“G”出現
日本・広島 海上自衛隊 第六護衛隊群所属・護衛艦〈はやなみ〉艦長 久保田 昌志
2045年の冬。
その日──真冬の時期に、多くの巨獣が冬眠を迎える中、大型巨獣の群れが広島を襲撃していた。
雪が降っていない時期でも、冬に入れば、獲物となる小型・中型の巨獣の多くは活動を止める。
餌となる生物が一気に減るため、冬眠しない大型巨獣は食料を求めて人間の生活圏へ押し寄せることが珍しくなかった。
しかし、あの時現れたのはただの群れではない。
「アジュレ鋭爪種」や「サリエル」をはじめ、複数種の巨獣が混成群を形成して同時に行動する、最悪の事態だった。
本来であれば縄張りも、生態も、捕食対象も異なる巨獣たちが、一つの災害のように都市へ雪崩れ込んできた。
餌不足によって興奮状態にあったこともあり、その凶暴性は平時とは比較にならない。
当時の広島は、かつての巨獣同士の縄張り争いにより、完全なスラムと化していた。
インフラの復旧は道半ばで、人もまばら。
防衛設備はほとんどが喪失したまま、戦力の補充も追いついていなかった。
都市としての機能は辛うじて維持されていたが、それは「生き残っている」というより、「崩壊寸前」と表現した方が正しかった。
そもそも、当時の日本全体が限界を迎えつつあった。
巨獣の出現頻度は年を追うごとに増加し、自衛隊全体で弾薬や兵器の備蓄は底を突きかけていた。
残された戦力も全国へ均等に配備できる状況ではなく、国家中枢である東京や、西日本最後の重要拠点となっていた福岡の防衛が優先されていた。
その結果、広島へ回せる戦力はごくわずかだった。
配備されていたのは、旧式化した戦車が数両、武装ヘリ二機、そして私が艦長を務める護衛艦〈はやなみ〉を含む駆逐艦二隻のみ。
都市一つを守るには、あまりにも心許ない戦力だった。
そんな広島へ、この冬最大規模とも言われる巨獣の混成群が押し寄せた。
大型巨獣の群れが一斉に市街地へ侵入し、それぞれが別方向から防衛線へ襲いかかる。
迎え撃つ我々は、戦力を分散させるしかできなかった。
……言うまでもない。
この戦力で大型巨獣の群れに対抗できるはずもない。
我々の任務は、迎撃ではない。
撤退援護と時間稼ぎ。
最悪の場合、海上からの艦砲射撃で市街ごと巨獣を殲滅するという選択肢すら、上層部では議論されていたという。
もはや、広島は“放棄される”ことを前提とした都市になっていた。
度重なる巨獣出現と被害で、戦力の再建は追いつかず、そして──その日が来てしまったのだ。
“あの存在”が現れたのは、まさにその時だった。
市民の大半はすでに避難していたが、それでも取り残された者たちはいた。
港では、大勢の避難民が船に殺到し、混乱が極まっていた。
そんな中、突如として一体の「牛鬼原種」が岸壁に姿を現し、避難民を狙って突進してきたのだ。
こちらはすでに砲撃態勢に入っていたが、迂闊に砲撃すれば市民を巻き込む可能性が極めて高い──最悪の状況だった。
私は、最悪の選択を覚悟した。
避難船を諦めて撃つしかない、と。
……だが、その瞬間だった。
突如、視界全体が真紅に染まった。
空気が震え、海面が一瞬沸き立つように揺れたかと思うと、牛鬼原種の胸部を正面から貫く“熱線”が放たれていた。
あまりにも一瞬の出来事だった。
次の瞬間には、牛鬼原種の上半身が熱線の直撃で内側から爆ぜ、巨体を大きくのけ反らせながら、崩れ落ちていた。
断末魔の咆哮すらないまま膝から崩れ落ち、そのまま沈黙した。
たった一撃。
それだけで、通常ならミサイル数発を撃ち込んでようやく倒せる巨獣が、消し飛ばされたのだ。
我々は、その場で呆然と立ち尽くすしかなかった。
誰ひとり被害を出すことなく、あの巨獣を“何か”が仕留めた──だが、その“何か”の正体が、我々にはまったく分からなかった。
あれほどの威力を持つ兵器など、日本には存在しない。
いや、そもそも我々には、それを開発し、運用するだけの資源も時間も残されていなかったはずだ。
では、あの熱線は何だ?
どこから撃たれた?
誰が?
何のために?
