交渉
日本・東京 ヨーロッパ連合国特務外交官 トニー・ルイス・エルガー
ヨーロッパ奪還計画において、我々は避けて通ることのできない課題と向き合わねばならなかった。
すなわち、日本との外交交渉。
ガクラは日本人の少年──網倉雅久から変異した存在であり、日本語以外の言語には反応を示さない。
いかに我々が理論や戦略を積み上げようとも、それを直接伝える手段を持たない以上、日本を介さねば交渉は成立し得ない。
ヨーロッパ連合国は、亡命政府や各国から経験を積んだ政治家や軍人を募り、特務外交官団を編成した。
私もまた、その一人として志願した。
かつて英国外交官であった私は、ベルゼブブの侵攻によって国を失い、イタリアに逃れた亡命政府の一員となった。
希望を失い、屈辱と絶望の中で過ごしてきたヨーロッパの民を知る者として──ヨーロッパを取り戻し、故郷に帰還することこそ、我々が果たすべき使命だと理解していた。
巨獣が蔓延るこの世界で、道中に襲われるリスクなど覚悟の上だった。
それよりも恐ろしかったのは、交渉そのものが失敗に終わる可能性だった。
私たちを乗せた航空機が日本に降り立った時、目に映った光景は予想以上のものであった。
世界で最初に巨獣災害の直撃を受け、長く荒廃の象徴とされた日本──特に東京は、要塞化の影響で外観こそ変貌していたが、かつての写真で見た繁栄を思わせる姿を取り戻しつつあった。
人々の顔には疲労と警戒の影が残っていたが、それでも瓦礫の上には新たな街路が築かれ、市場には再び人の声が満ちていた。
復興の息吹は、確かに日本に芽吹きつつあった。
私たちは日本の会議室で、国際会議以来となる日本の代表と向き合った。
しかし、そこで待ち受けていたのは、私の予想を遥かに上回る難航であった。
日本は、我々の要望の裏に「ガクラの独占」あるいは「兵器としての運用」という思惑を見抜き、交渉には毅然とした拒否の意思を示していた。
彼らの警戒は当然だった。
未だガクラの力を必要とする世界において、特定の国を贔屓すれば、それはただちに国際的な軋轢を生む。
実際、ガクラに接触を試みた国は少なくなかった。
領土拡大を狙うもの、裏では独占を目論むもの──そうした試みがいくつもあった以上、日本が慎重にならざるを得ないのは明白だった。
そして、もし私たちがその「前例」となれば、以後は各国から同様の要望が雪崩のように押し寄せ、日本への圧力は増すばかりだろう。
日本政府が交渉に容易に応じられなかったのも当然のことだった。
それでいてガクラは、ただの異形の巨獣ではない。
人類の存亡を左右する存在でありながら、かつては日本国民であった一人の少年の成れの果てでもある。
彼の国籍はいまだに日本に属しており、日本政府がその扱いに最大限の注意を払うのは当然だった。
──しかし、我々には時間がなかった。
最終的に見出された落としどころは一つしかなかった。
すなわち、日本を媒介とする形で交渉を進める、というものである。
仮に交渉が成立したとしても、ヨーロッパ奪還には日本の政府関係者、学者、自衛隊の同行が決定事項となった。
作戦中に観測されたガクラのあらゆるデータも、全て日本と共有すること。
表向き、作戦の主導権は我々にあり、日本はそれについて無闇な干渉はしない。
だが、ガクラに関する一切の決定権と発言権は日本が握り、我々が直接ガクラへの命令や干渉する権利は限られており、必ず日本を通さねばならない。
どれか一つでも破れば、どんな戦況であろうと、その時点で日本は協力を打ち切る。
──それはつまり、我々ヨーロッパ連合国はガクラを好き勝手できず、日本の裁量に縛られる立場となったということだ。
