ヨーロッパ連合国
イタリア・ローマ 首相(当時) アンドレア・デ・チマローザ
2020年から始まったベルゼブブの襲来。
それは、ヨーロッパの人々にとって、試練と苦難の時代だった。
奴らは単なる昆虫型の巨獣の群れではなかった。
正しく“軍隊”と呼ぶべき統率を備えた敵──人類の文明を飲み込み、根絶やしにしようと迫る軍勢であった。
その圧倒的な力の前に、イギリスをはじめ数多の国家が次々と蹂躙され、国土を失い、民を失い、未来を失った。
そして残された数千万の難民が、国境を越え、海を渡り、最後の避難先としてイタリアへと押し寄せた。
結果として、イタリアはアルプス山脈を天然の防壁としながらも、ヨーロッパ各国の亡命政府とともに新たな体制を築かざるを得なかった。
それが当時のイタリアの第2の国名と揶揄された、「ヨーロッパ連合国」である。
それは故郷を失ったヨーロッパの人々を繋ぎとめる最後の希望であると同時に、実態としては沈みゆく泥舟でもあった。
エネルギーは不足し、食糧は足りず、住む場所もなかった。
そのため長期的な復興策や防衛計画を立てる余裕はなく、ただ目の前の事態をどうにか凌ぐ日々が続いた。
ヨーロッパが一つの共同体として協力し始めたとはいえ、元々思想や法も異なる国々の人々が1つに集まれば、必然的に軋轢は生じた。
各国の主権は大幅に制限され、政策は混乱を極めた。
何より、故郷を失った人々と、受け入れる側のイタリア国民の双方に、不安と絶望が蔓延していた。
日ごとに士気は低下し、かつて富と文化の象徴であったヨーロッパは完全に瓦解しつつあった。
そうした中で、2045年にガクラが人類の側に立って現れた。
世界が疲弊しきっていた時期において、新たにして最大の戦力となった存在。
2047年に初めてイタリアに上陸したガクラは、アルプスを越えて攻め込んできたベルゼブブ軍を一方的に打ち破り、その後も幾度となくイタリアの窮地を救った。
これにより、いざという時はガクラに頼るという選択肢を持てるようになった。
さらに、ガクラの棘弾から得られる電力と資源供給によってインフラは回復し、防衛力を取り戻した。
それは我々に再び立ち上がるための礎となり、巨獣の脅威が完全に消えてはいないにもかかわらず、イタリアは安定してその時代を生き抜くことができた。
復興は着実に進み、遂には25年ぶりに開催された国際会議へも参加できるようになった。
もちろん、その過程で宗教的混乱などの弊害もあったが、状況は徐々に改善し、人々は心に余裕を取り戻していった。
そうした中で、「ある計画」がついに動き出した。
我々は亡命政府とともに、国家総出でその実現に向けて動いた。
「ヨーロッパ奪還計画」
これは状況改善に調子づいた者たちの無計画な思いつきでも、単に難民たちの「故郷へ帰りたい」という感情だけで立ち上げられた突発的な事業でもない。
むしろ、イタリアが「ヨーロッパ連合国」と揶揄されていた頃には既に内部で温められていた構想の一つであったと記憶している
もちろん、それに郷愁や帰郷願望が存在したことは否定しない。
実際に計画を練る際、亡命政府の政治家や軍人の面差しには、表に出さずとも抑えきれない郷愁の念がにじんでいた。
そして、故郷奪還を焦るあまり、優先順位を巡って揉め事が起きることも度々あった。
彼らは故郷を取り戻したいという気持ちを、胸に強く秘めていた。
しかし同時に、我々イタリアもまた、占領を免れた側としてこの計画を真剣に受け止めていた。
棘弾による電力と資源の供給でインフラの多くは復旧したが、領域問題、難民たちの関係、難民たちの士気維持、そして長期的な安全保障といった課題はなお残っていた。
