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22/32

廃町

 国道から一本目の道は、途中で塞がれていた。

 コンクリートのブロックが並べてあって、その向こうに、高さ三メートルの金網が張ってある。

 看板が立っていた。

 ——立入制限区域 千葉県 冒険者ギルド

 字が褪せている。県の看板は五年ごとに更新されると聞いたが、この看板は明らかにそれより古い。

 誰も見ていないものは、更新されない。


 夜の八時だった。

 軽バンを路肩に停めて、四人で降りた。私と、三隅と、すずと、郁。

 街灯がない。

 柵の向こうは、本当に何もなかった。

 建物の影はある。屋根の線が、星の明るさで少しだけ見える。だが、光が一つもない。

 三十年、電気が通っていない町というのは、こういう色をしている。

「加納さん」

 すずが小声になっていた。

「なんで小声なんですか」

「……なんででしょう」

 彼女は普通の声に戻そうとして、戻せなかった。

 三隅が柵に近づいて、指で網を弾いた。

 金属の音が、思ったより遠くまで響いた。

「加納さん。この柵、防獣用ですね」

「わかりますか」

「目が粗いです。イノシシは通れないですけど、四十センチのやつは通ります」

「通ります」

「じゃあ、何のために」

「人を入れないためです」

 三隅は手を下ろした。

「……人だけ、止めてるんですね」


 郁が赤外の双眼鏡を出した。

 ギルドの装備だ。謹慎明けの彼女がこれを持ち出せる理由を、私は聞かなかった。

「見える?」

「町の中央。……熱源、多い」

「数は」

「数えられない。塊で動いてる」

 彼女が双眼鏡を下ろした。

「加納さん。あれ、地上に出てる」

「夜だからです」

「そうじゃなくて。地上に出て、移動してる。群れで」

 私は柵に手をかけた。

 入れない。許可がない。入れば不法侵入で、うちの登録が飛ぶ。飛んだら、もうどこにも入れない。

 私は柵から手を離した。

「戸田さん。町の下水は、どこへ出ますか」

「え」

「三十年、人がいない町でも、雨は降ります。降った雨は、どこかへ出ます」

「なんで下水なんですか」

 すずが聞いた。

「町は喋らないので」

「はい」

「水が喋ります」

 彼女は少し黙ってから、鞄の中から採水瓶を出し始めた。

「……その言い方、ずるいです」

「ずるくないです」

「かっこつけてますよ」

「つけてないです」

「つけてます」

 郁が背中を向けて、肩を揺らしていた。


 図面を広げた。

 志渡町の下水は、合流式だった。汚水と雨水が同じ管を通る。私が子供のころ、大雨のたびに道路が冠水したのを覚えている。

 管は、町の南東へ集まって、印旛沼に注ぐ小さな川に放流されていた。

 放流口は、柵の外にある。

「行きます」


 車で十五分。

 川の護岸を歩いて、五分。

 コンクリートの放流口が、草に埋もれていた。直径一メートル二十ほどの管が、斜めに口を開けている。

 水が出ていた。細い。

 私はライトを当てた。

 管の内側に、白い膜が付いていた。

「加納さん、これ」

 三隅が屈み込んだ。

「油ですか」

「油です。三十年前の油じゃないです」

 私は指で擦った。乾いていない。

「新しいです」

 すずが採水瓶を出した。三本。彼女は指示しなくても、必要な本数を出す。

「加納さん。窒素とリン、たぶんまた出ます」

「出るでしょうね」

「三十年、人がいない町から、栄養が出るのはおかしいです」

「おかしいです」

 私は管の底を照らした。

 沈んだ泥の上に、黒い破片が散っていた。

 私はピンセットで一つ摘まんだ。

 卵鞘の殻だ。

 孵ったあとの、割れたやつ。

「何個ありますか」

 三隅が数え始めた。

 十を数えたところで、私は止めさせた。

「数えなくていいです」

「え」

「割れた殻がこれだけ流れてくるということは、上流に、数えられない数があるということです」

 私は管の中を、もう少し奥まで照らした。

 三メートルほど先で、光が届かなくなる。

