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第39話 確認したことにしてください

御影音羽が署名していないはずの「訂正申請取り下げ確認書」。


その電子データは、音羽が学校を休み始めた翌朝に作成されていた。


作成者情報。


FUJISAKI。


当時の生徒会担当。

現在の進路指導部長。


藤崎俊介先生。


しかし、一枚の書類を作った人物と、音羽の意思を消した責任がある人物が、必ず同じとは限らない。


翌日。


学校側による、藤崎先生への確認が始まった。

翌朝。


放課後相談室は、まだ元の部屋へ戻っていなかった。


旧進路指導室では、設備担当による確認が続いている。


だから。


今日も職員室横の会議室。


机の上には、相談番号零の記録用紙。


その横に。


御影音羽さんの二つの書類が並んでいる。


訂正を希望する。


訂正を希望しない。


同じ名前。


同じ処理番号。


でも。


反対の意思。


「今日、藤崎先生への聞き取りですよね」


一ノ瀬ひより先輩が言った。


「はい」


「私たちは入れない」


「はい」


「音羽さんも?」


「最初は入りません」


「……そっか」


ひより先輩は、少し落ち着かない様子で時計を見る。


「何か、待ってるだけって苦手」


「知っています」


「即答しないで」


「屋上へ一人で行こうとした人なので」


「まだ言う?」


「重要な事例です」


「書記くんの記録から消したい」


「できません」


「強い」


御影朔くんは、今日は学校を休んでいる。


処分に関する正式な聞き取り。


保護者との面談。


そして。


本人の状態を考えて。


相談番号零を毎日続けるのではなく、一度間を置くことになった。


御影音羽さんも。


今日は自宅から待機している。


藤崎先生の説明を確認したあと。


自分が話したいと思えば、学校へ来る。


誰かが先に決めない。


本人へ選択を返す。


今の放課後相談室では。


何度も繰り返してきたことだった。


午前十時。


藤崎先生への聞き取りが始まった。


ぼくたちは、直接参加しない。


ただし。


管理職から共有可能な範囲の結果を受け取ることになっている。


午前十時二十八分。


佐伯先生が会議室へ戻ってきた。


表情は。


硬かった。


「どうでした?」


ひより先輩が聞く。


佐伯先生は、すぐには答えない。


椅子へ座り。


資料を机へ置く。


「藤崎先生は、取り下げ確認書の様式を作成したことを認めました」


「署名は?」


ぼくが聞く。


「自分では書いていない、と」


「では、誰が?」


「わからないと言っています」


ひより先輩が眉を寄せる。


「本当に?」


「今の段階では、本人の説明です」


「……はい」


先輩は、すぐに決めつける言葉を飲み込んだ。


「書類を作った理由は?」


ぼくが聞く。


佐伯先生は。


資料を見る。


「当時の教頭から指示を受けた、と話しています」


また。


当時の教頭。


「どんな指示ですか」


「御影音羽さんの訂正申請を、終了扱いにできる書類を用意するように」


「終了扱い?」


ひより先輩が聞く。


「訂正しない、ではなく?」


「藤崎先生によれば」


佐伯先生が続ける。


「当時の教頭は、こう言ったそうです」


『本人は、もう学校と争うつもりはない』


音羽さん自身が。


藤崎先生に言った。


争いたいわけではない。


違うことを、違うと残してほしい。


その言葉。


「……また意味が変わってる」


ひより先輩がつぶやく。


争いたくない。


それが。


訂正を希望しない。


へ変わった。


「音羽さんが、争いたくないと言ったことは事実です」


ぼくは言う。


「はい」


佐伯先生がうなずく。


「でも、訂正したくないとは言っていない」


「はい」


同じ言葉ではない。


似てもいない。


それなのに。


誰かが。


都合のいい意味へ置き換えた。


存在しない声と同じ。


実際にあった言葉を使い。


本人が言っていない意味へ変える。


「藤崎先生は」


ひより先輩が聞いた。


「それをわかってた?」


佐伯先生が、一度息を吐く。


「そこが……問題です」


「何て言ったんですか」


「音羽さん本人が、訂正を完全に取り下げたとは思っていなかった」


「……え?」


「本人が?」


「藤崎先生です」


会議室が静かになる。


