第50話 好きな人の名前
結城晴人は決めた。
一ノ瀬ひよりに、告白する。
そして相談室の前で。
高槻湊へ、こう言った。
「一ノ瀬先輩が好きなのって、高槻先輩ですよね」
その言葉を。
一ノ瀬ひより本人が聞いていた。
好きな人。
告白する人。
そして。
好きな人だと思われている人。
三人の気持ちは。
もう、推測だけでは終われない。
## 本文
「一ノ瀬先輩が好きなのって、高槻先輩ですよね」
結城晴人くんが言った。
その直後。
カチャン。
小さな金属音。
振り返る。
放課後相談室の前。
一ノ瀬ひより先輩が。
鍵を持ったまま立っていた。
今日は。
肩より少し下まで伸びた髪を。
昨日と同じように。
低い位置で、ゆるく一つに結んでいる。
いつもなら。
ぼくを見つけた時。
「おはよう、書記くん」
とか。
「今日も早いね」
とか。
何か言う。
でも。
今日は。
言わなかった。
結城くんが。
固まる。
「……聞いてました?」
ひより先輩が。
少しだけ困ったように笑う。
「最後は」
「どこからですか」
「『一ノ瀬先輩が好きなのって』くらいから」
「ほぼ全部ですね……」
「うん」
結城くんが。
両手で顔を覆った。
「最悪だ……」
「結城くん」
ひより先輩が言う。
「うん?」
「最悪ではないよ」
「でも」
「私に聞かれたくない話だった?」
「……」
「だったら、ごめん」
結城くんが。
慌てて顔を上げる。
「違います」
「うん」
「今日、告白するつもりだったので」
「……そっか」
ひより先輩は。
一度。
ぼくを見る。
ほんの一瞬。
それから。
結城くんへ視線を戻した。
「じゃあ」
声は。
いつもの相談担当の時より。
少しだけ静かだった。
「相談から始めようか」
「はい」
ぼくが鍵を開ける。
相談室へ。
三人で入る。
ただし。
そのまま相談を始めるわけにはいかない。
「三枝先輩を呼びます」
ぼくが言う。
結城くんが。
「あ」
と声を出した。
ひより先輩も。
すぐにうなずく。
「そうだね」
「一ノ瀬先輩は今回の当事者です」
「うん」
「ぼくも」
「うん」
結城くんが。
少し苦笑する。
「高槻先輩も当事者候補」
「候補という表現は」
「間違ってます?」
「……」
答えに困る。
ひより先輩が。
横を向いた。
笑いをこらえている。
「先輩」
「何も言ってないよ」
「顔が」
「しゃべってる?」
「最近、自覚してきましたね」
「書記くんのおかげ」
必要ない成長だと思う。
*
数分後。
三枝莉子先輩が来た。
高い位置で一つに結んだ黒髪。
相談室へ入るなり。
状況を一度見て。
「結城くん」
「はい」
「昨日の続きね」
「はい」
「告白する?」
「します」
「今日?」
「はい」
「わかった」
短い。
ひより先輩が。
「莉子、もう少し何かない?」
と聞く。
三枝先輩は。
ひより先輩を見る。
「何を?」
「こう……」
「がんばって、とか?」
「そういう」
「一ノ瀬に告白するのに、私が応援するの?」
「確かに」
「それに」
三枝先輩は。
結城くんを見る。
「成功するように応援する相談じゃないでしょ」
結城くんが。
少し姿勢を正した。
「はい」
「自分の気持ちを、自分で伝える」
「はい」
「返事は一ノ瀬が決める」
「はい」
「それだけ」
明確だった。
「場所は?」
「まだ決めてません」
「ここはやめた方がいいわ」
即答。
ひより先輩が。
「やっぱり?」
と聞く。
「相談室で告白したら」
三枝先輩は言う。
「断られたあと、ここに相談へ来にくくなるでしょ」
なるほど。
「中庭は?」
ぼくが言う。
「昨日の柴田くんと同じ場所です」
「空いてる?」
「今日は部活動もありません」
「じゃあ、そこ」
決定。
三枝先輩が。
結城くんを見る。
「一ノ瀬と二人で話せる?」
長い沈黙。
「……はい」
「なら、私たちは行かない」
「はい」
ひより先輩も。
少しだけ深く息を吸った。
「結城くん」
「はい」
「私も」
「はい」
「ちゃんと聞くよ」
結城くんは。
うなずいた。
*
二人が相談室を出た。
残ったのは。
ぼく。
三枝先輩。
