第48話 返事をしない、という返事
「相手が書記くんだったら?」
一ノ瀬ひよりからの問いに。
高槻湊は答えた。
「……断りません」
けれど。
まだ、正式な告白ではない。
だから二人は。
昨日までと同じように。
放課後相談室の机を挟んで座っている。
……少なくとも。
表面上は。
そして今日。
相談室へやってきたのは。
告白した人でも。
告白を断った人でもなかった。
「返事をしてないんです」
「なのに……私が告白を受けたことになってます」
翌日。
木曜日。
放課後。
ぼくは。
相談室の鍵を開けた。
「おはようございます」
「放課後だよ、書記くん」
後ろから。
一ノ瀬ひより先輩。
「言い間違えました」
「珍しい」
「……」
「昨日のせい?」
鍵が。
一瞬。
止まった。
「何の話ですか」
「ほら」
「何ですか」
「昨日より、必要なのでって言うの遅くなった」
「言っていません」
「それも珍しい」
非常に。
やりにくい。
昨日。
ぼくは。
言った。
相手が一ノ瀬ひより先輩なら。
告白されても。
断らない。
ただし。
まだ。
告白はされていない。
だから。
現在の関係。
変更なし。
……のはず。
「書記くん」
「はい」
「今日も私、隣座っていい?」
「相談担当なので」
「うん」
「いつも通りです」
「そっか」
先輩は。
少し笑った。
「いつも通りね」
「はい」
強調されると。
逆に。
いつも通りではない気がする。
ぼくは。
相談記録台帳を開く。
ひより先輩が。
相談受付箱を確認する。
「一枚ある」
「昨日の帰宅時には?」
「空だった」
「では今日です」
「書記くん」
「はい」
「開けて」
「先輩も」
「再開後二件目だから」
「その理屈、いつまで使いますか」
「十件目くらいまで?」
「長いです」
結局。
ぼくが開けた。
受付用紙。
名前。
一年四組。
小野寺美月。
相談内容。
『返事をしていないのに、付き合うことになっています。』
「……」
ひより先輩が。
紙を見る。
そして。
ぼくを見る。
「最近」
「はい」
「付き合ってないのに付き合ってる人、多くない?」
「相談室へ来る人に偏りがあります」
「そりゃそうだけど」
少し前。
宮原咲良さん。
告白していないのに。
相沢悠斗くんと付き合っていることになっていた。
今回は。
返事をしていない。
「連絡希望」
ぼくは確認する。
今日。
四時半以降。
現在。
四時二十二分。
「待ちますか」
「うん」
ひより先輩は。
向かいの椅子を見る。
「書記くん」
「はい」
「昨日のこと」
「相談者が来ます」
「まだ来てないよ」
「来る予定です」
「……」
先輩が。
少し不満そうに。
頬杖をつく。
「逃げてる?」
「業務を優先しています」
「便利だね、相談室」
「先輩が始めた場所です」
「そうだった」
その時。
ノック。
ぼくは。
少しだけ。
助かったと思った。
……これは。
記録しない。
*
一年四組。
小野寺美月さん。
小柄。
髪を後ろで一つにまとめている。
手には。
一通の封筒。
薄い水色。
「これです」
席へ座って。
最初に。
机へ置いた。
「手紙?」
ひより先輩が聞く。
「はい」
「告白?」
「……はい」
「読んでも?」
「内容は」
小野寺さんは。
少し迷う。
「全部じゃなくてもいいですか」
「もちろん」
「必要なところだけ教えてください」
ぼくが答える。
「誰から?」
「同じクラスの男子です」
「名前は記録しますか」
「……今は、Hくんで」
「わかりました」
Hくん。
一年四組。
小野寺さんへ。
三日前。
月曜日。
放課後。
手紙を渡した。
内容。
好きです。
よかったら付き合ってください。
返事は。
急がなくていいです。
「いい手紙だね」
ひより先輩が言う。
小野寺さんが。
少し困った顔をする。
「はい」
「嫌だった?」
「……嫌じゃないです」
「じゃあ」
先輩は。
そこで止める。
「ごめん」