「じゃあ」


ひより先輩が言う。


「わかってたのに、書類を作った?」


「様式を作ったことは認めています」


「どうして」


「教頭から言われたから」


「それだけ?」


「……それだけではないそうです」


佐伯先生は。


藤崎先生の話を、順番に説明した。


数年前。


音羽さんと進路指導室で話した日。


藤崎先生は。


退学後の進路について相談を受けていた。


転校するのか。


通信制へ移るのか。


しばらく休むのか。


「藤崎先生は、音羽さんを学校へ残したかったと話しています」


「残したかった?」


「はい」


「なのに、取り下げの紙を?」


「本人は」


佐伯先生は少し言葉を選ぶ。


「事件をこれ以上扱うと、音羽さんが学校へ戻りにくくなると考えた、と」


ひより先輩の目が細くなる。


「それ……」


「はい」


「また、守るためって話ですか」


佐伯先生は。


否定しなかった。


「藤崎先生は、そう説明しています」


「音羽さんに聞かずに?」


「はい」


「訂正を続けたら戻れないって、誰が決めたんですか」


「藤崎先生自身です」


ひより先輩は。


机の上の書類を見る。


「……何回目だろう」


「何がですか」


「守りたいって言って、本人より先に決める人」


数えれば。


多い。


黒崎先輩。


白井悠花先輩。


片桐玲奈先輩。


青柳楓先輩。


御影朔くん。


そして。


大人たち。


理由は違う。


悪意の有無も違う。


でも。


共通していることがある。


本人へ聞かずに。


本人のためだと決める。


「藤崎先生は、当時何をしたんですか」


ぼくが聞く。


「書式を作成し、教頭へ渡した」


「空欄で?」


「本人は、空欄だったと話しています」


「その後、署名された書類を見た?」


「はい」


「いつ?」


「翌朝」


「誰が持っていた?」


佐伯先生は答えた。


「当時の教頭です」


「署名を見て?」


「本人が書いたのか確認したそうです」


「教頭は?」


「確認済みだ、と答えた」


「それを信じた?」


「……はい」


また。


確認した人に。


確認したかを聞く。


でも。


本人には聞かない。


「藤崎先生は、音羽さん本人が欠席していることを知っていましたか」


「知っていました」


「では、いつ確認したと思ったんでしょう」


佐伯先生が。


少しだけ顔を曇らせる。


「聞き取りで、同じ質問が出ています」


「答えは?」


「電話か、保護者を通したのだろうと思った、と」


「思った」


「はい」


確認ではない。


推測。


「それで」


ぼくは言う。


「本人意思確認済の書類を、そのまま通した」


「はい」


「藤崎先生も署名しましたか」


「学校保管版の裏面」


佐伯先生が資料を示す。


確認者。


藤崎。


昨日まで。


気づいていなかった欄。


「……」


ひより先輩が黙る。


「本人が書いた確認者欄ですか」


ぼくが聞く。


「藤崎先生自身が、自分の字だと認めています」


「何を確認したんですか」


「書類がそろっていること」


「本人の意思ではなく?」


「はい」


言葉。


確認者。


でも。


確認したものが違う。


書類がある。


署名がある。


教頭が確認済みと言った。


だから。


確認済み。


その積み重ね。


「これ」


ひより先輩が言う。


「誰も嘘をついてない可能性、ある?」


ぼくは少し考える。


「あります」


「やっぱり」


「藤崎先生が、本当に教頭からそう聞いた」


「桐生先生も、本当に本人が取り下げたと聞いた」


「事務担当も、必要な印があるから受理した」


「誰も自分では偽造していない」


「でも」


ひより先輩が続ける。


「音羽さんの意思は消えた」


「はい」


誰か一人が。


全部を作らなくても。


偽物はできる。


一人が意味を変える。


一人が確認を省く。


一人が疑わない。


一人が印を押す。


そして。


公式になる。


「藤崎先生は、当時の教頭が署名したと言ってる?」


「いいえ」


佐伯先生が答える。


「そこは知らないと」


「では、作成者はまだ不明」


「はい」


「当時の教頭に聞けますか」


ひより先輩が聞いた。


佐伯先生は。


少し間を置いた。


「連絡を取っています」


「現在は?」


「退職されています」


「話せそう?」


