第431話:マッチポンプ開始
都市カマー貴族街に建ち並ぶ一件の豪邸。そこにムッスの配下である武官を始めとする百人ほどの衛兵が建物を護るように配置されていた。
「ムッス侯にもっと兵の増員を要請できんのかね」
豪邸の一室では、ソファーに腰掛ける五十代ほどの恰幅のいい男性が、横目で武官を見ながら愚痴るように話しかける。その背後に控える護衛たちは男性と同様に武官のことをよく思っていないのだろう。忌々しげな眼で武官を見つめていた。
「これでも十分な配慮をしているので、どうかご理解していただきたい。もしご納得いただけないのであれば、自領に帰られてはいかがでしょうか? そのほうが双方にとっても有益かと」
頼んでもいないのに己が身可愛さにカマーへ居座る貴族のなんと厚顔無恥なことか。仮に都市カマーに留まる貴族が惨鎧斬に襲撃されようとも、ムッスは痛くも痒くもなかった。
なぜならムッスは事前にゴッファ領に惨鎧斬が現れた情報を滞在する貴族たちへいち早く伝え、すぐに自領へ戻るよう勧めていたからだ。多くの貴族はムッスの言葉に従いゴッファ領をあとにしている。この状況でカマーに残っている者など、後ろめたいことがあると言っているようなものなのだ。
(なんたる無礼な物言いっ!! 私を誰だと思っている!! 私はウードン王国から子爵位を授かっているのだぞっ!! それを一介の兵士風情がっ!!)
この武官の言葉に、子爵の男性は激怒する。なぜならこの武官は騎士爵すら持っていないのだ。そんな自分と比べることすら烏滸がましいほどの差が、武官との間にはある。そんな武官が自分に対して舐めた態度で接してくるのだ。自尊心の強い貴族であればあるほど、許せるわけがない。
しかし――――
「なにかご不満でも?」
言葉遣いこそ丁寧であったものの、武官の声には威圧が込められていたのだ。
子爵は知らずのうちに右手が拳を握り締めていた。
怒りからではない。恐怖で、だ。
子爵の右手人差し指と中指には爪がない。まだ生えていないのだ。先日の尋問でこの子爵は素直に協力をしなかったために、人差し指と中指の爪を剥がされていた。そのときに尋問を担当したのが、目の前にいる武官であったのだ。当然、そんな真似を子爵の護衛が許すわけがないのだが――――彼らもよく見れば、顔や身体の至るところが腫れていたり青痣ができている。先日、聞き取り調査に来たムッス配下の武官率いる衛兵隊と衝突し、返り討ちに遭ったのだ。
「し、知っていることは話したはずだっ」
「ええ。ですから、わざわざ私たちが護衛をしているではありませんか」
“わざわざ”まるでお前などもう用済みなのだぞ、と言わんばかりの――――いや、武官の態度が言葉にせずとも雄弁に物語っている。
「なぜ私が惨鎧斬などという犯罪者に狙われなければいけないのだっ!」
「それは誰よりも、ご自身が知っているのでは?」
体を震わせ怒気を込めて叫ぶ子爵を、冷めた眼で武官は諌める。
「私ではないっ! 先祖の犯した罪をなぜ子孫が償わなければならぬ! 惨鎧斬も惨鎧斬よ! 感情の赴くままに暴れるなど、その辺にいる犬畜生と変わらぬではないかっ!! 王国法にそのような法が記載されているか? あるというのなら、申してみよっ!!」
「さて、私は王国法には疎いのでなんとも。ですが、領主が悪政を、または王へ反旗を翻したなどで、一族郎党が死罪になることはあるではありませんか」
「ふざけたことを抜かすでない!! 私は悪政を敷いたことも、王陛下へ反旗を翻したこともないわっ!!」
武官は「知ってて言っているのを理解しろよ」と、心の中で子爵を侮辱する。
「私は縁起物だからと父祖より頂いただけではないかっ! なぜ希少とはいえ、亜人のア――――く、臭いっ。なんだこの臭いは?」
