難民
ヨルダン・アンマン 難民(当時) リヤド・アル=カリーム
最初に巨獣の映像を見たとき、私はアンマンの小さなテレビ工房で働いていた。
巨大な生き物が地面から現れ、街を踏み潰していくそれは、どこか遠くの終末映画みたいな話だった。
その映像の何が“現実”なのか、当時の私には分からなかった。
でも、その怪物が本当にこの地までやって来るなんて、誰が信じただろうか。
中東で初めて巨獣が確認され、ヨルダンへ侵攻した時、私は家族と共に国境を越えて逃げていた。
イラク北部から南へ。
そこからさらに西へ。
安全な場所があると聞けばそこへ向かい、行き先が分からなければ、ただ大勢の避難民の流れについていった。
どこなら生き残れるのか。
それだけを考えて、ひたすら彷徨っていた。
バグダードへ辿り着いた頃には、街の空気そのものが変わっていた。
ティグリス川の向こう側から、夜空を染める火柱が上がっていたんだ。
最初は空爆かと思った。
敵軍による攻撃だと。
だが違った。
怪物が街を歩いている。
ただ、それだけで建物が崩れ、火災が起き、人が死んでいく。
あの時初めて、テレビ越しでなく、人類同士の戦争とは別の災厄が始まったのだと、身をもって理解したよ。
だが──そんな災厄が現れても、中東は変わらなかった。
イスラエル、イラン、サウジ、トルコ、イラク、シリア──この地に国はあっても「連携」はなかった。
むしろそれぞれが互いを牽制し、疑い、出し抜こうとすらしていた。
当然だろう。
中東の国々は、宗教、民族、歴史の違いを口実に、いつだって争い続けてきた。
戦争、反乱、紛争、テロ、虐殺。
油田を巡って銃を向け合い、国境を越えて砲弾を飛ばし、同じ神に祈りながら殺し合ってきた。
共通の敵が現れれば、過去の因縁を乗り越えられると誰かが言っていた。
違いを忘れ、手を取り合うと理想のような言葉を信じていた人もいた。
でも、そんな理想論が通じるほど、あの土地の憎しみは浅くなかった。
イスラエルとレバノンの国境沿いでは、巨獣が迫ってきてもなお、両国の兵士は互いに銃を構えていたと聞いた。
サウジとイエメンの国境では、難民の流入を防ぐために地雷が再配置された。
アラブとペルシャ、スンニとシーア──全ての分断が、あの災厄の前でも解けることはなかった。
難民が押し寄せれば壁を築かれ、検問は増え、地雷原が埋め直される。
空爆の標的から“ただの難民キャンプ”が外されることはなかった。
イランの政府は「サウジに送れ」と突き返し、トルコの兵士は「クルドの村だ」と言って見殺しにした。
イスラエルは封鎖したまま静観し、シリアは「避難民の数が多すぎる」と冷たく記者会見を開いた。
私たちに与えられたのは、希望ではなく、棄民という現実だった。
『国連からの支援は、無かったのですか?』
その頃には、もう機能していなかった。
戦争、飢餓、内乱、そして巨獣。
住処をなくしたのは中東だけじゃない。
アフリカ、アジア、欧州の一部までもが同じような惨状を抱えていて、誰も余裕などなかった。
資金も、物資も、人材も足りない。
自分の国が沈んでいく時に、隣人の手を引く余裕なんて誰にもない。
そうして私たちは見捨てられた。
大地が揺れ、街が崩れ、巨獣が夜を引き裂いても、“その叫び声は、誰にも届かない”という現実だけが残った。
難民キャンプは、もはや“キャンプ”ではなかった。
雨除けと日除けの布、乾いた井戸、腐ったパン。
支援物資は届かず、代わりに流れてきたのは、自警団と武装組織の“新しい秩序”だった。
兄は、その秩序のどれかに吸い込まれた。
「家族を守るため」と言って銃を取ったが、私の知る限り、家族の元へ帰ってきたことは一度もない。
共通の敵を前に、私たちの国々は共闘しなかった。
その代償は、燃えた村、崩れたモスク、飢えた子供たちの体に刻まれている。
巨獣は確かに、私たちを破壊した。
だが私たちは、互いを救わなかった。
それが、もっとも深い爪痕だ。
■■■■■■
ブラジル・リオデジャネイロ 難民(当時) ベルナルド・マッケンナ
俺の人生が狂ったのは、故郷であるチリがやられたことだった。
最初の巨獣が現れた時、政府も軍もまだ何とか対処できていたけど、それは“最初の数体”だけだった。
奴らは次々と現れた。
形も大きさも違い、攻撃方法も違う。
対応しようにも、そのたびに犠牲が出て、弾薬が尽き、兵士の数が減っていった。
軍は限界を迎え、国家は、都市を守るという最低限の機能すら果たせなくなった。
街は破壊され、家も仕事も、日常という言葉そのものが崩れ落ちた。
俺の家族も、友人も、半分はあの時に死んだ。
建物の下敷きになった者もいれば、逃げ遅れた子供もいた。
母親が泣き叫びながら、自分の子供の手だけを握ってた姿を今でも覚えてる。
逃げるしかなかった。
“次は自分が死ぬ”という実感が、俺たちを歩かせた。
リュック一つで、空腹と乾きと、次は自分の番かもしれないという恐怖を抱えて、アンデス山脈を越え、北へ北へと向かった。
ブラジルに向かったのは、行き当たりばったりだったのもあるが、最低限得た情報で「まだマシだ」と聞いていたからだ。
