↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/32

事故ではない

 所轄の警察署で、私は二時間待たされた。

 出てきた刑事は、錦糸町のときと同じ人だった。四十代半ばで、髪が硬い。名前は久住といった。

「加納さん。うちは、これを事件として扱えません」

「そうですか」

「秩父の迷宮内での死亡です。現場は山梨県境に近い。管轄が入り組んでるうえに、迷宮内の事案はギルドが一次処理をします。うちに回ってくるのは、ギルドが回した分だけです」

「回ってきましたか」

「来てません」

 久住はお茶を出さなかった。出す気がないのではなく、忘れているようだった。

「単独入坑は規定違反です。違反者が死んだ場合、ギルドは事故として処理します。三十年、そうしてきました」

「年に何件ありますか」

「単独入坑の死亡ですか。……去年で十一件です」

「十一件、全部事故ですか」

「全部事故です」

 久住は指で机を一度叩いた。

「ご不満はわかります。ただ、うちが動くには、少なくとも遺体が管内で見つかる必要がある」

「わかりました」

 私は立ち上がりかけて、座り直した。

「一つだけ、聞いてもいいですか」

「どうぞ」

「検死の写真は、誰が見られますか」

「遺族です」

「遺族がいない場合は」

「……ギルドの担当部署と、うちの照会があれば」

 久住が初めてこちらをまっすぐ見た。

「加納さん。ご専門は」

「ゴキブリです」

 彼は三秒ほど黙った。

「……はい?」

「害虫防除業です。二十年やってます」

「ゴキブリの人が、なんで死亡事案を」

「死んだ人が、うちの現場に卵を置いてたからです」

 久住は、ボールペンをゆっくり置いた。

 それから、メモ帳を開いた。

「もう一度、最初から言ってください」

「どこからです」

「その、卵からです」

 私は三十分かけて説明した。

 久住はほとんど口を挟まなかった。挟んだのは二回だけだ。

 一回目は「卵鞘というのは、一つで何匹ですか」。

 二回目は「その理屈は、ゴキブリでも同じですか」。

「同じです」

「……私、家でゴキブリを見たら、スリッパで叩いてました」

「叩いても、卵は残ります」

 久住はメモ帳を閉じた。

「加納さん。今の話、うちでは動けません。それは変わりません」

「わかってます」

「ただ、私個人は、聞きました」

 彼は名刺を出した。

「何か出たら、ここに直接ください。動けないなりに、置き場所は作ります」


 写真は、三日後に郁が持ってきた。

 謹慎中の身で、どうやって取ったのかは聞かなかった。

 事務所の机に、A4の複写が十二枚並んだ。

 三隅が一枚見て、席を立った。戻ってこなかった。

 三隅は十五分後に戻ってきた。缶コーヒーを四本持っていた。

 一本ずつ配って、自分の分を開けずに机に置いた。

「すみません」

「いいです」

「俺、遺体の写真、初めてじゃないんです。冒険者のときに二回見てます」

「そうですか」

「二回とも、仲間でした」

 彼は椅子に座った。

「それでも、慣れないです」

「慣れる必要はないです」

 すずは動かなかった。白衣を着ていないのに、手つきだけが研究者のものになっていた。

「創は、左肩から胸です」

「一撃ですか」

「一撃です。甲殻種の前肢だと思います」

 彼女は写真を拡大鏡で追った。

「創縁が、きれいすぎます」

「きれい」

「抵抗がないです。防御創がありません」

 郁が腕を組んだ。

「B級が、正面から一撃を受けて、防御もしないってこと?」

「寝てたか」

 私は言った。

「動けなかったかです」


 私は十二枚目で止まった。

 全身の写真だった。

 深沢和樹は、作業ズボンと、迷宮用のジャケットを着ていた。

 足元が写っている。

「班長」

「なに」

「これ、何ですか」

 私は靴を指した。

 白い、合成皮革の運動靴だった。底が平らで、溝が浅い。

 郁が写真を引き寄せて、二秒で顔色を変えた。

「……嘘でしょう」

「B級が履く靴ですか」

「履かない。絶対に履かない」

 彼女は自分のブーツを指した。

「迷宮の下りは、濡れた岩の斜面よ。その靴で四十メートル降りたら、二十メートルで滑って死ぬ」

「二十メートルで済みますか」

「済まない」

 私は所沢のアパートのことを思い出していた。

 玄関の前に、泥の付いた登山靴が一足、置いてあった。

 波型の深いソール。爪先の外側だけが減っていた。

 あれが、この人の靴だ。

「靴は、家にありました」

 部屋が静かになった。

「加納さん」

 すずの声が震えていた。

「この人、迷宮に入ってないです」

「入ってないです」

「じゃあ、どこで」

「わかりません」

 私は写真を集めた。

「ただ、死んでから運ばれてます。四十二メートルまで」


 もう一つ、すずが見つけた。

 ジャケットの襟の内側に、黒い粉が付着していた。写真では豆粒ほどの大きさだ。

「これ、川崎の箱の底にあったのと同じだと思います」

「卵鞘の殻ですか」

「たぶん。本物が見たいです」

「証拠品です。触れません」

「わかってます」

 彼女は写真を睨んだ。

「でも、粉が襟にあるってことは、荷台に寝かされてます。顔を上に向けて」

 郁が壁を見ていた。

「……車が、アパートにあったのよね」

「ありました」

「なら、別の車で運ばれてる」

「運んだ人がいます」

 私は椅子に座り直した。

「その人は、四十二メートルまで降りられます。遺体を担いで」

「A級ね」

 郁が言った。

「B級じゃ無理。私でも、担いだら一時間かかる」

 彼女は自分の手を見ていた。

「国内に四十人いない」


 深沢和樹の部屋に入ったのは、その翌日だった。

 管理会社の立ち入りに、私が同行を申し出た。害虫の可能性があるので、と言った。嘘ではない。

 六畳と、四畳半。荷物は少ない。

 冷蔵庫の中は空だった。流しに、カップ麺の容器が三つ。

 押し入れの下段に、発泡スチロールの箱が二つあった。中身は空だ。

 机の上に、ノートが一冊置いてあった。

 私はそれを開いた。

 罫線のノートに、鉛筆で表が書いてある。

 日付、地名、建物の種類、そして数字。

 私は自分の手帳と並べた。

 神田。板橋。川崎。錦糸町。練馬。

 全部あった。

 数字は、卵鞘の個数だった。

「加納さん」

 三隅が後ろから覗き込んだ。

「これ、下に、まだ続きがあります」

 私はページをめくった。

 最後のページに、五行だけ、日付のない行があった。

 地名と、建物の種類だけが書いてある。

 一行目、中野。小学校。

 二行目、江戸川。小学校。

 三行目、府中。小学校。

 四行目、葛飾。保育園。

 五行目だけ、建物の種類が空欄だった。

 地名は、こう書いてあった。

 ——志渡


 三隅がノートを覗き込んだ。

「しど? どこですか、それ」

「千葉です」

 答えたのは、郁だった。

「二番目の迷宮が出た町。三十年前に放棄されてる。今は誰も住んでない」

「誰も住んでないなら、なんで書いてあるんですか」

 誰も答えなかった。

 私はノートを閉じた。

 閉じてから、表紙の隅に、鉛筆で小さく書かれた数字に気づいた。

 日付だった。

 九月十四日。

 深沢和樹が死んだとされている日の、二日後だ。

 死んだあとに、ページが増えている。

「班長」

「なに」

「このノート、書いた人は、もう一人います」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。