呪い
日本・広島 一般人 野坂裕太
俺からすれば、あの時代で生まれた子供──巨獣を当たり前とし、平和を知らずに育った連中は、ある意味でまだ幸運だったと思う。
生まれつき、世界が崩れていた。
危険が日常で、瓦礫の上で遊び、空を飛ぶ軍用機を当たり前の景色として受け入れた子供たち。
彼らにとっては、それが“普通の世界”だった。
だが、俺たちは違う。
俺たちは子供の頃、中途半端に“平和”を体験していた。
電車はまだ動いていたし、学校に通って、テレビではバラエティ番組が流れていた。
ゲームに夢中になって、夏には家族で旅行にも行けた。
好き嫌いをして、宿題をサボって、学校に行くのが面倒だと駄々をこねる──そんな日常が“当たり前”に存在していた。
そして、その“当たり前”こそが、子供にとって最大の贅沢だった。
俺たちは、そういう日々がいつまでも続くものだと、信じていた。
でも、それはゆっくりと、だが確実に崩れていった。
大阪に突然巨獣が現れ、いつしか隣の街に現れるようになり、ニュースが戦死者の名前で埋まるようになって、やがて電車は止まり、テレビは映らなくなり、学校も閉鎖された。
大人はそれでも、覚悟を決めて動いたかもしれない。
だが、子供はそうはいかない。
頼るべき大人が減っていく中で、俺たちは無力なまま、ただ“終わっていく世界”を見ているしかなかった。
強がったってどうしようもない。
子供にできたのは、泣くか、黙って見てるか、それだけだった。
でも、泣いてるだけじゃ何も変わらない。
時間が経てば状況はさらに悪化して、頼れるものはどんどん減っていく。
そうなれば──諦めて、ただ今に適応するしかない。
泣き続けて立ち止まる奴は、生き残れない。
年月が過ぎるにつれて、できなかったことができるようになる。
汚れた水でも飲む方法を覚え、冷たい床でも眠れるようになり、物資の取り分や交渉で“きれいじゃないやり方”も理解するようになる。
慣れたというより、選択肢がなかった。
それでも、生き残るためには必要な変化だったと、後になって理解した。
そうやって慣れていく。
生きるためには仕方ないと、自分に言い聞かせながら。
……だけどな、そうした時代を生き延びる中で、過去の“幸せだった記憶”ってのは、継続的な負担になった。
当時の感覚で言えば、“呪い”みたいなものだ。
一度でも安定した生活を知っていると、現状との比較がどうしても頭から離れない。
貧困状態から改善を目指すなら希望が支えになるが、逆に、豊かな環境から崩落した場合は、失われた基準が常に意識に残る。
これは理屈というより、実感していた。
空腹で眠れない夜や、防寒手段が足りずに震えている時ほど、その比較ははっきりする。
暖かい室内、十分な食事、家族と囲んだ食卓──そういう具体的な記憶が、不意に浮かんでくる。
その瞬間、現在の環境との差が強調されて、心理的な消耗が大きくなる。
しかも状況は長期間にわたって悪化を続けた。
補給は不安定で、協力関係にあった人間も、負傷や死亡で減っていく。
結果として、心に残るのは将来の展望よりも、喪失の積み重ねだった。
俺は副業で“発掘屋”をやってた。
聞こえはいいが、実際は崩壊した街や廃墟になった家、沈んだ港の廃船に潜っては、使えそうな物を漁るだけの仕事だ。
あの家にどんな人が住んでたか、あの学校にどんな思い出があったか──そんなことを、ふと考えてしまう時もある。
けど、そんな感傷はすぐ頭から振り払った。
食糧、薬、衣類、燃料、金目の物……とにかく“生きるために使えるもの”を探して市場に流す。
──まあ、言ってしまえば、泥棒みたいなもんだ。
人間関係は悪くなかった。
そうじゃなきゃ務まらねぇが、それが霞むくらい、労働環境は最悪だった。
同じ日本の中でも、人の手が届かない街には巨獣がうごめいている。
そいつらに見つからないように物を漁る。
拳銃なんて贅沢品で、持ってたところで巨獣相手じゃ役に立たない。
それより自作の煙幕のほうが、まだマシだった。
それで、苦労して漁ったところで、何の成果も得られないのは当たり前。
