第51話 恋人がいる相談室
付き合い始めた翌日。
放課後相談室へ届いた匿名の紙。
『一ノ瀬先輩と高槻先輩は、付き合っているんですか?』
そして。
『もし本当なら、もうこの相談室に恋愛相談はできません。』
二人が恋人になったことで。
初めて変わったのは。
二人の距離ではなく。
相談室を見る、誰かの目だった。
「……湊くん」
一ノ瀬ひより先輩が。
相談用紙を見たまま言った。
ぼくは。
一秒ほど。
返事が遅れた。
「……はい」
先輩が顔を上げる。
「あ」
「何ですか」
「相談室なのに呼んじゃった」
「そうですね」
二人きりの時は。
湊くん。
相談室では。
書記くん。
昨日。
なんとなく決めた。
規則ではない。
でも。
仕事と私生活を。
少し分けるためには。
悪くないと思った。
「ごめん、書記くん」
「それは別に構いません」
「じゃあ湊くんでも」
「今は書記くんで」
「はい」
少し。
妙な感じがする。
昨日までは。
ただの呼び名だった。
今は。
呼び方一つに。
意味が増えた。
でも。
今考えるべきなのは。
そこではない。
ぼくは。
もう一度。
紙を見る。
『一ノ瀬先輩と高槻先輩は、付き合っているんですか?』
『もし本当なら、もうこの相談室に恋愛相談はできません。』
名前。
なし。
連絡方法。
なし。
筆跡。
普通。
便箋も。
相談室備え付けのもの。
「いつ入った?」
ひより先輩が聞く。
「昨日帰る前は空でした」
「じゃあ今日」
「はい」
「誰が?」
「わかりません」
「調べる?」
ぼくは。
少し考える。
「いいえ」
先輩が。
少し驚く。
「書記くんが?」
「相談用紙です」
「うん」
「匿名で相談できると、こちらが案内しています」
「……そうだね」
「誰が書いたかを調べ始めたら」
「匿名じゃなくなる」
「はい」
ひより先輩は。
紙を見つめる。
「でも」
「はい」
「私たちが付き合ったこと」
「はい」
「まだほとんど誰も知らないよね」
知っているのは。
ぼく。
ひより先輩。
三枝莉子先輩。
佐伯先生。
その程度。
少なくとも。
ぼくたちが直接話したのは。
「誰かが見た可能性があります」
「昨日?」
「中庭は完全な死角ではありません」
「……手つないだところ?」
「可能性は」
「あるね」
ひより先輩の耳が。
少しだけ赤くなる。
「それか」
「はい」
「帰る時?」
「それもあります」
「近かった?」
「以前よりは」
「……」
昨日までなら。
少し。
嬉しくなる話だった。
でも。
今は。
その距離を見た誰かが。
相談室へ来られなくなった可能性がある。
ひより先輩の表情から。
笑顔が消える。
「書記くん」
「はい」
「私」
少し。
間。
「相談担当、やめた方がいいのかな」
早い。
ぼくは。
そう思った。
でも。
先輩の顔を見る。
冗談ではない。
「なぜですか」
「だって」
紙。
「この人」
「はい」
「私たちが付き合ってるなら相談できないって」
「そう書いてあります」
「だったら」
「一人の相談者がそう思ったことと」
「……」
「先輩が相談担当をやめるべきことは」
ぼくは。
紙を机へ戻す。
「同じではありません」
ひより先輩が。
少し黙る。
「……うん」
「ただし」
「うん」
「問題がない、とも言いません」
「そうだよね」
それも。
違う。
付き合った。
だから。
何も変わらない。
そう決めつけるのも。
ぼくたち側の都合だ。
「佐伯先生へ相談します」
「うん」
「三枝先輩にも」
「うん」
「あと」
「何?」
「久世先輩にも意見を聞いていいと思います」
「綾音?」
「放送委員会では」
「うん」
「話す側が安心して話せる条件を扱っています」
「なるほど」
そして。
「鳴海くんは?」
ひより先輩が聞く。
「なぜですか」
「何か言いそう」
「その理由で呼びません」
「ちょっと聞きたいのに」
……結局。
呼ぶことになった。
*
三十分後。
相談室。
いつもより。
人数が多い。
三枝莉子先輩。
高い位置で結んだ黒髪。
腕を組んで。
相談用紙を読む。
久世綾音先輩。
顎の線で揃えたボブ。
背筋を伸ばしたまま。
静かに座っている。
鳴海律くん。
黒髪。
首にはいつものヘッドホン。
隅の椅子へ座り。
紙を一度見ただけ。
黒崎悠真先輩も。
佐伯先生との連絡役として。
