初戦闘
日本・大阪 陸上自衛隊 中部方面隊 隷下 航空科 AH-1S操縦士 三等陸尉(当時) 風海桃矢
2003年の巨獣との最初の戦いは、全てが想定外だった。
当時の俺たち陸上自衛隊航空科は、対地支援や対戦車戦闘、災害派遣を主軸にした運用を前提にしていた。
仮想敵はあくまで国家であって、生物ですらない。
ましてや、都市一つを踏み潰すような“何か”と戦う訓練なんて、一度も受けていない。
それなのに、突然だ。
緊急招集がかかった時点で異常だった。
演習でも災害派遣でもない、コードも聞いたことのない分類だった。
駐屯地に集められた俺たちは、そのまま作戦会議室に押し込まれて、上官から説明を受けた。
──説明、というよりは「映像を見せられた」と言った方が正確だな。
テレビの中継映像だった。
大阪市内。
市街地のど真ん中で、3体の異形が暴れていた。
建物が崩れ、道路が裂け、人が逃げ惑う中を、黒い塊みたいな巨体が動き回っていた。
後に「牛鬼原種」と呼ばれることになる巨獣だ。
あの時点では、誰もが「怪物」と呼んでいて、名前なんて付いてなかった。
ただ、「何かとんでもないものが出た」という認識しかなかった。
室内の空気は最悪だったよ。
同期の連中は明らかに動揺していたし、何人かは声を出していた。
俺も含めて、あれが現実だと受け入れきれていなかった。
上官も同じだ。
あの人、あの時ずっと無言で腕を組んで映像を見てたけど、顔が完全に固まってた。
命令を出す立場の人間が、状況を理解できていない。
それが、あの場の一番の問題だったと思う。
ただ、それでも出動命令は出た。
内閣官房経由で防衛庁に指示が下り、中部方面隊に対して災害派遣に準じた「治安出動に近い特例任務」として発令された。
“未知生物の掃討”なんてものは想定していないが、過去にはトドの群れを駆除するために出動した事例もある。
法的にも前例がない事態を対処するために、上ではそれを引き合いに出して、「延長線上の任務だ」と言っていたが──正直、誰も本気でそう思ってはいなかった。
実のところ、現場判断でかなりグレーな運用だった。
要するに、「とにかく止めろ」だ。
俺たちはそのまま飛行隊に戻されて、即時出撃準備に入った。
整備員が走り回って武装を吊り込み、パイロットは機体の最終確認をしながら同時に無線で断片的な情報を拾う。
格納庫の空気は、訓練の時とはまるで違っていたよ。
誰もが口数は少なくて、やけに手際だけが良かった。
機体はAH-1S、対地攻撃用の武装ヘリだ。
対戦車ミサイルとロケット弾、機関砲をフル装備した状態で上げた。
普段なら対機甲部隊用の装備だが、あの時は「とりあえず火力のあるものを全部積め」という指示だった。
弾種の相性だとか、継戦能力だとか、そういう検討をしている余裕はなかったな。
ブリーフィングも簡素だった。
目標は大型生物3体。
市街地内で活動中。
交戦許可あり。
被害拡大阻止を最優先──以上だ。
弱点も不明、行動原理も不明、交戦距離の目安すらない。
正直に言えば、作戦でも何でもなく、ただの「出たとこ勝負」。
それでも出るしかなかった。
化け物を放置するなんて選択肢は、あの時の俺たちには存在しなかったからな。
離陸してからは早かった。
編隊を組んで、そのまま大阪市街地へ進入する。
上空に出た時点で、すでに煙が何本も上がっているのが見えた。
市街地のあちこちから黒煙が上がっていて、視界が悪い。
現場に近づくにつれて、無線の様子がおかしくなっていった。
救急、消防、警察、自衛隊──全部の回線が入り乱れて、まともな指揮系統なんてあってないような状態だった。
それでも「橋が落ちた」「地下鉄が止まっている」「まだ避難が終わっていない区域がある」「市街地に取り残された住民がいる」「1体が河川沿いを北上中」──そんな報告だけは嫌でも耳に入ってきた。
混乱する大阪上空を飛んでいた時だ。
高層ビルの隙間を、何か巨大なものが押し広げるように進んでいるのが見えた。
最初は瓦礫の崩落かと思ったが、動きが違った。
規則性がある。明らかに“意思を持って動いている”。
次の瞬間、初めて肉眼で牛鬼を目撃した。
トカゲのような体躯に、恐竜を思わせる頭部、そこから突き出た牛のような角。
さらに異様だったのは、前脚とは別に存在する“第2の腕”だ。
そいつが地面に触れるたびにアスファルトが砕けて、車が玩具みたいに跳ね飛ばされていた。