時計。
午後四時四十分。
三枝先輩は。
相談記録へ目を落とす。
ぼくも。
昨日までの記録を確認する。
静か。
……静かすぎる。
「高槻」
「はい」
「五分で三回時計見た」
「時間を確認しています」
「二分前にも確認したでしょ」
「必要なので」
「便利ね、その言葉」
「先輩まで」
「事実でしょ」
三枝先輩は。
淡々としている。
「気になる?」
「何がですか」
「結果」
「……」
「聞き方変えるわ」
三枝先輩が。
ぼくを見る。
「一ノ瀬が結城くんと付き合ったら」
「はい」
「嫌?」
昨日。
聞かれた。
今日も。
聞かれる。
「嫌です」
自分でも。
驚くくらい。
早く出た。
三枝先輩が。
少しだけ眉を上げる。
「即答するようになったわね」
「昨日考えたので」
「じゃあ」
「はい」
「一ノ瀬が好き?」
「それは」
「まだ言わない?」
「……」
三枝先輩が。
小さく笑う。
「そこは相変わらず」
「先輩」
「何?」
「恋愛相談に慣れすぎでは」
「確認してるだけ」
「何を」
「あなたたちが面倒だってこと」
「……」
否定しにくい。
その時。
廊下から。
足音。
一人。
近づいてくる。
ぼくは。
思わずドアを見る。
三枝先輩が。
「一人ね」
とだけ言った。
ドアが開く。
結城くん。
一人。
表情。
少し赤い。
目も。
少しだけ。
でも。
泣いてはいない。
「終わりました」
「どうだった?」
三枝先輩が聞く。
結城くんは。
椅子へ座る。
一度。
長く息を吐いた。
「断られました」
その言葉。
聞いた瞬間。
胸の奥。
どこか。
力が抜けた。
……よくない。
ぼくは。
相談記録を見る。
「何て?」
三枝先輩が聞く。
「全部話していいですか」
「一ノ瀬の発言は」
「はい」
「必要以上に記録しない」
「わかりました」
結城くんは。
少しだけ。
笑った。
「ちゃんと最後まで聞いてくれました」
文化祭で。
助けてもらったこと。
それから。
ずっと気になっていたこと。
卒業する前に。
言いたかったこと。
「好きです」
「はい」
「付き合ってください」
言った。
ひより先輩は。
すぐには答えなかった。
でも。
長く待たせることもしなかった。
『ありがとう』
最初に。
そう言った。
そして。
『でも、ごめんね』
結城くんは。
机を見る。
「私には、好きな人がいるから」
ひより先輩は。
そう言った。
「名前は?」
三枝先輩が聞く。
「聞きませんでした」
「どうして?」
結城くんは。
ぼくを見た。
今度は。
笑う。
「聞かなくても」
「……」
「わかったから」
「推測は」
ぼくが言いかける。
結城くんが。
「高槻先輩」
と止めた。
「はい」
「今日は」
「はい」
「それ言わないでください」
少し。
笑われた。
「わかりました」
「一ノ瀬先輩にも」
結城くんは続ける。
「名前は聞かなくていいって言いました」
「はい」
「断られる理由を」
「はい」
「納得するために誰かと比較するの」
「……」
「嫌だなと思ったので」
三枝先輩が。
小さくうなずく。
「一週間で成長したわね」
「三枝先輩のおかげです」
「私は整理しただけ」
「そこ、高槻先輩と似てますね」
三枝先輩と。
ぼく。
同時に。
「似てない」
と言った。
結城くんが。
笑った。
少し。
苦しそうに。
でも。
ちゃんと笑った。
「つらい?」
三枝先輩が聞く。
「はい」
「後悔は?」
「……」
少し考える。
「今は、してません」
「明日は?」
「わかりません」
「それでいい」
短い。
「相談は?」
「……一度」
結城くんが。
深く息を吸う。
「終わりにします」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃないと思います」
正直。
「でも」
「はい」
「今日の俺が相談したかったことは」
少し。
間。
「終わったので」
三枝先輩が。
うなずいた。
「また来たければ来なさい」
「はい」
ぼくは。
相談番号十一。
最後の記録を書く。
本人希望により告白。
交際には至らず。
相談終了。
それだけ。