激昂して大声で当たり散らす子爵であったが、その途中で風が――――まるで室内で暴風が突如発生したかのように荒れ狂う。
「こ、これはっ!」
室内の調度品どころか壁や天井までもが粉々になっていき、豪邸が瞬く間に更地と化していく。
吹き飛ばされぬように這いつくばる武官は、顔を僅かに上げて見た。そこにいつの間にか立っていた人物を。
「な、なんだこの化け物はっ!?」
「どこから現れたっ」
2メートルほどの、まるで岩の塊のような異形の鎧に身を包む惨鎧斬の姿に誰もが驚く。
「貴様が惨鎧斬かっ!」
突如、現れた異形の姿に武官は初見でもそれが惨鎧斬だとわかる。まさか日中に襲撃するとは、衛兵隊も舐められたものだなと武官の眼光が鋭くなった。
「こ、此奴が惨鎧斬!? ひぃっ」
武官の言葉を聞き、子爵が悲鳴を漏らす。
「ちっ」
さっさと逃げればいいものを、子爵は腰を抜かしてその場で尻もちをついているではないか。
暴風の中、武官は立ち上がって剣を抜く。
ムッスからは惨鎧斬と遭遇した際は交戦せずに逃げるよう言われている。そう、言われていたのだが――――一人の武人として一当たりもせずに逃げるなど、自尊心が許さなかったのだ。なにより――――
(『兇悪七十七凶』の中でも上位と謳われる惨鎧斬――――どれほどのものか、知りたい)
風切音が武官の全身を震わす。
(風ではなく正体は刃かっ)
轟音の、暴風の正体は無数に回転する刃であった。刃の巻き起こす風が、暴風のように轟音を鳴らしていたのだ。
「なにをしている! わ、私を護らんかっ!」
子爵が叫ぶと、床に転がっていた護衛たちは慌てて立ち上がり惨鎧斬へ向かっていく。
「一斉にかかれ!!」
「動くなっ!!」
身の程知らずにも惨鎧斬へ戦いを挑もうとする護衛たちを、思わず武官は怒鳴ってしまう。
「その屑を護るんだな?」
異形の鎧を纏う惨鎧斬の声は、鎧越しなのに透き通って聞こえる。
男の声、武官が想像していたよりも綺麗な声であった。
「ぶべっ」
剣を振りかぶった護衛の一人は、鎧ごと輪切りになる。おそらくは、自分の身になにが起こったのかもわからぬまま死んだのだろう。十もの肉塊に変わった同僚の姿に護衛は短い悲鳴を上げるも、護衛のリーダーからは構わず突っ込めと指示が出る。
「無益な殺生は好まない。引けば見逃してやるぞ」
護衛たちが懇願するように子爵を見れば、子爵は言葉にならぬ奇声を発して、しきりに惨鎧斬を指差していた。
「行くぞっ!」
まるで泣き顔のような表情で護衛の一人が命じると、四方八方から惨鎧斬へ襲いかかる。
「憐れ」
武官は惨鎧斬の動きを見極めようと、目を凝らしていた。だが、それでも目の前でなにが起きたのかが理解できない。気づいたときには、護衛たちは一人残らずミンチとなって原型を残さなかったのだ。血飛沫よりも細かく斬り刻まれた真っ赤な霧が辺りに漂う。
「隊長っ!」
瓦礫と化した豪邸の異変に武官の部下たちは動揺するどころかすぐさま動き、素早く陣形を組んで惨鎧斬を囲む。
「ほう……優秀だな」
常日頃から訓練を欠かさなかったのだろう。無駄のない衛兵の動きに惨鎧斬は敵ながら感心する。
「は、早く私を助けろっ! 惨鎧斬を倒したものには、報奨を与える!!」
子爵の言葉に動く衛兵はいなかった。彼らが仕えるのはムッスであり、どこぞの薄汚い子爵などではないからだ。
「指示を」
部下からの言葉に、いつもなら好戦的な武官は指示を出すことができなかった。なぜなら――――
(仕掛ければ死ぬ)
それは確定した未来かのように、武官の脳裏に濃く浮かび上がらせる。
「来ないのなら、こちらから――――」
「防御おおおおおおおっ!!」
