密入国
アジア 運び屋 T(仮名)
巨獣が出る前の時代、俺たちの中で密入国って仕事は面倒で人気がなかった。
人を密入国させるって話になると、まず書類の手配だ。
偽造パスポート、入国スタンプのすり替え、税関の目を逸らす賄賂。
相手がヘマをすれば全部水の泡だし、バレれば豚箱行きか、カネで何とかなるにしても面倒この上ない。
精神衛生的にも良くない。
だから、みんな面倒な仕事は避けたがる。
それに比べりゃ、何かが入ってる箱を運ぶ仕事、いわゆる「運び屋」の方がマシだった。
中身を知らなくて済むから楽だ。
入っているのはヤクか武器か珍獣の加工品か、あるいは高級部品かどうかなんて知らないし、気にしない。
どっちにしろ、箱は箱だ。
重さとサイズと受け渡しの場所さえわかればいい。
中身を詮索すると面倒になるだけだ。
中から声が聞こえたって、俺は知らないふりをする。
余計な質問をすれば、命取りになる。
だから質問しない。
仲間同士の暗黙の了解だ。
正義感に駆られて動いたところで、得られるのはその時だけの満足感に過ぎない。
運び屋に求められるのは慈悲じゃない。
箱の中身はどうあれ、依頼人を裏切る行為は、業界で最もやっちゃいけないことだ。
信頼を一度失えば、仕事は終わる。
下手をすれば翌日には行方不明──非合法の世界だからこそ、逆に徹底した“誠実さ”が求められる。
ここで言う誠実さってのは、善悪の話じゃない。
契約を守ること、時間を守ること、受け渡しを滞りなく済ませることだ。
裏ルートの信用というのは、合法ビジネスよりずっと脆い。
だから俺らは、顔を覚え、合図を決め、立ち位置を守る。
誰か一人がルールを破れば、全員が巻き込まれるからだ。
俺の稼業は東南アジアのタイの港町や国境地帯で回っていた。
港の闇、貨物ハブの裏通り、古びたフェリー乗り場の先──そこで客と会い、夜のトラック便で出す。
時には高速道路の裏道、時にはジャングルを切り開いた土道だ。
道具は手回しの鍵、薄いパスポートの複製、現地の役人に渡すための封筒。
言葉が多少できるに越したことはないが、結局はボディランゲージと顔見知りが何よりの通貨だった。
顔を覚え、合図を合わせる。
それだけで仕事は回る。
報酬は悪くなかった。
箱は重いが、運んだ分だけ金が入る。
必要とされるルートに精通し、信頼できる“抜け道”を知ってりゃ、山ほど儲かる。
だから俺はずっと、運び屋で通してきたんだ。
だが、それも巨獣が現れ始めた頃から変わり始めた。
アジア各地で怪物が出るようになってから、申し込みが殺到した。
依頼してくるのはいつもの非合法な連中じゃない。
工場の整備士、農家の夫婦、地方の市長、ホテルの経営者──表の世界で普通に暮らしてた連中だ。
最初のうちは、港や空港を使って逃げるのがまだ安全で、時間も金も総合的に安上がりだった。
正規ルートは信用があるし、手続きが通れば比較的確実に出られる。
だが、その正規ルートが人気に拍車をかけ、競争率は凄まじく上がった。
施設や便には人が溢れ、待ち行列は何日も伸び、どこもかしこも混乱していた。
最初はまだ“金持ちの脱出”が目立ってたが、海や空でも巨獣の襲撃が頻発すると状況は一変した。
港が燃え、空港は閉鎖され、正規ルートはあっという間に壊れた。
そこで選ばれたのが陸路だ。
陸路ならまだ“抜け道”が作れる──そう思う者が増え、依頼は俺らのところに殺到した。
そう考えた連中が、一斉に裏社会へ流れてきた。
密入国斡旋業者だけじゃない。
俺たちみたいな運び屋にも仕事が回ってきたのは、国境越えの経験と土地勘があったからだ。
本来なら専門外の仕事で、声が掛かったところで、あいつらに紹介するだけで請け負うことはなかった。
だが、あの頃は事情が違った。
そもそも、偽造パスポートだの査証だの、そんなものを丁寧に確認できる状況じゃなかった。
検問所そのものが機能停止してる場所も多かったし、兵士も警官も巨獣対応へ回され、人手が足りていなかった。
しかも、安全な国を求めて国境へ押し寄せる連中は、日に日に増えていく。
あの規模になると、もう全部を止めるなんて不可能だった。
