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強化兵士計画

中国・北京 中国人民解放軍 首都防衛軍区 特別後方動員管理部 「特別労働動員支援部隊」分隊長 強化兵士計画 被検体回収・移送担当実務責任者(当時) 陳 志豪(チェン ジーハオ)


 巨獣との戦いが始まって以降、各国は兵器開発、新型燃料の確保、資源循環技術の再構築など、“生き残るための事業”に国家予算を際限なく投じるようになった。

 

 中国も例外ではない。

 いや、むしろ我々は、その中でも最も徹底的に、国家総動員体制へ舵を切った側だった。

 

 党中央の決定は早く、軍だけでなく、国有企業、研究機関、大学、地方政府に至るまで、対巨獣戦を前提とした再編が行われた。

 平時の産業区分は意味を失い、鋼鉄も化学薬品も医薬品も、すべてが「対巨獣用途」という一つの目的に束ねられた。

 

 対巨獣兵器は次々と開発され、実戦投入されていった。

 大型砲、誘導弾、特殊弾頭、即席の電磁兵器。

 数だけは揃っていたし、初期の戦果も確かにあった。


 だが、それが長期的に続けばどうなるか。

 

 断続的な巨獣襲撃は、前線だけでなく後方の生産拠点や輸送網をも確実に蝕んでいった。

 沿岸部の工業地帯は、繰り返される巨獣襲撃によって生産能力を失い、港湾施設は破壊され、海上輸送は断続的にしか機能しなくなっていた。

 内陸部でも高速鉄道網や主要幹線道路が寸断され、国家の血管とも言える物流網は、慢性的な詰まりと停滞を起こし続けていた。 

 補給は遅れ、弾薬は予定数に届かず、燃料は質が落ち、兵器は修理もままならなくなる。

 

 戦場での敗北以上に、この“静かな消耗”が国家にとって致命的だった。


 工場は動いていても、熟練工がいない。

 設計図は残っていても、部品を作るための資源がない。

 資源があっても、輸送路が巨獣に寸断される。

 研究者を育てる余裕も、試験を繰り返す時間もない。


 そうなれば、兵器開発は必然的に“技術停滞期”──俗っぽく言えば“迷走期”に突入する。

 

 これは理論ではなく、歴史が何度も証明してきた現象だ。

 あらゆる大戦の末期には、必ず一度は起きている。


 どれほど工業力を誇った国家でも、長期戦で消耗しきれば、やがて“今ある物をどう使い潰すか”という段階へ移行する。

 新兵器開発は洗練ではなく、その場しのぎへ変わっていく。


 巨獣時代でも同じことが起きた。


 ある国では、民間トラックに大口径砲だけを無理やり載せ、“戦車”として前線投入していた。

 

 防御装甲はほぼ皆無。

 反動制御も不完全。

 車体負荷など考慮されておらず、数回の射撃でフレームが歪む代物すらあった。


 当然、乗員の生存性など後回しだ。

 被弾すれば終わり。

 場合によっては、射撃そのものが車体寿命を縮めた。


 攻撃力と機動力だけを優先した即席戦闘車両──そう言えば聞こえはいい。


 だが、所詮は一般車両として設計された車体だ。

 そこへ、本来想定していない兵器としての負荷を背負わせるなど、最初から無理があった。

 整備性も耐久性も無視した、精錬されていないチグハグな代物が、本当に兵器と呼べるのか。


 結局それは、兵器というより、まともな戦車を製造・維持する余力を失った末に生み出され、戦場に放り込まれた“寄せ集めの鉄塊”に過ぎなかった。


 ある国では、回転翼を失った武装ヘリを廃棄せず、高台やビル屋上へ固定設置して砲台化したという記録も残っている。


 理屈の上では合理的だ。

 火器管制装置や照準機器、機関砲そのものは生きている。

 ならば固定砲台化して使い潰した方がいい──そう判断したのだろう。

 

 だが、それも結局は“飛べなくなった兵器を無理やり延命していた”に過ぎない。


 本来、空を飛び、機動力と奇襲性を発揮してこそ意味を持つ兵器を、地面へ縛り付けて使う。

 理屈の上では、残った火力を活かす合理策ではあるのは間違いないが──実態は、まともな代替案を失った末の苦肉の策でしかなかった。


 そして恐ろしいのは、そうした兵器ですら“必要とされた”という事実だ。


 まともな兵器が足りない。

 兵士も足りない。

 時間も資源もない。


 だから各国は、“使えるものは何でも使う”段階へ追い込まれていった。


 それは技術革新ではない。

 文明が、自らを削りながら延命していく過程だった。


 中国も当然、同じ状況に追い込まれていた。


 中央ではまだ威勢の良い報告が上がっていたが、地方軍区や前線部隊からは、資材不足、部品欠乏、整備不能といった報告が日増しに増えていった。

 数字を積み上げれば、状況は明白だった。

 

