第449話:使節団
マリ・オーネ国の第一王女が帰ったあと、そのままダッダーンは貴賓室で政務をこなしていた。先の戦争で国内は『不死の傭兵団』によって、荒らしに荒らされたのだ。現在進行系で復興中のモーベル王国では、やるべきことは山のようにある。ただでさえ、ダッダーンは先王や兄たちとは折り合いが悪い。それはつまり、彼らを支持する貴族たちとも良好な関係ではないことを意味していた。
「あら? 雌狐は帰られたのかしら」
軽快に羽ペンを走らせていたダッダーンの手が、その声に反応して止まる。
声の主は王妃である。
なんともわざとらしい言葉であった。
とっくに非公式会談が終わりセミラたちが帰ったことなど、王妃がダッダーンにつけている侍女から聞いているくせに白々しいにもほどがある。
「立場を考えたまえ。君がマリ・オーネ国の王女に対して、そのような発言をしたと噂されるだけでも政治的にダメージがあるのに、それが事実だと私と敵対している王族や貴族に知られればどうなるかくらいわかるだろう」
書類から目を離さずにダッダーンは王妃を窘める。その素っ気ない態度が王妃の気に障ったのだろう。
わずかに目を細めた王妃がソファーに――――ダッダーンの向かいではなく横に座る。
「なっ。なぜわざわざ私の横に座るのだ。座りたいなら――――」
ぷにっ。
そんな擬音が護衛や王妃の引き連れてきた侍女たちには聞こえた。
抗議するダッダーンを無視して、王妃はダッダーンの腹の肉を鷲掴みしたのだ。
「…………なんの真似だ」
静かに、だが不満を隠さず問いかけるダッダーンを無視しながら、王妃は掴んだ腹の肉を何度も揉みしだく。次第にダッダーンの眉間に皺が寄っていき、逆に王妃の顔からは険がとれていく。
「やめぬかっ」
「まあっ!」
自分の腹の肉を掴む手をダッダーンが払い除けると、大袈裟に王妃は驚く。
「日頃の政務でお疲れの陛下を、和ませてあげようという私なりの気遣いでしたのに……」
扇で口元を隠しながら泣き真似をする王妃を、ダッダーンは冷めた眼で見る。
公の場でこそ控えているのだが、ひと目のない場所や周りがダッダーンや王妃に仕える者しかいないと、途端に淑女らしからぬ真似を王妃はしでかすのだ。
「陛下が悪いのですよ? 私を蔑ろにしてマリ・オーネ国の女に手を出していたのですから」
「人聞きの悪いことを言うでない」
子供のようなワガママであるが、それでも王妃としてもダッダーンに対して不満はあるのだ。多忙なダッダーンにろくに構ってもらえないうえに、ネームレス王国でユウから購入したサロンの会員証もまだ一度も使えていない。それというのも、モーベル王国からネームレス王国へは気軽に行ける距離ではないからだ。ならば、ユウに頼んで時空魔法で繋いでしまえばいいと思うかもしれないのだが、それをダッダーンが許可しない。私的なことでユウを――――一国の王を使おうとするなど以ての外だと、強い口調で禁じられていた。
「それで?」
「それで、とは」
「余が全てを口にせねばわからぬか」
私人ではなく、モーベル王国の王として問いかけるダッダーンに、王妃は姿勢を正す。
「セミラ王女についているのは二人の従者のみでしてよ」
ダッダーンが指示したわけではない。だが、王妃ならばこの程度のことは言わずとも調べてくれているという信頼感があった。
「信じられん」