加わった。
ひより先輩は。
今日は低い位置で結んだ髪を。
何度か。
無意識に触っている。
緊張している時の癖。
最近。
わかるようになった。
「まず」
三枝先輩が言う。
「付き合ったこと自体は問題じゃないでしょ」
短い。
「はい」
ひより先輩が答える。
「でも」
三枝先輩は。
紙を指で叩く。
「相談者が問題だと感じた。それは無視しない」
「うん」
「以上」
ひより先輩が。
目を丸くする。
「以上?」
「じゃあ何?」
「解決策」
「これから考えるの」
三枝先輩らしい。
久世先輩が。
紙へ視線を落とす。
「私は」
整った。
落ち着いた声。
「相談者側に、担当を選択する手段が必要だと思います」
「担当?」
ひより先輩が聞く。
「はい」
「例えば」
久世先輩は続ける。
「一ノ瀬先輩には話しづらい」
「はい」
「高槻先輩には聞かれたくない」
「はい」
「そう感じる相談者がいても、不自然ではありません」
「……うん」
「交際しているかどうかに限らず、です」
ぼくは。
少し顔を上げる。
「元々必要だった?」
「そう思います」
久世先輩は。
はっきり答える。
「相談室側が『この人なら話せるはずです』と決めることも」
少し。
間。
「本人の選択を奪う可能性がありますから」
相談担当。
固定。
一ノ瀬ひより。
記録担当。
高槻湊。
それが。
いつの間にか。
当然になっていた。
でも。
相談内容によっては。
ぼくに知られたくない人も。
いる。
ひより先輩に。
恋愛相談をしたくない人も。
いる。
「……確かに」
先輩が言う。
三枝先輩。
「じゃあ変更できるようにする」
即決。
「早いね、莉子」
「必要でしょ」
「はい」
久世先輩が。
少しだけ。
口元を緩める。
「賛成です」
鳴海くん。
ここまで。
一言もない。
ひより先輩が。
そちらを見る。
「鳴海くん」
「はい」
「呼ばれたのに何も言わないね」
「考えていました」
「何を?」
鳴海くんは。
紙を見る。
「たぶん」
出た。
「この人が気にしているのは」
「うん」
「二人が恋人だから、ではないと思います」
全員。
少し。
鳴海くんを見る。
「どういう意味?」
ひより先輩が聞く。
「恋人が恋愛相談を受けること自体が嫌なら」
「はい」
「『恋愛相談はできません』で終わると思います」
「うん」
「でも」
鳴海くんが。
紙の最初の行を指す。
『一ノ瀬先輩と高槻先輩は、付き合っているんですか?』
「最初に確認しています」
ぼくも。
文章を見る。
「付き合っているなら」
「はい」
「なぜ相談できないのか」
「はい」
「理由が書いていない」
「……」
「だから」
鳴海くんは。
淡々と言う。
「この人にとって、二人が付き合うことに」
少し。
間。
「何か個人的な意味があるのかもしれません」
ひより先輩の。
表情が。
少し変わる。
三枝先輩が。
「推測ね」
「はい」
「決めない」
「決めません」
「ならいいわ」
この二人。
意外と。
相性がいい。
黒崎先輩が。
静かに言う。
「もう一つある」
「何ですか」
ぼくが聞く。
「俺たちが」
「はい」
「二人の交際を公表する必要があるか」
部屋。
少し。
静かになる。
「……公表?」
ひより先輩が言う。
「例えば」
黒崎先輩。
声は穏やか。
「相談室の掲示に『相談担当と記録担当は交際しています』と書く」
ひより先輩の顔が。
一気に赤くなる。
「それはちょっと……」
「俺も必要とは思ってない」
「よかった」
「ただ」
「うん」
「隠すのか、聞かれたら答えるのか」
「……」
「そこは決めた方がいい」
なるほど。
佐伯先生が。
最後に口を開いた。
「学校としては」
全員。
先生を見る。
「二人の交際を、相談室の利用者へ一律に公表する必要はないと考えます」
ひより先輩の肩が。
少し下がる。
「ただし」
先生は続ける。
「相談内容に関係する場合」
「はい」
「あるいは、相談者が担当者の関係性について確認した場合」
「はい」
「嘘をついたり、意図的に隠したりはしない」
ぼくは。
うなずく。
それでいいと思う。
交際。
ぼくたちのこと。
相談室の宣伝材料でもない。
秘密情報でもない。
必要なら。
答える。
「そして」
佐伯先生が言う。
「一番重要なのは」
少し。
間。
