避難先の楽園
エジプト・カイロ 内務・国境管理対策本部政治責任者 アデル・ハッサン
当時のエジプトは、巨獣災害そのものよりも、別の要因によって国家的危機に直面していた。
確かにエジプトは、近隣のアフリカ諸国や中東諸国と比べれば、巨獣との戦闘においては比較的優位に立っていた。
それは地理的条件と、スエズ運河を守るために築かれた沿岸防衛網、さらに旧ソ連製や中国製の長距離対巨獣砲を独自改修した兵器群の存在によるものだった。
ナイル川流域という限定された居住地形も、防衛という意味では有利に働いた。
巨獣の侵入経路がある程度限定されるため、戦力を集中させることができた。
当然、アメリカのような潤沢な航空母艦戦力や衛星監視網があるわけではない。
それでも、戦線はギリギリで持ちこたえ、カイロやアレクサンドリアの主要都市は辛うじて機能を保っていた。
だが、その「持ちこたえ」が、別の災厄を呼び込むことになった。
中東やアフリカの多くの国は、巨獣に対抗できず、わずか数か月から数年のうちに主要都市と政府機能を失った。
イスラエルやサウジアラビアといった、一時的には巨獣を押し返せた国々も存在したが、過去の戦争や宗教対立による政治的孤立、周辺の友好国喪失による補給途絶が重なり、長期戦に持ち込まれる中で次第に防衛線が崩れた。
イスラエルでは、崩壊した敵対国からの難民流入が国家的混乱を拡大させ、やがて自国民と難民の武装衝突、内乱へと発展。
首都は陥落し、国家としての機能を完全に失った。
そうして巨獣によって、あるいは間接的に社会崩壊によって国土を失った国々──スーダン、エチオピア、リビア、ソマリア、さらには中東の一部地域──から、数百万単位の難民が押し寄せることになる。
理由は単純だ。
国際的な避難ルートや受け入れ先はすでに失われていた中、地理的に近く、まだ国家が機能している数少ない国がエジプトだけだったからだ。
巨獣が蔓延る世界で対抗できていて、維持し続けている国家という事実は、それが砂漠という過酷な環境の中であっても、多くの人々にとって最後の希望として映ったのだろう。
難民たちは、そこに安全と安定を夢見て流れ込んできた。
だが、彼らの想像する「避難先の楽園」は存在しなかった。
昼夜の極端な寒暖差、限られた水源、そしてすでに逼迫していた物資と住居──砂漠の現実は、飢えと渇きによって生存そのものを脅かす世界だった。
そして、その世界をどうにか乗り越えてエジプトにたどり着いたところで、そこは夢見た理想郷でもない。
国家が機能していると言っても、それは“崩壊していない”というだけの話だ。
巨獣への備え、食料の確保、エネルギーの維持、軍の再編成──それだけで国家は限界で、余裕なんてどこにもなかった。
そんな国に大量の難民が押し寄せたらどうなるか。
土地は圧迫され、僅かな食料を巡っての争いは加速する。
港湾都市は難民船で埋まり、国境検問所は常時飽和状態。
ナイル川沿いの農村地帯までもが、テントやバラックで埋め尽くされ、食糧生産は停滞した。
都市部では治安部隊の制圧が追いつかず、暴動や略奪、武装衝突が日常化していった。
人材が増えるというメリットこそあったが、他国故の文化や思想の違いはあらゆるトラブルを生み、行政の管理能力を簡単に超えていった。
しかも問題は、それだけじゃない。
難民の多くは、国家や行政の管理下で整然と移動してきたわけじゃない。
途中の補給や輸送支援はほとんど存在せず、武装して物資を奪いながら進む集団や、密航業者が組織する船団が大半を占めていた。
つまり最初から、入国の形そのものが暴力的だった。
国境警備隊が確認した最初の大規模難民団は、すでに数万人規模の武装集団だった。
中には軍崩れや民兵、あるいは旧国家の残党まで混ざっていた。
連中は単なる避難民じゃない。
戦争を生き延びてきた連中で、武器の扱いも戦闘の経験も十分に持っていた。
当然、国境に到達した時点で武装解除に従う者ばかりじゃなかった。
武器を手放せば、その瞬間に自分たちが他の集団に襲われると知っているからだ。
