名古屋
日本・名古屋 猟師/避難患者(当時) 山井隆
「ギガンテス飛膜種」が名古屋の病院周辺に群れで現れたあの日、俺はその病院にいた。
少し前に小型巨獣に襲われて怪我を負い、入院していた最中だった。
襲撃の報せが入って、病院中が大混乱になった。
避難誘導は始まっていたが、あまりにも人が多すぎて、患者も医者も押し合いへし合い。
通路も階段もぎゅうぎゅう詰めで、まともに動けやしない。
誰もが自分の命で精一杯だった。
俺も治療のおかげで何とか歩ける程度だったが、走るのは無理だった。
周囲に助けを求めても、誰も立ち止まらなかった。
まぁ、仕方がない。
俺より重傷の人間も、妊婦もいたからな。
そんな時だった。
突然、地響きのような足音と、耳をつんざく咆哮が聞こえた。
そして、窓の外を──あの黒い巨獣、ガクラが通り過ぎた。
あれは病院のテレビで何度も見た姿だった。
広島で巨獣の群れを皆殺しにした、あの黒い怪物。
信じられなかった。
まさか実際に自分の目の前に現れるなんて。
ガクラは、病院の目と鼻の先でギガンテスたちに襲いかかっていった。
俺はただ呆然と見ていた。
……けど、あとで気づいた。
ガクラは、広島の時みたいにビームを使っていなかった。
あいつの代名詞みたいな赤い熱線を、一度も撃たなかったんだ。
ただ、ギガンテスを病院から遠ざけるように動いていた。
攻撃というより、“誘導”しているように見えた。
でも、それが上手くいかず、巨獣どもの一撃でガクラが転倒したとき、病院も巻き込まれた。
そのとき、避難用のバスが瓦礫の下敷きになりかけたんだが──ガクラはすぐにその手を伸ばして、バスを押し潰さないように支えていた。
見捨てれば、その手で巨獣を攻撃できたはずなのに、バスが逃げ切るまで、その姿勢を崩さなかったんだ。
……その直後だった。
俺は完全に逃げ遅れて、戦いの真っ只中に取り残された。
もう駄目だと思った瞬間、ガクラが俺を拾い上げたんだ。
巨大な手の中に包まれたとき、正直、生き延びたのか死んだのか、自分でも分からなかった。
周囲の音も光も全部、ガクラの掌の中で遮られていた。
後になって映像記録で知ったんだが、ガクラはその間、片手で猿型の群れと戦っていたらしい。
あれだけの巨体が、俺を握ったまま戦っていたなんて、信じられなかった。
おそらく、安全な場所に下ろす余裕もなかったんだろう。
やがて戦いが終わって、巨獣たちが倒れたあと、ガクラは静かに俺を地面に下ろした。
何も言わず、何もしない。
ただ、それっきり背を向けて、ゆっくりと歩き去っていった。
まるで──“仕事を終えたから帰る”みたいにな。
『体が変わったのはその後だった様ですね』
……やっぱ、そこが気になるか。
ああ、確かに、あの日からだったよ。
避難のあと、俺は簡易医療キャンプに戻された。
体中ボロボロで、当分は寝たきりだろうと思ってたんだが……そこで初めておかしいと気づいた。
まだ傷が塞がるには早すぎる。
それなのに、切り傷も打撲も全部、跡形もなく治ってたんだ。
担当の医者も「どうなってるんだ」と首をひねってた。
血液検査をしても異常は無し。
むしろ数値がすべて“理想値”に近かった。
それだけじゃない。
目が異様に冴えて、遠くの文字まで読めるようになった。
耳も妙に良くなって、キャンプの外の話し声まで聞こえる。
頭も、まるでエンジンが常に全開になってるみたいで、考える速度が違った。
集中力も続くし、これまで苦手だった英語の文章もスラスラ理解できるようになったんだ。
……それに、不思議な感覚もあった。
怒りとか、暴力とか、そういう衝動に対して、妙に冷静になれるというか。
人を傷つけるようなことへの拒否感が、前よりずっと強くなった。