 内壁に、擦れた跡が付いていた。横向きの細い線が、何本も。

 甲殻が擦れた跡だ。

「三隅さん。この管、人が入れますか」

「一メートル二十なら、腹這いで」

「入らないでください」

「入りませんよ」

「入りたそうな顔をしてました」

「……ちょっとだけ」

 郁が管の口を覗き込んで、すぐ体を起こした。

「加納さん。風が出てる」

「出てますね」

「この管、向こう側が開いてるってこと?」

「町の中の桝が、全部開いてます」

 私はライトを消した。

「蓋をする人が、三十年いないので」


 ライトを消した直後だった。

 管の中で、音がした。

 風の音ではない。乾いた、細かい音だ。

 私は管の口から一歩下がった。下がりきる前に、出てきた。

 三体。

 護岸のコンクリートは斜めになっている。足場が悪い。私は滑って、片手を突いた。

 突いた手のすぐ横に、一体が降りた。

 そこで、視界が塞がった。

 郁が、私と管のあいだに入っていた。

 斜面の、下側に立っていた。

 上から来るものを、下から迎える形になる。振り上げるのは、振り下ろすより力が要る。それでも下に立つほうが、私を背中に置ける。

 三体を、三回で処理した。

 そのあと彼女は、管の口に剣を構えたまま、二分ほど動かなかった。

「加納さん」

「はい」

「まだ来る?」

「来ないです。音が止まりました」

「音、聞いてたの」

「聞いてました」

「聞いてて、下がらなかったの?」

「下がりました。一歩」

「一歩じゃ足りない」

「そうですね」

 彼女は剣を下ろした。

「加納さん。あなた、自分が逃げ遅れる速度を計算に入れてない」

「入れてます」

「入れてたら、管の真正面に立たない」

 私は立ち上がって、ズボンの泥を払った。

「入れてます。ただ」

「ただ?」

「班長がいる前提で、入れてます」

 郁は何も言わなかった。

 しばらくしてから、こう言った。

「……それ、口説き文句だと思われるわよ」

「業務の話です」

「知ってる」


 水の分析は、三日かかった。

 すずは矢代教授の研究室の、まだ動いている機械を全部使った。退官まであと二週間だった。

 結果を、彼女は紙に書いてきた。

「窒素、リン、有機物、全部高いです。生活排水が出てる数値です」

「人がいない町でですか」

「いない町です」

 彼女は次の行を指した。

「それと、これ」

 私は読んだ。

 動物性タンパクの分解物。飼料由来の添加物。

「飼料?」

「配合飼料です。家畜用の。それが、水に溶けて出てます」

 すずが顔を上げた。

「加納さん。誰かが、あそこに餌を運んでます」

 事務所が静かになった。

 郁が壁から背を離した。

「餌を運ぶって……何のために」

「増やすためです」

 私は紙を机に置いた。

「餌がないと、共食いします。共食いすると、数が増えません。増やしたいなら、餌を入れ続けるしかない」

「どのくらい」

「あの規模だと、トン単位です」

 すずが息を呑んだ。

「トン」

「毎月、トラックが入ってます」

 私は志渡町の図面を見た。

 ゲートは三つある。北、南、東。

 どれも、県とギルドの鍵がなければ開かない。

「鍵の持ち出し記録、沢渡さんが請求してます」

「まだ来ないの?」

「行政文書は、二週間かかります」


 その夜、私はもう一度、柵の前に立った。

 一人で来た。

 双眼鏡はない。だから、何も見えない。

 見えないものを、私はしばらく見ていた。

 柵の内側、五十メートルほど先に、四角い影がある。

 平屋だ。屋根の形を覚えている。

 風向きが変わって、草が倒れた。

 その瞬間だけ、影の輪郭がはっきりした。

 建物の壁に、横長の板が付いている。

 看板だ。

 字は読めない。三十年、雨に打たれている。

 だが、私は書いてある字を知っている。

 父の同級生が書いた。字を大きくすると言って、本当に大きくした。

 ——加納防除サービス

 私は五分ほどそこにいた。

 それから、軽バンに戻った。

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