「電話には出ています」


「何て?」


「今日の午後、学校へ来ると」


空気が変わった。


当時の教頭。


音羽さんの訂正申請を却下した人物。


佐伯先生へ、


余計なことをするな。


と言った人物。


そして。


「本人は訂正を希望しない」


と教師たちへ伝えた人物。


午後一時。


御影音羽さんへ。


学校から連絡が入った。


当時の教頭が来校する。


同席するか。


音羽さんの返事は。


今回は、すぐではなかった。


二十分後。


学校へ行きます。


ただし。


最初から同じ部屋には入りません。


先に話を聞かせてください。


「当然だと思います」


ひより先輩が言った。


「会いたくないかもしれない」


「はい」


「話を聞いてから、会うか決める」


「はい」


「御影くんは?」


「来ません」


佐伯先生が答えた。


「今日は、音羽さん本人の問題です」


「御影くんも納得している?」


「はい」


少し。


安心した。


御影くんなら。


以前なら。


姉より先に学校へ来ていたと思う。


今は。


待っている。


それも。


彼の相談番号零の一部だった。


午後二時。


当時の教頭が学校へ来た。


名前。


柴崎正臣。


現在は六十代後半。


退職後。


教育関係の仕事には就いていない。


最初の聞き取りには。


管理職。


佐伯先生。


学校側の記録担当。


そして。


第三者として、学校法人の担当者も参加した。


ひより先輩とぼくは。


別室。


音羽さんも。


さらに別室。


直接聞くのではなく。


後から共有を受ける。


「長いね……」


ひより先輩が時計を見る。


「まだ三十分です」


「三十分は長いよ」


「相談は急ぐと失敗します」


「今の書記くん、完全に待てる人になってない?」


「成長しました」


「自分で言うんだ」


「必要なので」


「それ必要?」


午後二時四十七分。


佐伯先生が戻ってきた。


顔が。


険しい。


「柴崎先生は」


ひより先輩が言う。


「何て?」


「書類の作成を認めていません」


「署名も?」


「はい」


「じゃあ」


「ただし」


佐伯先生が続ける。


「御影音羽さんの訂正申請を、取り下げ扱いにするよう指示したことは認めました」


ひより先輩の表情が変わる。


「理由は?」


「本人が、これ以上学校と争うつもりはない、と聞いたから」


また。


その言葉。


「誰から聞いたんですか」


ぼくが質問する。


佐伯先生は。


少し言いづらそうに答えた。


「藤崎先生です」


「……」


藤崎先生は。


教頭から指示を受けた。


と言った。


教頭は。


藤崎先生から聞いた。


と言った。


「食い違ってる」


ひより先輩が言う。


「はい」


「どちらかが嘘?」


「まだ決めません」


ぼくは答えた。


「記憶違いもあります」


「数年前だもんね」


「はい」


「でも」


ひより先輩は。


眉を寄せる。


「都合よく責任がぐるぐるしてる」


その通りだった。


藤崎先生。


教頭に言われた。


柴崎元教頭。


藤崎から聞いた。


桐生先生。


教頭から本人が取り下げたと聞いた。


誰も。


自分が最初に決めたと言わない。


「柴崎先生は、音羽さん本人へ確認しましたか」


「していないと認めました」


「では、本人意思確認済の根拠は?」


「担当者が確認したと認識していた、と」


「担当者は誰?」


「藤崎先生だと思っていた、と」


ひより先輩が。


額を押さえた。


「もう……」


「落ち着いてください」


「書記くん、今それ言う?」


「必要なので」


「必要だけど腹立つ」


でも。


混乱する。


誰が誰へ確認したのか。


全員が。


別の誰かだと思っている。


「書面の署名については?」


ぼくが聞く。


「自分は書いていない」


「音羽さんの署名も?」


「誰が書いたか知らない」


「受付印は?」


「覚えていない」


「では、何を覚えているんですか」


ひより先輩の声が。


少し強くなる。


佐伯先生は。


その問いを責めなかった。


「一つ」


「何?」


「柴崎先生は、当時の音羽さんの母親と電話で話したことを覚えています」


画面越しではない。


その場にいなかった人物。


御影朔くんと音羽さんの母親。


「お母さん?」


ひより先輩が言う。