絶叫するように武官は命じる。なぜ? という疑問よりも、身体に覚え込ませた訓練によって身体が勝手に動く。一斉に盾を構え、惨鎧斬の攻撃に備える衛兵隊であったのだが。
「ごはっ……」
「な、にが――――」
「耐えっ、れな……ぎがっ」
完全武装した衛兵隊が防御に徹してなお、惨鎧斬の攻撃は紙でも引き千切るように人体をバラバラにしていく。
「ぐおおおぉぉっ……!!」
そして他の衛兵のように、咄嗟に剣で受けようとした武官の右腕が、肘から先が消失していた。さらに衛兵隊も多くがバラバラに――――即死である。
「これで邪魔者はいない」
気持ち良さそうに惨鎧斬は天に向かって両腕を掲げる。
「ひぃっ。く、来るなっ。わた、私を誰だと思っている! このような狼藉はウードン王国が許さぬぞっ」
失禁しながら後ずさる子爵の前に惨鎧斬は立つ。
「ほう。では、お前の狼藉は誰が赦さないんだ?」
「私は、私の父祖は対価を支払った! 莫大な、そうだ! 莫大な対価を支払ったと聞いている。正当な取引で手に入れた物だっ!! それにそれだけの対価を支払って、手に入ったのは一部位の、それもほんの僅かだ。たとえ父祖に非があったとしても、わ、私には関係ないではないか」
喋れば喋るほど子爵の声は小さくなっていき、対して惨鎧斬の放つ魔力は強大になっていく。まるで惨鎧斬自身の怒りに呼応するかのように。
「お前は金で心臓を売るのか?」
「わ、わた、私は悪くないっ……信じてくれ」
「ベードの心臓を返してもらう」
「ベー……ド?」
「自分が食った相手の名前も知らないのか」
「待ってくれ! 私が食べたのは一口、いやっ! 欠片だ――――げぇっ!? ぎぃい゛い゛い゛いあ゛あ゛あ゛ああああああああぁぁぁぁぁっ!!」
何本もの金属の棒が子爵の身体を貫き持ち上げる。百キロを超える自らの自重によって、身体を貫く金属棒に身体を引き伸ばされ子爵は絶叫する。
「お前の苦痛に満ちた声が大きければ大きいほど、俺の乾いた心が癒やされていく」
新たに惨鎧斬が構築した細い金属棒の先端が変形していく。鋭角状に変化した金属が高速回転し始める。
「やっ、やめろおおおおっ!!」
わざとゆっくりと、惨鎧斬はドリルを子爵の胸部に押し込んでいく。麻酔なしで胸に穴を開けられるのはさぞ痛いのだろう。子爵は涙や涎、それに糞尿を垂れ流しながら慈悲を乞う。だが、惨鎧斬が赦すことは決してない。
「い゛だぃっ……い、いだいっ!! な……なぜ、わだじがああぁぁぁ…………はひ?」
突然ドリルの動きが止まると、子爵は驚いた顔をするのだが、少しして顔をしわくちゃにしながら惨鎧斬に礼を言い始める。
「あ゛、ありがとうっ! 反省する! 私は心を入れ替えて、今後は――――」
「なにを勘違いしている」
頭部の覗き穴越しに惨鎧斬と子爵の目が合う。凄まじい負を、恨みを宿した真っ赤な眼であった。よくわからない奇声を上げて、子爵はバタバタと藻掻くのだが、身体を貫く金属棒はビクともしない。
暴れる子爵を無視して、新しい金属を惨鎧斬は創り出す。四本の金属棒は先端がL字型になっている。それを子爵の胸部に開けられた小さな穴に無理やり押し込むと、子爵は声にならない絶叫を上げた。
「歯を食いしばったほうがいい」
これからなにが起こるのかを察したのだろう。子爵は「待っ――――」待ってくれと言いたかったのかもしれない。だが、L字型の金属棒がゆっくりと四方へ拡がっていくと、あまりの激痛に言葉を発することもできなくなる。
「返してもらうぞ」
無理やり拡げられた胸部の肉と胸骨の間に惨鎧斬は手を突っ込むと、子爵の心臓を引き抜く。生きたまま心臓を引き抜かれた子爵は、しばらくは死にかけの虫のようにバタバタと手足を動かしていたのだが、やがて血液が送られなくなったことによる酸素供給の停止――――特に脳が不味かった。その結果、意識を失い。そのままゆっくりと死んでいく。