問いは浮かぶが、答えは一切なかった。
ただ、呆然とする私たちを乗せた護衛艦〈はやなみ〉の、すぐ傍の海──その海面が、突如として激しく波打ち始めた。
何かが、“すぐ下にいる”。
そんな直感が、背骨を凍らせるように走った。
次の瞬間、海面が裂けるように弾け、その中心から太く、異様に長大な尻尾がゆっくりと持ち上がった。
続いて、巨大な棘を並べた背中が海面を突き破り、さらに胴体、腕、首──そして最後に、まるで外殻そのものを頭部に被せたような異形の顔が、静かに水上へ姿を現した。
巨体全体が、海の底から浮上する島のように、ゆっくりと、しかし確実に現れていく。
頭部を覆う外殻に阻まれているのか、目や鼻、耳らしき器官は確認できなかった。
全身を黒い皮膚で構成され、その隙間という隙間からは、まるで体内に溜め込まれた熱が漏れ出すように、赤い光が滲み出ていた。
異形の“黒い巨獣”。
熱線の照射と前後して出現したという状況から、誰もが「こいつがあの熱線を撃った」と直感した。
最悪だと思ったのは、現れた位置だった。
艦の右舷側、わずか数メートル。
近すぎる。
あまりにも近すぎる。
砲撃準備──間に合わない。
退避──不可能。
“死角からの不意打ち”──それに等しい状況だった。
しかも、その巨体が向ける視線の先には、なおも避難民が押し寄せる港があった。
このままでは、彼らが襲われる。
だが、撃てば──今度は確実に“こいつ”と戦端を開くことになる。
私は思考するより先に、反射的に叫んでいた。
「……総員、戦闘配置! 落ち着け! 撃つな、まだだ!」
撃てばいいというものじゃない。
もし、こいつが“あの熱線”の発射元だったとすれば──次に貫かれるのは我々だ。
だがその時、黒い巨獣は、我々や避難民にわずかに視線を向け、状況を“確認する”かのようにしばし静止していた。
そして、港ではなく、河の方へと歩き出したのだ。
まるで、人間を避けるように。
関心を見せながらも、あくまで接触は避けようとするかのような動きだった。
我々の乗る艦、〈はやなみ〉に対しても、それは同様だった。
巨体の進路を阻む形で、すぐ隣に存在する艦を押し退けるでもなく、衝突を避けるように、緩やかに軌道をずらして通過していった。
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日本・東京 内閣官房副長官(危機管理担当) 天野達広
広島で発生した巨獣襲撃。
政府の対応は決めあぐねていました。
既に壊滅的な被害を受け、スラム化した広島の防衛のために、貴重な弾薬や兵器を投入すべきか──それとも、撤退を選ぶべきか。
自衛隊の弾薬備蓄は逼迫しており、戦力の再配分は即ち他都市の防衛力を削ぐということ。
そのリスクを背負ってまで、広島を守るべきか。
誰もが重苦しい沈黙に包まれていました。
その最中に、現場から報告されたのが「謎の黒い巨獣の出現」でした。
それを聞いた私たちは、直感的に「事態がさらに悪化した」と理解し、頭を抱えました。
間もなく現地から送られてきた映像が、防衛省の統合作戦会議室に映し出されました。
薄暗い河岸に、その巨体は浮かび上がっていました。
漆黒の皮膚に覆われた身体。
頭部は甲殻のようなもので完全に覆われ、目の所在すら不明。
動きは鈍重にも見えましたが、奇妙なほど整然としていて、無闇に暴れたりはしない。
通常の巨獣に見られる凶暴性がまるで感じられない、異質な存在でした。
防衛省、内閣府、統合幕僚監部の幹部らが集まったその会議室に、長い沈黙が落ちました。
誰もがその映像を見つめながら、対応の決定を口にできずにいたのです。
攻撃するべきか。観察を続けるか。
そもそも、敵なのかどうか──その判断すら揺らいでいました。
……ですが。
私は、違いました。
その映像を見た瞬間、私は言葉を失いました。
ただ呆然としたまま、その名を口にしていました。
誰かに伝えようと思ったわけでも、名付け親になるつもりでもなかった。
その呟きが、隣で聞いていた者から広まり、やがて報道にも転用され──結果的に、“あの黒い巨獣”の名称として定着することになるなど、その時の私は思いもしなかった。
ただただ、その姿に、ある“獣神”を思い浮かべ、その名前が自然と結びついて、口から漏れたのです。
「……ガクラ」
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日本・広島 自衛隊西部方面航空隊・第3武装観測飛行小隊所属 武装ヘリパイロット兼・空中戦術観測員(観測手) 七瀬勇馬