思わずダッダーンの口から言葉が漏れ出る。
一国の王女が会談のために他国へ向かうのに、その王族を護る者がわずか二人だけとは、ダッダーンでなくとも疑うだろう。
「君はどう思う?」
そう王妃へ問いかけるダッダーンだったのだが、当の王妃の様子がおかしい。
「どうした?」
「え? な、なんでもありませんわ」
他者に言えば信じてもらえないかもしれないが、王妃は真面目な顔をしていたダッダーンの横顔に見惚れていたのだ。身長194センチ、体重は約250キロもある巨漢のダッダーンにだ。お世辞にもダッダーンは容姿が優れているとは言えない。それでも幼き頃からダッダーンを知っている王妃からすれば、何者にも代え難い存在であった。
「余は国内の対処で他国への関心が低くなっていた」
「それは仕方がないことかと思いますわ」
ダッダーンの護衛の半数は外様――――近衛や正規の騎士ではない。よそから雇い入れた元冒険者や傭兵などである。これだけでもモーベル王国の人材難がわかろうというもの。足りないのは武力方面だけではない。内政を担当する文官も対立派閥の貴族たちの邪魔によって不足している。
もっとも、そのような輩たちは王妃が陰で処理していっているのだが、そのことをダッダーンは王妃に確かめたり咎めたりはしない。そんな余裕は現在のモーベル王国にないのだ。
「思えば、セミラ王女はわざと余に悪感情を抱かせるような態度を取っていた」
「なんのためにでしょうか」
「決まっている。余に、モーベル王国に迷惑をかけないためだ」
「マリ・オーネ国では王や王妃の体調が思わしくないようで、公務だけではなく私的な場にも姿を見せていないとか。そういえば……宰相も病気の療養を理由に政務から退いていますわ」
嫌な予感がダッダーンの脳内を駆け巡る。
マリ・オーネ国でなにか重大な問題が発生――――もしくはすでに起きている可能性があると。
そうなれば、モーベル王国も他人事ではない。ブレイ湖に接している国の中でも、もっとも豊かで軍事力が高いのがマリ・オーネ国なのだ。飛び火すれば、複数の国までも巻き込まれかねない。
「悪いがマリ・オーネ国を詳細に調べる必要がある」
「すでに手配していますわ」
打てば響く――――どころではない。ダッダーンが指示を出すことをわかっていたかのような対応の速さである。
「さすがだ」と褒めようとしたダッダーンなのだが、王妃が褒めなさいとばかりに両の手を広げている姿を見るなりげんなりしてしまう。こういうところがなければ、素晴らしく有能で文句のつけどころがないのにな、と。
ジリジリと迫ってくる王妃をダッダーンが手で制していると、貴賓室のドアがノックされる。護衛が対応していると、来たのは王妃配下の者のようであった。
「セミラ王女がすでに王都を発った!?」
「はっ。宿に戻ったあと、すぐに出払ったのを確認しています」
王妃と一緒に報告を聞いていたダッダーンは、すでにセミラ一行が王都を発ったと聞いて驚く。おそらく向かったのはウードン王国――――都市カマーだろう。ネームレス王国へ直接向かった可能性も否定はできないのだが、会談でユウが普段はカマーを中心に活動していることをダッダーンはセミラへ話している。
聡明で行動力のある才女であるが、それにしてもほどがある、とダッダーンは心の中で唸る。
(いや……違うっ。もしや、それほど余裕がないのか?)
