第5話 一年前の相談メモ
犯人から届いた次の予告。
そこに写っていたのは、一年前の日付が書かれた相談メモだった。
湊は、ひより先輩が隠している相談室の過去に触れていく。
次は、一ノ瀬ひよりの番です。
その一文を見た瞬間、ぼくはスマホを握る手に力が入った。
添付されていた画像には、一枚の相談メモが写っている。
青い付箋。
黒く塗りつぶされた相談者名。
一年前の日付。
そして、相談内容の欄には、はっきりとこう書かれていた。
恋愛相談室を閉じたい。
会議室のざわめきが、急に遠くなった気がした。
白石すずさんは泣いている。
藤原海斗くんは、どうしていいかわからない顔で立ち尽くしている。
文化祭実行委員たちは、青柳楓先輩がいなくなったことと、公開告白の告知画像が勝手に投稿されたことで混乱していた。
そんな中で、一ノ瀬ひより先輩だけが、静かだった。
静かすぎた。
「ひより先輩」
ぼくが声をかけると、先輩は画面を見つめたまま答えた。
「見せて」
ぼくはスマホを渡した。
ひより先輩は、画像を拡大した。
相談メモの文字。
日付。
黒く塗られた名前。
それから、写真の端に映っている机の傷。
「……懐かしいね」
先輩は小さく言った。
その声は、いつもの軽い調子ではなかった。
「知ってるメモなんですか」
「知ってる、というか」
ひより先輩は、少しだけ言葉を選んだ。
「知ってる事件」
事件。
恋愛相談室で、ひより先輩がその言葉を使うのは珍しい。
「一年前にも、何かあったんですね」
ぼくが聞くと、先輩は否定しなかった。
その代わり、会議室の入口に立っている白石さんと藤原くんを見た。
「書記くん。まず、白石さんと藤原くんを外に出して」
「先輩は?」
「私は大丈夫」
その大丈夫は、あまり信用できなかった。
でも、今ここでひより先輩を問い詰めても、白石さんの傷が深くなるだけだ。
ぼくは藤原くんに声をかけた。
「藤原くん、白石さんを少し静かな場所へ」
「でも、僕が行ったら……」
白石さんは、まだ藤原くんを見ようとしない。
その目には、怒りと悲しみが混ざっている。
ぼくは少し考えてから言った。
「行かなくてもいいです。でも、逃げないでください」
藤原くんが顔を上げる。
「今、白石さんに何を言っても信じてもらえないかもしれません。でも、あなたがここからいなくなったら、犯人の思い通りになります」
藤原くんは、唇を結んだ。
それから、白石さんから少し離れた場所に立った。
近づきすぎない。
でも、離れすぎない。
それが今の二人にできる、ぎりぎりの距離だった。
ひより先輩は、その様子を見てから、ぼくのスマホを返した。
「行こう」
「どこへですか」
「相談室」
「青柳先輩は?」
「探す。でも、その前に確かめたいことがある」
ひより先輩は、会議室の机の上に残された青い付箋を一度見た。
秘密を守れない人に、恋を語る資格はない。
その文字は、犯人が何度も使っている言葉と同じ匂いがした。
秘密。
資格。
閉鎖。
まるで、恋愛相談室を裁いているみたいだ。
ぼくたちは会議室を出て、旧進路指導室へ向かった。
廊下には、さっきの放送を聞いた生徒たちのざわめきが残っていた。
誰が告白するらしい。
名前が流れたらしい。
あれ本当なのかな。
噂は、足が速い。
しかも、だいたい裸足で走る。
止めようとしても、もう廊下の角を曲がっている。
白石さんと藤原くんの名前は、きっと明日には学年中に広まっている。
犯人は、それをわかっていた。
旧進路指導室に着くと、ひより先輩は鍵を開けた。
部屋の中は、夕方の光で少し赤く染まっていた。
机の上には、青い付箋の束。
相談用のノート。
備え付けのボールペン。
ここだけ見ると、ただの空き教室だ。
でも今は、事件の中心に見える。
ひより先輩は机の前に立ったまま、しばらく動かなかった。
「一年前、ここは恋愛相談室じゃなかった」
先輩が言った。
「悩み相談企画。生徒会の中の、小さな試みだった」
「ひより先輩が始めたんですか」
「私と、青柳楓と、黒崎悠真」
また名前がつながった。
青柳楓。
文化祭実行委員長。
今、姿を消している人。
黒崎悠真。
生徒会副会長。
生徒会室に残っていた人。
そして、一ノ瀬ひより。
「三人で?」
「うん。最初は恋愛だけじゃなかった。友達関係、進路、部活、先生に言いにくいこと。そういうのを、放課後に聞くだけの場所にしようって」
ひより先輩は、机の上の相談ノートに触れた。
「でも、なぜか恋愛相談が多くなった」