「え?」
「今、続き聞く前に結論へ行きそうになった」
小野寺さんが。
少し笑った。
「相談室って」
「はい」
「本当に途中で止まるんですね」
「最近、止まれるようになりました」
ぼくが言う。
ひより先輩が。
こちらを見る。
「最近?」
「はい」
「前は?」
「先輩が先に答えを」
「書記くん」
「相談を続けます」
小野寺さんが。
また笑った。
緊張は。
少し下がった。
「返事は、まだ?」
ひより先輩が聞く。
「してません」
「三日?」
「はい」
「急がなくていいって書いてある」
「はい」
「なのに」
「今日」
小野寺さんが。
スマートフォンを机へ置く。
画面。
クラスのグループチャット。
『美月とH、付き合い始めたんだって』
その下。
『おめでとう』
『やっぱり』
『月曜からだった?』
「……誰が最初に?」
ぼくが聞く。
「わかりません」
「Hくん本人?」
「聞いてません」
「友人から?」
「それも、わかりません」
「小野寺さん自身は」
ひより先輩が聞く。
「誰かに告白されたこと話した?」
小野寺さんは。
少し目を伏せる。
「親友一人だけ」
「返事してないことも?」
「はい」
「その友達は」
「絶対、言わないと思います」
「思う?」
「……」
小野寺さんが止まる。
「すみません」
ぼくは言う。
「疑っているわけではありません」
「はい」
「ただ」
「絶対に言わないと思う、という信頼と」
「はい」
「実際に言っていないことは別です」
小野寺さんが。
ゆっくりうなずいた。
「宮原さんの話みたい」
「知っていますか」
「少しだけ」
「相談内容そのものは」
「聞いてないです」
「なら大丈夫です」
ひより先輩が。
小野寺さんを見る。
「一番困ってるのは?」
「……」
「付き合ってるって噂?」
「それもです」
「Hくんへの返事?」
「それも」
「ほかに?」
小野寺さんは。
水色の封筒を見る。
「私」
少し。
間。
「まだ、わからないんです」
「何が?」
「Hくんのこと」
「好きかどうか?」
「はい」
「嫌い?」
「嫌いじゃないです」
「話す?」
「話します」
「一緒にいて楽しい?」
「……楽しいです」
「じゃあ」
ひより先輩は。
また止まった。
「……危なかった」
小野寺さんが。
少し笑う。
「今、付き合えばって言いそうでした?」
「言わないよ」
「顔が」
「顔って本当にしゃべるね……」
ぼくは。
記録する。
小野寺美月。
Hくん。
交際意思。
未決定。
「でも」
小野寺さんが言う。
「周りが、もう付き合ってるって言ってると」
「はい」
「今さら断ったら」
「はい」
「別れたみたいになりませんか」
なるほど。
付き合っていない。
なのに。
断れば。
交際解消のように見える。
「それから」
「はい」
「もし受けたら」
「はい」
「噂に押されて付き合ったみたいになる」
ひより先輩が。
少し眉を寄せる。
「どっちにしても」
「はい」
「自分で決めた感じがしない?」
「……はい」
それが。
相談の中心だった。
返事をしていない。
つまり。
本来。
まだ。
小野寺さんの時間。
考える時間。
でも。
周囲が。
先に答えを作った。
「小野寺さん」
ぼくは聞く。
「Hくんから、返事を急かされていますか」
「いいえ」
「昨日も?」
「普通でした」
「今日も?」
「普通です」
「噂について何か?」
「何も」
「では」
「はい」
「Hくん本人が、交際開始と認識しているかは未確認」
「はい」
「小野寺さんも交際開始と認識していない」
「はい」
「確認できているのは」
ひより先輩が続ける。
「周りが、そう言ってる」
「……だけ」
「うん」
小野寺さんが。
少し息を吐く。
「なんか」
「はい」
「それだけって言われると」
「はい」
「少し軽くなります」
噂は。
大きく見える。
人数が増えるほど。
本当らしく見える。
でも。
本人二人。
その間で。
