表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/93

最後の逃げ場

イタリア・ローマ イタリア外務大臣(当時) パオロ・ベネデッティ


 ベルゼブブ出現から10年あの期間を、「災害」や「事件」と呼ぶのは間違いだ。

 あれは明確な、“戦争”だった。

 しかも、宣戦布告も無く、終戦協定も無い、終わりの見えない戦争だ。


 ベルゼブブ・クイーンは、イギリス・ロンドンを拠点に“王城”とし、そこから無数の軍勢を生み出してヨーロッパ各地に侵略戦争を仕掛けてきた。

 かつて、国境や宗教、経済格差で争い続けたヨーロッパ諸国が、この脅威を前にして、「真にヨーロッパがひとつになった瞬間」だった。


 EUはすでに機能不全に陥っていたが、“国家間の壁を越えた防衛会議”が非公式ながらも構築され、ベルゼブブに対抗するための大規模戦略枠組みが水面下で進行していた。

 かつては互いに政治的・経済的駆け引きばかりしていた各国の代表たちが、今にも故郷を失うかもしれない危機の前で、机の上に国益ではなく地図と軍事情報を並べた。


 我々政治家の役割も、大きく変質していた。

 単に命令を下す存在ではない。

 食料の供給、輸送ラインの調整、各国難民の受け入れ枠、医薬品の分配、そして核兵器使用の是非戦場にはいない私たちこそが、背後で決断を迫られる最大の戦力運用司令塔だった。


 ベルゼブブとの戦いは、そういう意味でも“人類”の存亡をかけた総力戦だった。


 だが現実は、理想ほどには人類に優しくなかった。


 どれだけ個々が弱い生物でも、それが何万、何十万という規模で襲いかかってくれば、それだけで立派な軍事的脅威となる。

 防衛線は物量に押し潰され、いかなる精鋭部隊であっても消耗を免れない。

 

 まして、それらが統制され、戦術的意図をもって運用されていたとすれば──その脅威は単なる“群れ”の域を超える。


 ベルゼブブ軍は、まさにそれを実行した。

 個々は小さくとも、全体としては一つの意思を持つかのように機能する。

 だからこそ我々は、あれを単なる生物の群れではなく、“ベルゼブブ軍”と呼ばざるを得なかったのだ。


 そして厄介だったのは、ベルゼブブだけが敵ではなかったという点だ。


 同じ時期に、他の巨獣が無関係に各地へ現れ、前線や後方基地を襲った。

 一度構築した作戦計画が、そうした“偶発的災厄”によって破綻させられた事態が何度もあった。


 政治家の私は、国境線の外で起きる混乱を“例外”として無視できなかった。

 例えば、ドイツ軍の輸送部隊が南からのルートを通れなくなれば、イタリアは数日後に医療品の補給が絶たれる。

 それは現場では単なる“1行の報告”でも、私たちにとっては“数千人が死ぬ予告”だった。


 核兵器の使用も検討され、何度か実行された。


 だが、一度通じた手は、次には通じない。

 ベルゼブブはそれを“学ぶ”のだ。

 核搭載爆撃機が投入された翌週には、その航路を待ち伏せるように“対空砲撃部隊”が配置されたという報告があった。


 そうした戦況の中で、ヨーロッパ各国は徐々に消耗していった。


 単に戦力が削られたという話ではない。

 補給網は寸断され、各国間の連携は機能不全に陥り、意思決定の速度と精度も著しく低下していった。

 あらゆる国家機能が、連鎖的に削り取られていったのだ。


 当初こそ、ベルゼブブ軍が占領し拠点化していたイギリスは、海に囲まれているという地理的条件によって外部への大規模進出が制限され、結果としてヨーロッパ本土への進軍は辛うじて抑え込まれていた。


