異変
日本 国際巨獣研究委員会 日本支部所属 巨獣生物学者 宮間真斗
当時の海といえば、毎年のように巨獣による被害が発生し、漁船や商船は常に危険と隣り合わせでした。
航路に出るということ自体が、命懸けだったんです。
しかし、2045年の秋になって突如発生し、急激に増大し始めた巨獣の大量死。
その結果、一度も巨獣に遭遇することなく、船が航路を進んで、無事に港へ戻ってくる。
そんなことが、続出するようになったんです。
あまりにも不可解で原因不明の事態に、私たちは不安と混乱に突き落とされました。
次第に異常事態に警戒していた漁師も、それまでは「救助も間に合わない」と忌避されていた遠洋まで、どんどん漁に出るようになった。
結果として、漁獲量は飛躍的に増加。
もう冷凍倉庫がパンパンで、中には港に戻れずに洋上で待機させられる漁船まで出たくらいです。
そのうち、船に関わる仕事は、“安全な職場”として大人気になって、求人を出せば応募が殺到する──まさに供給過剰。
──まあ、大抵の連中は、初出航で船酔いして、ゲロ吐きながら「こんなはずじゃなかった」って後悔するのがオチですが。
でも、それでも人は集まりましたよ。
それくらい「巨獣がいない海」ってのは、魅力的だったってことです。
世論では「このまま放置すべきでは」といった意見が多くありましたが、原因が分からない以上、楽観視などできるはずもありませんでした。
巨獣の死体に残された傷痕の形状や深さから見て、同一の“何者か”による連続殺戮である可能性は、早い段階から想定されていました。
ですが、その“何か”が一体どのような存在なのかは、まったく不明でした。
あの爆裂痕は、どのようにして発生したのか。
そもそも、そんな破壊を可能にする生物が実在するのか。
今は巨獣が標的になっているけど、次に狙われるのが私たちでないという保証は。
そして何より、その存在は人類にとって、どれほどの脅威となり得るのか。
仮にその存在が人類に危害を加える可能性があるならば──たとえそれが“もしも”の話だとしても、備えなければならない。
そのためにも、当局と自衛隊は早急に調査に当たりました。
巨獣の死骸の解剖、周辺海域の徹底的な調査、そして漁師や海上作業員などからの証言の収集──しかし、情報が集まれば集まるほど、私たちは“理解”から遠ざかっていくような感覚に陥りました。
たとえば、解剖によって明らかになったのは、巨獣の外皮に刻まれていた奇妙な傷痕。
表面はまるで高熱の刃物で焼き裂かれたように炭化しており、爪や牙、通常兵器では到底つけられないものばかり。
さらに、爆裂痕に関しても、既知の爆薬や兵器との類似性は見られませんでした。
目撃証言も、まるでSF映画のようなものばかりでした。
「突然爆発が起きたかと思うと、そこに巨獣の死骸があった」
「海が赤く光った」
「空に向かって飛んでいく赤い光を見た」
いずれも自然現象とは思えない不可解な内容ばかりでしたが、その海域で自衛隊や他国軍の活動は一切確認されていませんでした。
つまり、“誰もやっていない”──少なくとも、一連の事態は人類の手によるものではない。
にもかかわらず、巨獣たちは何者かによって、確実に“殺されている”のです。
海域の調査も、同様でした。
巨獣の減少により、これまで立ち入ることすらできなかった海域への進出が可能となり、調査は過去にないほど進展しました。
しかし、自衛艦による本格的な海底調査をもってしても、決定的な手がかりは得られなかったのです。
もちろん、当時の日本は、深刻化する巨獣対策や都市防衛に多くの戦力と物資を割かれており、調査に十分な体制を整えることは困難でした。
ですが、だからといって、ここまで何も分からないというのは──あまりにも異常でした。
だからこそ、あの日。
初めてあの“存在”が目撃された、その日までに──私たちは、すでにその存在の可能性を“予測”していたにもかかわらず、それを世間に伝えることができなかったんです。
だって、まだ未解明で、確証もない情報を広めたところで──誰が責任を取るんですか?
いかに巨獣が特殊な生物であろうと、所詮は“バカでかい生き物”の延長線上にある存在です。
一見すると魔法のように非科学的に見えても、生物学的には大きく逸脱していないのです。
例えば、火を吹いたり、毒ガスをばら撒いたり、電気を発生させたり、特殊な分泌液で攻撃してくるような巨獣もいましたが、そういった能力も、既存の生物──たとえば、発火性ガスを生成する昆虫や、毒腺を持つ爬虫類、特殊な分泌液による化学反応の応用──それらの進化形と見なせば、科学的な推論の中に収めることができたんです。
それに対して、“強力なビームを発射する能力を持つ巨獣”がいるかもしれない──なんて、そんなSFじみた話、誰が真面目に取り合いますか?
必要とされるエネルギー量が桁違いで、既存の生物学的プロセスでは説明がつかない。
少なくとも、当時の科学では、成立し得るモデルを提示できない。
だから、当時の私たちの常識では、そうした生物はいるはずがないのです。
そんなものが存在するかもしれない──そう口にした時点で、研究そのものの信頼性が疑われかねない。
だから、公表できなかったんです。
仮説の段階では、誰もその“可能性”を口に出すことすら避けていました。
あの日──あの“存在”が、現実に姿を現すまでは。