だから、抜け道はいくらでも生まれた。
山を越える。
廃道を通る。
夜間に検問の隙を抜ける。
時には軍閥や警備兵に賄賂を渡し、そのまま通してもらう。
結局、“法”より“現場の都合”が優先される世界になってた。
だから俺たちも請け負った。
行き先の条件はいつも同じ。
「安全な場所」か「国」。
で、金を持ってる連中が真っ先に思いつくのは、近隣で“まだ何とか暮らせる”場所──結論として、多くは「中国」だった。
理由は単純だ。
工場地帯や都市部が多く、産業資源が残っている可能性がある。
民族的なつながりやルートが地続きで通れる地域がある。
国境地帯の商習慣と賄賂文化のおかげで、“額次第で何とかなる”という期待が生まれる。
政治の細かい事情は抜きにして、現場で「最も手っ取り早く軍事力が期待できる」「まだ“行ける”可能性が高い」のが中国だった。
距離や地理の問題もある。
基本的に東南アジア、特にタイで活動していた俺たちには、ロシアやインドは地理的に遠く、補助ルートを確保するのが難しい。
日本はそれに加えて海に隔てられている分、海路の危険が増す。
それで、色んな国が巨獣に荒らされて消えていく中、中国が選ばれるのは当然だった。
だから俺らは中国方面へ道を作った。
薄暗い村道を抜け、検問をやり過ごし、川を渡り、長い長い山道を越える。
夜明け前の霧に包まれた峠を歩き、土砂降りの中で人を背負って進んだことだって何度もある。
言葉の壁、地方当局への封筒、武装した自警団の見張り隊──面倒事は枚挙に暇がない。
ただ、何より恐ろしかったのは巨獣だ。
どいつもこいつも凶暴で、人を喰う化け物ばかり。
中国へ向かうたびに何度も遭遇した。
いつものルートに出たら、前回はいなかった新しい巨獣が居座っていて、その道がもう使えない、なんてのは日常茶飯事だ。
俺たちは基本的に丸腰。
ナイフや拳銃を持っていても、巨獣相手にはまるで無力。
人間同士の掴み合いなら通用するけど、あいつらの前じゃ無いも同然だ。
たとえ体高が2m程度の“小型の中の小型”でも、出くわした瞬間の生存率はガクンと下がる。
やれることは限られている──避ける、逃げる、隠れて息を潜める、の三択だ。
だから遭遇に備えて、常に頭の中に代替ルートの地図や、巨獣の情報を叩き込むのが日課になった。
新しい抜け道を作るために、村人に聞き込みをし、古い林道を確かめ、昼にだけ移動する。
泥と血と汗で地図がぐちゃぐちゃになるけど、それが命綱だ。
リスクは確かに増えたが、そのぶん報酬も跳ね上がった。
目の前に札束が差し出されりゃ、俺はその額に見合う仕事をする。
それが仕事ってもんだ。
金が無いなら、諦めてその国で暮らすか、せいぜい金額分だけ目的地の途中まで送るだけだ。
どうしても行きたきゃ、どこかで借りるなりして金を工面するしかない。
大抵の借主は裏社会に手を出す。
まぁ、工面した分だけ、あとで倍にして返す羽目になる。
返せなきゃ、女は売られ、男は使い潰されるがオチだ。
自力でどうにかするって手もあるが、巨獣が蔓延る世界で、土地勘も経験もない奴が道なき道を進むとなると、相応の準備と覚悟、あとはかなりの幸運が必要だ。
自力で辿り着ける奴は少なくないが、ほとんどの奴は山越えの途中で飢え死にするか、川を渡る前に足を滑らせて流されるか、あるいは森の中で見えない何かに喰われる。
どれもよくある結末だ。
俺も通るたびに死体を見てきた。
服も荷物も剥がされ、靴すら残ってない。
最初は胸がざわついたが、今は何も感じねぇ。
道の脇に転がる死体を見ても、「またか」としか思わねぇよ。
そういう仕事は何度も、何百回も繰り返した。
依頼人がどんな奴だろうと構わない。
そいつが犯罪者だとしても、医者が身を隠してても、元市長が子どもを抱えて震えてても、金を出す者を運ぶ。
中国が難民で溢れようが、通信網が分断されようが、都市から軍が撤退して軍閥が割拠しようが、俺らのやることは変わらない。
軍の割り当ての都合でいくつか都市が放棄されようと、国を無くした他国の軍隊がそこに集まったんなら、結局「安全な場所」であることに変わりない。
