第35話 私が作って、先生が流した
御影音羽本人が、星ヶ丘高校へ戻ってきた。
そして、彼女は言った。
私の話は、私がします。
偽の告白音声を作ったのは音羽本人。
しかし、それを校内へ流したのは桐生和正先生だった可能性がある。
なぜ音羽は、自分の声を切り貼りしたのか。
なぜ桐生先生は、それを放送したのか。
数年前の出来事が、本人の言葉で語られ始める。
「私が何を作ったのか」
御影音羽さんは、静かに言った。
「先生が何を流したのか」
そして。
「学校が、何を隠したのか」
廊下には、誰も動けないような空気が残っていた。
御影朔くんは、姉を見つめている。
桐生和正先生は、床に落とした書類を拾うこともできず、立ち尽くしていた。
一ノ瀬ひより先輩も。
ぼくも。
何も言えなかった。
音羽さんは、少しだけ周囲を見回した。
「ここで話すんですか」
その一言で、佐伯先生が動いた。
「いいえ。場所を変えましょう」
学校側の管理職。
御影くんの母親。
桐生先生。
佐伯先生。
そして、音羽さん本人。
話を聞く人間は、必要最小限にすることになった。
ぼくとひより先輩は、最初は同席しない予定だった。
これは、数年前の学校側の対応に関わる話だ。
放課後相談室だけで扱うには大きすぎる。
でも。
音羽さんが、ぼくたちを見た。
「一ノ瀬先輩と……高槻くんでしたよね」
「はい」
「一緒にいてください」
ひより先輩が、少し戸惑う。
「いいの?」
「はい」
「でも……」
「朔が、何をしていたのかも聞きました」
音羽さんは弟を見る。
「相談室を巻き込んだ以上、途中から外す方が変だと思います」
少し厳しい言い方だった。
でも、筋は通っている。
「ただし」
音羽さんは続ける。
「私が話したくないところまで、無理に聞かないでください」
「もちろん」
ひより先輩は答えた。
「それから」
音羽さんは桐生先生を見る。
「先生がいるなら、途中で話を止めないでください」
桐生先生の肩が揺れた。
「……わかりました」
声は低かった。
ぼくたちは、職員室奥の大会議室へ移動した。
広い部屋。
中央に長机。
端には、使われていないホワイトボード。
普段なら会議や説明会に使う場所なのだろう。
でも今は。
数年前に終わったはずの出来事を、もう一度始める場所になっていた。
音羽さんは、御影くんの隣には座らなかった。
少し離れた席。
弟と距離を取っている。
御影くんは、そのことに何も言わない。
母親も、二人の間へ入らなかった。
佐伯先生が最初に確認した。
「御影音羽さん。今日ここで話すことは、あなた自身が希望していますか」
「はい」
「途中でやめることもできます」
「はい」
「学校側の対応については、正式な聞き取りを別途行う可能性があります」
「構いません」
「御影朔くんについても」
音羽さんの表情が少し硬くなる。
「……はい」
佐伯先生がうなずいた。
「では、まず確認したいことがあります」
先生は、慎重に言葉を選ぶ。
「校内へ流れた偽の告白音声を、あなた自身が作ったという話についてです」
御影くんが、息を止める。
音羽さんは、弟を見なかった。
「作りました」
短い答え。
「姉ちゃん」
御影くんが小さく呼ぶ。
「朔、今は聞いて」
音羽さんは言った。
「質問はあとで」
御影くんは、口を閉じた。
「なぜ作ったんですか」
佐伯先生が聞く。
音羽さんは、少しだけ目を伏せる。
「音声編集の練習です」
意外な答えだった。
「練習?」
ひより先輩が、思わず聞く。
音羽さんが彼女を見る。
「私は、当時放送委員でした」
「そうだったんですね」
「はい。映像編集や音声編集に興味がありました」
御影朔くんが録音や編集に詳しい理由。
姉の影響もあったのかもしれない。
「文化祭の放送で、短い告知動画を作ることになっていました」
音羽さんは続ける。
「先輩から、声を切ってつなぐ編集を練習しておいてと言われて」
