『恋愛相談室は、放課後だけ名探偵になる』外伝 写真から消えた彼女
### ――宮野千紗の記録
写真は、嘘をつかない。
私はずっと、そう思っていた。
シャッターを押した瞬間、その場所にいた人、そのとき笑っていた人、そのとき泣いていた人。
全部が残る。
だから私は、写真が好きだった。
――一年前までは。
*
「宮野先輩、それ去年の文化祭の写真ですか?」
放課後。
記録広報班の部室で写真データを整理していると、一年生の女子が私のパソコンを覗き込んできた。
「そう。学校紹介冊子に使えるものがないか探してるの」
「へえー。去年の先輩たち、楽しそうですね」
画面には文化祭の写真。
模擬店。
ステージ。
廊下を走る生徒。
笑う教師。
何百枚もある。
私はマウスホイールを回した。
一枚。
二枚。
三枚。
そして、指が止まった。
旧校舎の階段。
窓際に立っている女子生徒が三人。
青柳楓。
相原真帆。
そして――
「……あれ?」
一年生が首を傾げた。
「この写真、変じゃないですか?」
心臓が、小さく鳴った。
「どこが?」
「ここ」
画面の右端。
誰かの肩だけが写っている。
顔はない。
正確には、
**切り取られている。**
「元写真、もっと横まであったんじゃないですか?」
私は答えなかった。
その子は知らない。
この写真の右側に、
水瀬灯里がいたことを。
*
水瀬灯里。
一年前、この学校を退学した生徒。
今では、その名前を知る生徒も少なくなった。
けれど。
私は覚えている。
彼女が笑うとき、少しだけ左側の口角が上がること。
カメラを向けると、
「千紗、勝手に撮らないでよ」
と言いながら、最後には必ず笑ってくれたこと。
そして。
最後に撮った写真では、
笑っていなかったこと。
(……消したはずなのに)
私はフォルダを開いた。
去年の文化祭。
ファイル番号。
撮影時刻。
保存履歴。
編集履歴。
そこで私は気づいた。
写真はトリミングされている。
でも。
編集したのは、
私ではない。
*
翌日から私は調べ始めた。
相談室には行かなかった。
高槻湊にも、一ノ瀬ひよりにも話さなかった。
これは、
私の問題だと思ったから。
広報班のバックアップ。
生徒会共有フォルダ。
文化祭実行委員会の記録。
一年前の写真を、一枚ずつ確認する。
すると奇妙なことが分かった。
灯里が写っている写真だけが、
いくつも編集されている。
集合写真。
廊下の写真。
ステージ裏。
準備風景。
あるものはトリミングされ、
あるものは別写真に差し替えられ、
あるものは公開対象から外されていた。
まるで。
水瀬灯里という生徒を、
学校から少しずつ消していくように。
(誰が……?)
最初に浮かんだのは青柳だった。
文化祭実行委員長。
一年前の事件のあと、
相談室を閉じるべきだと言った一人。
本人確認を怠ったことを、
誰より引きずっている。
だけど。
編集時刻がおかしい。
ファイルが変更されたのは、
灯里が退学した三日後。
その日、青柳は学校を休んでいる。
次に疑ったのは黒崎悠真。
生徒会副会長。
共有フォルダにアクセスできる。
判断が早く、
必要なら感情を切り捨てることもできる人。
私は放課後、生徒会室に向かった。
「黒崎」
「何だ」
「去年の写真、編集した?」
黒崎の指が止まった。
ほんの一秒。
でも。
私はカメラを扱っている。
人の一瞬の表情を見ることには慣れていた。
「何の話だ」
「灯里が写ってる写真」
沈黙。
「消したの?」
黒崎は答えなかった。
それだけで、
私は答えをもらったような気がした。
「……最低」
口から言葉が落ちた。
黒崎が私を見る。
「そうかもしれない」
「なんで?」
「残して何になる」
その声は冷たかった。
「本人は退学した。学校にも来ない。写真が残れば、面白半分で事情を調べる人間も出る」
「だから消した?」
「守るためだ」