結果として、国境地帯では武装解除を巡る衝突が頻発した。
警告射撃から始まり、発砲、局地的な戦闘へと発展する。
国境線そのものが、ほとんど戦場みたいな状態になった。
しかも問題は、一つの集団だけじゃないことだ。
難民団は単一の組織じゃない。
民族、宗派、出身国、元の軍閥や民兵組織──そういう単位で分裂した小集団の集合体だった。
つまり、同じ難民同士でも敵対関係にある。
水源や食料集積所を巡って銃撃戦が起きる。
輸送トラックを襲う。
密航業者の武装警備隊と、難民団の武装勢力が衝突する。
その混乱が、国境を越えて国内に持ち込まれた。
臨時の難民キャンプは、数日で人口数万人規模に膨れ上がる。
当然、警備は追いつかない。
夜になると、キャンプ内で武装勢力同士の抗争が始まる。
物資倉庫の襲撃、武器の密売、人身売買、徴募──ありとあらゆる地下活動が生まれた。
さらに厄介だったのは、旧国家の軍人や民兵が、難民の中で独自の「統治」を始めたことだ。
彼らは難民の中から兵を集め、食料配給を管理し、武装警備隊を組織した。
表向きは秩序維持だが、実態は小さな軍閥の再建だった。
キャンプの中に、いくつもの武装勢力の勢力圏が生まれていった。
しかも、それが国境地帯だけの話じゃない。
カイロ近郊、ナイル川流域、運河地帯──難民が集まる場所では、同じ現象が起き始めていた。
国家が管理するはずの避難民の集団が、気が付けばいくつもの武装組織の拠点に変わっていく。
つまり、あの頃のエジプトは巨獣と戦いながら、同時に国内にいくつもの「小さな戦場」を抱え込んでいたにも等しい状況だった。
支援を求めるにしても、国際社会はそれぞれが自国の防衛と復興を優先し、国連は事実上機能不全。
結果として、外部からの支援はほとんど届かず、エジプトは孤立したまま、増え続ける数百万単位の流入者を抱え込むこととなった。
当然、エジプト国内の治安は急速に悪化していった。
港湾では、密航船から降りた武装集団と警備隊の銃撃戦が起きる。
ナイル流域の農村では、水源や食料を巡る衝突が頻発する。
都市部では、難民キャンプを拠点にした武装勢力が物資輸送を襲撃し、略奪を繰り返す。
こうした事件が日常のように起きる中、次第に国民の不満と怒りを確実に蓄積させ、難民への憎悪を燃え上がらせていった。
難民全員が暴力的だったわけじゃない。
むしろ大半は、ただ生き延びようとしていただけの人間だ。
エジプトにたどり着いたあと、農地の手伝いを申し出る者もいた。
建設現場や運河の整備に加わる者もいた。
言葉も文化も違う中で、どうにか社会に馴染もうと努力する家族は少なくなかった。
難民キャンプの中では、元教師が子供たちに読み書きを教え始めたり、元医師が簡易診療所を作ったりすることもあった。
砂漠の縁に小さな畑を作り、わずかな野菜を育てる集団もいた。
彼らは、自分たちが「寄生者」ではなく、この国の一部になろうと努力していた。
だが、その努力はあまりにも脆かった。
武装勢力がキャンプを支配すると、食料はまず兵士に回される。
若い男は強制的に徴募され、拒めば殴られるか殺される。
せっかく作った畑も、別の集団が奪う。
診療所は薬を奪われ、子供たちの学校は武器庫に変わる。
つまり、まともに生きようとする難民ほど、最初に踏みにじられた。
しかも、そうした暴力の影響はエジプト国民の側から見れば区別がつかない。
港で起きる流血沙汰。
農村での衝突。
都市での暴動。
それらはすべて「難民による事件」として広がっていく。
結果として、国民の怒りは次第に難民全体へ向けられるようになった。
「初めは水を分けてやったさ。だが、気づけばあいつらは村の井戸を囲み、家畜を勝手に屠っていた。銃を持った若い連中が、村を“占拠”したんだ」
「最初は同じ被害者だと思っていた。だが、あいつらは俺たちの家を壊し、食糧を奪い、仲間を殺した。だったら、もう人じゃない」
「ここはエジプトだった。エジプト国民の国だ。だけど、このままじゃ難民共に乗っ取られる」
