第448話:厄介事
聖暦6年――――黒の聖女ことサクラ・シノミヤが存在する者を召喚した大罪により処刑されて、すでに数年が経過していた。
世界の命運をわける戦いによってもたらされた被害は甚大なものであったと、生き残った国の史料にも記載されている。
人族は自分たちが脆弱な種族であることを理由に後方支援――――最初からこのように対応することで人族の国家間では意思統一されていた。限りなく被害を抑える方向で存在する者との戦いに参戦したのだが、それでも決して少なくない被害を受けていたのだ。
人的被害をはじめ、各種インフラに自然環境の破壊――――文字どおり地形が変わるほどの攻撃が何百万と繰り返され、そのたびに人種は多大な犠牲を出して存在する者を追い返した。
参戦した人種の総数は億を確実に超えていると言われている。最前線では龍や古の巨人に天魔などに、それに従属する竜や巨人、さらに普段は人種から忌み嫌われているデーモンの姿まで、まさしく総力戦と呼ぶに相応しいだろう。
存在する者との戦いが終わったあと、エルフやドワーフなどの人種は住処や森などの復旧に努めることとなる。
このとき、他種族はまだ人族のことを侮っていた。肉体も魔法も大したことのない脆弱な種族だと。
膂力では獣人や鬼人などと比べれば足元にも及ばない。魔法はエルフやダークエルフから見れば、児戯に等しいほどの使い手ばかりだ。なるほど、他種族からすれば人族を脅威と訴えようものなら馬鹿にされるか、取り越し苦労と諭されるだろう。
しかし、彼らは知らなかった。貪欲に知識を欲し、他種族から学ぶことを恥と思わない。まともに戦って敵わない相手を前にして、搦め手を使うことを躊躇しない人族の精神性を。
恐ろしいことである。
共に戦った戦友だからと、脆弱な種族だからと、自分たちほどではないが被害が出ており、彼らも国の復旧に努めなくてはいけないからと、無警戒であったのだ。
まず標的になったのは獣人族であった。彼らの有力者のもとへ、子宮に呪詛を仕込んだ女性を送り込み――――獣人族の有力者と同族の女との間に子ができなくなり――――この謀略によって、ただでさえ存在する者との戦いで弱っていた獣人族の勢力は激減する。
他の種族に対しても、人族は躊躇することなく攻撃を仕掛けたのだ。無論、正面から戦えば負けるのは必定、たとえ勝てたとしても人族の国家も多大な犠牲を払うことになる。だから、獣人族にしたのと同じように搦め手を駆使した。
言葉にするのも悍ましい数々の謀略によって、他種族の支配地域を人族は奪っていく。それは、まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのように苛烈で、執拗であったとも言われる。当然、このような謀略を史料に記すことを人族の国家は許さなかった。
他種族が人族からの攻撃にようやく気づき始めたときには、もう挽回することはできないほどに人族は力をつけていたのだ。
そして――――標的は人種だけではなかった。
「これで終わりです」
厳粛な場なのだろう。重い空気が辺りを支配していた。様々な紋様を身体に刻みつけた女性が、終わりを告げる。その言葉を受け、女性の後ろに並ぶ面々は誰もが沈痛な面持ちであった。彼らの衣服は派手さはないものの、とても平民が手にすることができないような上等なものばかりである。
「なんてことだ……我らは取り返しのつかないことをしてしまった」
「致し方のないことです」
年長者の男性が嘆くように呟くと、女性は慰めるように言葉をかける。
「あなたにはわかるまい。この場所が、この迷宮がっ、どれほどマリ・オーネ国にとって重要な拠点であったのかをっ!」
興奮のあまり、ふらつく男性を傍にいる者たちが支える。
「陛下、お身体に障ります」
男性は、マリ・オーネ国の王であった。周囲にいる者たちも、親族――――つまり、王族である。
マリ・オーネ国は迷宮からの資源によって、国家を運営していたのだ。その迷宮を目の前の女性がなんらかの理由によって封印したのだ。
「我らはどれほど耐えればいいのでしょうか? 十年? それとも二十年? 私たちの子孫に再びマリ・オーネ国の恵みを譲り渡すことはできるのでしょうか?」
これからのマリ・オーネ国の未来を憂う者が、女性に話しかける。同じ気持ちであったのだろう。王は険しい顔で女性を睨むように凝視していた。
「彼の神の怒りが鎮まるまで」
その女性の言葉に、王を含む全員が息を呑む。興奮して顔を真っ赤にしていた王ですら、血の気が引いて真っ青になっていた。
「千年でも二千年でも――――いいえ、もしかすると神の怒りは永遠に続くかもしれません。それだけのことを人族はしてしまったのです」
改めて女性に言われるまでもないことを、彼らは自覚していたのだろう。一人、二人とすすり泣き始めると、それに皆が続いた。王は大地に跪くと、偉大なる父祖へ懺悔の言葉を口にしながら、滂沱の如く涙を流した。