私は笑った。
自分でも驚くくらい、
嫌な笑いだった。
「守る?」
黒崎の眉が少し動く。
「本人に聞いたの?」
答えはなかった。
その瞬間。
私は気づいた。
一年前と、
何も変わっていない。
私たちはいつも、
本人のためだと言う。
傷つけないため。
守るため。
混乱させないため。
そして。
本人に聞かない。
*
私は部室へ戻った。
夜になりかけた校舎は静かだった。
パソコンを開く。
バックアップフォルダ。
編集前データ。
そこには、
灯里がいた。
真帆の隣で笑っている。
青柳の後ろでピースをしている。
廊下でジュースを飲んでいる。
ふざけて私のカメラへ手を伸ばしている。
何百人も写る文化祭の中に、
確かに水瀬灯里は存在していた。
私は最後の一枚を開いた。
退学する少し前。
旧進路指導室の前。
灯里は一人だった。
カメラに気づいている。
けれど、
笑っていない。
私はその写真を撮った日のことを思い出した。
『千紗』
『なに?』
『写真ってさ』
灯里は言った。
『撮った人の都合で、意味変えられるよね』
そのとき私は笑った。
『急に何?』
『別に』
『灯里、こっち向いて』
私はシャッターを押した。
そして。
灯里は最後に、
こう言った。
『残すなら、ちゃんと残してよ』
私は椅子から立てなくなった。
(……そういう意味だったんだ)
涙は出なかった。
代わりに、
ひどく腹が立った。
黒崎に。
青柳に。
学校に。
相談室に。
そして、
一番腹が立ったのは。
何も聞かなかった私自身だった。
*
翌朝。
私は編集前の写真をすべてコピーした。
公開はしない。
勝手に戻すこともしない。
ただ。
消さない。
それから一枚だけ印刷した。
灯里と真帆が並んでいる写真。
文化祭の階段。
昨日見つけた、切り取られる前の写真だ。
私はそれを封筒に入れた。
放課後。
一年生の相原真帆を呼び止めた。
「真帆」
彼女の肩が震えた。
「……宮野先輩」
私は封筒を差し出した。
「これ」
真帆は写真を見る。
そして。
固まった。
「なんで……」
声が震える。
「これ……残ってたんですか」
「うん」
「全部、消えたと思ってました」
その言葉に、
胸が痛んだ。
「ごめん」
真帆が顔を上げる。
「私たち、大人ぶってた」
私は言った。
「守るとか、忘れた方がいいとか、前に進んだ方がいいとか」
真帆の目に涙が浮かんだ。
「でも」
私は続ける。
「それを決めるのは、私じゃなかった」
真帆は写真を胸に抱いた。
長い沈黙。
やがて。
「先輩」
「うん」
「灯里先輩に、会いたいです」
私は答えなかった。
会えるとも。
会うべきだとも。
言わなかった。
ただ。
「そっか」
とだけ言った。
その答えを、
今度こそ奪わないために。
*
その夜。
私は放送室の前に立っていた。
手には一本のUSBメモリ。
一年前の記録。
消された写真。
残された相談記録。
言えなかった言葉。
これは復讐ではない。
――そう思いたかった。
でも、
たぶん違う。
私は怒っていた。
一年間、
何事もなかったみたいに学校生活を続けてきた私たちに。
「事件は終わった」
そういう顔をしている全員に。
だったら。
聞けばいい。
本当に終わったのか。
灯里がいなくなって。
蓮が傷ついて。
怜が逃げて。
真帆が今も名前を口にできなくて。
青柳が自分を責めて。
黒崎が全部背負ったふりをして。
ひよりが相談室を続けて。
それで。
終わったことになるのか。
私は放送室の扉に手をかける。
ポケットの中で、
カメラが揺れた。
写真は、
嘘をつかない。
でも。
写真を使う人間は、
簡単に嘘をつく。
だから。
今度は。
記録するだけじゃない。
問いかけよう。
一年前、
私たちが聞かなかったことを。
――あなたは、本当はどうしたかったの?
扉を開ける。
放送室の赤いランプが、
静かに点灯した。