最も残酷なのは、難民の中で真面目に働こうとしていた者や、地域社会に溶け込もうとしていた家族ほど、国民の怒りを真正面から受けることになったことだ。
武装勢力に手を出すのは危険だ。
奴らは銃を持っているし、仲間も多い。
下手に刺激すれば報復が来る。
だが、昼間に市場へ出てくる普通の難民には武器がない。
子供を連れている家族、仕事を探している若者、水を汲みに来ている女たち──そういう連中は、抵抗する術を持たない。
しかも当時のエジプトは、どこへ行っても難民で溢れていた。
港でも、農村でも、都市でも、目に入るのは見慣れない顔ばかりだった。
街によっては、通りを歩く人間の半分以上が難民だった場所もある。
市場では知らない言語が飛び交い、キャンプの周辺では即席の集落が広がり、ナイル沿いの空き地にはテントがびっしり並んでいた。
国民からすれば、自分たちの国が別のものに変わっていくように見えた。
怒りを抱いた人間には、もう区別なんてできない。
武装勢力かどうか、善良な人間かどうか、そんなことは関係なくなる。
難民であるという事実、それだけで十分だった。
だから、暴力の報復は往々にして、最も弱い者たちに向けられた。
市場で働いていた難民の労働者が、突然追い出される。
農村で雇われていた家族が、一晩で村から締め出される。
「出ていけ」と言われるだけならまだいい。
店先で殴られる。
荷物を奪われる。
時には銃声が鳴り、誰かが倒れる。
そういう出来事が、あちこちで起きるようになった。
しかも皮肉なことに、暴力を振るう武装難民はその場にいない。
そこにいるのは、ただ働こうとしていた人間だけだ。
だからこそ、追い出されるのも、殴られるのも、撃たれるのも──いつも同じ連中だった。
社会に溶け込もうとしていた者。
静かに生きようとしていた家族。
皮肉な話だが、エジプト社会に溶け込もうとした難民ほど、最初に居場所を失っていった。
難民増加による治安の悪化が国民たちの理性を曇らせ、無実の難民を苦しめた。
本来なら守られるべき、何の罪もない人間までが、その怒りの矛先を向けられるようになった。
はじめのうちは、まだ個別の衝突だった。
市場での口論、井戸の順番を巡る争い、農地の境界線を巡る揉め事──そういう小さなトラブルが暴力に発展する。
次第に難民の数が増え続けるにつれて、それは徐々に個別の衝突の域を越えた。
都市の周辺では、住民同士が集まって夜間の見回りを始める。
最初は盗難対策の自警団だった。
だが、やがて彼らは難民キャンプを監視するようになり、難民の移動を止め、時にはその場で追い返すようになった。
警察や役所に申請することなく、夜間外出禁止を勝手に宣言し、違反したものに過剰な暴力を振るう自警団も出てきた。
カイロ郊外のある地区では、自警団が難民キャンプを包囲し、数百人を一斉に追い出した事件がある。
家財道具を燃やされ、テントを破壊され、行き場を失った難民たちは砂漠へ追い立てられた。
農村では村の入り口に検問を設け、外部の人間を入れないようにする。
見慣れない顔があれば、理由を問う前に銃を向ける。
港湾都市では、荷揚げ場や倉庫の周囲に民間の警備組織が現れた。
彼らは難民を港から締め出し、近づく者を殴り、時には海へ突き落とした。
こうした行動は、徐々に組織化されていった。
そして、その活動の中心に据えられたのが「難民の排斥」だった。
村単位、地区単位で、難民を排除するための自警団が組織され、彼らは夜になると車で巡回し、難民キャンプや即席の居住地を襲撃する。
武器は軍用のものばかりじゃない。
狩猟用の銃や工具、時には農具まで使われた。
カイロ郊外で活動していた自警団の一人は、後の調査でこう言い切っている。
「必要なことだった。誰かがやらなきゃ、あの国は終わっていた」
その言葉に迷いはなかった。
彼らにとって、それは正義だった。
だが、排斥される難民側も、当然ながら黙ってはいない。
