子供
日本・広島 猟師 網倉結衣
ガクラの正体が判明してからというもの、世界の目は一斉に──そして執拗に、雅久に向けられた。
彼はただの子供だった。
そう、ただの子供。
なのに、「希望」だの「奇跡」だの、とにかく大層な冠詞をつけられて持ち上げられてしまった。
私のところにも、取材の申し込みや宗教団体、政治家、そして何よりも好事家が押し寄せてきた。
電話は鳴りっぱなし、街の外からは放送車のエンジン音が絶えなかった。
宗教の連中が一番ひどかった。
かつての宗教は、ただでさえ「ガクラ教」に飲み込まれていた。
そんな中、「ガクラは元は人間だった」という事実が投げ込まれた瞬間、全てが壊れたわ。
どいつもこいつも、雅久のことを「顕現した神」「イエス・キリストの生まれ変わり」だのと持ち上げ、言葉は過激さを増すばかりだった。
孤児院の名前や生い立ちを白日の下に晒し、祈祷所を作り、彼の“名”を掲げる旗が街角を埋め尽くした。
日本政府は私たちの身柄を保護し、その後の生活にも援助をしてくれた。
おかげで他国からの違法な干渉は防げたけれど──それでも、世界的な混乱の中で、孤児院は閉鎖を余儀なくされた。
子供たちは別々の施設に移され、あの場所は、立入禁止区域の札を立てられたまま、静かに風化していった。
私が最も腹が立ったのは、彼らが雅久の「人間性」を踏み躙ったことよ。
勝手に「慈悲深い少年」だの「勇猛な戦士」だのと決めつけ、誤った情報が瞬く間に広まり、顔写真の無断使用や孤児院のスタッフへの執拗な追及まで起こった。
みんな好き勝手に吹聴し、都合のいい偶像をつくり上げていった。
学者たちが雅久の関係者に「世界に発表するから許可をくれ」と求めてきたとき、私は青臭い子供なりに「真実を語ることが大事だ」と思い、真剣に考えたうえで賛成した。
けれど今振り返れば──あまりにも浅はかだったわ。
私からすれば、彼はそんな特別な存在じゃない。
雅久は──ただの、一人の子供だった。
それをどうして世界は、勝手に“神”に仕立て上げてしまったのか──。
私が物心ついた頃には、もう彼は孤児院の子供だった。
私より年下で、それ以上でも以下でもない。
生まれも境遇も、あの時代の孤児たちと何ひとつ変わらない。
親は不明。
赤ん坊を商品みたいに扱う連中が動いていた時代、生みの親が記録を残さないなんて当たり前だった。
父親が誰なのかも分からないし、そもそも「どこで生まれたのか」さえ曖昧だった。
病院で正式に産まれた子なのか、どこかに捨てられていたのを拾われたのか。
病院の玄関先に置き去りにされたのか、瓦礫の街で保護された赤ん坊だったのか。
売春相手の子か、行きずりの子か──当時はそんな赤ん坊はいくらでもいたから、調べようもなかった。
後になって、ガクラが雅久だったと分かってからも、政府や研究者たちは出自を調べたらしい。
私は詳しい報告までは見せてもらってないけど、聞く限りでは特別な情報は何も見つからなかったそうよ。
どこにでもいる孤児。
本当に、それだけだった。
もしかしたら、彼の兄弟がどこかにいるかもしれないけど、血がつながってるだけの他人。
そんなものは関係ない。
「網倉」という姓だって、孤児院の名前をそのまま戸籍に書いただけ。
私も同じ「網倉」だけど、血のつながりなんてないし、同じ姓を持つ子供は孤児院にいくらでもいた。
管理の都合で付けられただけの、仮の名前。
本人が望めば、あとで佐藤でも田中でも、いくらでも変えられる程度のものよ。
そして「雅久」という名前も、多分そんなに深い意味はない。
書類を埋めるために必要だったから、誰かの名前を借りたとか、職員がその場で思いついたとか、きっとその程度のはず。
「ガクラ」とちょっと被ってるのも、ただの偶然。