好きだった。
断られた。
悲しい。
その全部を。
記録に残す必要はない。
*
結城くんが。
帰る前。
ドアのところで。
ぼくを見る。
「高槻先輩」
「はい」
「一個だけ言っていいですか」
「どうぞ」
「俺」
少し。
笑う。
「高槻先輩のこと、嫌いになる予定だったんです」
「予定?」
「恋敵なら」
「……」
「でも」
「はい」
「何か」
「はい」
「思ってたより嫌いになれませんでした」
「それは」
「いいことなんですかね」
「ぼくに聞かれても」
「ですよね」
結城くんは。
今度は。
三枝先輩へ。
「ありがとうございました」
「うん」
「怖かったですけど」
「それは余計」
「すみません」
「謝るなら言わない」
昨日と。
同じ。
結城くんが。
少し笑って。
帰っていった。
ドアが閉まる。
三枝先輩が。
ぼくを見る。
「高槻」
「はい」
「あとは自分で」
「何がですか」
「わかってるでしょ」
「……」
三枝先輩は。
高い位置の髪を。
軽く揺らしながら。
ドアへ向かう。
「莉子先輩」
「何?」
「ひより先輩は」
「中庭」
「まだ?」
「たぶん」
「……」
「迎えに行けば?」
「なぜですか」
三枝先輩が。
振り返る。
「必要なので」
「……」
完全に。
ぼくの言葉が。
奪われている。
*
中庭。
ベンチ。
一ノ瀬ひより先輩は。
一人で座っていた。
夕方。
低い位置で結んだ髪が。
風で少し揺れる。
ぼくに気づく。
「書記くん」
「はい」
「結城くんは?」
「帰りました」
「そっか」
「相談も終了です」
「うん」
ぼくは。
少し離れて。
ベンチの端へ座る。
いつもなら。
もう少し間を空ける。
今日は。
昨日練習した。
半歩分くらい。
近い。
「先輩」
「何?」
「大丈夫ですか」
「私?」
「はい」
ひより先輩が。
少し考える。
「……うん」
「本当に?」
「ちょっとだけ」
「はい」
「悪いことした気分」
昨日。
柴田奏太くん。
同じことを言った。
告白を断って。
相手が泣いた。
「付き合いたくなかったんですか」
「うん」
「では」
「わかってる」
先輩が。
ぼくを見る。
「わかってるよ、書記くん」
「……」
「結城くんが傷ついたことと」
「はい」
「私が間違ったことは、同じじゃない」
「はい」
「昨日、自分で言ったから」
そうだった。
先輩は。
少し笑う。
「相談室って」
「はい」
「結構、自分に返ってくるね」
「最近は特に」
「書記くんにも?」
「かなり」
「そっか」
沈黙。
夕方。
風。
部活の声。
それから。
ひより先輩が言った。
「書記くん」
「はい」
「さっき」
「はい」
「結城くんに言われてたよね」
「……」
「私が好きなのって、高槻先輩ですよね、って」
「聞いていたんですね」
「全部」
「はい」
「答えなかった?」
「ぼくが答えることではないので」
「うん」
「先輩の気持ちですから」
ひより先輩は。
少しだけ。
うつむいた。
「じゃあ」
「はい」
「本人が答える」
ぼくは。
先輩を見る。
表情。
いつもの。
からかう時の笑顔ではない。
相談担当の。
やさしい顔でもない。
少し。
緊張している。
一ノ瀬ひより本人。
「私の好きな人は」
ぼくの心臓が。
また。
わかりやすく。
一回。
大きく動いた。
「高槻湊くんです」
書記くん。
ではない。
高槻くん。
でもない。
高槻湊くん。
初めて。
そんなふうに。
呼ばれた気がする。
「……」
「書記くん」
「はい」
「今だけ」
「……」
「必要なので、禁止」
先に言われた。
「ずるいですね」
「知ってる」
「まだ選ばない、も?」
「禁止」
「相談時間終了は」
「まだ四時五十八分」
時計まで。
確認している。
逃げ道がない。
いや。
本当は。
もう逃げる必要も。
ない。
「昨日」
ぼくは言う。
「はい」
「先輩が告白したら」
「うん」
「断らないと言いました」
「うん」
「今日も」
「……うん」
「変わっていません」
ひより先輩が。
ぼくを見る。
目が。
少し潤んでいる。
でも。
笑っている。
「それって」
「はい」
「返事?」