「キルゾーン」。
巨獣災害が常態化して以降、防衛構想のひとつとして打ち出された、対巨獣戦用の人工戦闘区域だ。
広範に整地されたエリアに、自衛隊の火力と各種兵器を集中配備し、巨獣を確実に仕留めるための場所。
市街地での戦闘による民間人の犠牲を抑え、討伐後の死骸回収や解体も迅速に行うことを目的とした構造だった。
だけど、計画は頓挫した。
理由は、単純だ。
予算不足、人手不足、そして資材不足。
それら全部が同時に起きていた。
加えて、想定を上回る巨獣の出現頻度と被害に対応するだけで精一杯だった。
巨獣災害・戦災が相次ぎ、各地で優先順位が食い合う中で、現場への割り当てはどれも中途半端なままだった。
結局、残ったのは“何もない”広大な空地だけ。
防衛線も砲台も未設置のまま。
設計図に記された理想の“対巨獣防衛拠点”とは程遠い、殺風景な空白地帯がそこにあるだけだった。
当然ながら、餌──つまり市街地のように人や建物が密集しているわけでもない。
あるのはせいぜい、ドラム缶や古い車といったゴミが点々と投棄されているだけで、巨獣が自発的に近づく理由なんてない。
だから、わざわざ攻撃で誘導して、その空地に“引っ張り込む”だけでも一苦労だった。
まあ、それでも──マシだった。
最低限の運用ができるだけ、まだマシだ。
巨獣と市街地で戦うよりは、ずっといい。
そこに逃げ道がある限り、少しでも時間が稼げる。
それが“キルゾーン”の最低限の価値だった。
だが、あの日──河から上陸してきたガクラは、自らそこへ入っていった。
誰かに誘導されたわけでも、目標があったわけでもない。
目ぼしいものは何もない、ただの更地に、あいつは迷いなく足を踏み入れた。
……初めて姿を現した時から、普通じゃないのは分かっていた。
外見もそうだが、もっと異様だったのはその“性質”だ。
巨獣にありがちな凶暴性が、まるで感じられない。
無差別に暴れるわけでもなければ、目の前に人間がいても、手を出そうとすらしない。
まるで目的を持って歩いているようにさえ見えた。
こいつは何をしたいのか?
何を考えているのか?
まるで読めない。
それが、最も不気味だった。
自衛隊の決定は、「黒い巨獣、ガクラは放置する」というものだった。
いまだに他の巨獣の群れが広島市街に点在し、各所で激しい戦闘が続いている中、限られた戦力を無闇に割ける余裕はない。
ガクラが今のところ何の敵意も見せていない以上、下手に刺激して敵に回すより、行動を観察すべき──それが、上層部の判断だった。
俺の任務もその一環だった。
「ガクラの監視と観測」。
戦闘ではなく、記録と分析。
武装ヘリでキルゾーン上空に張り付き、奴の動きを逐一本部に伝えるのが俺の仕事になった。
しかし──膠着を破ったのは、他でもない。
“ガクラ”自身の行動だった。
あいつは、突然咆哮した。
雷鳴のような音圧。
鼓膜が震え、機体が微かに軋んだ。
だけど不思議と、恐怖とは違った。
胸の奥から熱いものがこみ上げてくるような──まるで、闘志に火を灯されるような、そんな感覚だった。
ああ、今ではもう判明していることだが、あの咆哮には“特殊な音波”が含まれていたらしいな。
生物の闘争本能を直接刺激し、自身に敵意──いわゆる“ヘイト”を向けさせる、誘発型の生体音波。
あれを、あの巨体で全方位に向けて放ったんだ。
広域に、圧倒的な音量で。
最初に反応したのは、俺たちだった。
音の衝撃と共に、内側から何か熱いものが突き上げてくるような感覚。
高揚とも違う、異様な昂りが胸を支配した。
けれど、それ以上に変化したのは、巨獣たちだ。
咆哮を聞いた瞬間、近くにいた複数の巨獣がまるでスイッチを入れられたように挙動を変えた。
興奮状態に入り、突如として狂ったように走り出した。
その進行方向は一つ──ガクラが立つ、“キルゾーン”の中心だった。
そして、ガクラがゆっくりと身構えた時──俺たちは、皆、直感した。
あいつは、戦いに来たんだ。
何のつもりかは分からなかった。
でも──あいつは明確な“意志”を持って、巨獣たちを迎え撃つために、ここへ来た。
それだけは確かだった。
たった1体の、ガクラ。
対するは、咆哮によって引き寄せられた複数体の巨獣群。
しかも、どれも大型個体ばかりだ。
一筋縄でどうにかなる相手じゃない。
本来なら、数が揃った時点で街一つ壊滅しかねない連中だった。