しかも一体じゃない。
3体だ。
それぞれが別方向に散開して、市街地を“喰い荒らしている”。
標的確認を報告した直後、下った命令は単純だった。
「接敵後、各機の判断で攻撃を開始せよ」
要するに、“誰も正解を知らないから現場に丸投げする”ってことだ。
具体性のない命令だったが、あの時はそれで十分だったとも言える。
命令が曖昧でも、法的にグレーでも関係ない。
民間人の安全確保についての具体的な指示すらなかったが、目の前で街が壊されている以上、やることは一つしかなかった。
俺たちは編隊を組んで、最も被害の大きい個体に向かった。
ビルの間を縫うように接近しながら、照準を頭部に合わせる。
ビルの間を縫うように低空で接近しながら、
照準を頭部に固定する。
そこで、あいつが動いた。
牛鬼が、ゆっくりと頭を持ち上げて──こちらを“見た”。
反射でも、偶然でもない。
俺たちの存在を察知したかのように、明確に認識した動きだった。
次の瞬間、あいつは跳んだ。
あの巨体で、だ。
俺は目を疑った。
道路を丸ごと塞ぐほどの体躯に、1本だけでもビルと同等の大きさの第2腕。
顔面だけでも、こちらの武装ヘリとほぼ同サイズ。
そんな大きさだから鈍重で、動きは限定的だと勝手に思い込んでいた。
完全に、その認識を突かれた。
信じられない高度まで一気に跳躍して、こちらの高度にまで迫ってきた。
ローター音をかき消すほどの風圧と、質量の圧迫感が一瞬で距離を詰めてくる。
「散開!!」
誰かの叫びと同時に、編隊は崩れた。
各機がバラバラに回避機動へ入る。
だが、遅れた1機が空中で、叩き落とされた。
あっけなかった。
まるで虫でも払うみたいに、脚の一撃で機体が弾き飛ばされて、そのままビルの間に消えた。
回避行動に入っていたはずの機体が、一瞬で“消えた”んだ。
爆発音すら、はっきりとは聞こえなかった。
ただ、無線が一つ途切れて──それきりだ。
あの瞬間、あの化け物は、“空に逃げれば安全”なんて相手じゃないと思い知らされた。
俺たちは高度を上げるか、逆にビルの隙間を縫う低空飛行に切り替えるか、瞬時に判断を迫られた。
どちらを選んでもリスクはある。
上に逃げれば、あの跳躍で捕捉される。
下に降りれば、障害物と至近距離での戦闘になる。
だが、あの跳躍を見た後では、中途半端な高度に留まるのが一番危険だった。
結局、俺は低空に降りた。
ビルの密集地に入れば、巨体の運動は制限される。
少なくとも、さっきみたいな直線的な跳躍は封じられると判断したからだ。
それに、上空からでは目標は建物に遮られて断片的にしか見えない。
だが低空なら、建物の影を使いながらでも動きを追える。
ビルの影に機体を滑り込ませて、視線を切りながら側面へ回り込む。
正面から撃っても、あの反応速度じゃ回避されるか、迎撃される可能性が高い。
なら、死角を取るしかない。
何より、民間人への被害を抑えられると判断したからだ。
上空からの攻撃は、外せばそのまま市街地に落ちる。
まだ避難が完了した報告は無かったし、どれだけの人々が残っているか分からない状況だ。
迂闊に攻撃できない。
だが低空であれば、射線を限定できる。
建物を盾にしながら、誤射や流れ弾の範囲を抑えられる。
あの状況で民間人の位置なんて正確には分からなかったが、それでも「これ以上広げない」ための選択はしなきゃならなかった。
形としては巨大な化け物との接近戦になるが、当時の俺は、あの状況では最善だと判断していた。
ロケット弾は効いていないわけじゃない。
さっきの直撃で、確実に頭部にはダメージが入っていた。動きが一瞬鈍ったのは事実だ。
なら、同じ箇所にもう一度叩き込めば、今度は止まる──そう思っていた。
だが、うまくいかなかった。
牛鬼はビルを盾に使い始めたんだ。
巨体に似合わず、動きは妙に理にかなっていた。
こちらの射線を切るように建物の裏へ回り込み、こちらが位置を変えれば、今度は別のビルの陰へ移る。
ただ隠れているんじゃない。
“撃たせない位置取り”を理解している動きだった。
さらに厄介だったのは、その次だ。
あの剛腕で、ビルの外壁を抉り取った。
コンクリートの塊を、そのままこちらに叩きつけてきた。
直撃すれば終わりだ。
回避するしかない。
機体を傾けて、ビルの間を滑り抜けるように回避機動に入る。
警報音が鳴りっぱなしで、視界の端を瓦礫がかすめていった。
そして回避したその瞬間、無線がまた1つ、消えた。
