第451話:花言葉
マリ・オーネ国からウードン王国使節団が帰ったその夜、城内では細やかながら宴が開かれていた。
「我らのっ!」
マリ・オーネ国の上級文官が音頭を取る。
「「「勝利にっ!!」」」
それに続くのは文官たちである。
「マリ・オーネ国にっ!」
「「「栄光あれっ!!」」」
皆が乾杯と声を上げ、木製のコップに注がれたワインを一気に飲み干す。
皆が浮かれている。ただし、それは表面上だけで内心では自問自答していた。
本当にこれでよかったのか、と。
会談はマントゥール宰相補佐の八面六臂の活躍によって、終始マリ・オーネ国側に有利な条件で終えることができたのだ。
だが、マリ・オーネ国の文官としては超大国であるウードン王国に勝ってはいけないということを、彼らは理解している。圧倒的な軍事力や経済力を誇るウードン王国を相手に、一度の会談で勝ったからと、マリ・オーネ国が豊かになるわけではないのだ。むしろ、逆にウードン王国の不興を買って、どのような報復を仕掛けてくるかわかったものではない。当然、ウードン王国もあからさまな嫌がらせや外圧はしてこないだろう。簡単に思いつく例だと、マリ・オーネ国やブレイ湖を介さない新たな流通網の構築や、小麦や大麦などの穀物類の輸出入量を徐々に減らしていくなど、真綿で首を締めるような経済的圧力をしかけてくるなどだ。
もちろん、負けるのもいけない。外交の敗北が続けば、マリ・オーネ国はウードン王国の属国のような扱いを受ける。それだけは避けなければいけない。マリ・オーネ国は属国などではなく、1300年以上の歴史を持つ主権国家なのだから。
では、今回の会談でマリ・オーネ国の文官へ求められていたものとは? それは勝ちでも負けでもなく、玉虫色の決着こそを求められていたのだ。
問題は他にもある。
それこそ山積みであった。
たとえばウードン王国に指摘された迷宮の件である。この迷宮に関してマリ・オーネ国の文官ですら詳細な情報は知らないのだ。王家が秘蔵しているはずの迷宮に関する文献のみ、誰かが抜き取ったのではないかと思われるようにすっぽりと紛失していた。
わかっていることはなんらかの理由により、当時のマリ・オーネ国の王族たちが迷宮を封印したことと、迷宮は高ランクの鉱物系であることくらいだ。
この迷宮の所在が判明したのも、とある王族が口伝でその存在を思い出したことにある。まさかと思いつつも、その場所を調べてみれば、驚くことに封印を施された建築物が発見されたのだ。なぜ誰も気づかなかったかというと、建築物自体は地上ではなく地下に埋もれていたからである。長い年月とともに風土に晒されて埋もれたのか。またはもとから地下に建造したのかはわからなかったのだが、新迷宮の――――いや、封印されていた迷宮が実在したことに文官たちは一喜一憂した。
貴族や文官を集めた秘密裏に開催された会議では、様々な意見が飛び交う。
「鉱物系の迷宮というだけでもとんでもない代物なのに、それが高ランクとなれば他国が黙っていません。すぐにでも封印を解き、マリ・オーネ国が掌握するべきです!」
「バカなことをっ! なぜ王家が封印したかもわからぬ迷宮の封印を解くなど、愚か者のすること。再び入口を埋めて、迷宮の情報は秘匿するべきだ」
「いやいや、結論を急ぐのは浅慮というもの」
「私もそう思いますな。迷宮を封印した理由がなんらかの脅威あるいは技術的問題であったとして、それはあくまでも1300年前の話。現在の人類の技術力なら解決できる可能性は高い」
「口伝でわかっている範囲でもミスリル鉱石が採掘できることが判明している」
希少な金属で、市場に流せば即座に高価格で取引されるミスリル鉱石が採掘できるという言葉に、反対派の貴族や文官ですら目の色を変えてしまう。
「もし、仮にもしですが」
上級文官の一人が口を開く。
「口伝どおり潤沢なミスリル鉱石が採掘できたとして、それを我がマリ・オーネ国の兵全てに装備として配布できた場合――――ピェンズ卿、それはどのような効果をもたらします? ここは軍事に精通し、筆頭武官であるピェンズ卿の意見をお聞きしたい」
皆から注目を集める偉丈夫――――マリ・オーネ国の筆頭武官であるピェンズは興奮した周りを見渡しながら口をゆっくりと開く。
「それは劇的な変化をもたらすでしょう」
「劇的……ですか?」
「マリ・オーネ国の全兵士が武器から鎧までミスリル製で固めるということは、雑兵ですら強兵に変えるに等しいです。つまり、中堅国家であるマリ・オーネ国が、大国の軍事力に匹敵――――いえ、上回ることを意味します」
意見は大まかに二つにわかれていた。
迷宮の封印を解くべきでない派と、今すぐにでも封印を解いて活用するべき派である。
この日の会議ではピェンズの言葉もあり、封印の解除派が勢いづく。
だが、仮に迷宮の封印を解いて、いまだわかっていない封印されていた原因を取り除いて万事解決というわけではなかった。