「相談室を、二人の部屋にしないことです」
ひより先輩が。
背筋を伸ばす。
「はい」
ぼくも。
「はい」
と答える。
放課後相談室。
ぼくたちが。
長く一緒にいた場所。
でも。
ぼくたちの場所ではない。
相談者のための場所。
そこを。
間違えてはいけない。
*
その日のうちに。
掲示を。
一枚追加した。
『相談担当について』
・話しづらい担当者がいる場合、理由を説明せず変更を希望できます。
・相談内容に担当者本人が関係する場合、その担当者は相談から外れます。
・記録担当へ知られたくない内容がある場合も、先に相談してください。
・誰に話すかも、相談者が選べます。
三枝先輩が。
紙を見る。
「長い」
「必要事項です」
「もう少し短く」
久世先輩。
「私はこの程度でよいと思います」
「そう?」
「はい。簡略化しすぎると、選択肢そのものが伝わりません」
三枝先輩が。
少し考える。
「じゃあこれで」
早い。
ひより先輩が。
掲示を見る。
「書記くん」
「はい」
「これ」
「はい」
「もっと前から必要だったね」
「そうですね」
「付き合ったせいで問題が起きたと思ったけど」
「はい」
「付き合ったから」
先輩は。
少し笑う。
「今まで足りなかったことが見えたのかも」
「そうかもしれません」
悪いことだけではない。
でも。
だからといって。
匿名の相談者が。
相談できないと思った事実が。
消えるわけでもない。
*
みんなが帰ったあと。
相談室。
二人。
ぼくは。
匿名の相談用紙を。
専用ファイルへ入れる。
ひより先輩が。
窓際に立っている。
「書記くん」
「はい」
今日は。
ちゃんと。
書記くん。
「付き合ったの」
「はい」
「後悔してる?」
ぼくは。
顔を上げる。
「なぜですか」
「昨日までなら」
「はい」
「相談室では、私たちただの相談担当と書記だった」
「はい」
「でも今日から」
「はい」
「恋人だから相談できないって思う人が出てきた」
「……」
先輩は。
少しだけ。
寂しそうに笑う。
「私」
「はい」
「湊くんと付き合えて」
そこで。
呼び方が変わった。
今は。
相談者がいない。
「嬉しいよ」
「はい」
「でも」
「はい」
「それで、この場所を狭くしたなら」
「ひより先輩」
ぼくは。
途中で止めた。
先輩が。
目を丸くする。
「今」
「はい」
「名前」
「二人なので」
「……うん」
ぼくは。
少し考える。
「相談室は」
「うん」
「ぼくたちが何も間違えなければ、誰でも安心して来られる場所」
「うん」
「ではないと思います」
「……」
「人によって」
「うん」
「話したい相手も」
「うん」
「話したくない相手も違います」
「うん」
「なら」
掲示を見る。
「ぼくたちが消えるより」
「……」
「選べるようにした方がいい」
ひより先輩が。
しばらく。
何も言わない。
それから。
「書記くんっぽい」
「今は湊くんでは」
「戻した」
「なぜ」
「真面目モードだから」
「……」
先輩は。
少し笑った。
「でも」
「はい」
「ありがとう」
「何がですか」
「辞めようって言った時」
「はい」
「止めてくれて」
「止めたわけでは」
「止めたよ」
「……」
「顔が」
「それは関係ありません」
笑う。
少しだけ。
いつもの空気が戻る。
その時。
ノック。
ぼくと。
ひより先輩が。
同時にドアを見る。
午後五時十一分。
相談受付時間は。
まだ終わっていない。
「どうぞ」
ドア。
開く。
女子生徒。
二年生。
肩につかないくらいの。
少し茶色がかったボブ。
左側だけ。
細い銀色のヘアピンで留めている。
顔は。
緊張している。
でも。
ぼくたちを見た目は。
少しだけ。
強い。
「相談」
彼女が言う。
「まだ、できますか」
ひより先輩は。
いつものように。
柔らかく答えた。
「もちろんだよ」
女子生徒は。
部屋へ入る。
椅子。
座らない。
そのまま。
相談受付箱を見る。
そして。
言った。
「さっきの紙」
ぼくの手が。
止まる。
「私が書きました」
ひより先輩も。
少し驚く。
「匿名の?」
「はい」
彼女は。
ぼく。
ひより先輩。
交互に見る。
「二人」
「はい」
「付き合ってるんですか」
ひより先輩が。
一瞬。
ぼくを見る。
でも。
答えるのは。
本人。
「うん」