使える物なんてそうそう見つからないし、通れるところは当然、同業者も来る。
既に誰かが漁った後の建物に価値のある物は根こそぎ回収されている。
そんなんで、めぼしい物が見つかるのは本当に稀。
何も無い家で一日を無駄にするのもよくある話だった。
そんな賭博みたいな仕事でも、それを続ける奴は珍しくなかった。
あの頃は誰もが何かしらの“副業”をやってた。
本業の大工も収入が不安定で、資源不足にあえいでいた時代だ。
金を持ってる奴は東京か福岡みたいな防衛都市に流れ、俺たちの地域じゃ家を建てる仕事なんてほとんど来ない。
来たとしても、建材が足りずに中途半端な掘っ立て小屋を立てるのが精一杯。
だから俺は、少しでも金を増やして、大工ができなくなった時のために備えてた。
発掘屋をやってたのも、子供の頃から生き延びるために必死でやってきた結果、自然とそうなってただけだ。
そして、市場に戦利品を並べるたびに思い知らされた。
“命に関わらないもの”の価値が、どれほど地に落ちたかを。
100円で買えた駄菓子が、5000円のプレミア品として闇市に並んでいた時のことを思い出す。
子供の頃、どうしても欲しくて親にねだった玩具が、今ではゴミとして道端に転がってる。
かつては高級品だった宝石や金の指輪が、今じゃ干し肉より安く買い叩かれている。
ペニシリンなんか、1本あれば中古車が1台買える。
命がすべての中心になって、思い出はただの飾りになった。
そんな現実を目の当たりにするたび、どうしたって昔の記憶が浮かんでくる。
忘れようとしても、湧いてくる。
楽しかったあの時代の記憶ばかりが、まるで皮肉みたいに、いちばん鮮やかに残っていた。
時間が解決する、という言い方があるが、少なくともあの環境では当てはまらなかった。
傷は消えるというより、生活の一部として固定される。
慣れることはできても、なくなるわけじゃない。
だからこそ、平穏な時代を知らずに育った連中の方が、心理的な比較に苦しまずに済んだ面はある。
ただ過去の幸せな部分だけを見て羨むしかできなくても、それを享受し、突然奪われる喪失を味わったことがない──それを“幸運”と言ったのは、そういう意味だ。
それに拍車をかけたのが、周囲から断片的に流れてくるニュースだった。
巨獣出現から十年以上が経過した頃には、世界規模の通信網はほぼ機能を失っていた。
衛星の多くは軌道上で放置され、地上局も被害を受け、維持できる国は限られていた。
俺たちのような地方の避難共同体に届く情報は、軍の中継、短波無線、あるいは移動商隊が持ち込む噂話に近い伝聞が中心だった。
正確性の保証はない。
発生から数年遅れで伝わることも珍しくない。
それでも、人は情報を求める。
だが、届く内容の大半は、士気を下げるものだった。
どこかの沿岸都市が放棄された。
内陸の資源採掘拠点が巨獣群に制圧された。
国家としての統治機能を失った地域が発生した。
主要港湾が閉鎖され、食料輸送が途絶えた。
そういった報告が、断続的に入ってくる。
裏付けが取れなくても、否定材料もない。
だから最悪を前提に考えるしかなかった。
「次は俺たちかもしれない」
その想定は、決して大げさではなかった。
広島周辺も、すでに複数回の巨獣襲撃と小規模個体の侵入で防衛線は崩壊。
安全な街ではなくなっていた。
各コミュニティはできる限りの備蓄や防備を整えていた。
それでも、先の見えない状況に対する不安は常に残った。
準備をしているという事実と、安心感は別物だった。
情報が入るたびに、頭の中で「自分たちが崩壊する想定」を何度も繰り返す。
国家崩壊。
物資枯渇。
内部崩壊。
仲間の離脱。
未来予測が常に最悪側に振れる。
そんな環境で、どうやって前向きな思考を維持しろというのか。
俺の世代──巨獣出現以前の平穏を覚えている世代では、精神的に限界を迎える人間が多く、自殺者が少なくなかった。
表向きは事故や行方不明として処理されることも多いが、実態は分かっている。
崩壊が進む世界を見ながら、中途半端に平穏な時代の記憶を抱えている──この落差が負担になっていたのは確かだ。