「自分の声を使った?」
「はい」
「どうして告白の文章に?」
音羽さんは、少し苦笑した。
「深い意味はありません」
その笑いは、楽しそうではなかった。
「当時、友達とふざけて、言っていないことを作れるよねって話になりました」
「例えば?」
「今日は学校を休みます、とか。先生が好きです、とか」
音羽さんは一度言葉を止める。
「それで、自分の録音から言葉を切って」
好きです。
ずっと前から。
伝えたかった。
そういう言葉をつなげた。
一人の男子生徒へ告白するような文章。
「完成した音声は?」
佐伯先生が聞く。
「放送委員会の作業用フォルダに保存しました」
「公開するつもりは?」
「ありませんでした」
「誰かに送った?」
「友達一人には聞かせました」
御影くんの顔が少し強張る。
「誰」
「朔」
音羽さんは、弟の方を見た。
「今、その名前を聞く必要はない」
「でも」
「必要なら先生が確認する」
御影くんは、何か言いたそうにした。
けれど。
「……わかった」
自分で止まった。
「完成後、音声は消しましたか」
ぼくが聞く。
音羽さんは首を横に振った。
「消していません」
「なぜ?」
「練習データだったから」
「では、放送委員会の端末には残っていた」
「はい」
「桐生先生は、どうやってその音声を?」
全員の視線が、桐生先生へ向く。
桐生先生は、すぐには答えなかった。
音羽さんが先に言った。
「当時、桐生先生は放送委員会の副顧問でした」
「……そうです」
桐生先生が答える。
現在は国語科の学年主任。
しかし数年前は、放送委員会の副顧問。
職員用放送端末を使用できた人物。
「先生は、編集データを見つけた」
音羽さんが言う。
桐生先生は、目を閉じる。
「はい」
「いつですか」
佐伯先生が聞く。
「文化祭の三日前です」
「どのような状況で」
「放送委員会の共有フォルダを確認していました」
「その音声を聞いた?」
「はい」
「音羽さん本人へ確認しましたか」
桐生先生は、黙る。
「しましたか」
「……いいえ」
御影くんの手が、机の下で強く握られる。
「なぜ確認しなかったんですか」
音羽さんが聞いた。
桐生先生は、彼女を見る。
「当時は……」
言葉が止まる。
「当時は?」
音羽さんの声は静かだった。
「文化祭前で」
「それ、理由になりますか」
桐生先生は、顔を伏せた。
「なりません」
「では、なぜ」
長い沈黙。
「私は……」
桐生先生の声がかすれる。
「生徒間の告白だと思いました」
「だから流した?」
「違います」
「でも、流しましたよね」
「はい」
音羽さんの目が、少しずつ赤くなる。
「何のために」
桐生先生は、苦しそうに言った。
「本人同士でこそこそ広がるより」
御影くんが顔を上げる。
「何?」
「公開された場で、はっきりさせた方がいいと思った」
大会議室が静まり返る。
「……はっきりさせる?」
音羽さんが聞く。
「当時、相手の男子生徒にも噂がありました」
桐生先生は続けた。
「音羽さんが好意を持っているらしい、と」
「誰が言ったんですか」
「複数の生徒です」
「私は?」
音羽さんの声が震える。
「私に聞きましたか」
「……聞いていません」
「なのに」
音羽さんは、笑った。
泣きそうな笑いだった。
「本人同士でこそこそ広がるより、全校へ流した方がいいって?」
「本当に申し訳ありません」
「謝るの早いです」
桐生先生が、言葉を失う。
音羽さんは続けた。
「まだ全部話してません」
「……はい」
「最後まで聞いてください」
数年前。
昼休み。
音羽さんは、放送室にいなかった。
教室にいた。
突然。
校内放送の開始音が鳴った。
最初は、文化祭案内だと思った。
でも。
流れてきたのは、自分の声。
好きです。
ずっと前から。
伝えたかった。
教室の空気が変わった。
誰かが笑った。
誰かが、
え、これ音羽じゃない?
