第53話 恋愛に、正解を作らないで
学校内の非公式アカウントに現れた、
『放課後相談室の恋愛ルール』
そこに書かれているのは、相談室で実際に話したことに少しだけ似ていた。
だからこそ、厄介だった。
間違っているのに。
完全な嘘でもない。
そして最後には、こんな予告まで添えられていた。
『次は、一ノ瀬先輩と高槻先輩が付き合うまでに使った“必勝ルール”を公開します。』
## 本文
昼休みの生徒会室で、ぼくは鳴海律くんのノートパソコンを覗き込んでいた。
画面に表示されているのは、学校内で生徒たちが使っている非公式の情報共有アカウント。
その中に、昨日から急に拡散され始めた投稿がある。
『放課後相談室の恋愛ルール①
一度振られたら、二回目の告白は禁止』
『恋愛ルール②
告白されたら、即答しない方が正解』
『恋愛ルール③
一度断った相手とは、距離を取るべき』
『恋愛ルール④
付き合っていないなら、好きでも否定すればいい』
そして。
『恋愛ルール⑤
相談室で出した答えに従えば、恋愛は失敗しない』
「……何これ」
隣で画面を見ていた一ノ瀬ひより先輩の声が、いつもより低かった。
今日は肩より少し下まで伸びた髪を、低い位置でゆるく結んでいる。その毛先を指先でいじっている時は、だいたい考え事をしているか、少し怒っている時だ。
「全部、少しずつ違います」
ぼくが言うと、鳴海くんも小さくうなずいた。
「はい。でも、完全な作り話でもありません」
「それが一番嫌だなあ」
ひより先輩が椅子へ座る。
たとえば、小野寺美月さんは告白されてすぐ返事をしなかった。
でも、それは「即答しない方が恋愛に有利だから」ではない。
自分の気持ちがまだ決まっていなかったから、「考える時間がほしい」と伝えただけだ。
柴田奏太くんは告白を断った。
だからといって、相談室が「告白されたら断ってもいい」と一律のルールを作ったわけでもない。
早瀬真琴さんには、まだ柴田くんを好きでいてもいいと話した。
けれど、「二回目の告白は禁止」と決めたわけではなかった。
一人ひとりの状況を切り取って、短い言葉に変える。
それだけで、意味はかなり変わる。
「コメント欄も見ますか」
鳴海くんが聞いた。
「怖いけど、見る」
ひより先輩が答える。
画面を少し下へ動かすと、すでに何十件も反応がついていた。
『“まだ決めない”って相談室の定番らしいよ』
『付き合ってるかどうかと、好きかどうかは別なんだって』
『告白された側も断っていい。相談室公認』
「公認してない」
ひより先輩が即座に言った。
さらに、
『振られても好きでいていいらしい』
『一ノ瀬先輩と高槻先輩も相談室ルールで付き合ったんでしょ?』
そこで。
ひより先輩の指が止まった。
「……書記くん」
「はい」
「私たち、相談室ルールで付き合った?」
「そんなものはありません」
「だよね」
「むしろ、かなり遠回りしました」
「そこは余計」
鳴海くんが、ほぼ無表情のまま言った。
「たぶん、その遠回りも“テクニック”として処理されます」
「やめて」
「焦らす、とか」
「鳴海くん」
「はい」
「どこでそんな言葉覚えたの?」
「コメント欄です」
それなら仕方がない。
……いや。
仕方がないのだろうか。
*
「これ、急に始まったわけじゃないかもしれません」
鳴海くんが別の画面を開いた。
以前の投稿を、公開されている範囲で遡ったらしい。
一か月ほど前。
『放課後相談室って、すぐに答えを出さなくてもいいらしい』
三週間前。
『付き合ってない=好きじゃない、ではないらしい』
さらに少し後。
『好きな人に変な噂があっても、本人に確認した方がいいって』
どれも、相談室の名前が出ていたり、出ていなかったりする。
「……前からだったんだ」
ひより先輩が呟く。
ぼくにも思い当たることがあった。
森下葵さんは、「まだ決めないって、相談室ではよく言うらしいですね」と言っていた。
小野寺さんも、「まだ答えないって結構便利ですね」と笑っていた。
ぼくの「必要なので」まで、なぜか少し知られている。
その時は、相談室が有名になってきたのだと思った。
でも。
有名になったのは、場所だけではなかったらしい。
ここで交わされた考え方そのものが、少しずつ短い言葉に変わって、学校中を歩き始めていた。
「相談内容が漏れてる可能性は?」
ひより先輩が聞く。