「高校生ですから」
「書記くん、急に現実的」
「否定できますか」
「できない」
ひより先輩は、少しだけ笑った。
でもすぐに、その笑いは消えた。
「一年前、文化祭の前にも、公開告白の企画があった」
ぼくは息を止めた。
「今回と同じですね」
「似てる。でも、少し違う。あの時は、告白する側が本気だった。相手を喜ばせたいって本気で思ってた。悪意はなかった」
「でも、相談が来た」
「うん。告白される側の子から」
ひより先輩は、ゆっくり椅子に座った。
「その子は、みんなの前で告白されたくないって言った。相手のことを嫌いなわけじゃない。でも、体育館のステージで、拍手されて、答えを求められるのが怖いって」
それは、よくわかる気がした。
告白は、本来二人のものだ。
でも公開告白になると、周りの期待や空気まで混ざってくる。
断れば冷たい人に見える。
受ければ本心かわからなくなる。
気持ちを伝える場のはずが、返事を強制する舞台になる。
「ひより先輩たちは、どうしたんですか」
「止めた。青柳が実行委員に話して、黒崎が先生に相談して、私は告白する側の子に会った」
「うまくいったんですか」
ひより先輩は、すぐには答えなかった。
「企画は中止になった。でも、うまくはいかなかった」
「どうして」
「告白するはずだった子が、恥をかいた」
ぼくは黙った。
「誰かが、公開告白が中止になった理由を広めたの。あの子は断られたらしい。相手に嫌がられていたらしい。相談室が止めたらしいって」
「秘密が漏れたんですか」
「うん」
ひより先輩は、机の傷を指でなぞった。
「相談した子の秘密も、告白するはずだった子の気持ちも、どっちも守れなかった」
部屋が静かになった。
さっきまで廊下から聞こえていた文化祭準備の音も、少し遠い。
「そのあと、悩み相談企画を閉じたいって言った人がいたんですか」
ぼくが聞くと、ひより先輩はうなずいた。
「青柳楓」
その名前は、思ったより重く落ちた。
「青柳先輩が?」
「うん。楓は言った。秘密を守れないなら、相談室なんて続けるべきじゃないって」
「それが、このメモですか」
ぼくはスマホの画像をもう一度開いた。
恋愛相談室を閉じたい。
一年前の日付。
黒く塗られた名前。
ひより先輩は、画面を見て首を横に振った。
「違う」
「違う?」
「楓が書いたメモは、これじゃない」
ぼくは画像を拡大した。
「でも、一年前の日付ですよ」
「日付はね」
ひより先輩は、机の上の青い付箋を指さした。
「でも、その付箋は一年前にはなかった」
ぼくは、はっとした。
青い付箋。
相談室で今使っている、青いメモ用紙。
第1話からずっと出てきている、相談メモ。
「去年は違う色だったんですか」
「黄色だった。去年の備品は全部、黄色の付箋。青に変えたのは今年の春から」
ぼくは画面を見る。
一年前の日付。
でも、青い付箋。
つまり、この写真に写っている相談メモは、一年前に書かれたものではない。
「犯人が、今年になって作った偽物」
ぼくが言うと、ひより先輩はうなずいた。
「たぶんね」
「でも、一年前に似た出来事があったことは知っている」
「そう。そこが問題」
一年前の公開告白。
悩み相談企画の失敗。
青柳楓が相談室を閉じたいと言ったこと。
それを知っている人間は限られる。
一ノ瀬ひより。
青柳楓。
黒崎悠真。
当時の相談者。
告白するはずだった生徒。
そして、噂を流した誰か。
「先輩」
「なに?」
「その時、噂を流した人はわかったんですか」
ひより先輩は、少しだけ視線を落とした。
「わからなかった」
「本当に?」
先輩は、ぼくを見た。
「書記くん、たまに遠慮がないよね」
「今は必要だと思ったので」
「うん。そういうところ、頼りになる」
ひより先輩は、相談ノートを開いた。
最初の方のページ。
去年の記録。
そこには、日付と相談種別だけが並んでいた。
名前はない。
けれど、ページの端に小さく印がついている。
星の形。
「これは?」
「楓の印。重要な相談には、あとで振り返れるように小さく印をつけていた」
「星ですか」
「楓、星ヶ丘高校だからって、星マークが好きだったんだよね」
何気ない説明だった。
でも、ぼくの頭の中で、別のものとつながった。
相原真帆さんのスマホについていた、星形の金属チャーム。
「相原さんのチャームも星でした」
ぼくが言うと、ひより先輩は目を細めた。
「気づいてた」
「偶然でしょうか」
「星ヶ丘高校だから、星モチーフは珍しくない」