他の国はすでに港が封鎖され、内戦状態のようなところもあったし、飛行機なんて庶民が乗れるものじゃなかった。
だから、俺たちは歩いた。
疲れ果てても、死ぬよりマシだと思ってな。
……だが、南米のジャングルは地図で見るより、遥かに過酷だった。
虫刺されひとつで高熱が出た。
川を渡ればワニやピラニアがいたし、夜にはどこからともなく動物の唸り声が聞こえてくる。
俺の弟は、途中で熱を出して動けなくなり、そのまま置いていくしかなかった。
巨獣の脅威なんかよりも前に、自然そのものが人間にとって敵だった。
出発当初は数万人の群衆だったが、ブラジルにたどり着いた時点で数百人にまで減っていた。
飢えや病気、動物の襲撃、そして脱落する仲間を見捨てるという決断人間は簡単に死ぬ。
生き残るのは、それ以上に簡単じゃない。
国境には普段いるはずのブラジルの国境警備隊はおらず、俺たちは拍子抜けするほど簡単に国内へ入れた。
あとになって分かったのは、その頃、ブラジル政府も巨獣の出現に備えて内陸へ兵力を引き上げていたという話だった。
そして俺たちは、南米最大の都市リオデジャネイロに到着した。
そこで見たのは、もはや都市とは呼べない街の姿だった。
倒壊したビル、焼け焦げたショッピングモール、瓦礫の間に咲く青い防護ネット。
そして街を失ったブラジル国民や、他の南米の国々から押し寄せた難民たちが、テントや掘っ立て小屋で密集する“第二のリオ”を形成していた。
インフラなんてとうに崩壊し、道ばたには雨水を溜めたポリタンク、電柱には違法配線。
あの瞬間、俺は思った。
ここはもう“国家”じゃない。
ただ人間の生存だけが、かろうじて続いているだけの“領域”だ。
おそらく、難民の数だけでリオデジャネイロの元々の人口いや、それ以上はいたと思う。
それでも、都市の“土台”は奇跡的に残っていた。
行政は半ば機能停止していたが、病院や発電所、浄水場は最低限稼働し、軍や自治組織による局所的な治安維持がかろうじて存在していた。
そんな状況でも、人々は生きるために仕事を求めていたし、企業や団体もまた、人材を必要としていた。
会社は、国籍や難民かどうかなんて関係なく、“働きができるか”だけを見ていた。
俺は、チリで整備士として働いていた経験があったから、運よくある運送会社の下請けで雇われた。
トラックの修理、発電機のメンテナンス、時には専門外の武器の手入れまで請け負った。
銃の分解整備なんて軍人でもない限り触れない分野だったが、「できる奴」と見なされれば食いっぱぐれない。
それが、あの都市のルールだった。
ソーラー発電が主流になりつつある状況で、いち早くパネルの配線構造やバッテリー制御の知識を覚えたのも、ただ生き延びるためだった。
一文無しでも、技術があれば、居場所はどこかにある。
逆に、何もできなければ、ただ削られていくだけだ。
支給される報酬は、最低限の現地通貨と食料の配給券、そしてトタンでできた仮設小屋ひとつ。
物は盗まれなかったが、雨が降れば天井からしずくが落ち、夜になれば薄い布団一枚では寒さが骨に沁みた。
風が吹けば、屋根が軋む音で何度も目が覚める。
眠れても、夢はほとんど悪夢だった。
遠路はるばる、いくつもの命を犠牲にして、ようやく辿り着いたこの地で、ようやく手に入れた仕事。
それがこの程度の待遇かと、心のどこかで不運を呪ったこともあった。
だが、現実を見渡せば、俺はまだ“マシな側”だった。
日雇いの力仕事で潰れていく男たち。
明日食うために身を売る少女たち。
闇商人に雇われて、銃を突きつけられながら物資運搬をさせられる少年たち。
彼らのことを“哀れ”だなんて思ったことはない。
なぜなら、俺だって明日には、そっち側に転がり落ちていたかもしれないからだ。
運と、ほんのわずかな知識と、少しの“器用さ”があったから生き残れただけ。
誰かより賢かったわけでも、強かったわけでもない。
その都市にあったのは、国家でも、法律でもなく、ギリギリの“序列”だけだった。
そして、その“秩序なき秩序”が改善されることもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
だからこそ、崩壊は必然だったんだ。
政府も他国も、もうリオを“救うべき都市”とは見ていなかった。
支援は来ず、あったとしても一部の権力者や軍の中で食い潰された。
俺たちは、あるものでやりくりし、生き残るしかなかった。
小型の巨獣が現れる程度ならどうにか対応できた。
トラックで轢いたり、周囲の住人が棒や火炎瓶で応戦することもあった。
だが、相手が群れで襲ってきたり、大型が襲ってきたら、もうどうにもならなかった。
電力は不安定、衛生状態も悪化。
医療物資は戦闘よりも伝染病との戦いに吸われ、食料は配給のたびに争奪戦になった。
配給所の列に並んでも、物資が足りなければ最後尾は何ももらえず、子どもや老人が倒れても誰も助けられない。
都市全体が、もう限界だった。
それでも、“この地しかない”と信じて難民は増え続け、リオは膨張を続けた。
そして、人々の間には一つの疑問が広がり始めた。
本当に、ここに“希望”があるのか?