振り向いた時には、もう遅かった。
別の個体──2体目が、ビルの陰から滑り出るようにして、別方向から接近していた。
3体いたんだ。
分かっていたはずなのに、目の前の一体に意識を集中しすぎていた。
仲間が、やられた。
その事実に一瞬、頭が真っ白になったが、そんな暇はなかった。
すぐに目の前の1体目が、剛腕を振るってきたんだ。
あの巨体からは想像できない速度で、横薙ぎに振り抜かれる。
気づいたのは本当にギリギリだった。
反射的に機体を傾けて、スロットルを叩き込んで回避に入る。
ローターが悲鳴を上げる中、どうにか剛腕の間合いの外へ滑り込んだ。
目の前で剛腕が通り過ぎる風圧で、機体が大きく揺れた。
計器が一瞬跳ねて、姿勢が乱れるのを必死に押さえ込んだ。
ほんの数メートル、いや数十センチでも遅れていたら、そのまま叩き潰されていた。
本当に寸前だった。
そのままスロットルを開けて距離を取った。
だが、上には行けない。
あの跳躍がある以上、中途半端な高度はむしろ危険だ。
高度は低いまま、ビルの間を縫うように逃げるしかなかった。
機体を左右に振りながら、建物の陰を渡り歩くように進む。
視界は狭く、回避の余裕もないが、少なくとも直線的な接近は防げる。
開けた場所に出れば、また跳躍で捕まる可能性がある。
実際、後方でコンクリートが砕ける音が何度も響いていた。
あいつは追ってきていたんだ。
視認はできなくても、位置は把握されている。
ビルの壁が、背後で内側から弾け飛ぶ。
瓦礫が路地に降り注いで、逃げ道そのものが削られていく。
逃げながら頭の中では、上空から攻撃した方が良かったんじゃないか、って思ってた。
低空は遮蔽物が多すぎるし、機動の自由度も低い。上を取れば、少なくとも射線は通るし、距離も取れる──最初に低空飛行での戦いを選択したが、訓練で叩き込まれてきた“正解”は、そっちだったからな。
だが、それも違った。
逃げる最中に視界の端で見えたんだ。
上空に上がっていた機体に向けて、3体目が動いているのが。
あいつは、ビルを“引き抜いた”。
最初は何をしているのか分からなかった。
ただ、ビルの外壁が歪んで、次の瞬間、地面ごと持ち上がった。
基礎ごとだ。
コンクリートの杭も、鉄骨も、配管も全部まとめて引き千切って、そのまま剛腕で抱え上げた。
重量なんて考えていない動きだった。
あれ一つで、何百トン──いや、それ以上はあったはずだ。
それを、躊躇なく投げた。
放物線を描いて飛んでいくビルの残骸が、空中の機体に向かっていく。
スピードはミサイルみたいに速いわけじゃない。
対空兵器でも何でもない、ただの“投擲”だ。
それでも、十分すぎる威力だった。
一つの質量の塊──“ビルそのもの”がそのまま飛来してくる。
ローターも、装甲も、そんなものは意味をなさない。
触れた瞬間に終わりだ。
回避しきれなかった1機が、直撃を受けた。
機体が潰れた、という表現が一番近い。
爆発する暇もなかった。
衝突した瞬間に機体の形が崩れて、押し潰されるように変形して、そのまま落ちていった。
高度も、障害物も、何一つ安全圏じゃなかった。
低空も上空も関係なく、あいつらの“射程圏内”だった。
しかも、ただ暴れているわけじゃない。
地形を使う。
建造物を使う。
こちらの位置取りに合わせて、攻撃手段を変えてくる。
低空にいれば、近接攻撃と瓦礫の叩きつけ。
ビルの陰に隠れても、壁ごと抉り取ってくるし、逃げ道そのものを潰してくる。
高空にいれば、投擲と跳躍。
距離を取ったつもりでも、あの脚力で一気に詰めてくるか、あるいは建造物をそのまま“弾”にしてくる。
どこにいても、あいつらは届く。
偶然の動きで、結果的にそうなっているわけじゃない。
あれは明確な“戦術”だった。
あいつらは、ただ本能で暴れているわけじゃない。
あの市街地そのものを使って戦っていた。
ビルも、道路も、瓦礫も──全部ひっくるめて“武器”にしていたんだ。
それに対して、俺たちが取れる戦い方は限られていた。
距離を取り、回避を優先し、隙を突いてロケット弾を叩き込む。
いわゆる“一撃離脱”だ。
最初から決めていた戦術じゃない。
戦いながら、全員が同じ結論に辿り着いた。
無線で細かく打ち合わせたわけじゃないが、訓練で叩き込まれている連携ってのは、ああいう時に出る。
短い指示と、互いの機動を見るだけで、自然と役割が分かれていった。