 だが、その均衡も長くは続かなかった。


 戦況の悪化に伴い、海上封鎖には綻びが生じ、航空戦力は消耗し、さらには他戦線からの圧迫も重なった。

 複数の要因が同時に噴出したことで、防衛線は段階的に機能を失い、やがて進行を阻止すること自体が不可能になった。


 その後、フランス、ドイツ、スペイン──旧EUの心臓部が、次々と陥落していった。

 これは単なる戦術的敗北の積み重ねではない。

 連続する誤算と、それを補うはずの支援体制の断絶。

 その双方が同時に進行した結果として、ヨーロッパは段階的に崩壊へと追い込まれていったのだ。


 支援要請を出しても、他国からの回答はどれも遅く、あるいは沈黙のままだった。

 誰もが、自国の防衛で精一杯だった。


 “統合”という言葉はあっても、“行動”が伴うことはほとんどなかった。

 兵站の遅延、指揮系統の不統一、各国議会の承認待ちによる命令保留──「支援要請を出せば助けが来る」という希望は、時間の経過とともに形骸化していった。


 脅威が真正面から襲ってきている中で、団結による勝利を信じることは、あまりに理想的すぎた。

 現実の戦場には、“間に合わない援軍”と“届かない弾薬”しかなかった。


 そして最終的に領土を奪われた国々の人々は、“最後の安定圏”を求め、イタリアへと集まってきた。


 中東は、あの時点で既に巨獣によって事実上壊滅していた。

 陸路で脱出を試みた者の多くは、アナトリア半島で行き場を失い、補給も受けられないまま立ち往生したか、あるいは沿岸へ追い詰められて海に出るしかなかった。


 だが、地中海は安全ではない。

 海棲巨獣の活動域となって以降、航行そのものが命懸けだった。


 大西洋を越えた先にあるアメリカは、距離の問題以前に、海上移動そのものが高リスクと見なされていた。

 あれはもはや“移動”ではなく、“賭け”だった。

 成功すれば生存、失敗すれば確実な死──それだけの話だ。


 ロシアも同様に、他国へ手を差し伸べる余力はなかった。

 自国領土の維持と、あの極寒の冬を越えるだけで限界だったのだ。

 国外からの流入者を受け入れる余裕など、制度的にも物理的にも存在しなかった。


 そうして行き場を失った人々が、南へと流れ込んできた。

 数十万では収まらない。

 最終的には数百万規模に達した難民が、“ヨーロッパ最後の逃げ場”として、我が国イタリアへ集まり始めたのだ。


 イタリアがベルゼブブ軍の本格的侵攻を免れていたのは、明確な理由がある。

 北はアルプス山脈によって遮断され、それ以外の三方は海に囲まれている──この地理的条件が、結果的に防壁として機能していた。


 アルプスは、単なる山岳地帯ではない。

 あの険峻な地形は、大規模戦力の侵入を著しく制限する“天然の要塞”だった。

 補給線の維持も困難で、ベルゼブブ軍であっても、あの山脈を越えて安定的に侵攻することは容易ではなかった。


 そしてもう一つ、決定的だったのが“海”だ。

 ベルゼブブ軍は、陸と空においては圧倒的な脅威だったが、海上戦力に関しては明確な弱点を抱えていた。


 事実、ヨーロッパの戦力がまだ機能していた時期、奴らをイギリスとアイルランドに抑え込めていた最大の理由は、単純に“海で隔てられていた”という一点に尽きる。


 奴らは即席で構造物を形成し、簡易的な船を作ること自体は可能だった。

 

 だが、それはあくまで“浮く”ための代物に過ぎない。

 航行性能も安定性も低く、統制の取れた移動すら困難だった。

 砲撃や爆発に耐えうる強度はなく、盾型が防御したとしても、衝撃そのものは防げない。


 結果として船体は損傷し、海に落ちれば終わりだ。


 しかも、その海には海棲巨獣が存在する。

 仮に上陸前に我々が迎撃せずとも、奴らは海上で襲撃を受ける。

 船は破壊され、海に投げ出された個体は、そのまま餌になる。


 つまり、海路による大規模侵攻は、奴らにとっても現実的ではなかった。

 補給も維持できず、到達前に戦力が削り取られる以上、戦術として成り立たない。

 この二点が、イタリアという国家を“取り残された安全圏”にしていた。


 ──だからこそ、それが一時的な均衡に過ぎないと分かっていながらも、我々はそこに縋るしかなかった。


 イタリアは“最後の逃げ場”だったと同時に、それ以上どこにも逃げ場がないことを意味していた。

 だからこそ、ヨーロッパ各国の難民が一斉にイタリアへ押し寄せたのだ。


 それはイタリアのみならず、ヨーロッパ全体にとっての“苦難の時代”の始まりでもあった。

 

 故郷と文化の喪失は、難民たちの精神を確実に蝕んでいた。

 

 例を挙げるなら、フランス人は言語と芸術を拠り所に共同体を維持しようとしていた。

 彼らが集まる区域では、エッフェル塔や凱旋門のレプリカが作られていた。

 文化を取り戻す意思を示す“象徴”として掲げられていたが、実態は廃材を寄せ集めて組み上げた、高さ2m前後の粗末な模倣品に過ぎなかった。


 ドイツ人は、秩序と規律を再構築することで国家の形を保とうとした。

 配給、労働、居住区の管理に至るまで、徹底した統制を敷き、崩壊前の体制を可能な限り再現しようとしていたのだ。

 