ゆえに「ヨーロッパ奪還計画」は、単なる奪還作戦に留まらぬ、政治的・経済的・社会的再編を含む総合的な再建構想であり、我々にとって避けて通れぬ課題であったのだ。
だが当時の我々には、それは机上の空論に過ぎなかった。
技術や兵力の不足、人的資源の限界、そして慢性的なエネルギー逼迫──ベルゼブブ軍の圧倒的な数と戦力を前にすれば、どの要素をとっても作戦の実行可能性は皆無に近かった。
それよりも防衛計画の策定、エネルギーや資源の配分、治安の維持、ヨーロッパ連合国としての制度や法の整備といった優先課題が山積しており、奪還計画に力を割ける余裕など存在しなかった。
そのため、政治の場で真剣に議題に上ることはなく、せいぜい思索やシミュレーションの題材として頭の片隅に置かれる程度の話に過ぎなかったのだ。
そんな中、ガクラの登場が全てを一変させた。
それはまさしく、ヨーロッパ連合国にとって天からの救済であった。
彼の出現によりベルゼブブ軍の進行は食い止められ、むしろ撃退という戦果が積み上がったことで、我々は戦力を温存し、再編・回復するための貴重な時間を得ることができた。
何より重要だったのは、ガクラの棘がもたらす驚異的な恩恵である。
棘から得られる電力と資源は、我々のインフラ再建と軍需生産を一気に加速させ、かつては夢物語に過ぎなかったヨーロッパ奪還計画を、現実的な選択肢へと押し上げた。
ガクラの存在がなければ、この局面に至ることは決してなかった。
その実現のため、イタリアは国家を挙げて動いた。
25年ぶりに開催された国際会議への出席も、棘を応用した新兵器の開発も、すべては奪還に向けた布石であった。
飛行兵器の燃料問題は解決され、巨獣撃退用の高出力兵器も実用化の段階に達した。
作戦成功の確率は格段に上がり、志願兵の募集には圧倒的な人数が志願した。
「故郷に帰れるかもしれない」──その可能性が見えたことこそ、彼らが戦いに参加するにあたって十分すぎる動機となったのだ。
祖国に取り残された家族との再会、国家の復興、そして未来への希望を取り戻す。
そうした大義が、人々を再び前へと駆り立てた。
しかし、それでも最後にして最大の問題が横たわっていた。
前時代ほどではないにせよ、戦力はかつてないほど充実し、志願兵の数も潤沢になりつつあった。
だが、それを以てしても──ベルゼブブ軍の圧倒的な数と戦闘能力を前にすれば、依然として戦力は不足していた。
各国の軍備は安定し始めてはいたものの、各政府はまず自国の再建と防衛を優先せざるを得ず、国際的な全面支援を期待できる状況ではなかった。
そうした利害の優先が続く限り、単独で大規模奪還作戦を成功させる見込みは薄かった。
だからこそ──ヨーロッパ奪還計画には、ガクラの存在が“必要不可欠”だった。
ガクラは単なる一兵力ではない。
かつて戦力が潤沢にあった時代の軍隊が束になっても代替し得ないほどの強大な力を有していた。
戦いに赴くのにガクラがいるのといないのとでは大きく違う。
近年、計画の準備で武装が充実化したおかげでベルゼブブ軍による侵攻を撃退できた実績はあるが、いずれも小規模部隊であったのに対し、ガクラは単体で大軍を壊滅に追い込む。
録音では再現しえない、敵の闘争本能を撹乱し、ベルゼブブ軍の指揮系統を破綻させるあの咆哮。
戦局を一変させる“決定打”であり、我々が何年も求め続けてきた“切り札”そのものだったのだ。
では、どうやってその切り札を我々のために機能させるのか──そこから先は、軍事的手配や兵站の問題ではなく、むしろ政治的・倫理的・外交的な難問との格闘になった。
第一に立ちふさがったのは、ガクラの「平等性」である。
彼は最初の一年半は日本を重点的に守護していたが、防衛範囲が世界各国に拡大して以降は、特定の国を贔屓しない。
