第446話:鼻ほじ
聖暦1297年――――『第三次聖魔大戦』の前年、デリム帝国では大きな政変が起こる。
デリム帝国皇帝ガンマ・デリム・レイ・オークレールの命令を無視して『セブンソード』のジョゼフ・パル・ヨルムが出奔したのだ。
たかが一貴族がいなくなっただけ――――とは誰も思わなかった。ジョゼフという存在はそれほどデリム帝国で、なにより他国にまでその名を轟かせていたのだ。
そして、ジョゼフがいなくなることを知っていたかのように、デリム帝国の貴族たちは一気に軍事権を奪い始める。いや、彼らからすれば、もともとは自分たち貴族が支配していた軍事権を、皇帝陛下より返していただいたと言うかもしれない。
このときの『セブンソード』は、古参のガース・ドーを除く他の五名をジョゼフが選んでいたのだ。最高武官である『セブンソード』の座にデリム人ではないダークエルフのガースが就いていることも異例なのだが、ジョゼフは他種族に対して偏見はないようで、有用であれば人族以外も重用していた。
だが、それもジョゼフがいたからこそである。五公爵一侯爵は『セブンソード』の席を自派閥の者で埋めたのだ。
歴史家の間では魔王軍の奸計により、ジョゼフの一人息子――――狙いはデリム帝国ではなく、ジョゼフ・パル・ヨルム個人であったのではないかと言われている。通常、魔王と呼ばれる存在は千年も前ならともかく、現在では国家戦力を以てすればそれほど恐ろしい存在ではない。それが顕現したての魔王であれば、なおさらである。では、なぜデリム帝国では――――かの魔王には七人の腹心がいたと言われている。
魔王軍――――通常であれば、魔王が支配下に置いた魔物が軍として機能することはない。だが、腹心たちは智謀に長け、また魔物を操る術にも長けていたのだ。腹心は自分たちのことを『魔遊将』と名乗り、暴れに暴れまわった。最終的な被害はレーム大陸全土で把握できているだけでも、百万を超える死者を出すに至ったという。
一部の歴史家はデリム帝国の貴族が魔王軍と通じており、軍事権を奪取するためにジョゼフの息子を――――あまりにも荒唐無稽である。確かに当時の貴族とジョゼフの仲は険悪で――――デリム人からの貴族に対する評価も非常に低く――――ジョゼフがいなくなったことで一番の恩恵を受けたのは、間違いなく彼らで――――――――しかし、だからといって人類が魔王と通じるなど――――憶測であり、なんら根拠も証拠もなく――――やはり、平民の間で流れる噂話程度の信憑性しかなく――――。
※
デリム帝国帝都ランドの皇城門に併設されている詰め所から、小さな呻き声が聞こえる。出入り口に立つ門兵は見張りのように、周囲へ目を光らせていた。
「あっがぁ……ぅ……っ」
詰め所内では高さ2メートルほどの砂の塊が蠢いていた。呻き声の発生源はそこからで、わずかに人の鼻と口らしきものが砂の塊から見え隠れしている。砂の塊が中のモノを締め上げるように蠢くたびに、骨が軋む音が聞こえた。大きな声が出せないのは砂に圧迫されて、満足に空気を肺に取り込めないためだろう。
「ラフルさま……些かやり過ぎではないかと」
見かねた門兵が諫言を口にする。いかにこの衛兵隊長の男が無礼な態度をとっていたとはいえ、同じデリム人である。自分たちも殴る蹴るなどの暴力を振るっていたとはいえ、これほどの拷問が許されていいわけがない。ある意味で、この門兵は自身の命を懸けた抗議でもある。なぜならデリム帝国の武の象徴である『セブンソード』に対して、口出しをしているのだから。
「これは驚きました。一介の衛兵にしては随分と我慢強いですね」