「はい」


「何を話したんですか」


「御影さんを学校から休ませたい、と」


「それだけ?」


佐伯先生は。


首を横に振る。


「学校とのやり取りは、もう終わりにしたい」


その言葉を。


柴崎元教頭は。


母親から聞いた。


「……」


ぼくは。


記録用紙を見た。


学校とのやり取りを終わりにしたい。


訂正を希望しない。


また。


似ていない言葉が。


同じ意味にされた可能性。


「母親は」


ひより先輩が言う。


「音羽さんの代わりに、取り下げた?」


「そこを確認する必要があります」


音羽さん本人へ。


その話を伝える。


音羽さんは。


長く黙った。


そして。


「母に聞いてください」


そう答えた。


御影家の母親は。


学校へ来ることになった。


音羽さんの希望で。


最初から一緒の部屋には入らない。


母親の説明を。


音羽さんが別室で聞く。


その上で。


会うかどうか決める。


午後四時。


御影くんの母親が到着した。


この数日。


何度も学校へ来ている。


弟の問題。


姉の過去。


そして今度は。


自分自身が当時何をしたのか。


会議室へ入った母親は。


一枚の書類を見ただけで。


顔色を変えた。


「……これ」


佐伯先生が聞く。


「見覚えがありますか」


御影家の母親は。


椅子へ座ったまま。


長く答えなかった。


「あります」


音羽さんの署名。


訂正を希望しない。


本人意思確認済。


「署名は」


母親の声が。


震えた。


「私が書きました」


ひより先輩が。


息を止める。


ぼくも。


手を止めた。


御影音羽さん本人ではない。


藤崎先生でもない。


柴崎元教頭でもない。


桐生先生でもない。


母親。


「どうして……」


別室で聞いていた音羽さんの声が。


スピーカーから漏れた。


本来。


音羽さんは途中まで聞くだけの予定だった。


でも。


その声は。


抑えられなかった。


母親も。


聞こえたらしい。


顔を両手で覆う。


「音羽……」


佐伯先生が確認する。


「御影さん、こちらの声は聞こえています。通話を切ることもできます」


「……聞きます」


音羽さんが答えた。


「最後まで」


母親は。


震えながら話し始めた。


音羽さんが学校へ来なくなった朝。


母親へ。


藤崎先生から連絡があった。


学校とのやり取りを終わらせるため。


確認書が必要だと。


「音羽は……もう、学校の話をするだけで泣いていました」


「はい」


「だから」


母親は。


何度も息を止めながら話す。


「私が代わりに終わらせればいいと思った」


「音羽さん本人へ聞きましたか」


佐伯先生が質問する。


「聞けませんでした」


「聞かなかった?」


「……はい」


また。


本人へ聞かなかった。


「署名は」


ぼくが聞く。


「なぜ音羽さんの名前を?」


母親が、目を伏せる。


「本人の名前が必要だと言われたから」


「誰に?」


「藤崎先生です」


「本人が書かなくてもよい、と?」


「……親が代筆してもいい、と」


会議室が静まり返る。


「藤崎先生は、先ほどの聞き取りで」


佐伯先生が言う。


「署名した人物を知らないと話しています」


母親が顔を上げる。


「そんな……」


「本当に藤崎先生ですか」


「はい」


「電話だけ?」


「学校へ来ました」


「誰が?」


「藤崎先生が、自宅まで」


新しい事実。


「書類を持って?」


「はい」


「空欄でしたか」


「ほとんど書いてありました」


「訂正を希望しない、も?」


「……はい」


母親は。


音羽さんの名前だけを書いた。


本人の字に似せるように。


「似せるよう言われた?」


ぼくが聞く。


母親は。


少し考える。


「そこまでは……」


「覚えていませんか」


「はい」


「では、なぜ似せたんですか」


母親の目から。


涙が落ちた。


「親が書いたとわかったら、無効になると思って」


ひより先輩が。


目を閉じる。


「音羽さんのためだと思った?」


母親は。


うなずいた。


「これで終わると思いました」


「何が?」


「噂も」


「学校との話も」


「音羽が泣くことも」


「全部」


でも。


終わらなかった。


音羽さんは。


学校を辞めた。


声を嫌いになった。


弟は。


