進路の話 中編
「ただいま」
すっかり軽くなった進路票がまた少し重くなる。
「おかえりなさい。今日、バイトは?」
「おやすみだよ。あのね、今日は伝えたいことがあるんだ」
意を決して伝えると、お母さんは洗面所を指差した。
「まずは手洗いうがい」
「……はぁい」
すっかり出鼻を挫かれて、すごすごと洗面所に向かって手洗いうがいをする。
しっかり手を拭いて、今度こそソファに座るお母さんの前に正座で座る。
「お母さん。聞いてほしい話があるんだ」
僕の真剣な表情に、お母さんも居住いを正す。
僕は鞄から進路票を取り出すと、空欄の紙を差し出して言い切った。
「僕はメイクアップアーティストになる。お母さん達がなんて言おうとなる!そう決めたんだ!だから行かせてください!」
頭を下げて頼み込む。
直球勝負。
これしかない。
お母さんは、溜息を吐いた。
やっぱり、反対なんだろうか。
「私はね、あなたがどういうあなたでも受け入れるつもり。ここがあなたの家だということは忘れないでね」
母が少し震える手でサインを終え、ゆっくりペンを置いた。
割とあっさりと貰えたサインに唖然としてしまう。
「それで、どこの専門学校に通うつもり?この辺のメイクの専門なら……」
詳しく話を詰めてくる。
「お母さん、なんでそんなに詳しいの?」
「あなたの母親だもの」
あっさりと言われて肩の力が抜ける。
「てっきり反対されるものばかり思っていた……」
お母さんは悪戯っぽく答えた。
「反対してほしいの?」
「だって、いつも僕がメイクをするの反対するじゃないか」
今朝も一悶着あった。
「それはね、こんなご時世だから多様性なんて言葉もあるけれどあなたに苦労してほしくないからよ」
なんだ。味方はそとだけじゃなかった。
「……僕は、死ぬまで、死んでもお母さんの子供だよ」
母は言葉を足さずに、ただ微笑んで僕の頭を撫でる。
その横で、進路票に母が書いた父の名が残っている。
その日の晩。
夜、僕が寝静まったあと。
のんとなく見た夢の中の両親の中の会話、だと思う。
リビングの電気が消えて、両親だけが残っている。
お母さんはため息をつきながら口を開く。
「あの子、昔は私の口紅で遊んでいただけだったのに……こんなに強く主張するようになって……」
進路表にサインをしたボールペンで手遊びをする。
その横では多分お父さんが座って黙って聞いていた。
「心配なのよ。世間があの子を受け入れてくれるかどうか……。社会的にどう見られるか。私には守れないんじゃないかって」
お父さんはは落ち着いて聞いていて、少し頷く。
「お前が心配するのは当然だ。でも、あの子は自分で道を見つけてる。俺たちが信じてやらなきゃ」
そして母の肩を抱き寄せた。
「大丈夫だ。お前の子だもの」
お母さんはそこで初めて涙を溢した。
お母さんが泣くところを初めて見た僕は驚いてしまった。
「……強い子になったわね」
「強く育てたのはお前だよ」
お母さんは、お父さんの胸に顔を寄せて泣いていた。
そこで目が覚めた。
「お母さん、お父さん……」
今まで見ていたのは夢だ。
でも、なんとなく現実味がある。
考えても仕方がないか。
着替えてリビングへ向かう。
「おはよう」
「おはよう」
振り返ったお母さんの目元が赤かった。
夢の中で見た涙を思い出して胸がギュッとなった。
お父さんは一言だけ告げた。
「やりたいことがあるのならやりなさい」
僕は、また泣くもんかと我慢して、二人に頭を下げた。
「ありがとう!僕、頑張るから!」
進路票が埋まるまで、両親が取り寄せてくれたパンフレットや説明会の日程を確認しようと、朝食の場で話し合った。
進路票は、大切に僕の鞄のクリアファイルに仕舞われている。
提出日には堂々と出せそうだ。