そいつらを前にして、ガクラは怖気づくどころか、あの不気味なくらい静かな様子から一転して、凶暴性を剥き出しにして、襲いかかる巨獣どもを迎え撃った。
──壮絶だった。
ガクラの拳が振るわれるたび、空気が爆ぜた。
殴打1発で巨獣の頑丈な顎骨が砕け、十数トンはある巨体が横倒しになって地面を抉った。
倒れた敵の腹に、容赦のない蹴り。
そのまま押し潰された巨獣の体が地響きを立てて沈み、地面ごとめり込んだ。
一際大柄な個体に対しては、その頭を掴み上げると、まるで“武器”のように振り回し、他の個体を殴りつけた。
自分の目を疑ったよ。
自分よりデカい巨獣を片手で振り回してたんだ。
叩きつけられた側も、武器にされた側も区別なく、骨の砕ける音と血飛沫を撒き散らして倒れた。
赤く発熱した爪は、触れた瞬間に敵の皮膚を焼き切った。
筋肉が溶け、骨が露出するほどの温度。
巨大な尻尾で叩き伏せたかと思えば、その先端で敵を貫き、まるで串刺しにしたように振り回す。
さらに尻尾の先端が開くと、そこから棘が機関銃のように乱射され、離れた巨獣の体を蜂の巣にした。
ひとつの動作で数体を同時に仕留める──そんな戦い方だった。
巨獣の攻撃で牙が首元に食い込もうが、肩を爪で抉られて血を流そうが、構わず攻撃の手を緩めなかった。
痛みに怯むどころか、赤い光はどんどん強く発光し、逆に攻撃を受けるたびに勢いを増していくようだった。
そして──あの熱線。
喉の奥から光が収束し、次の瞬間、閃光と轟音が戦場を貫いた。
発射の瞬間、空気が震え、衝撃波が周囲を吹き飛ばして、巨大なクレーターが形成された。
俺の乗る武装ヘリでも、あの衝撃波を受けて体勢を維持するのがやっとだった。
機体が悲鳴を上げ、計器が一瞬で乱れた。
地上では砂塵と瓦礫が巻き上がり、視界が白く焼き潰した、とんでもない威力。
直撃を受けた巨獣は、まるでバズーカどころか、戦術核弾頭の直撃を受けたみたいに上半身ごと吹き飛んだ。
光と煙の向こうには、溶け落ちた肉塊しか残らなかった。
そんな、見るだけで明らかに膨大なエネルギーが要求されるような熱線を、ガクラはまるで通常攻撃の一部のように、何度も放った。
敵が怯んだところに撃ち込み、時には攻撃のコンボの合間に叩き込む。
まるで一撃必殺の武器を、呼吸するように使っていた。
あれが街中だったら、確実に広島の地図は消えていただろうな。
だが、ただの力任せじゃなかった。
敵の攻撃を受けようが怯まず、一方的に攻撃を続ける中にも、冷静さがあった。
巨獣の踏み込みを見切り、腕を掴んで関節を極め、骨の軋む音とともに動きを止める。
その直後には頭部を爪で貫く──まるで、戦場を熟知した人間のような、練度すら感じる動きだった。
荒削りなのに、どこか理性的で、目的を持った戦い方。
暴れるためとか、殺すために戦っているとは思えなかった。
一体、また一体と襲いくる巨獣たちを、最後の一匹に至るまで打ち倒すと、戦場は静まり返った。
ガクラの全身は傷に覆われ、足元には血の水溜まりが広がっていた。
肩や腕、腹部は深く裂けていたが、よく見ると──あれは、生物の肉じゃなかった。
なんというか、黒い針金が何層にも密集して絡み合い、繊維の束で形作られているように見えたんだ。
確かに“血”は流れていたけど、血管から流れている感じじゃない。
無数の針金の隙間から、赤黒い液体が滲み出すように流れていた。
一瞬、本気で“機械”なんじゃないかと思った。
だが、傷が再生していくのを見て、どうしてもガクラが生物以外ありえない、としか思えなかった。
黒い繊維のような皮膚が蠢き、溶け合うようにして裂けた箇所を塞いでいき、血は止まり、数秒のうちに裂けた部分が滑らかに元の形に戻っていく。
それでも、完全に癒えるのを待つことなく、ガクラは静かに息を吐き、ふらりと向きを変えた。
まるで仕事を終えた兵士のように、迷いのない動きで海の方へ歩き出した。
上陸した時と同じ、不気味なほど静かな姿勢で──ただ来た道を、そのまま辿るように、真っ直ぐに。
俺にできたのは、状況を逐一報告し、映像でその姿を記録し、そして──海へ向かうガクラの背を、ただ見送ることだけだった。
https://www.pixiv.net/artworks/146615705
https://www.youtube.com/watch?v=zznuAEwhNx4
https://www.nicovideo.jp/watch/sm46488137