 そしてイギリス人は、唯一残された象徴である王室に縋り、王子を新たな国王として擁立することで、“国家の継続”を演出していた。

 故郷と先代国王の喪失によって精神的支柱を失った彼らにとって、それは必要な処置だったのだろう。

 新たな国王の存在が、共同体の統合と安定を支える役割を果たしていた。

 それは伝統という名目であったが、実態としては故郷の残滓にすがる行為でもあった。

 

 いずれにせよ、彼らは皆、失われた祖国の空白を埋められずにいた。

 形だけを保ったところで、それはかつての国家とは別物だ。

 各々が、“失ったものの大きさ”に苛まれ続けていた。


 そして当然ながら、イタリア国民もまた、彼らを無条件に受け入れたわけではない。

 文化や思想の差異は摩擦を生み、配給や居住区の割り当てといった現実的な問題は、露骨な対立を招いた。

 誰を優先するのか。どこまでを“自国民”として扱うのか──そうした線引きは、常に不満と疑念を伴った。


 とはいえ、ただの難民の群れであったならば、イタリアはもっと早くに秩序を失っていただろう。

 強迫観念に駆られた一部国民による排外主義や、資源を巡る暴動、居住地や雇用を巡る衝突、軍と市民の衝突そうした混乱が、国家そのものを飲み込んでいたはずだ。


 だが、実際には混乱こそあったものの、致命的な崩壊は起きなかった。

 それを防いだのは、“難民の中にいた国家”そのものだった。


 フランスの首相、ドイツの大統領代理、オランダの元議員たち……彼らは各国の軍残党や知識人と共にナポリやローマへ流入し、一部では“亡命政府”という名の自治区を作り始めていた。


 やがてイタリアは、国家としての境界を保ちながら、同時に“亡国の連合体”でもあるという、きわめて歪な形へと変質していった。


 法的に主権を持つのは我が国である。


 だが、現場を動かすのは“他国から来た政治家”たち。

 難民ではなく、“自国政府を丸ごと背負ってきた者たち”。

 彼らはそれぞれの言語と制度、軍の伝統、さらには外交的立場すら持ち込んで、イタリアを“ヨーロッパ最終統合拠点”と定義し始めた。

 

 我々はこの異常な体制を、“戦時下の連合政府”という名目で、一時的に容認した。

 彼らは祖国を喪失しながらも、国家の体裁である国旗、首脳、行政機関、軍、通貨、報道組織までも維持しており、

 それらをそのまま持ち込んで、ローマの一角や沿岸部のキャンプ地に“領土なき国家”を築き上げた。


 イタリア政府として、我々は当初それを「仮住まいの亡命政権」として遇していた。

 彼らは一時的に難を逃れ、やがて自国へ帰還する本来なら、そう考えるのが当然だった。


 だが、現実はすぐに変質した。


 スイス語で書かれた行政文書がイタリアの役所に届く。

 ドイツの旧軍規に則った命令が、我が国の駐屯地でそのまま運用される。

 フランスの農業復興計画が、イタリアの中央審査なしに沿岸部で実行に移される。

 

 その全てが、「彼らは一時的に避難してきた」などという前提をあざ笑うように、日常となっていった。

 それが“解体される前提の仮住まい”なのか、“この地での再建を目指す新国家構想”なのか、その輪郭は誰にも見えていなかった。


 はっきり言ってそれは“分裂”ではなく“多重国家”だった。


 誰が、どの国の命令に従うのか。

 どの言語が、行政の正規言語か。

 イタリア市民と亡命者、どちらの生活が優先されるのか。


 そのいずれも明確な解答を持たぬまま、我が国は“ヨーロッパ最後の主権国家”でありながら、同時に、かつての欧州諸国の残骸が仮初めの連帯を演じる仮想連合国──通称“ヨーロッパ連合国”へと変貌していった。


 法の名のもとに、フランスの議員が我が国の街頭で演説し、ドイツの将校がイタリアの兵に命令を下し、ベルギーの行政官が我々の港湾予算を査定する。

 その全てが、主権国家の正規手続きを経ることなく、“共通の敵への緊急対応”という一文で正当化されていた。


 やがて、イタリアという国家は、“多国籍国家連合体”という仮面をかぶったまま、かつてヨーロッパと呼ばれた文明圏の最後の避難港沈みゆく大陸が、ただ一国に押し寄せたかのような、そんな場所へと成り果てたのだ。


 国とは何か?

 主権とは、領土とは、国民とは、誰が定義するのか?


 巨獣の脅威は、物理的な破壊だけでなく、我々の“国家”という観念すらも食い破ろうとしていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