い、故郷を失い、王室に仕える執事という立場だけを残されていました。
その肩書きこそが、私がこの世界に留まるための、唯一の理由だったのです。
もしかすると、その役目はイギリスの喪失とともに、とっくに終わっていたはずなのかもしれません。
国を失った王に仕え、かつてのように忠義を尽くして何になるのか?
そうすれば、奪われたイギリスが戻ってくるのか?
死んだ家族が戻るのか?
亡くなられた先代国王陛下が元気なお姿で生きて戻られるのか?
マーケットで買った安物の紅茶で朝を嗜んできた、あの何気ない日々が戻ってくるのか?
ロンドンが陥落したあの瞬間も、亡命政府としてヨーロッパを転々とした日々も、あの困難と屈辱に耐え忍んだ時代も、夢のように消えてくれるのか?
──そんなことは無い。
どれだけ忠義を尽くそうと、過去が戻ることなどありえないのです。
それでも、多くを失った私に残された唯一の肩書きとして、「国王付き執事」という役目を形式的に続けてきた。
ですが今なら分かります。
それは忠義だけではなかった。
私は、過去に縋っていたのです。
陛下の側に仕え続けることで、自分はまだ“イギリス国民”でいられると思い込んでいた。
陛下を支えることで、自分の人生にもまだ意味が残っていると信じたかった。
それは私なりの過去への逃避のひとつだったのかもしれません。
陛下の側に仕え、その重圧を理解し、それでもなお、陛下に“希望のある未来”を求め、「新しいイギリスの始まり」を夢見ているつもりでいながら──心のどこかでは、イギリス最後の象徴である陛下を、私自身の心の拠り所にしていたのです。
まるで、瓦礫の中で拾い上げた唯一の遺物に、必死に縋りつくかのように。
長年仕え続けてきたはずの私は、陛下の苦悩を理解していたつもりでいて──結局は、“王であり続けること”を求めていました。
たとえ国を失っても、故郷を奪われても、家族を喪っても、過去に囚われた道化であったとしても。
イギリス王として気高く、誇り高く、最後まで象徴であり続けてほしかった。
……今思えば、それはあまりにも身勝手な願いでした。
私は、陛下の苦悩や恐怖を理解しているつもりになりながら、実際には“理想の王”という幻想を押し付け、自分自身の理想に縋っていただけだったのです
だからこそ、陛下が理想とかけ離れた無様な姿を見た時、私はその失望で自分の心を抑えきれず、自身の立場を忘れ、衝動のまま陛下に暴力を振るってしまいました。
その瞬間、私はもう執事でも、イギリス国民でもなくなりました。
ただ、自分の幻想を壊されたことに逆上した、1人の愚かな男に過ぎなかった。
たとえ、それが衝動的なものであったとしても──その時点で私は陛下と共に歩む資格を失いました。
私は涙と込み上げる思いを呑み込みながら、陛下の元を去りました。
こうして、人生の多くを注いできた執事としての日々は、その日をもって終わりました。
私はこれまでの過去と思いを胸に、それまでの存在意義であった「執事」ではなく、ただ一人の男として生きることになったのです。
それは解放ではなく、長く縋ってきた支えを失った後の、空虚な再出発でした。
──陛下が日本へ向かわれたのは、その三日後のことでした。
日本からの迎えも簡単なもので良いと告げ、ガクラ殿と交渉できる可能性のある人物、網倉結衣殿に頭を垂れられたのです。
イギリス国民が「陛下がヨーロッパ奪還のチャンスを切り開いた歴史的瞬間」と囃し立て、神話めいた美談に仕立て上げられた、あの出来事です。
私もその時を写した映像を見ましたが、それは皆が言うほど綺麗なものではありませんでした。
曇天の空の下、かつての輝きを失い、栄光の残骸となった王族礼服。
道化を演じてきた日々で疲弊が刻まれた顔。
その男が、他国の少女に向けて頭を地面につけ、土下座する姿。
全てを失いながらも、象徴であり続けた陛下に残された最後の特権。
それは──自らの尊厳を、自らの意思で投げ捨てることでした。
あの方は、それを選んだのです。
あまりにも情けなく、屈辱的な姿を晒しながら、それでも陛下は、自分に残されたすべてを差し出すようにして、結衣殿に頭を下げ続けました。
その行動に至るために、どんな葛藤や苦悩があったか。
今となっては、陛下の元を離れた私には推し量ることはできません。
ただ一つ、確かなことがあります。
それは衝動的なものはではなく、陛下自身の決断であったことだけは確かです。
陛下は、自らが最も忌み嫌っていた「無様な姿」を引き受けた上で、結衣殿に──そしてその先にいるであろうガクラ殿に、確かにこう懇願していたのです。
「過去の栄光を取り戻したいのではない。……我々は、“希望のある未来”を作りたい」