「否定はできません。でも、今の投稿だけでは判断できません」
鳴海くんの答えは、いつも通り慎重だった。
「相談者本人が友人へ話すこともありますし、相談後の行動は外から見える場合もあります」
たしかにそうだ。
宮原咲良さんは、付き合っていないという噂を自分で否定した。
柴田くんが告白を断ったことも、同級生は知っている。
森下さんと神谷航くんが一緒に帰ったことだって、誰かが見ていても不思議ではない。
「相談内容を知らなくても、結果だけ並べれば、それっぽい法則は作れます」
鳴海くんが言った。
ひより先輩が少し眉を寄せる。
「結果だけ見て、理由を勝手につける?」
「はい」
ぼくは画面を見ながら答えた。
「たぶん、それが起きています」
本当に起きたこと。
でも。
本当とは違う意味。
どこかで覚えのある構造だった。
*
放課後。
相談室には、三枝莉子先輩、久世綾音先輩、黒崎悠真先輩、佐伯先生にも来てもらった。
三枝先輩は高い位置で黒髪を一つに結んでいる。席に着くなり、前置きなしで確認を始めた。
「相談記録への不正アクセスは?」
「確認できていません」
「盗聴は?」
「現在は兆候なしです」
「アカウントの乗っ取り?」
鳴海くんが答える。
「少なくとも、今ある情報だけでは判断できません」
三枝先輩は一度だけうなずいた。
「なら、御影の件と同じだと思わないこと」
「はい」
ひより先輩がすぐ答えた。
それは大事だった。
以前の事件では、盗聴や偽造音声、アカウントの悪用まであった。
だから似たことが起きると、どうしても「また誰かが秘密を盗んだ」と考えたくなる。
でも。
似ていることと、同じであることは別だ。
久世綾音先輩が、整ったボブの髪を耳へかけながら画面を見た。
「今回の問題は、秘密そのものよりも、公開された断片の扱いかもしれませんね」
「断片?」
ひより先輩が聞く。
「はい。例えば小野寺さんの件です」
久世先輩は『告白されたら、即答しない方が正解』という投稿を指した。
「実際に起きたことは、“答えが決められなかったので、時間がほしいと伝えた”ですよね」
「はい」
「でも、そこから事情を取り除けば、“即答しない方が恋愛に有利”というルールにもできます」
「音声編集みたいですね」
鳴海くんが言った。
みんなの視線が彼へ集まる。
「言っている単語が本物でも、前後を切れば違う意味になる」
その言葉で。
ぼくも。
ひより先輩も。
少しだけ黙った。
御影音羽さん。
『私の声なのに、私の言葉じゃない』
今回の重さは違う。
手段も違う。
でも。
本物の断片を使えば、本物らしい嘘を作れる。
そこは似ている。
「じゃあ投稿者を見つけて消させる?」
ひより先輩が聞いた。
三枝先輩がすぐ返す。
「消したら終わる?」
ひより先輩は一度口を閉じた。
「……終わらない」
「でしょ」
「もうスクショもあるよね」
「あります」
鳴海くん。
三枝先輩が腕を組む。
「なら、“誰がやったか”より先に、“何が広がっているか”を見る」
短い。
でも。
今はそれで十分だった。
*
佐伯先生が聞いた。
「相談室から、正式に何か出しますか」
ひより先輩は、「出します」と言いかけた。
でも。
止まった。
「……何を否定するか、ですよね」
佐伯先生が少し笑う。
「そうです」
三枝先輩が指を三本立てた。
「恋愛の正解集はない」
一本。
「必勝法もない」
二本。
「一人の相談結果を、ほかの人へそのまま使わない」
三本。
「これでいいでしょ」
「莉子先輩、早いですね」
「必要なことだけだから」
その横で。
ひより先輩は画面の最後の投稿を見ていた。
『次は、一ノ瀬先輩と高槻先輩が付き合うまでに使った“必勝ルール”を公開します。』
「あと」
「何?」
三枝先輩が聞く。
ひより先輩は少し迷ってから言った。
「私たちを、成功例にしないでほしい」
黒崎先輩が目を上げる。
「成功例?」
「相談室のやり方を守れば、私たちみたいに両想いになれる、みたいな」
少しだけ顔が赤い。
でも。
声は真剣だった。
「私と書記くんが付き合ったことは、相談室の考え方が正しい証明じゃない」
その言葉で。
また。
音羽さんを思い出した。
ひより先輩自身も気づいたらしく、少し表情を曇らせる。
「……前に似たこと言われたな」
「意味は違います」
ぼくは言った。
「うん」
「比べる必要もありません」
「そうだね」
ただ。
人の経験を。