何年も姉の記録を集め続けた。


そして。


母親自身も。


家の中で学校の話をしなくなった。


「お母さん」


別室から。


音羽さんの声。


「はい」


「私」


一度。


言葉が止まる。


「訂正したかった」


母親が。


泣きながらうなずく。


「……ごめんなさい」


「私、橘先輩に頼んだ」


「うん」


「学校にも言った」


「うん」


「佐伯先生にも」


「うん」


「なのに」


音羽さんの声が。


震える。


「お母さんまで、私の代わりに決めたの?」


母親は。


答えられない。


「私が泣いてたから?」


「……うん」


「話せなかったから?」


「うん」


「だから、聞かなくていいと思った?」


「……はい」


音羽さんが。


しばらく黙る。


「今は」


母親が言う。


「許してほしいとは言わない」


「……」


「私がしたことを、記録に残してください」


ひより先輩が。


少し顔を上げる。


この数日で。


何度も聞いた言葉。


隠さない。


なかったことにしない。


でも。


公開することとも違う。


記録する。


本人の選択を戻すために。


「お母さん」


音羽さんが言う。


「一つだけ聞きたい」


「うん」


「藤崎先生は」


会議室の全員が。


静かになる。


「私の署名を、お母さんが書くことを知ってた?」


母親は。


少しだけ迷った。


「……知ってた」


「本当に?」


「はい」


「見てた?」


「私が書く時、そこにいました」


空気が変わる。


藤崎先生は。


署名した人物を知らないと言った。


母親は。


藤崎先生の前で書いたと言う。


証言が。


正面から食い違った。


「書いたあと」


母親は続ける。


「先生が言いました」


「何て?」


長い沈黙。


「確認したことにしてください」


誰も。


すぐに声を出せなかった。


「……誰が、誰に?」


ひより先輩が聞く。


「私に」


母親は答える。


「音羽本人にも内容を確認したことにしてくださいって」


本人意思確認済。


その文字。


誰も確認していない。


でも。


確認したことになった。


「それを」


音羽さんが。


かすれた声で聞く。


「お母さんは、了承したの?」


「……はい」


音羽さんは。


何も言わなかった。


「音羽」


「今は呼ばないで」


母親の口が止まる。


「……わかりました」


音羽さんの声が。


小さく続く。


「今日は、会いません」


「はい」


「もう帰ってください」


「……はい」


「でも」


母親が立ち上がる前に。


音羽さんは言った。


「話してくれて、ありがとう」


許したわけではない。


会うわけでもない。


でも。


事実を話したことだけは。


受け取った。


母親が帰ったあと。


会議室に残ったのは。


ぼく。


ひより先輩。


佐伯先生。


そして。


音声だけつながっている音羽さん。


「藤崎先生の話」


ひより先輩が言う。


「もう一度確認が必要ですね」


「はい」


佐伯先生が答える。


「今度は、御影さんの母親の証言があることを伝えた上で」


「でも」


ぼくは言った。


「母親の証言だけでも、まだ決められません」


ひより先輩が。


こっちを見る。


「わかってる」


「はい」


「藤崎先生が否定するかもしれない」


「はい」


「記憶が違う可能性もある」


「はい」


「だから確認する」


「はい」


音羽さんが。


通話の向こうで。


小さく笑った。


「一ノ瀬先輩、ずいぶん高槻くんっぽくなりましたね」


「え?」


「確認する、ばっかり」


「嫌だな……」


「嫌なんですか」


ぼくが聞く。


「書記くんが増えるのは一人で十分」


「意味がわかりません」


「私も今言っててわからなかった」


音羽さんが。


少しだけ笑った。


その笑いが。


今日初めて聞いた、普通の笑いだった。


でも。


事件は終わっていない。


夕方。


藤崎先生への二度目の聞き取りが始まった。


母親の証言。


自宅へ書類を持って行った。


母親が音羽さんの署名を書いた。


その場に藤崎先生がいた。


そして。


確認したことにしてください。


そう言った。


最初。


藤崎先生は否定した。


自宅には行っていない。


母親が署名したところも見ていない。