かつては自由に移動できた。
将来の選択肢があった。
努力すれば何かになれるという前提が存在していた。
それが崩れ、日々の目標が「今日を生き延びる」にまで縮退する。
長期的な夢も、社会的役割も、ほとんどが意味を失った。
過去の幸せな記憶だけを消せたら楽だったかもしれないが、記憶だけを切り離す都合のいい手段なんて存在しない。
楽しかった夏休みも、家族旅行も、学校帰りのくだらない会話も、全部まとめて残る。
そして、その記憶は現在との比較装置として機能する。
「なぜ、こうなったのか」
「なぜ、自分はここにいるのか」
「いつまで続く?」
「終わりはあるのか?」
「この先を続ける意味があるのか」
この世界がいつ終わるのか見当もつかない。
状況が改善する保証もない。
そういう疑問は、誰でも一度は抱えていたと思う。
そんな答えの出ない問いを、何度も繰り返す。
そうして適応できなかった連中は、出口のない状態に追い込まれた。
結果として、生きることを放棄する選択に至った例もあった。
当時の記録を見れば、珍しい話じゃない。
俺自身も、同じことを考えなかったわけじゃない。
何度も自問し続けてきた。
休みの日に寝転がっている時。
水の配給列に並びながら。
仲間の遺体を埋めた帰り道で。
それでも、俺が踏みとどまった理由は、高尚なものじゃない。
未来への希望があったわけでもない。
崩壊した世界に未練があったわけでもない。
ただ、決定的な一線を越える勇気がなかった。
死ぬ覚悟より、生き続ける惰性の方が強かった。
結果として生き延びたが、当時はそれを前向きな判断だとは思っていなかった。
単に、その日をやり過ごしていた──それだけだ。
だから俺は、生き残った。
誇れる話じゃない。
英雄でもなく、理想主義者でもなく、単に「死ねなかった」だけの人間だった。
そんなある日、俺は物資を求めて、地図にも載っていないような廃村に足を踏み入れた。
瓦礫の中、雑草に埋もれた家々、朽ちた標識や割れた道。
使えそうなものはほとんどなかった。
その時だった。
ひときわ大きな、妙に歪んだ木の根元で、俺は赤ん坊を見つけた。
……何で、こんな場所に。
人の姿なんて何日も見ていない。
孤児院も無い、補給路すら閉ざされた場所に、どうやって来たのか。
わざわざ、こんな所まで捨てに来たのか。
体の汚れ具合からして、誰かに世話されていた痕跡すらなく、数日放置されていたとしか思えなかった。
理由は分からない。分かるはずもない。
でも一つだけ、はっきりしていたことがある。
──その赤ん坊は、生きていた。
……俺は、その時、無意識に手を伸ばしていた。
抱きかかえるわけでもなく、ただ、その小さな首に、指をかけた。
「このまま死んだ方が、きっと幸せだ」
そう、思った。心の底から。
この世界はあまりにも過酷だ。
俺のように、誰にも頼れずに生き残ってきた人間だからこそ、よく分かる。
ここで生きるってことは、孤独と飢えと暴力に晒されるってことだ。
泣いても誰も助けてくれないし、苦しんでも代わってはくれない。
汚いものを食い、汚いことをして生き延びる、それがこの世界の現実だ。
だったら──この小さな命が、これから背負うものを考えたら……。
でも……殺せなかった。
何人も見捨て、時には人を殺してまで生き延びてきた俺が、その時ばかりはできなかった。
こんな世界に生かすなんて、残酷だと思ったはずなのに。
それでも……手が動かなかった。
結局その子は、街に戻って孤児院へ預けた。
自分の手で殺しかけた子供を育てるなんて、そんな資格はなかった。
それに、経済的にも、精神的にも、余裕なんてなかった。
俺にできたのは、他人に押し付けることだけだった。
それ以来、あの子とは一度も会っていない。
どうしているのかも知らない。
生きているのか、死んだのかさえ、わからない。
でも、送り届けた日から、ずっと頭の中で問い続けてる。
本当に、あれは“正しい選択”だったのか?
あの子は、生きていて幸せになれたんだろうか?
もしかしたら……あの時、死なせていた方が、あの子のためだったんじゃないか?