まだ何も決まっていないなら。
関係は。
決まっていない。
*
「返事」
ひより先輩が聞く。
「いつまで考えたい?」
小野寺さんは。
少し困る。
「わかりません」
「それをHくんに伝えた?」
「まだ」
「何も返してない?」
「はい」
「手紙をもらってから?」
「はい」
「Hくんは、急がなくていいって書いた」
「はい」
「でも」
「はい」
「無期限に待ってもらうつもり?」
小野寺さんが。
少し顔を曇らせる。
「……それも、悪いですよね」
「悪い、までは言わない」
ひより先輩は答える。
「でも」
「はい」
「返事を考えてる途中だって伝えることはできる」
小野寺さんが。
顔を上げる。
「途中?」
「うん」
「付き合う」
「うん」
「断る」
「うん」
「その二つしか返事じゃないわけじゃない」
ぼくも。
少し考える。
「受け取りました」
「はい」
「考えています」
「はい」
「少し時間がほしいです」
「……」
「これも」
ひより先輩が言う。
「今の返事にはなる」
小野寺さんは。
長く黙った。
「それなら」
「うん」
「言えそうです」
「いつ?」
「明日」
「直接?」
「……」
少し。
迷う。
「手紙で返したいです」
「どうして?」
「Hくんが手紙でくれたから」
「うん」
「私も」
少し。
笑う。
「ちゃんと考えて書きたい」
それなら。
いいと思う。
「内容は」
ぼくが言う。
「本人が書いてください」
「はい」
「ここで文章を作ることもできますが」
「自分で書きます」
即答。
「わかりました」
ひより先輩が。
少し嬉しそうに笑った。
「いいね」
「何がですか」
「ちゃんと自分で返そうとしてる」
小野寺さんは。
水色の封筒を。
大事そうに鞄へしまった。
*
「噂は?」
小野寺さんが聞く。
「どうしたらいいですか」
ぼくは。
少し考える。
「現時点では」
「はい」
「付き合っていない、と答えられます」
「でも」
「好きかどうかまで答える必要はありません」
また。
前の相談と。
似ている。
でも。
少し違う。
宮原さん。
付き合っていない。
でも。
好き。
小野寺さん。
付き合っていない。
好きかどうかは。
まだわからない。
それでいい。
「グループチャットには?」
ひより先輩が聞く。
小野寺さんは。
画面を見る。
「何も書きたくないです」
「じゃあ、書かなくていい」
「でも」
「はい」
「明日学校行ったら絶対聞かれます」
「その時」
「はい」
「何て答えたい?」
小野寺さんは。
少し考える。
「……まだ付き合ってないよ」
「うん」
「それだけ」
「いいと思う」
「好きなの?って聞かれたら」
ひより先輩が。
少し笑う。
「まだ答えない」
「はい」
「それも言っていい」
小野寺さんが。
うなずく。
「まだ答えない、って」
「うん」
「結構便利ですね」
ぼくは。
ひより先輩を見る。
先輩も。
ぼくを見る。
「何?」
「何でもありません」
この人が。
最近。
非常に便利に使っている言葉だ。
*
「もう一つ」
小野寺さんが言った。
「はい」
「もし」
「はい」
「返事を考えてる間に」
少し。
言葉が止まる。
「Hくんが、やっぱりいいって言ったら」
「告白を取り下げたら?」
「はい」
「嫌?」
小野寺さんは。
かなり考える。
「……嫌かもしれません」
ひより先輩が。
少し目を細める。
「それは」
「はい」
「Hくんが好きだから?」
「わかりません」
「じゃあ」
「はい」
「何が嫌?」
小野寺さんは。
ゆっくり。
言葉を探す。
「私」
「うん」
「今、ちゃんと考えてるんです」
「うん」
「付き合うのって」
「うん」
「どういうことかな、とか」
「うん」
「Hくんと二人で出かけたら、どうかなとか」
「うん」
「手をつないだりしたら」
そこで。
顔が赤くなる。
「……」
ひより先輩も。
少し笑う。
「うん」
「そういうの」
「うん」
「考え始めたのに」
「うん」