問題は採掘した鉱石の精錬である。
採掘した鉱石をさらに砕くための破砕機や精錬炉には水車を利用している。これはレーム大陸の多くの国で一般的に伝わっている方法であるのだが、水車を動かすためには大量の水が必要で、さらに精錬屑などはそのまま川に流す、または流入してしまう。結果的に重金属汚染が発生するのだ。
水の女神サラアナを国教とするマリ・オーネ国が水を汚染するなど、国民からの反発は必至である。
その汚染水がブレイ湖に流入するようなことがあれば、どれだけの被害をもたらすかは文官でなくとも皆が理解していた。
だが、それでも目の前にあるとわかっているお宝の前では誰もが我を忘れる。利益を得ながら、不利益は被りたくない。それがマリ・オーネ国の出した結論であった。
国家事業として広大な水車用水路を作る。使用後の排水路が合流するのはブレイ湖ではなく、下流国へ流れていく川とする。
このことをブレイ湖から流れてくる川を生活用水として利用している下流国が聞けば、激怒すること間違いなしだろう。それでも甘い蜜の前では人はなんとも容易く手を汚してしまうことか。
マントゥール宰相補佐を頂とする文官たちが計画書を進めだす。驚くことにマリ・オーネ国の王どころか王族にすら許可を得ずにである。
だが、誰もこの件に関して邪魔どころか否定的な意見すら出す者はいなかった。すでにマリ・オーネ国がマントゥール宰相補佐なくてはまともに運営できないことを誰もが知っていたからだ。
「マントゥール宰相補佐は?」
宴の始まりにいたはずのマントゥールの姿が見えないことに、文官の一人が気づく。
「まだ仕事があると、宴が始まってすぐに退席されたよ」
「なんと……」
「日々の政務でも多忙なうえ、此度の会談準備でも走り回っていたはずなのに、まだ働かれるのか」
「憂国烈士とはあの方のためにあるような言葉だ」
「まさにっ。我らも気を引き締めて政務に当たらねば」
「うむ。あの方にとっては今回の勝利も既定路線なのだろう。そのずっと先を見据えて動かれておる」
酒精で不安を隠そうとしていた文官たちは、神妙な面持ちでマントゥールがいるであろう執務室へ視線を向けるのであった。
※
「失礼します」
言葉遣いとは裏腹に、気安い感じでマントゥールの執務室に入ってきたのはピェンズである。
「これはピェンズ卿、ようこそ我が執務室へ。なにもないところですが、ごゆっくりと――――」
唐突にピェンズが鼻で笑うと、マントゥールは口を閉じる。
「ここには私と貴方しかいませんよ」
「そうですか……ならば、遠慮する必要はない、か」
「ええ、そのとおり。なぜなら我々は同胞ですからね」
羽ペンを置き、書類を横にどけたマントゥールはピェンズを見つめる。
「なぜパラム・パプスにちょっかいを出したのかね。そもそも、今回の会議に君が出席する予定はなかったはずだ」
「貴方も知ってのとおり、私は強者と戦うのが趣味です。私のほうこそ聞きたい。なぜ私に協力してくれなかったのですか? 貴方が協力してくれていれば、パラムと模擬戦の一つくらいはできたのに。まさかとは思いますが、もし戦っていれば私が不覚を取るとでも?」
「逆だ。パラム如きに君が負けるわけがない」
他者がこの会話を聞いていれば目を剥いていただろう。レーム大陸に名だたる『ウードン五騎士』の一人、パラム・パプスを如きと称したのだから。
「私が勝つと不味いことでも?」
「あるに決まっている。あそこは個人の武力を競う場ではなく、政治的な駆け引きを行う場だ。これから会談を行う相手に喧嘩をふっかけて、勝つにしろ負けるにしろ――――いや、この場合は君が勝つのが決まっているのだから、私はともかくマリ・オーネ国が不利になる」
「私はただパラムと戦ってみたかっただけですよ」
「知っているよ」とマントゥールは――――ジョンは心の中で呟く。ピェンズは戦闘狂ではなく殺人狂である。常に誰かを殺したいと思っており、それは人種でなくてはならない。さらに戦う相手はそれなりに強く――――理想は自分より少しだけ弱い相手である。強者と戦うのが趣味と嘯くが、その内面は最後には自分が勝てる相手であることが絶対条件であることをジョンはよく理解していた。他者に嫌われることを恐れ、普段から言葉遣いや所作を気にかけている。そんな、なんとも卑屈なところをジョンは気に入っているのだ。
「理由ならもう一つあります。クレーメンス・クラウ・ニング・バルヒェットを一度、見てみたかった」
「ほう……。それは珍しい。君が強者でもない王に興味を持つとは」
「聞くところによると、ウードン王は貴方に似ている」
微笑みを絶やしたわけではない。だが、確実にジョンのまとう空気に変化が起きていた。
「私とあの狂人が似ていると? 誰がそんな戯言を君の耳に吹き込んだのかを、教えてくれないか」
「ジェラルドさんです。私が告げ口したと言わないでくださいよ」