と言った。
相手の男子生徒の名前まで、音声には含まれていた。
「私は、何が起きているかわかりませんでした」
音羽さんは話す。
「だって、私の声だったから」
自分の声。
でも。
自分の言葉ではない。
「最初、自分が忘れているのかと思いました」
「そんなこと言ったっけって」
「でも、すぐに編集したデータだと気づきました」
「私が作ったから」
ひより先輩が、苦しそうに息を吐く。
自分で作った偽音声。
それを。
本人の知らないところで、第三者が本物の発言として流した。
「だから私にも責任があるって、ずっと思ってました」
音羽さんは言った。
「作らなければ流されなかった」
「保存しなければよかった」
「ふざけなければよかった」
御影くんが首を振る。
「姉ちゃんのせいじゃない」
「朔」
「流した人が悪い」
「それだけじゃない」
音羽さんは、弟を見る。
「私が作ったことは事実」
「でも」
「作った責任と、勝手に流されたことは別」
御影くんの動きが止まる。
その言葉は。
これまで放課後相談室が、何度も扱ってきた考えだった。
誰かが何かをした。
だからと言って、別の行為まで正当化されるわけではない。
「私は、馬鹿な音声を作った」
音羽さんは言う。
「でも、だから勝手に全校へ流していいことにはならない」
「はい」
御影くんの声が小さくなる。
音羽さんは、桐生先生を見る。
「放送のあと、私は先生のところへ行きました」
「覚えています」
桐生先生が答える。
「何て言いましたか」
桐生先生は、黙った。
音羽さんが自分で言う。
「私、そんなこと言ってませんって」
「はい」
「編集した練習音声ですって」
「はい」
「先生は?」
桐生先生の唇が震える。
「……混乱していました」
「違います」
音羽さんの声が少し強くなる。
「先生は最初に、こう言いました」
大ごとにしない方がいい。
「違いますか」
「……言いました」
御影くんが、机を見つめる。
「なぜ?」
音羽さんが聞く。
「先生が流したんですよね」
「はい」
「先生が確認せずに」
「はい」
「なのに、私に大ごとにするなと言った」
「……はい」
「どうして」
桐生先生の顔が歪む。
「怖かったんです」
その答えに。
音羽さんが黙る。
「何がですか」
「自分がしたことが、問題になることが」
先生は言った。
「放送設備を、個人的な判断で使った」
「本人確認をしていなかった」
「学校の管理責任になる」
「私自身も、処分されると思いました」
御影くんの顔が、怒りで歪む。
「だから姉ちゃんに黙れって」
「朔」
音羽さんが止める。
「でも」
「最後まで聞いて」
御影くんは、唇を噛んだ。
桐生先生は続けた。
「音羽さんが、編集した音声だと言った時」
「私は、その場で放送事故として報告するべきでした」
「でも」
「もう放送は終わっている」
「噂も広がり始めていた」
「ここで大きく訂正を出せば、さらに注目される」
「そう考えました」
「本当に?」
音羽さんが聞く。
桐生先生は、何も言えない。
「私を守るため?」
「……それもありました」
「それも?」
「自分を守る気持ちもありました」
「どっちが大きかったですか」
長い沈黙。
「自分です」
桐生先生が答えた。
御影くんの母親が、目を閉じる。
「学校にいづらくなるのは、あなたですよ」
音羽さんは言った。
「先生、そう言いました」
「はい」
「訂正すると、みんなが余計に面白がる」
「はい」
「少し待てば忘れる」
「はい」
「私は、先生の言葉を信じました」
桐生先生の目から、涙が落ちた。
「違う」
音羽さんはすぐに言った。
「今、泣かないでください」
桐生先生が顔を上げる。
「私は、先生を慰めるために来たんじゃありません」
声は震えている。
それでも。
はっきりしていた。
「……はい」
「私は、待ちました」
一日。
二日。
一週間。
でも。
噂は消えなかった。
教室で。
廊下で。
SNSで。
あの告白、すごかったね。
返事どうだった?
本当に好きだったの?
音羽さんが否定しても。
照れてるだけだと思われた。
なぜなら。
本人の声が流れていたから。
「声って、強いんです」
音羽さんは言った。
「文字で、違うって書いても」
「私の声を聞いた人には、声の方が本物に思える」
だから。
「私が嘘をついているみたいになりました」
ひより先輩が、涙をこらえる。
水瀬灯里さんの時も。
誰かが作った物語の方が、本人の声より先に広がった。
「先生に訂正放送をお願いしました」
音羽さんは続けた。
「二回」
「先生は?」
「断りました」
「なぜですか」
佐伯先生が聞く。
桐生先生は答える。
「さらに注目を集めると……」
「それ、当時も言いました」
音羽さんが遮る。
「今は、本当の理由を言ってください」
桐生先生が、目を伏せる。
「訂正放送をすれば」
「私が放送したことも説明しなければならなくなる」