 このままでは、いくら人口と工業基盤を持つ中国であっても、いずれ国家としての持久力が尽きる。

 中央軍事委員会内部では、そうした現実的な試算が、もはや隠しようもなく共有されていた。


 そして、中国という国家は、追い詰められた時ほど、発想の転換を選ぶ。

 兵器が足りないなら、兵器に依存しない戦力を作る。

 補給が続かないなら、補給を必要としない戦力を用意する。


 そうした議論の末に浮上したのが、「兵士そのものを変える」という選択肢だった。


 それを解決する策を模索する中で、我々が極秘裏に進めていた計画が、“強化兵士計画”だ。

 我々は、「兵器を強くする」発想から一歩踏み込み、「兵士そのものを強化する」という方向へ踏み切った。

 

 銃や砲を主役とする従来の戦争観を捨て、人間の肉体と神経を兵器として再設計する。

 薬物投与、身体改造、遺伝子操作に近い細胞改変技術、耐久力と回復力の強化、極限環境下での行動能力の底上げ、人工骨格補強、内臓耐久性の強化、神経伝達速度の調整。 

 銃や重火器が十分に供給できない戦場でも、人間が単独で戦線を維持できる存在になる──それが計画の基本思想だった。


 当時の我々にとって、それは狂気ではなかった。

 国家を存続させるために、どこまで踏み込めるか。

 その限界線を探る、極めて現実的な選択だったのだ。


 外から聞けば、陰謀論か都市伝説にしか思えないだろうが、理性や理想論だけで国家が守れる段階は、とっくに過ぎていた。


 確かに、中国は巨獣時代という、多くの国々が崩壊し、地図そのものが塗り替えられていった過酷な時代を生き延びた、数少ないアジアの存続国家のひとつではあった。

 

 だが、その代償はあまりにも大きかった。

 

 “迷走期”に突入した時点で、中国はすでに深刻な消耗状態にあった。

 慢性的な物資不足という、深刻な状況で戦線を維持するのは現実的でなく、このまま全面防衛を続ければ、国家全体の崩壊は免れない。


 中央は、そう結論づけた。

 

 そこで下されたのが、既にアメリカが実施した「都市要塞化計画」──いわゆる「守るべきものを守れる場所に集め、全力で守る」という決断だ。

 まだ行政機構、防衛戦力、研究拠点が辛うじて機能していた北京へ、中央官庁、国家研究機関、軍司令部、精鋭部隊を半ば強制的に集約。

 北京を要塞化させ、国家中枢兼、最終防衛拠点として再設計する計画だった。


 その代償として、地方都市は切り捨てられた。

 中央の補給と指揮系統から外された地域では、残存部隊や地方幹部が独自に行政と軍事を統合し、治安維持と資源配分を行う体制へ移行していった。

 表向きの名称は「地方防衛司令区」だったが、実態は、中央の統制が及ばない半独立政権──言い換えれば、軍閥に近い存在の集合体だった。


 さらに南方では、事態はより複雑だった。

 香港には、国土を失った台湾政府残存勢力、ベトナムやフィリピンなど東南アジア諸国の敗残兵、難民、民間武装組織が、安全な港湾と交易拠点を求めて流入した。


 結果として誕生したのが、いわゆる「新香港政府」だ。

 名目上は中国の特別行政区を名乗りながらも、実態としては北京の政治的影響がほとんど及ばない、独自外交、独自通貨、独自軍事組織を持つ、国家に限りなく近い存在だった。


 中央から見れば、統制不能な緩衝地帯。


 だが、北京自身が生き残りに必死な状況で、南方情勢に軍事介入する余力など存在しなかった。

 巨獣対応を最優先せざるを得ない中で、新香港政府や地方防衛区の“事実上の分離”は、黙認せざるを得ない現実となっていた。

 

 その空白期間が長く続いたことで、それらの地域は、もはや北京の命令系統にも国法にも縛られないまま、独自の権力構造と経済圏、武装組織を育てていった。

 結果としてそれは、巨獣時代終結後の中国における長期的な混乱と内政不安の火種となった。


 そうした、国家の輪郭そのものが崩れ始めていた状況で、人間そのものを強化する方向へ舵を切ったのは、ある意味では必然だった。

 兵器も、工場も、都市も失われていく中で、最後まで運用可能な“戦争資源”は、人間の身体しか残っていなかったのだから。


 それが、「強化兵士計画」の始まりだったというわけだ。


 新兵器を作るための工場が足りない。

 資源も無い。

 輸送網も維持できない。

 高性能兵器を作れても、整備する余力が続かない。


 なら、最初から“人間そのもの”を兵器化した方が早い。

 