そんな門兵の諫言など聞こえてないとばかりに――――いや、実際に門兵如きの言葉など聞く気もないのだろう。手を止めるどころかラフルは微笑みを絶やさず、砂を操作し続ける。どうやらこの砂はラフルの魔法などではなく、ラフルが腰に佩いている剣に備わるスキルのようだ。その証拠に、砂を操作するラフルの左手は剣の柄を握っており、鞘からは魔力の発動と思われる淡い光が漏れ出ている。
ラフル・マル・シン――――それが『セブンソード』の一角を担う、この男の名前である。『近衛騎士団』団長を兼任しており、後ろ盾はワズール侯爵家だ。公爵から降爵したとはいえ、ワズール派閥の力は今も健在で『セブンソード』の一角を再び取り戻したことで、かつてほどではないにしろその勢いは増しているくらいであった。
「ラフルさま」
「どうしました?」
出入り口を見張る門兵を押し退けて詰め所に入ってきたのは、ラフルの従騎士を務める男であった。従騎士とは思えぬほどに着飾っており、ラフルの指示なのか、または影響を受けているのは間違いないだろう。
「お耳を」
従騎士の男はラフルの耳元で囁く。
「ほう……そういうことですか」
砂の塊を見つめながら、ラフルは呟く。
「だから門兵や私に――――いえ、私だからこそ言えなかったのでしょう」
衛兵隊長の男への興味はなくなったのだろう。砂の拘束を解くと、ラフルはその場をあとにする。
「おいっ。しっかりしろ!」
「医務室へ連れていくぞ」
「こいつを、か?」
「ああ、このままだと死ぬぞ」
「どういうわけか、ラフルさまは従騎士とともにどこかへ行ってしまわれた。俺たちがこの男の治療をしたところで、なにも文句を言われんだろう」
「しかし……いや、わかった」
門兵たちは、死にかけの衛兵隊長の男を担架に乗せると、急いで医務室へ運ぶのであった。
※
「なっ……なんだありゃ!?」
「嘘だろっ」
「信じられん。まさか再びお目見えすることが叶うとは」
帝都ランドの皇城へと続く大通りの道行く人々からどよめきの声が上がり、次々に足を止めて振り返る。
それもそうだろう。
なにしろ帝都ランドでも悪名高き子爵が血塗れで歩いているのだ。普段ならお付きの騎士を引き連れ、帝都ランドを我が物顔で練り歩く姿は多くの者が一度や二度は見ている光景である。
「お前、有名なのか?」
「ひぃっ」
ジョゼフに後頭部を叩かれた子爵は悲鳴を上げながらも、顔を上げることはなかった。普段、馬鹿にしている平民たちに今の自分の顔を見られたくないのだ。
(覚えているがいいっ)
必ず仕返しをしてやると、心の中で誓いを立てる子爵であったのだが、これこそ彼の性根を現していると言えるだろう。自分を叩きのめしたジョゼフではなく、なにもしていない平民への逆恨み。情けない姿を晒す自分を笑う者や憐れむ者に対して、尋常ではない負の感情を抱いているのだ。
「おい。さっさと案内しろ」
「は、はい」
だが、平民の多くは子爵ではなく隣の大男――――ジョゼフへ視線を向けていたのだ。デリム人から銀獅子と称えられていた長い髪こそ短くなっているが、その顔はまさしく『セブンソード』にして『獅子の騎士団』団長のジョゼフ・パル・ヨルムであったからである。
デリム帝国の国旗は赤字に黄金の獅子――――七つある騎士団の中でも、もっとも栄えあるのが『獅子の騎士団』と言われている。長いデリム帝国の歴史の中でも最強と謳われるジョゼフ・パル・ヨルムが帰ってきたのだ。道行くデリム人たちが足を止めて、どよめくのも無理はないことだろう。
特にデリム人たちが驚いたのはジョゼフの表情であった。子爵の頭を叩く顔はどこか意地悪そうに見えなくもないのだが『セブンソード』時代のジョゼフを知っているデリム人からすれば、信じられないほど穏やかな表情であったのだ。
「あのようなお顔をされるジョゼフさまは初めて見る」
野次馬の中にいた老人の一人が呟く。