武装勢力は自分たちの支配地域を守るため、エジプト側の自警団や警備拠点を襲撃するようになった。
物資倉庫を爆破し、輸送車両を襲い、夜間に集落へ報復攻撃を行う。
都市の外縁部では、夜間に小規模な戦闘が頻発するようになった。
そして国民側も、さらに報復を強める。
自警団の武装をさらに強化し、
武装勢力が潜んでいると疑われたキャンプや集落を丸ごと包囲し、焼き払う。
疑わしい難民を見つけ次第拘束し、時にはその場で処刑した。
それはもう、秩序の維持なんてものじゃなかった。
国民は自国を守るために動いた。
難民は居場所を確保するために武器を取った。
双方にとって、それは生き残るための行動だった。
政府もこの状況を止めることはできなかった。
いや、正確に言えば──止めなかった。
治安維持部隊は表向き自警団の暴走を取り締まる立場だったが、実際には見て見ぬふりをすることが多かった。
場合によっては、軍や警察が直接、難民キャンプの強制排除作戦を行うこともあった。
ブルドーザーでテントを潰し、トラックに人を詰め込み、砂漠へ送り返す。
それが公式に発表されることはなかったが、現場では当たり前のように行われていた。
そうして暴力の応酬は終わりなく続いた。
巨獣という共通の脅威がすぐ外側に存在しているにもかかわらず、人間同士は互いを敵として殺し合っていた。
都市の外縁では銃声が鳴り、農村では村ごと消えることもあった。
輸送路はしばしば遮断され、補給は滞り、軍も警察も対応に追われる。
巨獣への備えに割くべき兵力が、国内の治安維持に吸い取られていった。
泥沼化した混乱は、最後まで収束の兆しを見せぬまま、国土は削られ、人も資源もすり減り、エジプトは確実に衰弱していった。
そして──2023年。
砂漠に多く生息する巨獣、サンドワームの群れがエジプトに襲撃した。
最初に奴らが現れたのは、国境地帯の砂漠だった。
その頃には、そこはもうまともな国境じゃなかった。
武装難民の拠点、密輸業者の拠点、そして政府が管理しきれなくなった巨大な難民キャンプ──いくつもの集落が砂漠に広がっていた。
最初に奴らが襲ったのは、その武装集団と化していた難民キャンプだった。
地面が揺れ、波打ち、次の瞬間にはテントも人影も砂の中に消えた。
反撃も逃走も意味をなさず、ただ砂が呑み込んでいく光景を、私は遠隔映像越しに見ていた。
政府の対応は遅れた。
いや、遅らせたと言われても仕方がないだろう。
あの頃、砂漠の難民キャンプはすでに武装勢力の拠点になっていた。
軍ですら完全に制圧できない場所もあった。
サンドワームが武装難民を「片付ける」ことを、好機と見た者が政府内部にいたことは否定できない。
私の耳にも「このまま様子を見れば、あの連中を間引ける」という声が届いたが、あくまで誰かの呟き程度でしかない。
軍事に関わる立場じゃない私には、その判断が正式に下されたのか、本当に実行されたのかは分からない。
証拠もなく、命令書も残っていない。
今となっては真相は闇の中だが、この陰謀論を完全に否定できる者はいない。
結果だけは事実だからだ。
サンドワームは最初に難民キャンプを喰い尽くしたが、それで終わらなかった。
予想以上の数と速度で進撃を続け、砂漠の防衛線はあっという間に突破された。
対巨獣砲の砲台は地下から突き上げられ、戦車は地面ごと飲み込まれる。
輸送路は寸断され、撤退する部隊すら砂に沈んでいった。
奴らは地表を進む必要すらない。
地下を通って、どこからでも現れる。
防衛線など意味なく、奴らは首都圏にまで達したのだ。
地面が割れ、建物の基礎ごと崩れ落ち、人々が逃げ惑うより早く砂に飲み込まれていった。
港湾都市も農村も、市場も学校も同じように奪われた。
本来であれば、奴らは倒せる脅威だった。
砂地に潜るため皮膚は硬質で、群れをなして砂を泳ぐように進む怪物──確かに厄介ではあった。
だが、それでも機関砲を並べて迎え撃てば掃討できる相手だった。
実際、過去には何度もそうやって撃退してきた。
私たちには、その力が本来ならあったのだ。