「はい」
「だから、しなかった」
「はい」
短い返事。
それで十分だった。
大会議室には。
誰も味方になれない沈黙があった。
「学校は?」
御影くんが聞く。
「桐生先生だけ?」
音羽さんは、弟を見る。
「違う」
「校長も知ってた?」
「当時の教頭は知ってた」
現在の管理職が顔を上げる。
「担任も知っていました」
音羽さんは言う。
「放送委員会の顧問も」
「でも、誰も全校へ訂正しなかった」
「はい」
佐伯先生の顔が硬くなる。
「学校内の記録には?」
「残っていないと思います」
「どうして?」
「正式な放送事故として扱わなかったから」
桐生先生が答えた。
「内部で、生徒間のトラブルとして処理しました」
「生徒間?」
ひより先輩の声が強くなる。
「先生が流したのに?」
桐生先生は答えられない。
「音声を作った生徒と、相手の男子生徒とのトラブル」
音羽さんが、乾いた笑いを漏らす。
「そういうことになりました」
「相手の男子生徒も?」
ぼくが聞く。
「関係ありません」
音羽さんは答える。
「名前を使われただけ」
「本人も被害者?」
「私はそう思います」
「御影くん」
ぼくは彼を見る。
「あなたは、その男子生徒を調べましたか」
御影くんは、少し気まずそうに答える。
「最初は疑いました」
「でも?」
「関係ないとわかりました」
「直接確認した?」
「はい。卒業後、一度だけ」
音羽さんが弟を見る。
「そんなことまでしてたの」
「姉ちゃんが話さないから」
「だからって」
「わかってる」
御影くんが、低い声で言った。
「今は、わかってる」
少しずつ。
彼も変わろうとしている。
「音羽さん」
ひより先輩が聞いた。
「学校を辞めたのは……この事件だけが理由?」
音羽さんは、すぐには答えなかった。
「一番大きい理由です」
「でも、それだけじゃない?」
「はい」
「話せる?」
音羽さんは、少しだけ考える。
「私は、放送が好きでした」
久世綾音先輩と同じ。
声を使い。
音を作り。
誰かへ届ける仕事。
「将来、ラジオの仕事をしたいと思っていました」
御影くんが、姉を見る。
初めて聞く話なのかもしれない。
「でも、自分の声が嫌いになりました」
「放送を聞いた人が」
「この声だ、と思っている気がした」
「マイクの前に座ると、あの音声が聞こえてくる」
「編集ソフトを開くと、自分が作ったデータを思い出す」
「だから、放送委員を辞めました」
それでも。
学校に残ろうとはした。
しかし。
廊下を歩くだけで声をかけられる。
新しいクラスでも。
知らない生徒から、
告白した人だ。
と言われる。
「そのうち」
音羽さんは言った。
「私、自分が本当は誰かを好きだったのかどうかまで、わからなくなりました」
自分が作った音声。
他人に流された音声。
周りが信じた気持ち。
本当の自分の気持ち。
全部が混ざった。
「だから辞めました」
音羽さんは静かに言った。
「学校を」
御影くんの目から涙が落ちる。
「姉ちゃん」
「でも、朔」
音羽さんは弟を見る。
「あなたに取り戻してほしいとは、一度も言ってない」
「……うん」
「私の声を集めてほしいとも」
「うん」
「私の代わりに怒ってほしいとも」
「……うん」
「だから、やめて」
御影くんの肩が震える。
「わかった」
「本当に?」
「わからない」
意外な答え。
音羽さんの眉が動く。
「すぐにやめられるって言ったら、たぶん嘘になる」
御影くんは、自分の手を見る。
「何年もやってきたから」
「姉ちゃんの声を探すこと」
「記録を集めること」
「誰が悪かったのか考えること」
「それがなくなったら……何をすればいいかわからない」
音羽さんは、弟を見ていた。
すぐに、
じゃあ忘れて。
とは言わなかった。
「それ」
ひより先輩が静かに言う。
御影くんが顔を上げる。
「相談番号零で話そう」
「……これが?」
「うん」
「姉の声を元に戻したい、じゃなくて」
ひより先輩は、ゆっくり言った。
「姉の事件を追うことをやめたら、自分が何をすればいいかわからない」
御影くんの目が揺れる。
「そっちが……今の御影くんの相談かもしれない」
御影くんは、しばらく何も言わなかった。
そして。
「……はい」
小さく答えた。
音羽さんが、少しだけ息を吐く。
「やっと、自分の話したね」
「姉ちゃんに言われたくない」
「何で」
「姉ちゃんも自分の話、全然しなかった」
「……それはそう」
ほんの一瞬。
姉弟の間に、普通の会話が戻った。
でも。
桐生先生は、まだそこにいる。
学校側の問題も。
まだ終わっていない。
「桐生先生」
音羽さんが呼ぶ。
「はい」
「私は、謝ってほしくて来たわけではありません」
「……はい」
「先生がしたことを、学校の正式な記録に残してください」
桐生先生が顔を上げる。
「放送を流したこと」
「私が否定したあと、訂正しなかったこと」