何かの正しさを証明する材料にしない。
そこだけは。
忘れない方がいい。
*
その日の夕方。
相談室の掲示板へ、一枚新しい紙を貼った。
『放課後相談室からのお知らせ』
放課後相談室には、「恋愛ルール」や「必勝法」はありません。
同じ出来事でも、相手や関係、時期、本人の気持ちによって答えは変わります。
これまでの相談結果を、ほかの人へそのまま当てはめることはできません。
私たちは恋愛の正解を決める場所ではなく、自分で決めるために一緒に考える場所です。
「少し長い」
三枝先輩。
「莉子」
ひより先輩が困った顔をする。
「でも、削らなくていい」
「じゃあ最初からそう言って」
久世先輩が小さく笑った。
「私も、この程度なら必要だと思います」
最後に。
ひより先輩がペンを取った。
文章の一番下。
小さく。
一行だけ付け足す。
『失敗しても、相談できます。』
「これ」
ぼくは言う。
「必要?」
先輩が聞く。
「……残しましょう」
「即決?」
「相談して失敗しない場所、ではありませんから」
ひより先輩が。
少し嬉しそうに笑った。
「うん。私もそう思う」
そこまでは。
まだ。
相談室の外で起きている騒動だった。
*
翌日。
相談室へ向かう途中。
前を歩く一年生の女子二人の声が聞こえた。
「ねえ、今日出るんでしょ?」
「嫉妬させるやつ?」
ぼくとひより先輩の足が。
ほぼ同時に止まった。
「一ノ瀬先輩と高槻先輩も、それで付き合ったらしいよ」
二人はそのまま角を曲がっていく。
追わない。
名前も確認しない。
必要がない。
ひより先輩だけが。
少し低い声で言った。
「書記くん」
「はい」
「私たち、いつ嫉妬作戦した?」
結城晴人くんが。
ひより先輩へ告白した。
それを聞いて。
ぼくは嫌だった。
その後。
ぼく自身が。
ひより先輩への気持ちを認めた。
外から結果だけ見れば。
たしかに。
『別の男子に告白されて、高槻湊が嫉妬した』
そういう話にできる。
でも。
結城くんは。
ぼくたちをくっつけるために告白したわけではない。
本当に。
ひより先輩を好きだった。
「……嫌だな」
ひより先輩が言う。
「はい」
「私たちだけじゃない」
「はい」
「結城くんの気持ちまで、恋愛テクニックの材料になる」
それが。
一番。
違う。
*
相談室へ入ると。
鳴海くんが待っていた。
「新しい投稿です」
画面。
『放課後相談室 恋愛必勝ルール①』
投稿の見た目まで。
以前より派手になっている。
『好きな人に意識してもらうには――嫉妬させる。』
ひより先輩の顔から。
少し表情が消えた。
続き。
『高槻先輩は、一ノ瀬先輩が別の男子から告白されて初めて自分の気持ちを認めた。』
『つまり、好きな人を振り向かせたいなら、第三者を使って嫉妬させるのが効果的。』
「違う」
ひより先輩が。
はっきり言った。
「結城くんは、私を本当に好きだった」
「はい」
「誰かを嫉妬させるための役じゃない」
「はい」
「それを勝手に“第三者を使え”に変えないで」
怒っている。
今度は。
かなり。
鳴海くんが聞いた。
「投稿者を調べますか」
ひより先輩がぼくを見る。
「書記くん?」
「後です」
「今は?」
「このルールを」
ぼくは画面を見る。
「本当に使おうとしている人がいないか。それを先に確認したいです」
ネットの中だけなら。
まだ。
訂正できる。
ただの噂なら。
少しずつ弱くなるかもしれない。
でも。
誰かが。
これを“正解”だと信じて動いたら。
話は変わる。
その時だった。
相談受付箱から。
コトン。
と。
紙の落ちる音がした。
*
箱を開けると。
一枚の相談用紙。
名前。
一年五組。
日向紗良。
文字は。
かなり乱れていた。
消しゴムで何度も消したらしく。
紙の一部が薄くなっている。
相談内容。
『好きな人を振り向かせるために、別の男子と付き合っているふりをしようと思います』
ぼくの手が。
止まった。
ひより先輩が横から読む。
『恋愛ルールに、好きな人を嫉妬させると効果があると書いてありました』
そして。
『協力してくれる男子も見つけました』
そこから先。
さらに。
文字が乱れている。
『本当は、こんなことしたくありません』
ひより先輩が。
少し息を吸った。
『でも、好きな人が今日、別の女子と一緒に帰るかもしれません。その子は前から彼を好きだと言っています』
