内通者
事務所の机に、三人で座った。
すずがホワイトボードに名前を書いていく。彼女はこういうとき、必ず紙ではなく板に書く。消せるからだと言っていた。
中野を先にすると決めた日から、府中で湧いた日まで、九日間。
その九日間に、順番を知っていた人間。
加納誠一。三隅亮。戸田すず。緋山郁。久住刑事。そして、沢渡。
「班長は違います」
三隅が即答した。
「なんでです」
「謹慎中に、あの写真を持ってきた人ですよ」
「それは理由になります」
私は言った。
「ただ、理由になるというだけです」
すずがマーカーを握ったまま、動かなかった。
「加納さん。私も入ってますよね、そこに」
「入れてあります」
「疑ってますか」
「疑ってないです。ただ、名前を消すのは、消す理由ができてからです」
「……その言い方、ほんとに」
「すみません」
「謝らないでください。正しいので、余計に腹が立つんです」
三隅がホワイトボードを見ていた。
「加納さん。俺の名前も入ってますよね」
「入れてあります」
「入れてもらってよかったです」
「なんでです」
「消してもらったら、逆に信用されてないと思うので」
彼はマーカーを取って、自分の名前の横に丸を書いた。
「俺、元ギルドです。疑うなら、そこが一番自然です」
「そうですね」
「言い切りますね」
すずが少し笑った。
笑ってから、自分が笑ったことに驚いた顔をした。
沢渡に会ったのは、二日後だった。
御茶ノ水ではなく、神田の喫茶店に呼び出した。
彼は約束の十五分前に来て、すでに座っていた。
テーブルに、クリアファイルが四つ並んでいる。色が分けてあって、インデックスが貼ってあった。
私は向かいに座った。
「沢渡さん。これ、今日のために作ったんですか」
「昨日の夜です」
「四つもですか」
「時系列と、決裁順と、部署別と、あと、加納さんに見せる用です」
「見せる用は、どれです」
「全部です」
「……順番は」
「黄色からお願いします」
彼は、その黄色のファイルに手を置いたまま、こちらへ滑らせなかった。
「加納さん。府中の件、聞きました」
「そうですか」
「私、あの書類を受理しました。四か所の一覧です」
「はい」
「あれ、どうしたと思いますか」
「回しましたよね」
「回しました」
沢渡はコーヒーに手をつけなかった。
「規定どおりです。業者からの情報提供は、施設調査課に写しを送って、原本を支部長決裁に上げます」
「支部長決裁」
「はい」
彼はそこで初めて、私の顔を見た。
「それだけじゃないんです」
「はい」
「私は、毎週金曜に、報告書を出しています」
鞄から、紙を出した。
様式の名前が印刷してある。
——指定業者 業務動向報告(週次)
「加納さんが今週どこに入ったか、次にどこへ行く予定か、誰と話したか。それを書いて、支部長に直接出しています」
私は紙を受け取った。
先週分だった。
中野、江戸川、府中、葛飾。訪問順。断られた理由。次週の予定。
全部書いてあった。
「これ、いつからです」
「四月からです。指定業者の契約と同時に、様式ができました」
「誰が作りました」
「……支部長です」
沢渡は膝の上で手を組んだ。
「私、疑いもしませんでした。うちは業者管理の様式が百以上あります。新しい様式が増えるのは、毎月のことです」
彼の声が、途中で掠れた。
「私が書いた紙で、用務員の人が」
「沢渡さん」
「私が書きました」
「書類を回すのが仕事の人に、中身の責任は取れません」
「取れます」
「取れないです」
「加納さん。あなたは、錦糸町のとき、自分で取ったでしょう」
私はカップを持ったまま、しばらく黙った。
「あれは、私が判断したからです」
「私も判断しました。様式に従うという判断です」
「従って正しい様式もあります」
「どっちか、書いてないんですよ」
沢渡は膝の上の鞄を、強く握っていた。
「二十年、どっちか書いてない紙を、毎日回してきました」
彼は下を向いたままだった。
私はコーヒーを飲んだ。少し冷めていた。
「沢渡さん。あなた、報告書の分類欄に『防除』を足そうとして、三回差し戻されましたよね」
「……はい」
「四回目は出しましたか」
「出しました」
「通りましたか」
「通りました。先月から、様式が変わりました」
私はカップを置いた。
「三十年変わらなかったものを、あなたが変えたんです」
「そんな大した話じゃ」
「大した話です」
私は紙を彼に返した。
「この報告書、来週も出してください」
沢渡が顔を上げた。
「え」
「やめると、向こうが気づきます」
「……加納さん、それは」
「今までどおり、本当のことを書いてください」
私は伝票を取った。
「次にうちがどこへ行くかだけ、私が嘘を教えます」
沢渡は、それから十分ほど何も言わなかった。
店を出るとき、彼は鞄を抱えたまま、歩道で立ち止まった。
「加納さん」
「はい」
「私、二十年、書類を回してきました」
「はい」
「現場に出たことは一度もありません。討伐を見たこともない。魔物を、実物で見たこともないんです」
九月の終わりの風が、少し冷たくなっていた。
「今回のことで、初めて思いました。私は、二十年、何も見ていなかった」
「見ていた人は少ないです」
「加納さんは見ていた」
「うちは、見るのが商売なので」
彼は頭を下げて、駅のほうへ歩いていった。
その背中を、私はしばらく見ていた。
見ていたのに、止めなかった。
あとになって、何度もそのことを考えた。
三日後の月曜、沢渡は出勤しなかった。
火曜も来なかった。
水曜の朝、郁から電話があった。謹慎が明けた日だった。
「加納さん。課長がいない」
「連絡は」
「取れない。携帯は電源が切れてる。家には帰ってない」
「警察には」
「出した。でも、大人が三日いないだけだと、動かない」
彼女の声の後ろで、支部の電話が鳴っていた。
「……それと、もう一つ」
「はい」
「書庫の鍵が、返ってない」
「書庫」
「地下二階。三十年ぶんの紙の記録が入ってる。電子化されてない分よ」
私は立ち上がった。
「班長。その書庫、今、入れますか」
「入れない。今朝から、施錠が変わってる」
「誰の指示です」
少し間があった。
「支部長」