世界の国々や民を分け隔てなく救う姿勢は、確かに人類全体にとっては理想的であり、称賛すべきものだ。
だが同時に、それは我々を優先する必然性が存在しないことを意味していた。
実際、観測された行動から見ても、ガクラは防衛力の脆弱な地域を優先して介入する傾向があった。
再編を進め、復興の兆しを見せていたイタリアは、もはや“最も危険な場所”ではなかった。
それを踏まえると、ガクラの優先度はむしろ、あの追い詰められていた時代よりも低くなるのではないか、と我々は推測していた。
さらに問題を複雑にしたのは、ガクラの戦闘原則である。
彼は防衛においては圧倒的な力を発揮するが、その行動はあくまで「専守防衛」に限定されていた。
人類の領域拡大、すなわち「攻勢作戦」には一切関与しない。
確かに、イタリア近隣に存在したベルゼブブ軍の臨時基地を襲撃した事例は確認されている。
だがそれは、あくまで即時的な脅威に対する延長線上の行動に過ぎない。
距離的に離れ、緊急性の低い拠点に対しては、いかに戦略的価値が高かろうとも、一切の攻撃行動を取らなかった。
その結果、ガクラはベルゼブブ軍に対する強力な抑止力としては機能していたが、ヨーロッパ奪還という「攻勢作戦」を実現するには、決定的に噛み合わない存在でもあったのだ。
第二の問題は、国際社会におけるガクラの扱いである。
25年ぶりに開催された国際会議において制定された「ガクラへの無理な干渉禁止」「ガクラの独占および兵器化の禁止」。
これらの決議は、確かに理に適っていた。
なにしろ、ガクラの力を必要とする国や地域は他にも数多く存在する。
無闇に刺激して、もしあの力が暴走すれば取り返しがつかない──各国がそう懸念したのは当然のことだ。
だが、ヨーロッパ奪還を目指す我々にとって、それは紛れもなく大きな枷となった。
ゆえにこそ、我々が会議の場で強く反対票を投じたのも、まさにその枷を自らの手で嵌め込むわけにはいかなかったからだ。
それは決して、ガクラの力が欲しいからという独占の意図ではない。
ただ人類史の命運を分ける戦いの最前線に立つ我々が、両手を縛られたまま戦場に向かうことなど、到底できはしなかったのだ。
そして第三にして、最も繊細で厄介な問題があった。
ガクラが、かつて一人の日本人の少年であったという事実だ。
研究会でその事実が発表されたとき、我々は始めこそ、そこに交渉の可能性を見出した。
しかし同時にそれは、これまで以上の政治的・外交的困難の始まりを予感させるものでもあった。
ガクラは国際的に特殊な存在であり、その行動や影響力が国家の枠を超えていることは、もはや誰の目にも明らかだった。
そのため、各国はガクラの行動を“人類全体のため”とみなし、国家としての干渉を避けるという暗黙の合意を形成していた。
しかし、彼の国籍が今なお日本に存在するという一点だけは、日本政府自身も暗に主張しており、ガクラに対する“最終的な交渉窓口”が日本にあることを示唆していた。
決定的だったのは、彼が「日本語以外の言語には一切反応を示さない」という事実が、複数の検証によって確認されたことだ。
その結果、「ガクラと対話できる可能性を持つのは日本だけ」という認識が、各国の共通理解として定着してしまった。
言い換えれば、ガクラとの交渉権は実質的に日本の手中にある──それは、我々にとって最大の障壁であり、越えるべき最後の壁でもあったのだ。
さらに事態を複雑にしたのは、ガクラ──すなわち網倉雅久の意思そのものが、人としての意識と巨獣としての存在の狭間で揺らいでいるという点だった。
彼がどこまで人間の言葉を理解し、どこまで意味を解釈しているのか、そしてそもそも交渉という概念が成立するのか──それすら誰にも分からなかった。