由来なんて、最初から誰も気にしていなかったと思う。
性格は、活発だけど目立つほどじゃない。
人と交流はするけど、グループの中では控えめで、自己主張はほとんどしない。
部屋で1人でいるときは、ただ古い映像──巨獣がいなかった平和な時代の映像を黙って眺めてるような子だった。
多分、他の孤児と同じように、その世界を羨んでたと思う。
孤児院の訓練にも真面目に取り組んでた。
教官の指示どおりに体を鍛えて、勉強にも欠かさず参加してた。
成績は──まぁ、普通ってところね。
確かに運動は得意で、訓練の成績は勉強よりも良かった。
でも、飛び抜けて凄いとか、周囲が驚くほどじゃない。
どこにでもいる、少し体を動かすのが得意な子って程度よ。
勉強はむしろ苦手な方だった。
特に英語は一番ダメで、それ以外もだいたい平均。
といっても、あの頃の私たちは最低限の勉強しかさせてもらってなかったし、本気で学ぶ環境でもなかった。
英語なんて日常に使う程度の単語の意味と読み方を覚えれば、それでいいくらいだった。
もし違う場所で、違う人生を歩んでいたらどうなっていたか──それは、今となっては誰にも分からない。
学校に通って、友達を作って、好きな相手でもできて、どこかで働いて、家族を作っていたのかもしれない。
少なくとも、世界の命運を背負って怪物になるような人生じゃなかったと思うわ。
私が知っている雅久は、そのくらい普通の子だったもの。
強いて変わってたことがあるか、と言うなら──少しだけ色気づいてたくらいね。
同じ孤児院の女の子──「彩」とは特に親しくしていたわ。
訓練も勉強も優秀だけど、普段はいつも一人。
話す必要がなければ、ヘッドホンで音楽を聴いて周りを遮断してる、ちょっと近寄りがたい子だった。
でも、そんな彼女にどこか惹かれたのか、よく声をかけていたのが雅久だった。
ただ強引に話しかけるんじゃなく、機嫌を損ねないように、距離を測って気を遣いながら。
無闇に踏み込まず、相手の仕草や表情を読んで一歩引く。
そのくせ、必要な時はさりげなく隣に立っていた。
あいつ、大人しい性格なのに、あの歳で変に人との距離感だけ上手かったのよ。
──平和な時代に普通の学生だったら、きっとラブコメの主人公みたいに「大人しいけど妙にモテるやつ」になってたと思うわ。
彩も、誰にでも同じ態度を取る子に見えたけど、よく観察すると違った。
最初の対応は他の子と変わらなかったわ。
雅久が近づいても、適度に会話して、それ以上は踏み込ませない。
別に特別仲が良いようにも見えなかった。
ただ、一度だけ彩が突然孤児院からいなくなったことがあった。
数日後、出かけていた雅久と一緒に帰ってきたけど、あいつが言うには「探してたら見つけた」。
彩が言うには「廃墟でゴミ漁りしてたら、事故で閉じ込められた」。
それ以上詳しく聞いても、それ以上は話さなかった。
私は気にはしたけど、深くは聞かなかったわ。
孤児院の私たちが小遣い稼ぎをする時、広島の崩壊したエリアへ行って、価値のありそうな物を拾って集めては、市場とかで売って金にする。
それでトラブルに巻き込まれるなんて、よくある話だった。
既に巨獣が駆除された後でも、同じように漁りに来た連中に物を取られたり、瓦礫が崩れて下敷きになったり──あの辺りは、そういう危険な場所だった。
そんな場所に、いつも冷静な彩が一人で行ったとしても、まあ不思議ではなかった。
数日も閉じ込められるのは珍しいけど、ありえない話でもない。
彩はいつも通り冷静ぶってたけど、少しだけ、泣いた跡みたいなものが残っていた。
あんな子でも泣くことはあるんだな、って思ったわ。
その後も別に何か変わった訳じゃない。
相変わらず彩は一人でいることが多かったし、雅久も普段通りだった。