誰かが引きつける。
別の誰かが死角に回る。
そして、一瞬の隙に撃ち込む。
それを、何度も繰り返した。
だが、牛鬼はただの的じゃなかった。
耐久力が異常なだけじゃない。
“学習していた”。
一撃離脱で仕掛ければ、すぐに対応してくる。
引きつけ役に対しては執拗に追撃し、側面に回ろうとする機体には瓦礫や投擲で牽制をかける。
さっきまで通用していた動きが、次の瞬間には通用しなくなる。
つまり、こちらの“行動”が読まれた瞬間に、潰される。
だから俺たちは、同じ動きを繰り返さないようにした。
進入角を変える。
タイミングをずらす。
あえて引きつけを長引かせて、別の方向から撃たせる。
連携と言っても、綺麗なものじゃない。
ほとんどは各機の判断だ。
だが、それでも“予測を外す”ことだけは意識していた。
それでも──落とされる時は落とされる。
回避を優先しても、叩き落とされた仲間は多かった。
本当に、紙一重の積み重ねだったよ。
それでも、兵器は通じた。
ロケット弾も、ミサイルも、積み重ねれば確実に効いていた。
装甲や皮膚がどうなっているのかは分からないが、ダメージは蓄積していた。
動きが鈍る瞬間、反応が遅れる瞬間が、確実に増えていった。
そして、あいつらの攻撃にも限界はあった。
ビルを投げるにしても、周囲に無限にあるわけじゃない。
使えば使うほど瓦礫は減っていくし、取りに行く動きが必要になる。
その“取りに行く瞬間”は、どうしても隙が生まれる。
そこを叩いた。
何度も、何度もな。
誰かが引きつけて、誰かが撃つ。
撃ったらすぐ離脱して、また次の機体が入る。
単純な繰り返しだが、それしかなかった。
牛鬼を全て倒すまで、戦いは数時間に及んだ。
時間の感覚は、正直曖昧だ。
だが、燃料の残量と弾薬の減り具合だけは、やけに鮮明に覚えている。
あの戦いは、“持っているものを全部削り合う”戦いだった。
結果として残ったのは、素直に喜べるものじゃない。
あれを胸を張って「勝利」と言えるかと聞かれれば、どうしても苦く感じる結果だ。
たった3体の襲撃で、大阪は広範囲にわたって破壊された。
民間人にも、部隊にも、多くの犠牲者が出た。
俺たちの攻撃で崩れた建物もある。
直接見ていなくても、あの瓦礫の下に人がいた可能性は、いくらでもある。
逃げ遅れた人間が、踏み潰されていたかもしれない。
瓦礫に巻き込まれていたかもしれない。
街は壊れたままだし、人は戻ってこない。
無線越しに聞こえていた救難要請の中には、最後まで応えられなかったものもある。
止めた、とは言っても、あれは被害の拡大を食い止めただけで、失われたものを取り戻したわけじゃない。
守るために戦ったはずなのに、守りきれなかったものが多すぎた。
あの時の俺たちは、“守る”んじゃなかった。
ただ、“これ以上壊されないようにする”ことしかできなかったんだ。
最終的には勝った。
少なくとも、“あの場”は止めた。
初めての巨獣との戦いで、俺たちはできる限りの最善を尽くした。
現場にいた人間として言えるのは、一つだけだ。
あれが限界だった。
準備も、前例も、対処法も何もない中で、あの状況に投げ込まれて、あそこまで持ちこたえた。
それ以上を求めるのは、後からならいくらでも言える。
だが、あの場で実現できたかと言われれば──現実的じゃない。
戦闘終了後、俺たちは大阪上空を何度も旋回した。
他に同種の反応がないか、新手が来ていないか、確認するためだ。
崩壊した街の安全を確認しながらも、視界の端には牛鬼の死骸が転がっているのが見えた。
動かない巨体に視線を向けながら、俺は思っていたよ。
あんな怪物は、もういないはずだ。
こんな未曾有の災害は、二度と起きないはずだ。
いや、そう“思い込みたかった”のかもしれない。
あれだけのものが、他にもいるなんて考えたくなかった。
街を破壊し、多くの人々を殺した存在が、世界のどこかにまだ潜んでいるなんて、受け入れられる話じゃなかった。
だから、あの時の俺たちは、どこかで区切りをつけようとしていたんだ。
「あれで終わりだ」と、勝手に決めてしまいたかった。
だが、後になって分かった。
あれは始まりだった。
あの光景が例外でも特異事例でもなく、“日常”になる──そんな未来を、あの時の俺たちは誰一人として、想定できていなかった。
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