「途中で、もういいって言われたら」
「はい」
「私だけ考えてたみたいで」
ひより先輩は。
少しだけ。
声を柔らかくする。
「それも」
「はい」
「好きかどうかを考える材料かもしれないね」
小野寺さんが。
目を丸くする。
「好きってことですか」
「決めない」
「……」
「今」
先輩は言う。
「Hくんとのことを、ちゃんと考えたいと思ってる」
「はい」
「それだけでいい」
小野寺さんは。
少し笑った。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「思ってたより、答え教えてくれないですね」
「最近、そうなの」
「前は?」
ぼくが。
答える。
「かなり教えていました」
「書記くん」
「事実です」
小野寺さんが。
笑った。
「でも」
ひより先輩が。
ぼくを見る。
「今の方がいい?」
「かなり」
「……」
一瞬。
先輩の表情が止まる。
「今」
「はい」
「また素直に褒めた」
「事実なので」
「もう一回」
「必要ありません」
「けち」
相談者の前。
いつものやり取り。
なのに。
昨日以降。
意味が。
少し違って聞こえる。
*
相談終了。
ではなく。
継続。
相談番号十。
小野寺美月。
現在。
Hくんから告白を受けている。
交際意思。
未決定。
翌日。
「考える時間がほしい」と本人へ伝える予定。
噂については。
交際していない事実のみ、必要に応じて本人から訂正。
「継続?」
小野寺さんが聞く。
「はい」
「返事を決めたら?」
「来てもいいです」
ひより先輩が言う。
「来なくてもいい」
「え?」
「相談室に報告する義務はないから」
「……」
「自分で決められたなら」
「はい」
「それで終わってもいい」
小野寺さんは。
少し考える。
「たぶん来ます」
「どうして?」
「誰かに言いたいから」
ひより先輩が。
笑った。
「じゃあ待ってる」
「はい」
ドア。
小野寺さんが。
帰ろうとする。
その前。
振り返る。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「先輩も」
「うん?」
「返事待たせてる人、いるんですか」
「……」
ぼくのペンが。
止まった。
なぜ。
この相談者たちは。
毎回。
最後に。
こちらへ投げてくるのだろう。
「何でそう思ったの?」
ひより先輩が聞く。
「さっき」
「うん」
「『まだ答えない』って言う時」
「うん」
「慣れてる感じがしたので」
「……」
ぼくは。
視線を記録用紙へ落とす。
見ない。
必要がない。
「いる」
ひより先輩が答えた。
ぼくの手が。
止まる。
「え」
小野寺さんも。
少し驚く。
「待たせてる?」
「……たぶん」
「返事を?」
ひより先輩は。
一瞬。
ぼくを見る。
「私の返事じゃなくて」
「はい?」
「向こうの返事」
ぼくは。
顔を上げる。
先輩は。
笑っている。
小野寺さんが。
少し考える。
「告白したんですか?」
「まだ」
「……?」
「ややこしいでしょ」
「すごく」
「私もそう思う」
「でも」
小野寺さんは。
少し笑った。
「楽しそうですね」
ひより先輩が。
一瞬。
黙る。
そして。
「……うん」
と答えた。
その返事だけ。
妙に。
静かだった。
*
小野寺さんが帰る。
相談室。
二人。
昨日から。
この時間が。
少し危険になっている。
「書記くん」
「はい」
「今日」
「はい」
「昨日の話、しない?」
「……」
「相談者、帰ったよ」
「運営記録があります」
「何分?」
「十五分程度」
「じゃあ待つ」
「……」
先輩は。
相談用の椅子へ座った。
完全に。
待つ姿勢。
ぼくは。
記録を書く。
相談番号十。
継続。
小野寺美月。
返事。
保留。
……集中できない。
「先輩」
「何?」
「見ないでください」
「何を?」
「こちらを」
「何で?」
「集中できません」
言ってから。
気づいた。