『昨日、その子から「今日、ちゃんと話すつもり」と言われました』
次の一文だけ。
筆圧が強い。
紙の裏まで。
跡がついていた。
『私が何もしなかったら、今日で終わる気がします』
ひより先輩が。
紙を見ながら呟いた。
「この子……ルールを試したいんじゃない」
「はい」
「怖いんだ」
何もしない間に。
好きな人が。
別の誰かを選ぶ。
その焦りの中で。
『嫉妬させればいい』
という。
簡単な答えを見つけた。
さらに読む。
『だから先に私にも彼氏がいると思わせて、少しでも気にしてほしいです』
そして。
最後。
『協力してくれる男子には、本当の理由は言っていません』
ぼくは。
もう一度読む。
ひより先輩も。
同じ行を見た。
「……どういう意味?」
その下に。
小さく続きがある。
『「少しだけ彼氏のふりをしてほしい」とは言いました。でも、私が別の人を好きなことは言っていません』
さらに。
『たぶん、向こうは私が自分のことを好きなんだと思っています』
相談室。
静かになる。
好きな人。
その人へ告白するかもしれない女子。
そして。
偽の恋人役を頼まれた男子。
その男子は。
自分が。
別の恋愛のために利用されることを。
知らない。
「書記くん」
ひより先輩が。
小さく言った。
「これ、明日まで待たない方がいいよね」
「はい」
ぼくも。
同じだった。
焦っている今だからこそ。
何かを始める前に。
一度。
止まって話した方がいい。
その時。
相談室の連絡端末が震えた。
日向紗良。
本人から。
『すみません』
次。
『明日からの予定だったんですけど』
さらに。
『今日に変えます』
ひより先輩の顔が。
変わった。
次々。
メッセージが届く。
『好きな人と、その子が今、昇降口にいます』
『二人で帰るみたいです』
『無理です』
『見てられません』
『今やらないと、たぶん間に合わない』
ぼくはすぐに返信する。
『今どこですか』
既読。
返事。
『旧体育館の横です』
『協力してくれる人も来ます』
時計。
午後四時十三分。
『まだ始めないでください。相談室で話せますか』
送信。
既読。
返事は。
すぐには来なかった。
十秒。
二十秒。
ひより先輩が。
低く結んだ髪の先を強く握る。
「書記くん」
「はい」
「返ってこない」
三十秒。
ようやく。
端末が震えた。
『ごめんなさい』
続けて。
『もう呼びました』
さらに。
『今から、その人に腕を組んでもらいます』
ひより先輩が。
息を止める。
『好きな人が、こっちを見るまでです』
ぼくは佐伯先生へ連絡する。
ひより先輩も。
焦ってはいる。
でも。
勝手に飛び出さない。
以前なら。
もしかすると。
走っていたかもしれない。
今は。
一度。
止まる。
その間にも。
日向さんから。
メッセージが届く。
『来ました』
『私、ちゃんと笑えるかな』
そして。
少し間があいて。
『本当は嫌です』
『こんなのしたくないです』
『でも、取られたくないです』
最後。
『これで振り向いてくれなかったら、私、もう何をしたらいいかわかりません』
ひより先輩が。
画面を見たまま言った。
「……間に合わせよう」
「はい」
日向紗良は。
誰かを騙したいわけではない。
誰かを傷つけたいわけでもない。
ただ。
好きな人を失うのが。
怖かった。
怖くて。
自分で考える余裕がなくなった時。
目の前に。
簡単な“正解”があった。
『嫉妬させれば、振り向く』
だから。
しがみついた。
端末が。
もう一度。
震えた。
『ごめんなさい』
次。
『もう、腕を組みました』
さらに。
『好きな人が、こっちを見ています』
ひより先輩が。
画面を握る。
数秒。
新しいメッセージ。
『でも』
それだけ。
十秒。
続きを待つ。
次。
『違うんです』
そして。
最後。
『こんな顔をしてほしかったんじゃない』
ぼくは。
その一文を。
しばらく見ていた。
嫉妬させれば。
振り向く。
確かに。
好きな人は。
振り向いた。
ただし。
日向紗良が望んだ意味で。
振り向いたとは。
まだ。
誰にも。
わからなかった。
「恋愛ルール」は、ついに実際の行動へ影響し始めました。
嫉妬させることには成功した日向紗良。
けれど――。
その表情は、彼女が望んだものではありませんでした。
好きな人を振り向かせることには成功しました。
でも。
――その表情は、彼女が望んだものではありませんでした。