武官を始めとする衛兵隊の生き残りたちも、惨鎧斬が行ったこの悍ましい光景に身震いする。
「ベード…………」
消え入りそうな声で、惨鎧斬は最愛の恋人の名を呟く。そして手にした心臓を鎧の胸部装甲部分に押し当てると、鎧と融合するように心臓が消えていく。
「ここでの目的は達成したが、お前らもこのまま帰るわけにはいかないだろう?」
あまりの惨劇に石像のように硬直する武官や衛兵たちに向かって、惨鎧斬は言葉をかける。
「生きている者は立ち上がれっ!! たとえ惨鎧斬に敵わぬとも、一矢報いてから死ね!!」
片腕を失った武官は剣を左手に持ちながら、衛兵隊を鼓舞する。生き残っている者で無傷な者など一人としていない。腕か足、あるいは身体のどこかを斬り裂かれ、傷口から臓物を零している者までいた。それでも武官の鼓舞に呼応するように立ち上がり始める。
「素晴らしい戦意じゃないか。どこぞの貴族の護衛とは大違いだな」
風切音が大きくなっていく。惨鎧斬の展開する円盤が高速回転し始めたのだ。
「久しく見なかったぞ。お前たちのような――――」
突如、頭上より振り下ろされた剣を、惨鎧斬の円盤が弾き返す。
「なんだ……またやられに来たのか?」
「誰がいつやられたですって?」
空中で体勢を立て直し、見事に着地を決めたクラウディアが惨鎧斬に言い放つ。
「クラウディアさまっ」
「酷い有様ね」
生きている者よりも死んでいる者の数のほうが多い。それに周囲を見渡せば、あるはずの大きな邸宅があった場所は更地と化し、濃い血の匂いが漂っている。
「あんたたちは引きなさい」
「ですが――――」
「足手まといって言ってるの」
ここで悠長に話し合っている場合ではないことは武官もよく理解している。だから、動ける者たちがまだ息のある者を抱えて退却していく。
「あら? 黙って見逃していいのかしら」
たとえ惨鎧斬が邪魔してきても、クラウディアは後方に円盤の一つも通すつもりはなかった。それでも惨鎧斬が黙って敵を、負傷者を見逃すことを意外そうに問いかける。
「取るに足らない雑魚だ。もっとも、お前もその一人だがな」
「言ってくれるじゃない」
精霊剣フィフスエレメントをクラウディアが掲げると、火・風・水・光の四つの精霊による刃が形成されていく。地の刃を創らなかったのはあえてである。前回の戦いから惨鎧斬の能力を以てすればクラウディアの地の精霊に干渉し、制御権すら奪われかねないことをよく理解していたのだ。
「前より数が少ないが、それで俺と戦うつもりか?」
言われなくてもわかっている、と。クラウディアはアイテムポーチより剣を何本も宙へ放り投げる。すると、まるで剣自体が生き物のように浮遊するではないか。
クラウディアの3rdジョブ『剣舞士』のアクティブスキル『剣舞』の効果である。
「その数で足りるのか?」
数十本もの剣を自由自在に操るクラウディアの技量は凄まじく、恐ろしい存在だろう――――ただし、相手が惨鎧斬でなければだ。万を超える円盤を操る惨鎧斬からすれば、数十本の剣など文字どおり物の数ではない。
(ララが俺の左後方に潜んでいるな。クラウディアが仕掛けると同時に合わせてくる気か)
惨鎧斬は都市カマー全域の大地を把握している。特に強者に関しては注意を払っており、クラウディアを始めとする『食客』の動向など常に把握されていた。
「ほんっとに舐めてるのね」
「舐めてる? これは余裕だ。お前たちではこの惨鎧斬に傷一つつけることす――――」
天より放たれた極大の雷が惨鎧斬に襲いかかった。