しかし、兵士の多くは疲れ果てていた。
難民問題に明け暮れ、暴動の鎮圧や食糧の配給で消耗し、弾薬も補給もろくに揃っていなかった。
軍隊は、戦争よりも治安維持に消耗していた。
砂漠の防衛線に並んだ兵士たちの顔を、私は忘れない。
遠隔映像に映っていたのは、精鋭の軍隊ではなく、限界まで疲れ切った人間たちだった。
銃を握りながらも「もう撃つ弾がない」と呟く声が、そこかしこで聞こえた。
ある意味、安全を求めてやってきた難民たちそのものが、彼らが夢想していた「避難先の楽園」を潰したのだろう。
皮肉なことだが、彼らを受け入れたことで国は疲弊し、その疲弊がサンドワームの群れに抗う力を奪った。
そして、我々は、武装難民という厄介な問題を見捨てる形で強引に終わらせた代わりに、都市も人も未来も奪われたのだ。
内戦だの、難民問題だの、民族対立だの──そんなものは、巨獣の前では何の意味もない。
人間同士で殺し合っていた時間そのものが、どれだけ致命的な無駄だったのか。
我々はそれを思い知らされたんだ。
エジプトは、あの日を境に完全に立ち直れなくなった。
理由は単純だ。
国の土台そのものが、根こそぎ持っていかれたからだ。
サンドワームの襲撃で、首都圏は甚大な被害を受けた。
大勢の人々が犠牲になり、建物は崩れ、地下の配管や交通網は砂に飲まれた。
カイロの地下には、何十年もかけて築かれてきた水道網や電力ケーブル、通信線、地下道路が張り巡らされていた。
それが一夜にして寸断された。
電気は止まり、水も止まる。
通信も繋がらない。
都市は巨大な迷路みたいになり、どこが安全なのか誰にも分からなくなった。
行政の中枢も例外じゃない。
省庁の建物は崩れ、政府施設は避難を余儀なくされ、指揮所は移転を繰り返した。
指揮系統は途中で何度も途切れた。
命令が届かない。
現場の報告も上がってこない。
どこで戦闘が起きているのか、どこがまだ生きているのか、誰も正確に把握できなくなった。
首都を失うというのは何度も聞いた言葉だが、実際にそれを目の当たりにした時、国家というのはこんなにも脆いものかと、愕然とした。
経済も同じだった。
観光はとっくに死んでいた。
巨獣だらけの世界でピラミッドを見に来る観光客なんていない。
貿易も成立しない。
海は巨獣の縄張りで、港はたびたび襲撃を受けていた。
残っていたのは農業だけだったが、それも長くは続かなかった。
農地の多くは難民キャンプになり、暴動で焼かれ、武装勢力の拠点に変わった。
ナイル川沿いの生産力は、年を追うごとに落ちていった。
そしてサンドワームの襲撃で、残っていた生産地も壊滅的な打撃を受けた。
軍の補給は底をつき、兵士たちの士気も限界だった。
食糧が尽きれば、兵士もただの難民に過ぎない。
あの頃、軍の内部でもそんな言葉が囁かれていた。
そして何より、国民の心が折れた。
「もう抗うすべはない」という絶望と、「難民に生活を奪われた」という憎悪、「かつての生活に戻れない」という喪失が、社会を二つに引き裂いた。
道路や橋は造り直せる。
農地も時間をかければ回復できる。
だが、人間の心だけは違う。
一度ねじれ、ひび割れた人々の心は易々と戻らない。
誰も他人を信じず、誰も未来を信じられなくなった。
そうして希望を失った社会には、もはや立ち直る力など残っていなかった。
仮に外からどれだけ援助が届いたとしても、状況は変わらなかっただろう。
国の中で団結できない限り、国家は立て直せない。
それは歴史が何度も証明している。
そして、あの頃のエジプトには、その団結がもう残っていなかった。
だから私は、エジプトが崩れ落ちていくのを、まるで砂に沈んでいく古代の遺跡のように見ていた。
目の前で人も街も呑まれていくのに、どうすることもできなかった。
あれほどの歴史を誇った国が、内乱と巨獣の二重の災厄に潰され、誰も手を差し伸べられないまま消えていくのを。
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