ひより先輩の表情が。
変わる。
「書記くん」
「はい」
「今」
「はい」
「結構すごいこと言ったよ」
「作業上の問題です」
「はいはい」
少し。
顔が熱い。
記録を閉じる。
十五分。
かからなかった。
「終わりました」
「早かった」
「必要な記録だけなので」
「じゃあ」
先輩が。
座り直す。
「昨日の続き」
「……はい」
「私が」
「はい」
「書記くんに告白したら」
「はい」
「断らない」
「そう言いました」
「今も?」
早い。
聞き方が。
早い。
でも。
昨日。
変わったら言う。
そう答えた。
「変わっていません」
ひより先輩が。
黙る。
耳。
赤い。
「……そっか」
「はい」
「じゃあ」
少し。
間。
「何で、まだ告白しないと思う?」
「ぼくに聞くんですか」
「うん」
「本人へ聞け、と言われそうです」
「本人が聞いてる」
確かに。
「……まだ」
ぼくは。
考える。
「先輩自身が決めていないから」
「何を?」
「ぼくを好きか」
ひより先輩は。
ゆっくり首を横に振った。
「それは」
少し。
間。
「もう、決めてる」
心臓。
というものは。
普段。
意識しない。
でも。
今。
一回。
かなり。
大きく動いた気がした。
「……では」
「うん」
「何を?」
先輩は。
机を見る。
「怖い」
意外だった。
「何がですか」
「変わるのが」
「関係が?」
「うん」
「……」
「相談室で」
先輩は言う。
「私たち、ずっと一緒にいたでしょ」
「はい」
「書記くんって呼んで」
「はい」
「からかって」
「はい」
「怒って」
「はい」
「頼って」
「……はい」
「それが」
少し。
声が小さくなる。
「付き合ったら」
「はい」
「何か違うものになりそうで」
「……」
「うまくいかなかったら」
「はい」
「相談室まで、変になりそうで」
だから。
まだ。
告白しない。
好きかどうかわからないからではない。
好きだと。
決めているからこそ。
怖い。
「一ノ瀬先輩」
「はい」
「昨日の柴田くんの相談」
「うん」
「今日の小野寺さんの相談」
「うん」
「どちらも」
「はい」
「関係を決めるのは本人でした」
先輩が。
少し笑う。
「うん」
「付き合ったら」
「うん」
「何もかも変えなければいけないという決まりはありません」
「……」
「書記くん?」
「はい」
「それ」
「はい」
「どういう意味?」
今度は。
ぼくが。
考える番。
逃げる言葉は。
たくさんある。
相談担当。
記録担当。
必要なので。
でも。
もう。
少しだけ。
使いにくい。
「……付き合っても」
「うん」
「先輩は先輩だと思います」
「うん」
「ぼくは、ぼくです」
「うん」
「相談室では」
「うん」
「相談担当と記録担当です」
「……うん」
「だから」
少し。
間。
「全部変わるとは思いません」
先輩は。
何も言わない。
「ただ」
「何?」
「変わるところは」
「うん」
「あると思います」
「例えば?」
「……」
「書記くん」
「はい」
「逃げない」
「……」
仕方がない。
「帰る時」
「うん」
「今より」
「うん」
「少し近く歩くとか」
ひより先輩が。
完全に。
止まった。
ぼくも。
言った後で。
かなり後悔した。
「……それだけ?」
小さな声。
「今は」
「……」
「まだ付き合っていないので」
ひより先輩が。
笑った。
顔を伏せて。
しばらく。
笑った。
「本当に」
「何ですか」
「書記くんだなあ」
「意味がわかりません」
先輩が。
顔を上げる。
「じゃあ」
「はい」
「今日は」
椅子から立つ。
「少し近く歩く練習だけ」
「何の練習ですか」
「必要なので」
完全に。
使われた。
*
施錠。
廊下。
夕方。
ひより先輩。
ぼく。
いつも。
一人分くらい。
間がある。
今日は。
半分。
先輩が。
近い。
「書記くん」
「はい」
「これくらい?」
「何がですか」
「近く」
「……」
「さっき言ったじゃん」