昔からデリム帝国に伝わる悪鬼も裸足で逃げ出すと言われるほど『セブンソード』時代のジョゼフは、笑みどころか歯すら見せぬほど、常に周囲を威圧するような重苦しい空気を纏っていたのだ。
「相変わらず偉そうな門だな」
高さ約60メートル、幅約40メートルの皇城へと繋がる巨大な門を前に、欠伸をしながらジョゼフは見上げる。
「こ、これで私は――――」
もう皇城へは案内したのだから、お役御免とばかりに子爵は愛想笑いを浮かべながら逃げようとするのだが。
「ダメだ」
「な……なぜ? 皇城まで案内するというのが――――」
下唇を突き出しながら、なんとも人を苛立たせるような笑みを浮かべながらジョゼフは答える。
「嫌がらせだ」
「そ、そんなバカなっ」
「バカはお前だろうが。平民を苛めて悦に浸ってたくせによ」
「もう十分に辱めを受けた。それに、そうだ! 反省もしている! 二度と躾と称して平民を苛めないっ! 皇帝陛下の名に誓って!! い、いや、火の神――――ぎゃっ!?」
「くだくだ言ってねえで、行くぞ」
ジョゼフに引きずられる形で子爵は皇城門を潜る。
門から皇城正面玄関までの長いアプローチは、石畳が敷かれており、左右にはここが砂漠の国とは思えないほど彩り豊かな花々が咲き乱れて、見る者を楽しませる。
「無駄に長えんだよな」
門から皇城まで1キロを超える石畳を歩きながら、ジョゼフはぼやく。途中でいくつも門があるのも面倒だと思っているのだろう。
(おかしいっ)
子爵はようやく異常に気づく。
(なぜ誰もおらん?)
公式行事がなくとも、普段から皇城へ続く道には庭師や皇城に常駐する兵たちの姿が見当たらないのだ。
(そもそも、なぜ門兵は私とジョゼフを素通りさせたっ!?)
本来であれば、あり得ないことである。いかに子爵が同行しているとはいえ、声もかけずに素通りさせるなど。
(こ…………これは意図的に作られた状況――――)
子爵の全身から汗が吹き出す。肌を伝う汗のなんと冷たいことか。暑さではなく強いストレスから吹き出した冷や汗であった。
「そこで止まりなさい、下郎」
ジョゼフたちの眼前で一人の男が立っていた。言葉とは裏腹に、その顔はこのときを待ちわびていたぞとでも言いたげである。
青い兜に青い鎧――――青を基調とし、金の線を墨入れした装備は男のこだわりなのだろう。完全武装したラフル・マル・シンが腕を組みながらジョゼフを睨みつける。
「偉大なるデリム帝国の皇帝陛下がおわす皇城を、土足で――――」
だが、その横をジョゼフたちは素通りする。『セブンソード』であるラフル・マル・シンを無視したのだ。ただ、子爵はラフルに向かって、目でなにかを訴えかけているようであった。
「待ちなさい」
再度、ラフルが声を発するも、ジョゼフは足を止めない。
「待てっ!」
再々度、今度は声を大にして呼び止めるも、反応は返ってこない。
「ジョゼフ、待てと言っているっ!!」
「あ?」
名前を呼ばれて、ようやくジョゼフは足を止めた。だが、その振り返ったジョゼフの顔を見て、ラフルは怒りに顔を震わせる。なぜなら、ジョゼフは呑気に鼻をほじっていたのだ。敵を前に――――否、ラフルを敵と見なしていない。完全に舐め腐っているのだ。
「お前の知り合いか?」
子爵の身体が小刻みに震える。目に涙を溜めながら。
「た、頼む。ラフル卿、余計な真似はせず、私たちを通してくれぬか」
懇願であった。
それが互いのためになると。
「ご心配なく。この私が、そこの平民に負けるとでも?」
ラフルは子爵の心配を見抜いていた。自分がジョゼフに負けると思っているのだ、と。
だが、ラフルはジョゼフに負けるなどとは微塵も思っていなかった。ラフルは24歳、当時のジョゼフが戦っている姿など一度として見たことはない。それでも数々の逸話は知っている。