※
「陛下、こうしてお会いできて光栄ですわ」
長い銀髪の美少女がカーテシーで軽く挨拶をすると、目の前の男性――――ダッダーンは真面目な顔でわずかに頷く。
「私もだ。マリ・オーネ国が誇る美姫――――セミラ・マリ・オーネ・キュリネ殿と非公式とはいえ、会談できるのだからな」
「お上手ですこと」
誰もが見惚れる微笑を浮かべるセミラを前にして、ダッダーンの顔に変化はない。
このようなやり取りを、ダッダーンは正直に申せば飽き飽きとしているのだ。自国のみならず、他国の王族や貴族との交渉事で下手に言質を取られないよう振る舞う気疲れとでも言おうか。どれほど目の前の少女が美しかろうが、その内面は王族としての厳しい教育を受けている。
そこに思うところがある、わけではない。王族として醜態を晒さぬよう言葉遣いから、一つひとつの所作にまで気を遣うのは当然であり、国民の代表である王族ならばそれはなおさらである。
だが、どうもダッダーンは昔から、そのような教育を受けた者よりも、伸び伸びと育てられている――――具体的にはネームレス王国の子供たちのほうが魅力的に見えるのだ。
事実、セミラの洗練された所作を前にしても、ダッダーンになにひとつとして感動を与えることはなかった。
そのあまりにも無関心なダッダーンの態度が気に障ったのだろう。セミラのお付きの騎士は顔こそ無表情であるのだが、身体からは不満な空気がありありと漏れ出ている。だが、騎士の隣に立つ少女は石のように感情が希薄である。この少女は――――服装や身につけているものから、魔法の使い手とダッダーンは判断する。
「まあ、そうなのですね」
当たり障りのない世間話から会談は始まる。
今回の非公式会談はセミラからダッダーンへ持ちかけたものであった。
マリ・オーネ国のお姫さまが、内緒でモーベル王国の王に会いたいとなれば、誰もが色々と察することができるだろう。実際にモーベル王国の王妃――――ダッダーンの妻は会談どころか会うことにすら大反対をしていたのだ。それはもう凄まじい反発であった。大貴族家の女性であるから、大っぴらに暴力を振るうような愚かな真似はしなかったのだが、それでもダッダーンは王妃からの嫌味や細かい嫌がらせで、本人曰く1キロは痩せ細ってしまったとのことだ。
「実は此度の会談の目的ですが――――」
「そら来た」と、ダッダーンは構える。マリ・オーネ国は大国に少し届かないくらいの中堅国家である。だが、その経済力や国民の数ではモーベル王国を圧倒的に上回るのだ。なにより、マリ・オーネ国はレーム大陸北部の水瓶と呼ばれるブレイ湖を国内に有している。ブレイ湖にはモーベル王国も接しているのだが、どちらかといえば水の流れから下流側であり、マリ・オーネ国が上流側を支配していた。
当然、モーベル王国は水利権の関係で、マリ・オーネ国を敵に回すどころか機嫌すら損ねるわけにはいかない。だからこそダッダーンは王妃からの反発があっても、国益のためにセミラからの非公式会談の要望を無下にはできなかったのだ。
「ダッダーン陛下。モーベル王国の復旧について、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「支援の話なら結構」
「いいえ、違いますわ。私が知りたいのはネームレス王国について――――それもサトウ陛下のことです」
想定していた予想とは違った。
戦争で疲弊したモーベル王国に手を貸すことで、なんらかの譲歩や要求をしてくるとダッダーンは考えていたのだ。
ロプギヌス王国との戦争で国内は荒れ果て、多くの支援を欲するモーベル王国に手を貸す。一見、聞き心地はいいのだが、支援しても回収できなければセミラ王女が良しとしても、マリ・オーネ国の王族や貴族が許さないだろう。
だからこそ、マリ・オーネ国はモーベル王国を支援しても回収できる見込みがあると判断しているのだろう、と。ダッダーンは予想していたのだ。両国の距離を考えれば、情報を入手することも諜報員を送り込むことも容易い。当然、モーベル王国が劇的に復旧――――どころか復興している最中であることも、セミラ王女であれば知っているだろう。
「私、サトウ陛下に興味がございますの」
嫌な汗がダッダーンの肥満体の身体を伝っていく。
「確かに私とサトウは、それはもう濃密な友人同士だが」
「まあっ」
お上品に口元を手で覆うセミラを見て、ダッダーンの警戒心はますます高まっていく。
「では、モーベル王国の劇的な復興には、サトウ陛下が関与しているのですね」
セミラ王女が才女であることは、モーベル王国の諜報員に聞くまでもなくダッダーンもよく知っている。
深窓の令嬢として扱われるのを良しとせず、自身の才覚で道を切り開く存在でありたいとは、幼少期のセミラの言葉だ。
「ネームレス王国に支援をしてもらっているのは事実だ。だが、それだけで復旧できるほど政は甘くはない」