「国内にいる間は護衛を兼ねて監視していますが、その後はいかが致しましょう?」
「ぬ? そう……だな。護衛はモーベル王国内だけでよい。それ以上は他国をいたずらに刺激してしまうだろうからな」
「かしこまりました。別件でもう一つご報告があります」
「私と陛下との時間を邪魔するだけの内容なのでしょうね」
ギロリ……と鋭い視線を向ける王妃に、ダッダーンは気にせず話すよう促す。
「マリ・オーネ国がウードン王国と会談をしている模様です」
「なっ……それは間違いないのか?」
「モーベル王国を経由するルートではなかったために、ウードン王国側の把握が遅くなったことをお許しください」
「いや、それは仕方がないことだろう」
マリ・オーネ国からウードン王国へ向かうルートは複数ある。ブレイ湖を経由するなら南側にあるモーベル王国にマリ・オーネ国から通牒が――――そこでダッダーンは思考を切り替える。
「いま…………ウードン王国側と申したか?」
「はっ。さすがは五大国の一つ、ウードン王国の使節団の規模は我々の想像を絶する規模です」
「ウードン王国がわざわざマリ・オーネ国へ足を運んでいるのかっ」
これには扇で口元を隠していた王妃も驚く。
いくらマリ・オーネ国がブレイ湖という重要な水資源の要所を押さえているとはいえ、五大国の一つであるウードン王国が下位であるマリ・オーネ国へ足を運ぶなど、外交上あまりよろしくはないのだ。これではウードン王国が他国に軽んじられてしまい兼ねない。
「使節団の規模は?」
「五千を超えます」
「は?」
思わずダッダーンの口から間抜けな声が漏れ出た。一般的な使節団といえば、護衛や身の回りの世話をする者を入れても数十人ほどで、多くても百人ほどだろう。
「いやいや、それはさすがになにかの間違いではないのか?」
「複数の者で聞き込んでいます。なにより五千人を超える一団を見落とすことはありません」
王妃の下で諜報員として活動してきた男は、王を前にしても怯まずに断言する。
「使節団の代表はわかっているのか?」
「はっ。ボールズ・フォン・バルリング――――ウードン王国の宰相です」
「なんと……ウードン王国の宰相自らが使者として足を運んでいるのか」
ウードン王国の宰相が使者として動くのであれば、五千人という途方もない使節団の規模も納得ができるものとダッダーンは頷く。しかし、王妃は報告者の男がどこか言い淀んでいる様子に気づいていた。
「まだなにか言うことがあるのではなくって?」
その言葉に男の身体がわずかに強張る。この男はモーベル王国の国王であるダッダーンよりも、王妃のほうが怖いのだ。
「未確認情報ではありますが……」
「早く言いなさいな」
「さらに重要な要人が同行していると……」
宰相であるボールズよりも重要な要人など、ウードン王国広しといえど一人しか思い浮かばない。
「マリ・オーネ国でいったい……なにが起こっているのだ」
動揺を隠せないダッダーンをよそに、王妃はその隙をついてダッダーンのお腹に顔をうずめるのであった。
※
マリ・オーネ国。
南部に広大なブレイ湖を擁する中堅国家である。
国民の多くは水の女神サラアナを信仰しており、また国教として公認されている。
レーム大陸北部の水瓶と呼ばれるブレイ湖の大きさは約40万平方キロ(※日本の国土面積は約37万8,000平方キロ)、これだけでもマリ・オーネ国がどれほどの水資源を所有しているのか想像がつくだろう。
「ようこそマリ・オーネ国へ」
マリ・オーネ王国の王城、門を抜けた先にある扉の前で多くの文官がウードン王国の使節団を出迎えた。
整列する文官の中から一人の男が前に進み出る。銀髪に青い瞳、年齢は50代ほどだろうか。中肉中背でおよそ武官とは思えない立ち居振る舞いであるが、ウードン王国側の使節団を護衛する者たちは油断をしない。自然な動きでボールズ宰相と、もう一人の要人の周囲へ気を配る――――というよりも、過剰に反応しているくらいである。
「マントゥール宰相補佐、気を悪くしないでほしい」
ボールズは頭こそ下げはしないものの、護衛の反応を非礼であると謝罪の言葉を口にしたのだ。これにはマリ・オーネ国側の者たちが驚く。大国の国政を統括する最高責任者が謝罪したのだから、驚くのも無理はないだろう。
「無理もないことでしょう」
だが、マントゥール宰相補佐と呼ばれた男は、特段驚く様子もなく自然体のまま鷹揚に応じる。
「なにしろ――――」
マントゥールの視線がボールズではなく、その背後にいる――――ボールズよりも厳重に護衛されている人物へ向かう。
「ウードン王国の王陛下がいらっしゃるのですから」
互いに微笑を浮かべたまま、マントゥールとウードン王――――クレーメンスの視線が交差した。