(『デリムの英雄』『槍天のジョゼフ』『平民の守護者』――――なるほど、いかにも市井の者が好きそうな二つ名です。だが、伝説など得てして過剰に盛られるもの)
ワズール侯爵派閥の秘蔵っ子として、ラフルは幼少期より大切に育てられてきたのだ。天賦の才を磨き抜くために、一流の武人に手解きを受け、14の成人になる頃には基礎どころか奥伝まで修めていた。
単独で魔獣を討つことも一度や二度ではない。数え切れぬほどの魔獣を屠ってきたのだ。こう言えば、ジョゼフはもっと強大な魔獣や竜種を屠ってきたと言う者もいるだろう。だが、それはラフルとて同様である。派閥の長であるワズール侯爵より単独での討伐を止められているだけで、その気になればいつでも斃せる自信がラフルにはあるのだ。
(ふんっ。数々の伝説とやらも『獅子の騎士団』を使ったか、誇張されたものでしょう)
龍をジョゼフが単独で斃したという話も、ラフルは信じていない。なぜなら、自分がそうだからだ。『近衛騎士団』を総動員して、それでも死闘を演じてやっと斃せるのが龍種である。
振り返ったジョゼフを見下しながらも、ラフルは武装を確認することを忘れない。
(槍だけか……)
完全武装だけではなく、万が一に備えてラフルは両脇に従騎士をはじめとする二十もの手練れの配下を忍ばせているのだが、これでは彼らが出る幕はないだろうと鼻を鳴らす。
「俺の邪魔をすんな。殺すぞ」
「殺す? 不敬な。誰に向かって物を言っているのですか」
両者の距離は十メートルほど。自分なら一足で距離を詰め、ジョゼフの首を斬り落とすことができるとラフルは微笑む。だが、それでは面白くない。勝つにしても僅差の勝利など論外。圧倒的な勝利をラフルは求めていた。
ジョゼフを討った者として、デリム帝国での発言力を増すため。一方的な勝利――――圧勝を欲しているのだ。
「あなたを討つことは、ワズール侯爵派閥の悲願」
ラフルの右手が剣の柄にかかる。
「個人的に恨みはありませんが、素直に死んでください」
砂を纏う刀身が鞘より抜き放たれると同時に――――ラフルは後ろ向きに倒れる。
胸部装甲――――ラフルのアダマンタイト製の鎧の胸部中央に拳大の穴が穿たれていた。おそらくは背中側にも同様の穴があるのだろう。
「なにがしたかったんだ?」
槍で刺突を放ったジョゼフは、あまりのラフルの弱さに困惑する。よその国の者ならばともかく、ここはデリム帝国である。自分の強さを知っている貴族が堂々と真正面から喧嘩を売ってくるなど、ジョゼフの記憶を探っても子供の頃くらいしかなかったからだ。
「あっ……ぁぁ…………だ、だから、私は言ったのだっ」
恐ろしいものでも見たかのように、子爵はジョゼフとラフルへ、交互に目を彷徨わせ呟いた。
(私は言った。私は悪くない! ああ……ラフルのバカがっ!! たかが『セブンソード』が、なぜジョゼフに勝てると勘違いしたのだっ!! ああ……だが、これは非常に不味いことになったぞ。ワズール侯爵派閥は、私がジョゼフをラフルのもとへ連れてきたと誤解して、必ず報復をするだろう。なんの非もない。哀れな私をっ。どうする!? どうすれば、この状況をひっくり返すことができる?)
「行くぞ」
「ひっ……は、はぃ」
あまりの早業であった。
両脇に潜んでいたラフルの配下たちは、眼前でなにが起こったのか目で捉えることすらできていない。ただ、わかっていることは、自分たちの主が死んだことである。
皇城へ向かっていくジョゼフの姿が徐々に小さくなっていくも、誰も主の仇を討とうと動き出す者はいなかった。
この場にいるのはいずれもレベル30を超える手練ればかりであったのだが、それほどの強者たちでもジョゼフという存在に恐怖するだけであったのだ。