もともとケンカっ早いわけでもなかったが、それでも──心のどこかに“ブレーキ”みたいなものが常についてる感じだった。
ただ……自分の体が“変わった”と実感したのは、猟師の仕事に戻った時だな。
名古屋の郊外に小型の巨獣が出たって通報が入って、住民が襲われてるというから、俺も急いで出動した。
銃はなかなか効かない。
弾も貴重で、むやみに使えない。
結局、巨獣を追い払うには、専用の道具やら刃物で近接戦を仕掛けるしかない──いつも通りの、危険な仕事だ。
で、いつもみたいに巨獣が暴れ回って、案の定こっちに向かってきた。
その瞬間から先は、本当に説明が難しい。
意識はあったし、何をしているか理解もしていた。
でも、動きは完全に“無意識”だった。
考える前に体が動いた、というより、考えたことがそのまま瞬時に身体に伝わる感じだった。
驚く間もなく、俺は巨獣の懐に入り、ナタを構えていた。
気づいたら──奴と殴り合いみたいな距離で戦っていた。
怖いとか、痛いとか、そういう感情が後回しになっていた。
体が軽くて、視界も広く、感覚も異様に鋭い。
巨獣の動きが“読める”というか、どこに重心を置いて、次にどう動くかが自然に見えていた。
俺は長年、小型巨獣を相手にしてきたが、真正面から襲いかかられたら普通は対処なんてできない。
巨獣は人間より機敏で、力も桁違いだ。
戦うという発想そのものが無謀で、ほとんどの場合は退避を優先する。
まして俺は怪我が治って現場復帰した直後で、本来なら慎重に動くべきだった。
──なのに、あの時はまるで別人だった。
巨獣が飛びかかってきた瞬間、考えるより先に体が動き、俺は横に滑るように避け、その懐に入り込んでいた。
まるで訓練された動作みたいに無駄がなく、恐怖が“後から”ついてくるような感覚だった。
そして気づいた時には、巨獣の首の弱い部分にナタを突き立てていた。
そのまま勢いで横に引き裂くように刃を走らせたら、そいつは崩れ落ちた。
終わった時、見ていた仲間と住民たちはポカンとこっちを見ていたが、次第に歓声を上げて、俺を英雄扱いしてヨイショしだした。
でも、俺はわけが分からなくて、ただただ混乱するばかりだった。
あんな動きが自分にできるなんて、事前に言われても信じなかったと思う。
巨獣の死体処理をしていた最中にやってきた行政に、俺はそのまま連行されて研究所に送られた。
同じように「おかしな動きができた」って理由で集められたらしい人間が、すでに何人もいた。
若者、子供、女──見た目だけで、俺と同じ状態の奴らだとすぐ察した。
その中に、見覚えのあるチンピラも混ざっていた。
前に町で見かけたことがある男で、ピアスに金髪、人相も悪くて、誰にでも突っかかるような態度だった。
あの時のそいつは、周りの客や通行人に絡みまくって、店の中でも騒ぎを起こすタイプの、典型的な厄介者だった。
けど、研究所の待合室ではまるで別人だった。
椅子に静かに座って、職員が前を通るたびに軽く会釈までしていた。
背筋も妙に伸びてて、無駄な動きがひとつも無い。
あんな落ち着いた態度、以前のあいつからは想像もできなかった。
そのギャップが激しすぎて、逆に不気味なくらい“普通の人間”になっていた。
そいつと同じように目を引いたのは、一番端に座っていた老人だった。
背筋が異様に真っ直ぐで、やけに若々しい。
顔のシワだけ見れば90代なのは間違いないのに、肌はツヤツヤで、姿勢も反り返るくらい良い。
体格だって細くて、本来なら杖でもついていそうなはずなのに、本人は自立してスッと立っていた。
話す内容もはっきりしていて、まったくボケていない。
研究員から「この方は実際に90代です」と説明されても、正直ピンとこなかった。
言われるより先に「若い奴が老人の特殊メイクしてる」って言われた方がよっぽど納得できるくらいだった。