そんな言葉も言っていない。


しかし。


学校側は。


当時の出張・外出記録を確認した。


音羽さんが欠席した日。


午後四時十六分。


藤崎俊介。


家庭訪問。


訪問先。


御影。


記録が残っていた。


その事実を伝えられたあと。


藤崎先生は。


長い沈黙の末。


説明を変えた。


自宅へ行ったことは認める。


ただし。


署名した瞬間は見ていない。


さらに。


別の記録。


当時の進路指導部の日誌。


藤崎先生自身の字。


御影母と面談。


本人意思について代理確認。


処理終了。


代理確認。


つまり。


母親から聞いて。


本人の意思として処理した。


「……」


ひより先輩が。


資料を見つめる。


「これで決まり?」


「何がですか」


「藤崎先生が書類を偽造させた」


「そこまでは、まだ」


ぼくは答える。


「本人署名が必要だと認識していたのか」


「保護者による代筆が、当時どう扱われていたのか」


「確認したことにしてください、という発言も」


「証言だけ?」


「今のところは」


「……うん」


簡単には。


決めない。


でも。


事実は。


少しずつ狭まっている。


その日の最後。


藤崎先生から。


音羽さんへ話したいという申し出があった。


学校を通して。


直接会うか。


音声だけか。


文章か。


拒否するか。


音羽さんへ選択肢が渡された。


返事。


今日は話しません。


明日。


文章で、質問を送ります。


答えるかどうかは、藤崎先生が決めてください。


ただし。


答えなかったことも記録してください。


ひより先輩が。


その文面を見て。


少し笑った。


「強いね」


「はい」


「怒ってるから、間違えたくないって言ってた」


「はい」


「本当にそうしてる」


音羽さんは。


誰かを追い詰めるためではなく。


自分の言葉を取り戻すために。


質問を選び始めていた。


そして。


その夜。


御影朔くんから。


相談番号零の記録に追加したいという連絡が届いた。


一文。


姉の事件を解決することと、姉を元に戻すことは違う。


その下。


もう一文。


僕は、姉を元に戻したかったんじゃなくて、昔の姉に戻ってほしかったのかもしれません。


ひより先輩は。


その文章を長く見つめた。


「書記くん」


「はい」


「次の相談、ここかもしれない」


「はい」


声を取り戻すこと。


記録を訂正すること。


責任を確認すること。


それらは必要だ。


でも。


それを全部やっても。


御影音羽さんが。


事件の前の人へ戻るわけではない。


戻らなくていい。


変わったまま。


今の自分として生きることもできる。


そして。


弟も。


姉が昔と同じになることを。


願い続けなくていい。


相談番号零は。


ようやく。


過去を直すための相談から。


これからを選ぶための相談へ。


少しずつ。


形を変え始めていた。


第39話まで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、当時の生徒会担当・藤崎俊介先生への確認が行われました。


藤崎先生は「取り下げ確認書」の様式を作ったことは認めたものの、音羽の署名を書いた人物は知らないと説明します。


しかし。


当時の教頭と藤崎先生の説明は食い違っていました。


さらに明らかになったのは。


音羽の署名を書いた人物。


それは――母親でした。


娘がこれ以上傷つかないように。


学校とのやり取りを終わらせるために。


母親は、音羽本人へ聞かず、娘の名前を書きました。


そして母親は証言します。


藤崎先生は、その場にいた。


さらに、


確認したことにしてください。


そう言われた、と。


一人が音羽の意思を消したのではありません。


教師。


管理職。


家族。


確認を省いた人たち。


それぞれが「本人のため」と考えながら、本人の言葉を置き換えていきました。


そして最後。


御影朔の相談番号零にも変化が現れます。


姉の事件を解決することと、姉を元に戻すことは違う。


僕は、昔の姉に戻ってほしかったのかもしれません。


次回は、音羽が藤崎先生へ送る質問と、御影朔自身が「昔の姉」ではなく、今の姉と向き合うための相談へ進みます。


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