誰も口には出さなかったが、全員がわかっていた。
希望なんてない。
その現実が、毎晩聞こえる銃声と、毎朝の死体の回収が物語っていた。
やがて、人々の不満は迷走し始めた。
「今の状況は、あいつらのせいだ」
「俺たちが飢えてるのは、あいつらが奪っているからだ」
「元々住んでいた俺たちが優遇されるべきだ」
そう、矛先が変わっていったんだ。
リオの一部の住民たちは、押し寄せてきた他国の難民に対して、次第に強迫観念じみた敵意を抱き始めた。
自分たちの街が、“外から来た連中”に乗っ取られつつあると信じ込むようになった。
もちろん、難民たち少なくとも俺とその仲間たちは、そんなつもりは微塵もなかった。
俺たちは、ただ生き延びられる場所が欲しかっただけだ。
できるなら故郷に戻りたかったし、愛する人たちと暮らしたかった。
でも、チリはもう無くなったし、他に選択肢なんてなかった。
リオは、少なくとも“死にづらい場所”だった。それだけだ。
だけど、あいつらは俺たちの事情なんて聞こうとしなかった。
いやもしかしたら理解していたのかもしれない。
けれど、理解できても、怒りと不満の捌け口が必要だった。
憎む相手が必要だった。
そして、それが俺たち難民だった。
それが、“難民大虐殺”の始まりだった。
決定的なタイミングがどこだったのか今でもはっきりとは言えない。
計画的だったのか、ただの暴発だったのかも分からない。
だが、俺が最初に巻き込まれたのは、リオ北部の仮設診療所、いわゆる“難民病院”が襲撃されたあの夜だった。
空が赤黒く染まり、何かが燃える匂いがした。
外で誰かが叫び、銃声が鳴った。
最初はまた巨獣かと思ったが、すぐに違うと分かった。
武装した集団が、病院に火を放っていた。
「ここは俺たちの土地だ!」「こいつらがいるせいで物資が足りねえんだ!」と叫びながら。
中には子どもや老人もいた。
俺の知っていた整備士の妻も、産気づいた妊婦も、ベッドから逃げられない重傷者も。
誰も、関係なかった。
俺は発電機の点検に来ていた。
その数分の違いで、俺は生き延びた。
裏口から逃げる途中、銃声が背後で鳴り響いていた。
俺の手は血で滑っていた。
自分のかどうかも分からなかった。
“難民”というだけで殺されるあの瞬間、俺は初めて本当にこの都市を「地獄」と呼ぶにふさわしいと思った。
難民大虐殺は、ほんの数日で終わった。
暴れだした人数は確かに多かったが、それでも都市全体の人口からすれば、決して大多数ではなかった。
だが、それでも“大勢が死んだ”。
連中は、殺すためなら手段を選ばなかった。
火炎瓶、刃物、自作の爆弾、銃器どんな武器であれ、それを手にした者たちは、何のためらいもなく難民に向けて振るった。
“数を減らす”ための虐殺。
それは、まるで害虫駆除のように冷淡だった。
何の罪もない子どもたちが、配給所に並んでいただけの母親たちが、たまたま診療所に居合わせただけの老人たちが、“難民だった”という理由だけで殺された。
武装した難民グループの一部は自衛のために応戦した。
けれど、それがまた火に油を注いだ。
「やっぱり奴らは危険だ」「武器を持ってるじゃないか」そう叫ぶことで、暴力は正当化されていった。
そして、大虐殺が終わった後も、何かが元に戻ることはなかった。
都市全体の空気は、明らかに変わった。
誰もが他人を疑い、目を合わせず、声を潜め、夜になれば鍵をかけ、誰も信用せず、誰にも頼らなかった。
もうこの街には、“信頼”と呼べるものは残っていなかった。
目の前で誰かが殺されても、誰も助けようとはしない。
それが自分の隣にいた仲間だったとしてもいや、だからこそ、誰も動かなかった。
下手に関われば、自分が次に狙われる。
それを、みんな肌で知っていた。
団結なんてものは、絆なんて呼ばれるものは、結局のところ、余裕と希望があって初めて成立するもんなんだ。
腹が減っていないこと。
明日があると信じられること。
そして、他人を信用しても裏切られないと思えること。
その全部が揃って、やっと人は「団結」できる。
それが1つでも欠けたら、もう無理だ。
人間は、あっという間に“他人の死”を当然とする生き物になる。
俺は、その現実を身をもって実感したよ。