そこで検査をひと通り受けたあと、研究員から改めて説明された。
全員、何らかの形で“ガクラの細胞”が体内に入っていて、それが俺たちの身体に影響を起こしている──研究員は淡々と言ったが、その内容は常識から外れすぎていて、しばらく言葉が出なかった。
肉体の強化、異常な回復力、傷の治癒速度の明らかな上昇。
さらには老化の停止、あるいは逆行とも言える身体機能の若返り。
認知機能の回復や、精神状態の安定化といった報告もある、と研究員は説明した。
そこまで聞いた時点で、本気で「アニメの設定かよ」と思った。
専門家の説明だから一応耳には入るが、理解が追いつかない。
俺が巨獣相手にナタで立ち回れた理由がそれだと言われても、俄かには信じられなかった。
むしろ、何か恐ろしい副作用──体が急に壊れるとか、脳がおかしくなるとか、そういう現実的な危険を考えた方がまだ納得できるくらいだった。
研究員は、俺が黙ったまま固まったのを見て、さらに資料を広げた。
どうやら俺たちのような事例は“ここだけ”ではなかった。
ガクラが最初に上陸した広島でも、同じ現象が多数確認されていた。
広島では、ガクラが空き地で巨獣の群れと衝突し、そのまま戦ったおかげで人的被害そのものは最小限で済んだ。
だが、代わりに“あいつが戦闘中に撒いたもの”の影響が出た。
例の棘──研究班が“棘弾”と正式名称をつけた、ガクラの尻尾からマシンガンみたいに発射される黒い棘の弾丸だ。
あの棘弾の発電機能に目をつけて、インフラの回復に取り掛かった発電所職員、棘弾を調査しに接触した自衛隊員、それに研究機関の技術者。
彼らの中に、俺たちと同じように身体機能や精神状態の変化を起こした者が出たという。
特に広島で異変が大きかったのは、高齢者だったらしい。
避難所生活のさなか、「歩けなかった人が杖なしで歩き始めた」、「家族の顔を忘れていた人が、急に名前を呼んだ」──そんな報告が次々に上がってきた。
当時は誰もが“ショックによる一時的な覚醒だろう”と片づけていたが、数が増えていくにつれて不審がられ、政府と医療班が調査に動いた。
そこでようやく、原因が突き止められた。
ガクラの棘弾による環境改変で発生した果実や浄化水に、微細な細胞片や液体が混ざり込んでいた。
住民の一部は避難所で支給されたそれを飲み続け、知らないうちに体に取り込んでいたらしい。
ごく稀にしか起きないが、体質によってはそれだけでも変化が現れる。
さらに研究員の話では、棘弾の欠片を精製して作る“臨床用の試験薬”──つまりガクラの細胞を原料にした薬剤──を服用した場合は、発生率が飛躍的に高くなるという。
広島では試験的に重症患者への投与が行われていて、そこで全員の症状の回復が確認されていた。
で、俺の場合はもっと直接的だった。
ガクラに拾い上げられ、あいつの手の中にいた時間が長かった。
映像で後から見せられたが、ガクラの手はあの戦闘中、何度も破損し、裂け、再生していた。
そのたびに体液や細胞片が周囲に飛び散っていたらしい。
俺が吸い込んだのか、傷口から入ったのかは今も分からないが、とにかく“濃度”が桁違いだったと研究員は言っていた。
つまり、一番起きやすい状況だったわけだ。
そこでようやく、自分の身に起きた異常が、ただの偶然でも気合いでもなく、実際に起きた“変化”なのだと理解した。
だが──理解と納得は別だ。
身体が軽くなる感覚も、反射が上がっている手応えも、頭の回転が良くなったのも事実だ。
だが、何がどこまで変わっているのか、これから先どうなるのか、それは誰にも分からない。
体の中で何が起きているのか、自分自身が一番分かっていなかった。
それが一番、気味が悪かった。
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