ただあれ以来、何度か一緒にいるところは見かけた。
食堂だったり、訓練終わりだったり、休憩時間だったり──別にべったりしてる訳でもない。
たまたま近くにいる、くらい。
訓練でも、特に指定がなければ同じチームになることは多かった。
息も合ってたし、単純に相性が良かったんでしょうね。
それを見ていた年長組から冷やかされて、雅久が耳まで赤くしてたのを、今でも鮮明に覚えてる。
彩は何も気にしていない顔をしていたけど。
──別におかしな話じゃない。
孤児院で育つ私たちにとって「兄弟」とは、血の繋がりじゃなく、同じ孤児院で育った相手のことだった。
日々を分かち合い、肩を並べ、時には命を預ける。
そういう関係のほうが、よっぽど本当の家族に近い。
異性でも兄妹みたいにいつも一緒にいて、仲の良い組み合わせなんて珍しくもない。
私も雅久とはそれなりに交流はあったし、彼にとっては、ずっと“姉”みたいな存在だった。
だから、あの二人も──きっと、そんな感じだったんだと思う。
少なくとも、当時の私はそう思ってた。
ただ、時々考えるの。
あの頃の二人を──雅久と彩のことを。
後になって思い返すと、あれを何て呼べばよかったのか、今でも少し分からない。
──まあ、詳しいところは、何も知らないんだけど。
2045年の夏、大戸村付近を縄張りにしていた巨獣「牛鬼 毒種」が広島を襲い、クラゲのような姿をした巨獣「白無垢」との縄張り争いが勃発したあの日──二人は戦いに巻き込まれた。
そして戦いの後、戦場になった川の近くで呆然と立ち尽くしていたのは、雅久だけだった。
彩の姿はどこにもなかった。
遺体も痕跡すらも見つからなかった。
誰が尋ねても、彼は答えなかった。
ただ、かつて以上に静かになった。
必要なことは話すけど、それ以外は何も言わない。
声を失った訳じゃないけど、どこか空っぽになったみたいだった。
そして──雅久が孤児院から姿を消したのは、その数日後のことだった。
姿を消す直前、どこかへ行こうとしていた雅久と、私は偶然顔を合わせたわ。
それが、人間だった頃の彼と過ごした、最後の時間。
大きな荷物を抱えて、表情はいつも通り大人しいまま。
今思い返すと少しだけ、いつもと違って見えた気もする。
まあ、後からそう思ってるだけかもしれないけど。
──ああ、どこかへ行くんだな。
それだけは、はっきり分かった。
それでも、彼が何を考えているのかまでは分からなかった。
私には、聞く勇気も、引き止める理由もなかった。
用事を済ませたら帰ってくる。
多分、何か買い物に行くとか、少し出かけるだけとか──そんな程度のことだろうって、勝手に思い込んでいた。
今日の夜までには戻ってくる。
私たちみたいな孤児にとって、帰る場所はあの孤児院しかなかったから。
だから私は、何の疑いもなく、軽く手を振って言ったの。
「気をつけて帰ってね」
それが、最後だった。
結局、その日から──彼は一度も帰ってこなかった。
そして、雅久が行方不明になってからその後。
この世界に、初めて「ガクラ」が姿を現した。
後になって学者たちから、あれが雅久の変異した姿だと聞かされた時、私は何と言えばいいのか分からなかった。
頭では理解しようとしても、感情が追いつかなくて、ただ愕然とするしかなかった。
だって、私の知っている雅久は孤児院で一緒に育って、一緒にに訓練して、年長組にからかわれて耳を赤くして──そんな、ただの少年だったから。
ただの少年だった彼が、どうしてあんな姿になって、巨獣と戦う存在になったのか。
あの時の私には──何も分からなかった。
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