「存じております。ダッダーン陛下や王妃さま、それに優秀な方々の多大なる尽力があってこそとお聞きしています」
目の前の少女が本当に15歳なのかと疑いたくなるほど、ダッダーンはやり辛い相手だと内心で思う。多少やり手の貴族や商人ならば、ダッダーンは簡単にあしらうことができるのだが、この少女は相手を否定せずに自分の思うように事を運ぶ術に長けていた。
「いやいや、そこまでは――――」
「ご謙遜を――――」
「私が思うに――――」
上手く言質を取られぬように会談を終わらせたいダッダーンの内心を見透かしているかのように、セミラはミラーリングやペーシングなどの話術で会談を進める。
普通の者ならば、この数十分の会話でセミラに心を開いていただろう。だが、ダッダーンは普通ではなかった。
「さすがはマリ・オーネ国の美姫と謳われるセミラ王女、本来であれば重苦しい会談も、あなたにかかっては茶会と変わらぬようですな」
「さて――――」と、会談を切り上げようとするダッダーンの空気を感じ取ったのだろう。お付きの騎士だけでなくもう一人の少女にもわずかに焦りの様子が見て取れる。
「サトウ陛下はウードン王国の故バリュー財務大臣の遺産を受け継いだとお聞きしていますわ」
非公式会談とはいえ、王族同士の会話の中であまりにも下世話な内容であった。
「セミラ王女、それはあまりにも――――」
これまで絶えず微笑を浮かべていたセミラから、笑みが消え去っていることにダッダーンは気づく。
「ウードン王国を実質支配していたバリュー・ヴォルィ・ノクス卿を、独りで滅ぼしたのは事実でしょうか」
「あなたはなにを……」
「マリ・オーネ国は欲しています」
「冷静になったほうがいい。サトウは一国の王だ。セミラ王女、あなたがいかに美しかろうが――――」
「聞けば、ネームレス王国は人口5万どころか、たかだか3万もいない弱小国ですわ」
ゆっくりと、ダッダーンの目が細まっていく。
「それ以上は――――」
「我がマリ・オーネ国は大国とまでもいかないまでも、人口は470万を超えます。亜人を侍らかすよりも、同じ人族を侍らかしたいと思うのが男性なのでは?」
「サトウはそのような者ではない」
「一国の王でありながら道楽で冒険者をしているそうですね。冒険者ギルドに対して思うところがあることも知っています。なんなら私自身の身を捧げても構いませんわ」
一国の王女が、それも中堅国家の第一王女が身体を捧げてでもユウを欲しがる姿に、ダッダーンの頭の中は冷えていく。
「セミラ王女、ここからは胸襟を開いて語り合いましょう」
「望むところですわ」
※
「セミラさま、よろしかったのですか?」
ダッダーンとの会談を終えたセミラたちはモーベル王国城下にある宿に向かっていた。
本来、他国の王族ともあれば、貴賓として相手国の城に泊まるのが通例である。それが非公式の会談であったとしてもだ。当然、ダッダーンもセミラたちが宿泊するものと思っており、手厚いもてなしの準備を進めていたのだが、それをセミラは丁重に断っていた。
「問題ありませんわ」
「ですが、ダッダーン陛下は支援者もろくにいない圧倒的に不利な第三王子でありながら、王位に就いた曲者です。マリ・オーネ国とモーベル王国の関係からも、決して敵に回していい存在ではありません」
お付きの騎士は険しい顔でセミラに忠言するも、当のセミラは全くと言っていいほど気にしていなかった。
「ダッダーン陛下はあの程度のことで気を悪くするような、器の小さな殿方ではありませんわ。それはあの場にいたニコラも理解しているでしょう」
「私が言っているのは、あの場にはダッダーン陛下以外の者もいたことです」
セミラが従者としてニコラたちを伴ったように、ダッダーン側も人数こそ絞っていたものの、護衛兼従者としてニ名が控えていたのだ。
「あの者たちはモーベル王国の王妃が手配した者に間違いありません。ブラダマも見ていただろう? あの者たちの私たちを見る目を」
「ニコラは気にしすぎじゃないかな。どっちかというと、ニコラのほうが険しい空気を漂わせてたよ。そのせいで会談がピリついてたと思うな」
「なんだとっ!」
「きゃっ。こわ~い」
「貴様っ」
手を伸ばすニコラから逃げ回るブラダマを見て、セミラは思わず笑ってしまう。
「セミラさま?」
「ごめんなさい。あなたたちを見ていたら、おかしくって」
「ほら~。ニコラのせいでセミラさまに笑われたじゃない」
赤茶のおさげの先を両手で掴み、ヒゲのようにしたブラダマが「ほっほっほっ」と、ニコラをからかう。
「ダッダーン陛下のおかげで、サトウ陛下の人となりはある程度はわかりました。あとは実際に会ってみましょう」
優しい声音であった。
だが、その中身は別物である。
決して譲れないものが、少女の心の奥深くに、芯として存在していた。
「マリ・オーネ国は欲しています――――」
再び、ダッダーンとの会談での言葉を復唱するようにセミラは呟く。
「――――強者を。それも圧倒的強者をっ」