「まだ足りませんか」
「……ちょっと」
欲張りだ。
と思う。
でも。
今日は。
言うべきなのだと思う。
好き。
告白。
付き合う。
今まで。
何度も。
相談者と一緒に。
分けてきた。
だから。
ぼくも。
分けて答える。
「ぼくも」
「うん」
「一ノ瀬ひより先輩が好きです」
ひより先輩が。
止まった。
今度は。
ぼくの方が。
少しだけ。
笑った。
「聞こえましたか」
「……聞こえた」
「では」
「もう一回」
「必要ありません」
「そこは戻るの!?」
「聞こえたなら十分です」
「書記くん!」
声は。
笑っていた。
先輩が。
目元を。
指で少しだけ拭う。
泣いている。
というほどではない。
でも。
少し。
「じゃあ」
ひより先輩が言った。
「うん?」
ぼくも。
なぜか。
少し口調が変わる。
「付き合ってください」
真正面。
逃げ道なし。
短い。
「はい」
ぼくは答えた。
ひより先輩の顔が。
赤くなる。
たぶん。
ぼくも。
同じ。
「……終わり?」
「何がですか」
「告白」
「成立しました」
「成立って言う?」
「では、他に」
「ないけど」
「はい」
「もうちょっとこう」
「何ですか」
「余韻とか」
「必要ですか」
ひより先輩が。
額へ手を当てる。
「戻ってきた……」
「何がですか」
「書記くん」
「ぼくは最初からぼくです」
「うん」
「先輩も先輩です」
「うん」
「昨日言いました」
全部。
変わるわけではない。
変わるところも。
ある。
「じゃあ」
ひより先輩が。
少しだけ。
ぼくへ近づく。
「今」
「はい」
「何が変わった?」
距離。
近い。
昨日より。
「交際関係」
「固い」
「事実です」
「ほかには?」
考える。
本当に。
何が変わるのか。
まだ。
わからない。
だから。
ぼくは。
先輩の右手を見る。
ベンチ。
ぼくの左手。
間。
ほんの数センチ。
「……手」
「うん?」
「つなぎますか」
ひより先輩が。
完全に固まった。
「書記くん」
「はい」
「今日、本当にどうしたの」
「変わるところの例です」
「例で手つなぐの?」
「嫌なら」
「嫌じゃない!」
即答。
今度は。
ひより先輩。
二人とも。
少し笑った。
それから。
手をつないだ。
最初。
少し。
ぎこちない。
どこまで指を合わせるのか。
よくわからない。
「書記くん」
「はい」
「分析しない」
「していません」
「手、固い」
「先輩もです」
「緊張してるから」
「ぼくもです」
言ってしまった。
先輩が。
少しだけ。
握る力を強くする。
「そっか」
「はい」
今まで。
何度も。
相談者に言ってきた。
本人の気持ちは。
本人のもの。
今日。
ようやく。
ぼく自身が。
自分の気持ちを。
自分の言葉で言った。
*
ただし。
問題が。
一つ。
ある。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「佐伯先生と三枝先輩には報告します」
「え」
「相談室の運営上」
「もう?」
「必要です」
「余韻!」
「相談担当と記録担当が交際しています」
「言い方」
「事実です」
「もうちょっと嬉しそうに言って」
「嬉しいです」
ひより先輩が。
止まる。
「……書記くん」
「何ですか」
「今日、素直すぎる」
「聞かれたので」
「そっか」
先輩が。
また笑う。
「じゃあ報告しよう」
「はい」
「手は?」
「離します」
「え」
「校内なので」
「真面目」
「先輩」
「わかったよ」
少しだけ。
残念そうに。
手を離す。
……少し。
ぼくも。
残念だった。
*
三枝先輩。
佐伯先生。
二人へ。
報告。
「交際することになりました」
ぼくが言った。
佐伯先生。
一度。
瞬きをする。
三枝先輩。
「そう」
ひより先輩が。
「それだけ!?」
三枝先輩は。
腕を組む。
「何?」
「もうちょっと」
「おめでとう」
「軽い!」
「予想通りだったもの」
「いつから!?」
「かなり前」
「書記くん!」
「ぼくに聞かれても」
佐伯先生が。
咳払いする。
少し。
笑っている。
「まずは、おめでとう」