 この種の発想は、何も中国だけのものではない。

 実際、ロシアの超能力兵養成機関の噂、欧州で進められていた人工兵士構想、中東諸国による違法強化薬物部隊の存在など、各国が似た方向へ踏み出していたのも事実だ。


 中国がこうした“胡散臭い計画”に国家資金を本格投入し始めたのも、各国の兵器開発が袋小路に入り、試作兵器の量産すら困難になった、いわゆる“迷走期”と重なっている。

 中国の場合、その歪みが“人間の肉体そのもの”を兵器として再設計する方向へ向かった。


 今振り返れば、あれは科学でも軍事でもない。

 国家が生き延びるために、人間の限界を踏み越えることを正当化した、極めて中国的な「非常時の選択」だった。


 当然ながら、あれほど狂気じみた実験を、自ら進んで受けたがる者はそう多くはなかった。

 いかに「国家のため」と言われようと、安全性も成功率も不明なまま、自分の身体を実験台に差し出すなど、誰にでもできる決断ではない。

 下手をすれば理性を失う。

 神経障害による植物状態に陥る。

 薬剤反応の暴走で内臓が壊れる。

 副作用で生存はしても戦闘能力はおろか、日常生活を送ることさえできなくなる。

 そうしたリスクは、最初から列挙されていたし、実験段階では実際に起きてもいた。


 それでいて、軍内部でも計画そのものには慎重論が強かった。

 当時はすでに、まともに戦える兵士一人ひとりが、兵器よりも貴重な「国家資産」だった。

 無謀な実験で戦力を失う余裕など、本来は存在しなかった。


 では、どうするのか。

 答えは単純だった。

 「消えても、表に出ても問題にならない人間」を集める。


 北京には、中央政府の庇護を求めて流入した人間が、当時すでに数百万単位で存在していた。

 中央は中国存続のため、兵器開発、軍需工業、インフラ復旧、農業再建といった大規模国家事業を次々に立ち上げ、彼らを公共労働へ動員していった。


 だが、土地も資材も、需要そのものも限界に達しており、全員を雇用し、食わせ、管理するなど、最初から不可能だった。

 そのあぶれた人間の中には、戦争で身体を損なった元兵士、重傷を負った民間人、身寄りを失った高齢者、戸籍を失った難民、身元不明の赤子、瓦礫の街で生き延びていた孤児やホームレス層も含まれていた。

 書類上は存在しない、あるいは行政処理の外に追いやられた人間。

 つまり、統計から消しても、国家運営に即座の数値的影響が出ない層だ。


 若い頃の私は、その人間を集める側の部隊に所属していた。

 表向きの任務名は「特別労働動員支援部隊」。


 だが実態は、強化兵士計画の被検体候補を各地区から選別し、移送し、研究施設へ送り込み、使い潰された後の遺体処理までを一括で引き受ける、都合のいい裏方部隊だった。


 暖かい寝床と一日分の食料、わずかな報酬。

 それだけで、路上で生きる彼らは簡単に列に並んだ。

「国家事業への参加」「特別作業員」「将来の優遇措置」──そんな言葉を並べ、希望という名の餌をぶら下げ、私は何百人もの人間を施設へ送り込んだ。


 その先で何が起きるかを、私は知っていた。

 多くが戻らないことも、生きて戻っても元の人間ではいられないことも。


 それでも私は、自分に言い聞かせ続けた。

 これは虐殺ではない。

 中国が生き延びるための、必要な「調達」だと。


 そうやって心を殺さなければ、あの仕事は続けられなかった。


 ただ、それだけのことをしてまで被験者を大量に集めても、強化兵士計画は犠牲者の数だけを積み上げていった。

 投薬、外科的改造、神経への電気信号刺激によるリミッター解除、代謝系の強制活性化。

 考え得る限りの手法を試しても、計画は実戦投入可能な成果を一つも生み出せなかった。


 そうだ、今になって思えば、最初から分かりきっていたことだった。

 人間の身体は、あまりにも複雑で、あまりにも繊細だ。

 どれほど局所的な改変でも、一度でも機能を壊せば、元に戻ることはほとんどない。

 運よく生き残ったとしても、その後の人生は歪められる。


 平時ですら、人間そのものを安全に強化する技術は確立されていなかった。

 それを、戦争と資源不足の只中で、国家が金と人材を無理やり注ぎ込んだからといって、成功する保証などあるはずがない。


 戦争や危機の時代には、技術革新が加速する──そう言われるが、現実は違った。

 進歩したのは理論や机上の数値だけで、現場で横たわる被験者の身体は、何一つ追いついていなかった。


 施設では、毎日のように失敗例が積み上がった。

 神経が焼き切れた者。

 骨格補強に耐えられず内臓が潰れた者。

 薬剤反応で人格が崩壊し、意思疎通すら不可能になった者。

 それらはすべて、「データ」として処理され、次の実験計画の材料に変換されていった。


 そして、その犠牲の山を前にしても、中央は止まらなかった。

 止まれなかった、と言うべきかもしれない。

 ここまで踏み込んでしまった以上、後戻りすれば、これまで消えた人間の数が、すべて無意味になる。

 そういう論理で、計画は延命され続けた。

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