「でも、犯人は相談メモやノートの跡まで利用しています」
「うん。偶然に見えるものほど、確認した方がいい」
ひより先輩はノートを閉じた。
その時、ドアがノックされた。
二回。
規則正しく。
第1話で白石さんが入ってきた時と、同じリズムだった。
ひより先輩が顔を上げる。
「どうぞ」
ドアが開いて、そこに立っていたのは三枝莉子先輩だった。
「ここにいたのね」
三枝先輩は、少し息を切らしていた。
手には、文化祭の備品管理表を持っている。
「青柳先輩、見つかりましたか?」
ぼくが聞くと、三枝先輩は首を横に振った。
「まだ。でも、それより先に確認してほしいことがあるの」
「確認?」
「青い付箋のこと」
ぼくとひより先輩は、顔を見合わせた。
三枝先輩は、備品管理表を机に置いた。
「青い付箋を購入したのは、今年の四月。会計処理をしたのは私だから間違いないわ」
「やっぱり、一年前にはなかったんですね」
ぼくが言うと、三枝先輩はうなずいた。
「それで気になって、去年の備品記録も見たの。去年は黄色。ひよりの言う通りよ」
「先輩、そこまで調べてくれたんですか」
ひより先輩が言うと、三枝先輩は少しだけ頬を赤くした。
「疑われっぱなしは嫌なの」
それはたぶん本音だった。
三枝先輩は、几帳面で、少し怖くて、数字に厳しい。
でも、犯人扱いされたまま黙っている人ではない。
「それと、もう一つ」
三枝先輩は、備品管理表の下から一枚のコピーを取り出した。
「昨日のコピー機の使用履歴。先生に頼んで見せてもらった」
「見られたんですか」
ぼくは思わず身を乗り出した。
「時間と枚数だけね。印刷内容まではわからない。でも、失恋届と閉鎖届らしき時間がある」
三枝先輩は表を指さした。
十七時四十九分 一枚
十八時十七分 一枚
十八時三十一分 一枚
「三回?」
ひより先輩が言った。
「失恋届、閉鎖届、あと一枚は?」
「わからない。でも、紙は一枚ずつ出ている」
ぼくは時間を見つめた。
相原さんが相談メモの写真を撮ったのは、十七時五十八分。
文化祭企画書に画像が貼られたのは、十八時十二分。
藤原くんにメッセージが届いたのは、十八時二十五分。
コピー機の使用履歴は、その前後に挟まっている。
十七時四十九分。
十八時十七分。
十八時三十一分。
犯人は、その時間帯に生徒会室のコピー機を使っている。
「十八時三十一分の一枚」
ぼくはつぶやいた。
「それがまだ出てきていない紙かもしれません」
「まだ使っていない脅し文句?」
ひより先輩が言う。
「または、これから使う予定のもの」
三枝先輩が、少し顔をしかめた。
「文化祭前に、どこまでやるつもりなの」
その時だった。
旧進路指導室の外で、何かが落ちる音がした。
軽い音。
紙ではない。
金属でもない。
ぼくたちは同時にドアの方を見た。
ひより先輩が静かに立ち上がる。
ぼくも後に続いた。
ドアを開けると、廊下には誰もいなかった。
ただ、床に赤い腕章が落ちていた。
文化祭実行委員の腕章。
その上に、小さな紙が置かれている。
三枝先輩が息を飲んだ。
ぼくは紙を拾った。
そこには、印刷された文字があった。
――辞退届
下には、こう続いている。
青柳楓は、文化祭実行委員長を辞退します。
理由、周囲への迷惑。
周囲への迷惑。
失恋届にも使われていた言葉だ。
ぼくは紙の右上を見た。
わずかにかすれている。
生徒会室のコピー機。
三枚目だ。
「これが、十八時三十一分の一枚」
ぼくが言うと、ひより先輩は赤い腕章を拾い上げた。
その表情は、今までで一番険しかった。
「楓を、犯人にするつもりなんだ」
「それとも、青柳先輩に何かを辞めさせたい」
三枝先輩が言った。
ひより先輩は、廊下の先を見た。
「どっちにしても、もう放っておけない」
その時、ぼくのスマホがまた震えた。
送り主不明。
本文は短かった。
一年前の続きを、始めましょう。
添付画像を開く。
そこに写っていたのは、体育館のステージだった。
公開告白のために用意されたマイク。
その前に置かれた、青い付箋。
そして付箋には、こう書かれていた。
次の相談者は、一ノ瀬ひより。
第5話まで読んでくださり、ありがとうございます。
一年前の相談メモは、本物ではなく「今年作られた偽物」である可能性が出てきました。
しかし、犯人は一年前の出来事を知っている人物のようです。
次回は、青柳楓の行方と、体育館ステージに仕掛けられた新たな罠を追っていきます。