「ありがとうございます」
ぼくが答える。
ひより先輩も。
「ありがとうございます」
と。
少し照れながら答える。
「ただし」
佐伯先生の声が。
先生になる。
「相談室では」
「はい」
「交際関係を理由に、相談者への対応を変えないこと」
「はい」
「二人が当事者になる相談では、今回と同じように担当を外れること」
「はい」
「相談中に私的な話を持ち込まない」
ひより先輩。
「……はい」
「なぜ一ノ瀬さんだけ間がありました?」
「気のせいです」
「顔が」
三枝先輩が言う。
「莉子!」
「しゃべってる」
この言葉まで。
完全に定着した。
「あと」
佐伯先生が。
少し表情を柔らかくする。
「付き合ったからといって、相談室のために無理をしないこと」
「無理?」
ひより先輩が聞く。
「別れないように頑張らないと、とか」
「……」
「逆に、相談室に影響するから付き合うのをやめよう、とか」
ぼくも。
ひより先輩も。
黙る。
「二人の関係は」
佐伯先生は言う。
「二人のものです」
これまで。
何度も。
ぼくたちが。
相談者へ言ってきたこと。
今度は。
先生から。
ぼくたちへ。
「はい」
ぼくが答える。
ひより先輩も。
「はい」
と。
うなずいた。
*
帰り。
校門まで。
いつもの道。
ただし。
少し。
違う。
ひより先輩が。
隣。
昨日までより。
近い。
「書記くん」
「はい」
「これからも書記くん?」
「何がですか」
「呼び方」
「ああ」
「付き合ったし」
「変えたいんですか」
ひより先輩は。
少し考える。
「……湊くん?」
「……」
「湊?」
「……」
「みなと」
「一ノ瀬先輩」
「はい」
「試すのやめてもらえますか」
「どれが一番赤くなるか確認してる」
「必要ありません」
「私は必要」
「……」
「じゃあ」
先輩が。
笑う。
「相談室では書記くん」
「はい」
「二人の時は」
「はい」
少し。
間。
「湊くん」
「……好きにしてください」
「嫌?」
「嫌ではありません」
「そっか」
一ノ瀬ひより先輩。
いや。
ひより先輩が。
少し。
嬉しそうに笑う。
「湊くん」
「はい」
返事をしてしまった。
先輩が。
さらに笑う。
「今、普通に返事した」
「呼ばれたので」
「うん」
ぼくも。
少しだけ。
笑った。
「ひより先輩」
先輩の足が。
止まった。
今度は。
ぼくが二歩進んで。
振り返る。
「……何ですか」
ぼくが聞く。
ひより先輩は。
口元を押さえている。
「今」
「はい」
「名前」
「はい」
「呼んだ」
「先輩が先に」
「もう一回」
「必要ありません」
「そこ!」
やっぱり。
全部は。
変わらない。
それで。
いい。
*
翌日。
放課後。
相談室。
まだ。
ぼくたちが付き合い始めたことは。
公表していない。
知っているのは。
佐伯先生。
三枝先輩。
そして。
ぼくたち。
少なくとも。
そのはずだった。
「書記くん」
「はい」
ひより先輩が。
相談受付箱を開けている。
「一枚ある」
「確認します」
「うん」
白い紙。
名前。
なし。
連絡方法。
なし。
相談内容。
二行。
ひより先輩が。
読む。
表情から。
笑顔が消えた。
ぼくも。
横から見る。
そこには。
こう書いてあった。
『一ノ瀬先輩と高槻先輩は、付き合っているんですか?』
そして。
その下。
『もし本当なら、もうこの相談室に恋愛相談はできません。』
ぼくたちは。
同時に。
紙を見る。
昨日。
付き合うと決めた。
まだ。
ほとんど誰にも。
話していない。
なのに。
誰かが。
もう。
知っている。
ひより先輩が。
小さく言った。
「……湊くん」
相談室の中で。
初めて。
そう呼んだ。
「これ」
ぼくは。
紙を見たまま答える。
「はい」
付き合ったことで。
変わるものは。
たぶん。
手をつなぐ距離だけではなかった。
第50話。
ひよりと湊は、ようやく互いの気持ちを言葉にしました。
けれど、付き合った翌日。
相談室には、二人の関係を知る匿名の相談が届きます。
次に問われるのは。
二人の恋ではなく――相談室そのものです。