「そうですが」
「嫌?」
「……嫌ではありません」
「そっか」
数歩。
歩く。
「書記くん」
「はい」
「好き?」
「何をですか」
「私」
急。
また。
急。
「先輩」
「うん」
「今日は」
「うん」
「まだ答えません」
ひより先輩が。
少しだけ。
驚く。
「理由は?」
「先輩が」
「うん」
「告白するかどうかを、自分で決める途中だからです」
「……」
「その前に」
「はい」
「ぼくが答えを全部言うのは」
「うん」
「少し違う気がします」
ひより先輩は。
長く。
ぼくを見る。
「……ずるい」
「昨日も言われました」
「誰に?」
「先輩にです」
「あ」
「覚えていないんですか」
「覚えてる」
少し。
笑う。
「じゃあ」
「はい」
「待つ」
「はい」
「でも」
「何ですか」
「書記くん」
「はい」
「返事しないのも、返事だからね」
今日の相談。
小野寺美月さん。
答えを決めていない。
だから。
考えていると。
伝える。
ぼくは。
少し考えて。
答えた。
「考えています」
ひより先輩の歩みが。
一瞬。
止まる。
「何を?」
「それ以上は」
「うん」
「まだ答えません」
先輩は。
しばらく。
黙った。
そして。
ぼくの隣へ。
半歩。
近づいた。
「了解」
肩が。
当たりそうで。
当たらない。
それくらい。
近い。
今は。
それでいい。
*
翌朝。
相談室用の連絡アカウントへ。
小野寺美月さんから。
短いメッセージ。
『手紙を渡しました』
続けて。
『Hくんから返事が来ました』
内容。
『わかった。
ちゃんと考えてくれてありがとう。
急がなくていいです。』
それだけ。
付き合っていない。
断ってもいない。
でも。
何も返していないわけでもない。
二人の関係は。
今。
まだ。
途中にある。
そして。
放課後。
相談室の受付箱には。
新しい紙が。
一枚。
入っていた。
名前。
なし。
相談内容。
たった一行。
『好きな人に、好きな人がいるみたいです。』
ひより先輩が。
紙を見る。
「……恋愛相談室」
「はい」
「完全復活だね」
「そうですね」
「書記くん」
「はい」
「こういうの得意?」
「得意ではありません」
「じゃあ」
先輩が笑う。
「一緒に考えよう」
「はい」
犯人を。
見つける必要はない。
記録を。
暴く必要もない。
ただ。
誰かの気持ちを。
勝手に決めないために。
放課後相談室は。
今日も。
放課後だけ。
開いている。
第48話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回の相談者は、一年四組・小野寺美月。
同じクラスの男子生徒から告白されました。
しかし。
まだ返事をしていません。
それなのに。
周囲ではすでに、
二人は付き合い始めた。
という話が広がっていました。
小野寺自身も。
相手が嫌いではない。
一緒にいるのは楽しい。
でも。
恋人として付き合いたいのかは、まだわからない。
だから今回選んだ答えは。
「考える時間がほしい」
付き合う。
断る。
その二つだけが返事ではありません。
まだ決められないなら。
「まだ決めていない」と伝えることも。
今の自分ができる、一つの返事です。
そして今回は。
ひよりと湊も。
少しだけ前へ進みました。
ひよりは。
高槻湊を好きかどうかについては、
「もう、決めてる」
と認めました。
それでも告白しない理由は。
付き合うことで。
今の二人や、相談室まで変わってしまうことが怖いから。
湊の答えは。
全部が変わるわけではない。
変わるとしても。
たとえば。
「帰る時、今より少し近く歩くとか」
でした。
なので今回は。
正式な告白ではなく。
少し近く歩く練習だけ。
二人の関係にも。
まだ名前はつきません。
そして次の相談は。
『好きな人に、好きな人がいるみたいです。』
恋愛相談室らしい。
少し苦い相談になりそうです。