短い。
「昨日から」
女子生徒の表情が。
少しだけ。
固くなる。
「……そうですか」
「それで」
ひより先輩が言う。
「相談できないと思った?」
「はい」
「理由」
少し。
間。
「聞いてもいいかな」
女子生徒は。
鞄の持ち手を握る。
「その前に」
「うん」
「一つ確認したいです」
「何?」
「柴田奏太くん」
ぼくも。
ひより先輩も。
動きが止まる。
相談番号九。
告白を。
断りたい。
と言ってきた男子生徒。
「覚えてますよね」
女子生徒が聞く。
ひより先輩が。
慎重に答える。
「相談したかどうかも含めて」
「うん」
「本人のことは答えられないよ」
「知ってます」
即答。
「本人から聞きました」
「……」
「相談室で話を聞いてもらって」
彼女の声が。
少しだけ震える。
「自分の気持ちをちゃんと考えたって」
ひより先輩の表情が。
変わる。
女子生徒が。
胸元へ手を置く。
「柴田くんに告白したの」
一度。
息を吸う。
「私です」
ようやく。
つながった。
告白を断った側。
柴田奏太。
その向こう側に。
当然。
一人。
断られた人がいた。
「名前」
彼女が言う。
「二年四組、早瀬真琴です」
早瀬真琴。
左の銀色のヘアピンが。
夕方の光を。
少しだけ反射する。
「私」
早瀬さんは言う。
「最初」
「はい」
「この相談室が嫌いでした」
ひより先輩は。
何も言わない。
「柴田くんが」
「うん」
「ここで相談したあとに」
「うん」
「私を断ったから」
「……うん」
「ここが」
声。
少し。
小さくなる。
「柴田くんに、私を振っていいって教えた場所みたいに思えて」
それは。
違う。
と。
言いたくなる。
でも。
言わない。
早瀬さんの。
感じたこと。
それ自体を。
訂正する必要はない。
「それで」
ひより先輩が。
静かに聞く。
「私たちが付き合ってるって知って」
「はい」
「もっと相談できないと思った?」
早瀬さんは。
うなずく。
「だって」
「うん」
「好きな人と両想いになった二人に」
少し。
唇を噛む。
「振られた側の気持ちなんて、わかるのかなって」
部屋。
静かになる。
ひより先輩は。
すぐに。
「わかるよ」
とは。
言わなかった。
代わりに。
「たぶん」
と答えた。
「全部は、わからない」
早瀬さんが。
顔を上げる。
「私」
ひより先輩は続ける。
「早瀬さんじゃないから」
「……」
「でも」
「うん」
「聞くことならできる」
早瀬さんの目に。
少しだけ。
涙が浮かぶ。
それでも。
泣かなかった。
「じゃあ」
「うん」
「相談していいですか」
「もちろん」
ひより先輩が言う。
「私じゃない人がいいなら」
「え?」
「三枝先輩でも」
「……」
「佐伯先生でもいいよ」
新しい掲示。
誰に話すかも。
相談者が選べる。
早瀬さんは。
その紙を見る。
長く。
考える。
「……一ノ瀬先輩がいいです」
ひより先輩が。
少し驚く。
「私?」
「はい」
「どうして?」
早瀬さんは。
ぼくを見る。
そして。
ひより先輩を見る。
「今」
「うん」
「好きな人と付き合えて」
「うん」
「一番幸せそうな人に」
少し。
笑う。
でも。
その笑顔は。
かなり。
苦しい。
「聞いてほしいです」
ひより先輩が。
ゆっくりうなずく。
「わかった」
早瀬さんが。
ようやく。
椅子へ座る。
ぼくは。
新しい相談用紙を出す。
「記録担当は」
早瀬さんが。
ぼくを見る。
新しいルール。
最初の利用。
「高槻先輩で大丈夫です」
「わかりました」
「でも」
「はい」
早瀬さんは。
両手を。
膝の上で握る。
「相談したいことは」
少し。
間。
「柴田くんを忘れる方法じゃありません」
ひより先輩が。
静かに待つ。
「私」
早瀬真琴は。
言った。
「柴田くんに」
一度。
断られた相手。
「もう一度、告白したいんです」
そして。
顔を上げた。
「一度『付き合えない』って言われた人に」
声が。
ほんの少し。
震える。
「二回目の告白をするのは――」
短い沈黙。
「好きだから、で許されるんでしょうか」
恋人になったひよりと湊が、最初に向き合うのは「相談室の公平さ」でした。
そして現れたのは、柴田に告白して断られた早瀬真琴。
次の相談は。
**一度断られた相手への、二度目の告白。**