その現実を飲み込んだうえで、我々は日本の外務官僚や通訳と同じ席に並び、いよいよガクラとの対面に臨むこととなった。
舞台は東京湾岸の防衛区画だった。
既に日本は研究の中で、ガクラの呼び出し方を把握していた。
救難信号──かつては意味をなさないとされていたそれが、彼には確かに届くと判明して以来、漁師たちの間で急速に普及していた。
近年では日本本土の復興で優先度が下がったが、未だ近隣の新香港政府やモンゴルの防衛力は脆弱であり、巨獣の脅威は絶えなかった。
結果、日本近海に彼が姿を見せることも多かった。
今回はその特性と接近の機会を利用し、信号によって呼び寄せることになった。
もちろん、意味もなく呼べば不興を買う危険がある。
日本側は繰り返し「慎重に」と釘を刺していた。
だが、他に確実な方法はなかった。
やがて、海面に影が差す。
圧倒的な質量を伴った黒いシルエットが静かに浮上し、私たちの前に姿を現した。
外殻に覆われた頭部からは、人間的な感情や温かさを一切感じ取れない。
そこに人としての「雅久」が眠っているのかすら、誰にも判断できなかった。
その巨躯は畏怖を呼び起こすと同時に、確かに人類に残された最後の希望でもあった。
交渉団の代表が一歩前に出て、日本人の通訳を通じて語り掛けた。
ヨーロッパの惨状と奪還の必要性。
そのために力を貸してほしい──と。
全員が息を呑み、答えを待った。
だが──ガクラは応えなかった。
わずかに首をもたげ、こちらを見据えるのみ。
敵意はなく、返答もなく、やがて興味を失ったかのように、再び海へと没し、同時期に他国で発生した巨獣駆除へと向かっていった。
「届いていないのか……それとも、届いていても無視されたのか」
その判断すらつかぬ沈黙が、交渉団全員の胸を押し潰した。
後日、日本政府は簡潔に結論を述べた。
「容易ではない。……言葉だけでは通じない可能性がある」
私もその報告を聞きながら、心の奥底で同じ言葉を反芻していた。
──雅久を呼び戻すには、ただの言葉では足りない。
もっと深く、彼の心の底に届く「何か」が要る。
日本と私たちが導き出した方法は一つ、人間時代の彼と深く関わった人物の助けを借りることだった。
通訳を通じた日本語であっても、雅久の心には響かない。
だが──もしそれが、彼の記憶に強く刻まれた人物の声であるなら。
私たちは急遽、彼が生まれ育った広島の網倉孤児院を調査し、残された関係者を洗い出した。
そして直ちに、当時は年少組であり、時に雅久の姉のような存在でもあった「網倉結衣」に接触し、協力を願い出た。
しかし、彼らは私たちの要望を真っ向から拒み、その説得は困難を極めた。
どれほど言葉を尽くそうと、どれほど資金や生活上の優遇を提示しようと、彼らは首を縦に振らなかった。
むしろ、「彼を兵器にするつもりか」と激しい敵意さえ浴びせられた。
さらに強引に踏み込もうとすれば、日本政府から即座に警告が飛んだ。
初めのうち、私は彼らに怒りを覚えていた。
ヨーロッパの惨状と我々にとっての奪還計画の必要性を考えれば、彼らの態度はあまりにも理不尽に思えたからだ。
だが──今になって振り返ると、それはむしろ当然のことだったのだ。
あの学会で、ガクラが「網倉雅久」であったと公表されて以来、孤児院とその出身者たちは深い影響にさらされ続けていた。
孤児院は「ガクラの出自と結びついた場所」として世界的に注目を浴び、やがて封鎖に追い込まれた。
関係者は日本政府から一定の補助を受けてはいたが、世間の眼差しは冷酷だった。
「ガクラに縁を持つ者」として好奇、あるいは利用を目的とした接触に日々苦しめられていた。
同級生たちもまた、世間から偏見を浴び、普通の生活から遠ざけられていった。
結衣はその只中にいた。