依頼が来ればルートを組み、受け渡し場所を決め、約束の時刻に間に合わせる。
それが信頼という通貨だ。
選ばれるルートも、やり方も変わり続けたが、俺の仕事はいつも同じだ。
“連れていく”──それだけ。
情勢がどう変わろうと、道を作る者がいれば、人はそこを頼る。
それに見合う分だけの金を払う条件さえ果たしていれば、あとはそいつの要望に応え、橋渡しをするのが、俺らの存在理由だった。
『──“民主主義を掲げて独立を目指す新香港政府”の誕生は、あなた方の活動が引き金になったという見方もあります。どう思われますか?』
はっきり言って、送った奴がどうなったかなんて知らん。
気にしても意味がない。
運のいい奴は生き延びる。
運の悪い奴は、道中で死ぬ。
それだけだ。
せいぜい、仕事で関わっていた時の格好や態度を見て、「こいつはどこかの防衛都市に潜り込めそうだな」とか、「こいつは現地で日雇いでもして食い繋ぐしかないな」とか、その程度を想像するくらいだ。
たくさん金を使い、色んな犠牲を払ってまで険しい道を辿った先で、期待を裏切られようが、差別されようが、利用されようが、そんなものは最初から承知の上だろう。
巨獣時代に、“安全な未来”なんてものを保証してくれる奴はいない。
だから、行き着いた先で何が起きても、全て自己責任。
俺たちはそこに感情を挟まない。
それだけのことだ。
行き着いた先で何をしようが、どんな旗を掲げようが、俺たちの知ったことじゃない。
無責任だと思うだろうが、俺たちの業界では、「送るまでは仕事、送った後は他人事」がルールだ。
非合法な世界ほど、その線引きははっきりしてる。
「運んだ先で何が起きるかまで責任を取れ」なんて言うのは、表の世界の理屈だ。
例えば、誰かを殺した奴がいたとして、何も知らずにそいつを現場まで連れて行っただけのタクシー運転手を犯罪者扱いするか?
犯罪に使われた刃物を作って売ったからって、鍛冶屋まで牢屋にぶち込むのか?
そんな理屈は成立しないだろ。
俺たちは道を作っただけだ。
その道をどう使ったかは、歩いた連中の問題でしかない。
だから、新香港政府がどうとかいう話も、正直どうでもいい。
名前だけは聞いたことがある。
もとは、巨獣混乱期の最中に中国が防衛範囲を限定せざるを得なくなり、見捨てた香港島──そこが始まりらしい。
そこへ、避難してきた台湾系の政治家や難民を中心に、軍閥化した部隊に嫌気が差した兵士、国外から流れ込んだ旧政府関係者、崩壊した各国軍の残党なんかが集まり始めた。
最初はただの避難民キャンプみたいなものだったそうだ。
だが、巨獣災害で中国側が北京防衛を優先したせいで、南部沿岸は長期間、まともな統治も支援も届かなかった。
その、空白の期間が長く続きすぎた。
結果、人が集まり、武器が流れ込み、食料と金が動き始める。
港を押さえた連中が物流を管理し、警備を始め、避難民を徴用し、いつの間にか広東から福建沿岸の一部まで勢力圏を広げていた。
そして気づけば、“なんとなく国家の形”ができてしまい、遂には“自治政府”を名乗り始めたってわけだ。
笑える話だろ。
国家なんてものは、崇高な理念で生まれるんじゃない。
権力の空白と、武力と、物流が揃えば、勝手に形になる。
しかも、あそこには都合よく人材も揃っていた。
香港系の金融屋、台湾の政治家、旧中国軍の技術者、外国企業の連中、各国から流れてきた軍人崩れ。
そこへ兵器の横流しまで加わった。
国外企業や、“国を失った政府”どもからの支援も少なくないらしい。
表向きは“民主主義国家支援”だの“アジアの自由圏防衛”だの綺麗事を並べてるが、実際には貿易航路と港の確保、それに中国本土への影響力が欲しいだけだ。
香港に残ってた連中も、中国中央政府には見捨てられたって感情が強いらしい。
だから、後から来てでも秩序を作り、食料を回し、街を守った連中の方を支持する。
結局、人は理念より、“今日生き延びさせてくれる側”につく。
今じゃ、共産主義の旧中国と民主主義を掲げた“新香港政府”の間で、本格的な政治ゲームが始まってるってさ。