この場にいない同胞の名を平気でピェンズは売る。
「彼には困ったものだ」
「同感です」
大きな身体を竦めながら、ピェンズは大袈裟な動作でジョンに同意する。
「それでウードン王ですが、なぜ今回の会議に同席したかです。もともとは来る予定ではなかったそうではありませんか」
それはジョンも疑問に思っていたことであった。そのせいでウードン王国からの使節団は責任者が宰相ボールズに代わったのだから。
「なにか勘づいているのでは?」
「私がそのようなミスをするとでも」
「いえいえっ。貴方が失敗をするはずがない。それはわかっています」
慌ててピェンズは否定する。額に汗を浮かべている様子からも演技には見えない。
「そこでジェラルドさんから聞いた話を思い出したのです。貴方とウードン王が似ているという。似ているということは、貴方ほどではないにしろ考えや見ている景色が近いのでは、と思いまして」
そこでピェンズはジョンの様子を窺うのだが、どれだけ注視してもなにを考えているのかがわからない。数百年の付き合いになるが、いまだにピェンズはジョンがなにを考えているのかを理解できたことがない。
「彼は60歳ほどだったかな。15歳から私と同じような経験を重ねてきたとしても、40~50年といったところ。そんな素人と私を比べるのはあまりにも失礼じゃないかな」
「別に貴方を侮辱しているつもりはありません。ただ――――そう、ただ危惧しているだけです」
「危惧?」
「ええ。あのときのように同胞が半減しないかを」
意地の悪い笑みを浮かべながら、ピェンズはジョンの反応を窺う。
「くだらない。あれは子息を失ったジョゼフの反応を見たいと、勝手な行動をとった愚か者たちが悪いのは君も知ってのとおりだ」
「そうでした、か?」
「私は事前にジョゼフには手を出すなと命じていた」
「ならば、勝手な行動をとった同胞の責任ですね。しかし、ジョゼフ・パル・ヨルムですか……」
剣呑な空気をピェンズは纏いだす。
「許可はしない」
感情の一切こもっていない言葉で、ジョンがピェンズを制止する。
「私が人族如きに負けるとでも?」
「興味がない。君がジョゼフに負けるとは思わないが、今はそんなことに構っていられる状況だとでも?」
「それは……そうですね」
現在の自分たちの状況を思い出したのだろうか。ピェンズは面白くなさそうにジョンの言葉に同意する。
「私が同胞を殺したジョゼフに手を出さないのは、決して恐れているからではない。彼に興味がないだけだ。生まれながらの強者がさらに強くなるのは当たり前のことではないだろうか。他者からすれば突出した個の力は魅力的かもしれないが、私が求めているのはそれではない」
「人類全体の底上げをしたい、でしたか。もう十分に達成しているのでは?」
「まだまだ不十分だ」
「レーム大陸という箱庭内だけですが、人類は十分な力を手にしたと思いますが」
「現状に満足すれば、あとは衰退していくだけだ」
「なんという向上心! 見習いたいものです」
「それよりも、もう少し抑えられないものかね」
なにについて抑えろと、ジョンが言っているのを理解したのだろう。ピェンズはジョンを見下ろしながら嗤う。
「同胞の趣味嗜好を否定または意見するのは禁止――――ジョン、貴方が決めたルールです」
一歩も引かないといった様子で、ピェンズはジョンを見つめる。
「それに、この場にいない御二方に比べれば、私など慎ましいものです。あの二人ですが、そろそろ限界みたいですよ。いつか爆発して大きな騒ぎになるのでは?」
「君の趣味嗜好を否定するつもりも意見するつもりもない。
理解していると思うが、我々の計画も大詰めと言ったところ。それが達成すれば晴れて自由の身だ。その後に各々が好きに振る舞えばいい。それまでは自制してくれないかと、提案しているだけだ。なにか私は間違ったことを言っているだろうか?」
深い笑みを浮かべながら見上げてくるジョンに対して、ピェンズは自らの頭を軽く叩く。降参しましたという意思表示である。
「ところで入ったときから気になっていたのですが、その花は?」
ジョンの執務机の上に置かれた鉢にピェンズは目を向ける。真っ赤な色をしたポインセチアのような花が鉢には植えられていた。
「これはウードン王からの贈り物だよ」
「貴方に花を愛でる趣味でも芽生えたのかと驚きました。その花は……名前は忘れましたが花言葉は『友愛』『祝福』――――あと一つ二つあったはずですが忘れました」
「友愛に祝福……くだらない」
※
とある迷宮の深層。
本来であれば深層に相応しいランクの魔物がいるはずなのに、生き物の息遣いどころか物音一つすら聞こえてこない。周囲を見渡しても魔物どころか生物の気配すらないのだ。
「始めるか」
「お~っ!」
巨大な全身鎧と対峙するユウが呟くと、ナマリとユウの頭の上に座るモモが右腕を掲げるのであった。