彼女にとって雅久は、家族同然に大切な存在であった。
だがら私たちは完全に手詰まりとなった。
説得に失敗した以上、これ以上の干渉は日本政府から厳しく禁じられていた。
経済的な利益や交易の融通で、すでに相応の条件を提示していたが、実態としてはあくまで「日本の温情」によって交渉の場に立てているにすぎない。
イタリアの維持と計画のための準備で予算も余裕も無い中、さらに大きな支援や要望を叶える余力など、ヨーロッパ連合国には残されていなかった。
無理に日本へ圧力をかけるという選択肢も、現実には存在しなかった。
我々にはもう、経済力も戦力も、何ひとつ不足なく日本に行使できるものがなかったのだ。
ただただ、刻一刻と時間が過ぎていく。
ヨーロッパの地では依然としてベルゼブブ軍が蠢き、失われた故郷を取り戻す戦いと帰郷を待ち望む人々の焦燥が募っていく。
その一方で、私たちは無力のまま、交渉の扉の前で立ち尽くすしかなかった。
──すべてを変えたのは、イギリス国王陛下であった。
私たちの窮状を知った陛下は、自ら飛行機に乗り、危険地帯をくぐり抜けながら日本へとやって来られた。
「歓迎も儀礼も不要」と告げ、ただ一人の人間として結衣の元へ赴かれたのだ。
そして、彼女の前に立ち、深く頭を垂れられた。
無礼を承知で言うならば、それはあまりにもみすぼらしく、あまりにも痛ましい姿であった。
陛下の礼服は手入れこそされていたが、物資不足の煽りで布地は擦り切れ、輝きを失っていた。
その身に刻まれた疲労の痕と、イギリス喪失の苦難の日々が色濃く滲んでおり、過去の栄光の名残はもはやわずかに過ぎなかった。
かつて世界に覇を唱え、王国の栄光を象徴していた存在が──難民と亡命を余儀なくされ、国を失った一人の人間として、自ら膝をつき、他国の少女に願いを託すその姿。
時代が時代なら、屈辱だと非難されかねない、決してあってはならぬ光景であった。
だが、私たちは知ったのだ。
あの瞬間ほど「王の真の威厳」を見たことはなかった。
これまでのイギリスは立憲君主制を掲げ、陛下が国の運命に直接関わることはなかった。
領土も文化も喪失し、亡命政府として名前だけが残された状況でも、その形式は変わらなかった。
その陛下が、自らの意思で、イギリス、ひいてはヨーロッパ連合国の代表として頭を垂れた。
あのとき陛下が示した姿は、何よりも雄弁に──我々が背負うものの大きさを物語っていたのだ。
結衣はその姿をしばし沈黙で見つめていた。
長い沈黙ののち、深いため息を吐き、重たく口を開いた。
「……成功する保証は無い。彼の意思がどうなっているかも、どこまで私の言葉を聞いてくれるのかも分からない。仮に成功したところで、私たちの条件は守ってもらう……それらを約束してくれるのなら、私は協力する」
その後、結衣から提示された条件はこうだった。
ガクラは兵器ではない。
あくまで“頼みを聞いて動く協力者”だということ。
そして、もし調子づいた誰かが彼を兵器にしようと日本政府や結衣に声をかけてきたなら、その拒否に必ず協力してもらうこと。
ガクラの行動で、日本政府や結衣が関与していないものについては、一切責任を問わないこと。
以降の結衣への干渉は原則禁止であり、これ以上の意見や要望は、必ず日本を通して伝えること。
結衣の顔や仕事、その情報は外に出すことも禁止。
そして、日本が提示した条件を、必ず守ること。
それは承諾というより、苦渋の果てに突きつけられた最低限の条件だった。
あの場面で、他国の象徴たる陛下に頭を垂れさせたことに対する、ある種の義務感──我々はその重さを感じ取らねばならなかった。
だが、それでもなお、彼女の言葉は確かに、我々が待ち望んでいた答えであったのだ。