“自由”だの“民主”だの言ってるが、実際は利権と領土の取り合いだ。
その証拠に、裏では兵器商人や企業連中がうまい汁を吸ってるし、俺みたいな連中にも仕事が回ってくる。
……正直、あれが出来上がった責任を、俺たちだけに押しつけられても困る。
そもそも、中国へ向かう手段は、何も俺たちだけじゃなかった。
巨獣を避けながら自前の船で渡った連中もいるし、旧式の輸送機や貨物機で強行突破した奴らもいた。
軍や民間船団に紛れ込んで流れ着いた者もいれば、さっき言ったように命懸けで陸路を進み、自力で辿り着いた連中だっている。
国家崩壊の時代だったんだ。
国を捨てる政府もあれば、最後にできるだけ多くの国民を逃がそうとして、避難船団を組んだ国だってあった。
そうやって香港へ流れ込んだ人間も、相当数いたと聞く。
軍隊に至っては、自前の輸送機や輸送艦を持ってる。
仮にそれが無くても、連中は武装した上で動くから、俺たちに頼らずとも突破できる場合が多い。
実際、同業者で軍関係の仕事を請けた奴らに話を聞くと、大抵こう言うんだ。
「運んだというより、教えただけだ」ってな。
危険地帯を避ける航路。
巨獣の縄張り。
まだ使える港。
補給可能な拠点。
そういう情報さえ渡せば、後は連中が自分たちで突破していく。
政治家連中だって同じだ。
大半は護衛部隊付きだった。
政府高官を運ぶのに、丸腰の民間人だけで動かすほど、どこの国も甘くない。
もちろん、護衛を失った奴や、途中で部隊が壊滅した奴もいただろう。
だが、そういう連中だって、結局は他の難民と同じように、自力で生き残るしかなかったはずだ。
何より、現実問題として──いくら下地があろうと、俺たちが人を運んだ程度で、国家一つ作れるほどの人数を送り込めるわけがない。
俺たちの業界は、そこまで万能じゃない。
確かに、昔俺たちが運んだ連中の中には、後の新香港政府に関わった奴もいたのかもしれない。
政治家、軍人、技術者、資産家、学者……そういう“国を作れる側の人間”を運んだ同業者は大勢いた。
実際、俺自身も“政府関係者らしい奴”を何人か運んだことはある。
もしかしたら、今あそこで偉そうに演説してる連中の中にも、昔、森の中で巨獣に怯えながら、漏らしそうな顔して震えてた奴が混じってるのかもしれない。
名前までは知らんがな。
だから、“要因の一つだった可能性”そのものは否定しない。
俺たちに限らず、密航業者や輸送屋の存在が、人材や物資の流入を支えた部分はあっただろう。
だが、確認するつもりはない。
もし本当にそうだったとしても、そいつらが“国を作った”なんて話は、俺にとっちゃ遠い世界の出来事だ。
国家ってのは、難民だけで生まれるもんじゃない。
権力の空白、巨獣災害、中国政府の防衛放棄、海外勢力の支援、難民の流入、軍隊の離反、物流の確保──そういう無数の要因が積み重なって、結果として形になった。
俺たちは、その流れの中を漂っていただけだ。
あいつらが掲げたのが民主主義だろうが、独立だろうが、王国だろうが、宗教国家だろうが関係ない。
旗も思想も、腹は満たしてくれない。
俺はただ、人と荷物を運んで、対価を受け取っていただけだ。
もし本当に誰か一人を“戦犯”にしたいなら、それはもう世界そのものだろ。
巨獣時代ってのは、それくらい滅茶苦茶な時代だった。
俺たちにとって重要なのは、理念じゃない。
それが仕事にどう影響するか──ただそれだけだ。
どの軍閥が支配してるか、通行ルートが安全か、検問にどれだけ賄賂が要るか──その程度の情報があれば十分だ。
歴史も理想も、俺たちの仕事には関係ない。
密出国の需要が減れば、今度は昔みたいに箱か別の荷物を運ぶ。
武器でも、薬でも、部品でも、食料でもな。
結局、この時代は“物流”が止まった側から死ぬ。
都市だろうが、軍だろうが、国家だろうが同じだ。
食料も弾薬も薬も届かなくなった瞬間、人は理念より先に飢える。
世界がどう変わろうと、需要がある限り、俺たちの仕事は終わらないんだよ。
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