「大ごとにしないよう求めたこと」
「はい」
「それから」
音羽さんは、学校の管理職を見る。
「学校として、当時の対応が適切だったのか調べてください」
「承知しました」
「私の名前を出して公表するかどうかは、勝手に決めないでください」
「はい」
「訂正放送も」
「はい」
「私に聞いてください」
その言葉に。
ひより先輩が、静かにうなずいた。
本人へ返す。
選択肢を。
今度こそ。
「御影さん」
佐伯先生が聞いた。
「現時点で、学校から当時の生徒たちへ説明を行うことを希望しますか」
音羽さんは、少し考える。
「今は決めません」
御影くんが、姉を見る。
でも。
何も言わない。
「まず、学校が何を記録していたのか見たいです」
「はい」
「先生たちが、何を話していたのかも」
「確認します」
「それから決めます」
「わかりました」
今すぐ答えを出さない。
それも。
本人が選んだ答えだった。
大会議室の話し合いが一区切りしたのは、外が完全に暗くなってからだった。
音羽さんは、桐生先生とは別の出口から帰ることになった。
御影くんも母親と一緒に帰る。
学校側の聞き取りは、翌日以降も続く。
御影くんがしたことへの対応も。
これからだ。
会議室を出る直前。
御影くんが、ひより先輩を呼んだ。
「一ノ瀬先輩」
「何?」
「相談番号零」
「うん」
「まだ、終わってませんよね」
「終わってないよ」
「次も来ていいですか」
「学校と保護者の確認が取れたら」
「相談者として?」
ひより先輩は、少し笑った。
「相談者として」
「……わかりました」
御影くんは、ぼくを見る。
「高槻くんも?」
「記録担当です」
「必要なので?」
「はい」
御影くんは、初めて少しだけ自然に笑った。
「やっぱり」
彼らが帰ったあと。
ぼくとひより先輩は、仮の相談場所に残った。
机の上。
相談番号零。
ぼくは、今日確認できた内容を記録する。
御影音羽本人の希望。
・自分の声を無断で利用しない。
・過去の学校記録を本人確認なしに公開しない。
・当時の学校対応を正式に調査する。
・訂正や説明を行うかは、調査内容を確認してから本人が決める。
・御影朔に、自分の代わりに行動することを求めていない。
御影朔本人の相談。
姉の事件を追うことをやめたら、自分が何をすればいいかわからない。
ひより先輩が、ぼくの横から用紙を見る。
「相談内容、変わったね」
「はい」
「最初は、姉の声を元に戻したい」
「はい」
「今は、自分がどうすればいいかわからない」
「本人の相談になってきました」
ひより先輩は、椅子へ座る。
「ねえ、書記くん」
「はい」
「事件が解決したら、この話、終わるのかな」
「何の話ですか」
「相談室」
「終わらせたいですか」
「……わからない」
ひより先輩は、少し考える。
「前なら、続けるってすぐ言ってた気がする」
「今は?」
「続けたい」
「はい」
「でも、続けなきゃいけないとは思いたくない」
灯里さんの言葉。
私を理由に、相談室を続けるかどうかを決めないでください。
「それでいいと思います」
「また、まだ決めない?」
「はい」
「朝倉さんみたい」
「考える時間を選べます」
ひより先輩が笑った。
「……そうだね」
その時。
会議室のドアがノックされた。
二回。
ぼくとひより先輩が顔を上げる。
こんな時間。
誰だろう。
「どうぞ」
ドアが開く。
立っていたのは。
鳴海律くんだった。
放送委員会一年。
音響分析担当。
片手に、銀色のノートパソコン。
もう片方に。
古いカセットテープ。
「相談ではありません」
彼は言った。
「たぶん」
「たぶん?」
ひより先輩が聞く。
鳴海くんは、カセットテープを机へ置いた。
ラベルには。
手書きの文字。
桐生先生 放送後。
日付は。
御影音羽さんの偽音声が流れた、その日のもの。
「どこにあったの?」
ぼくが聞く。
「旧放送室の機材棚です」
鳴海くんは答えた。
「録音者名はありません」
「中身は?」
「まだ全部は聞いていません」
「少しは?」
「はい」
鳴海くんの表情は、いつもより硬かった。
「桐生先生と、もう一人の先生が話しています」
「誰?」
ひより先輩が聞く。
鳴海くんは答えた。
「佐伯先生です」
ぼくたちは。
何も言えなかった。
現在。
放課後相談室を担当し。
御影朔の話を聞き。
学校側の調査を進めようとしている佐伯先生。
その人が。
数年前の事件当日。
桐生先生と一緒にいた。
鳴海くんは、カセットテープを見る。
「音声の最初で、佐伯先生はこう言っています」
彼は、一度言葉を止めた。
「この放送は、なかったことにはできません」
そして。
「でも、今すぐ全校へ訂正するのも危険です」
ひより先輩の表情が変わる。
桐生先生を止めようとしたのか。
それとも。
学校と一緒に隠したのか。
カセットテープの中に。
現在の放課後相談室担当教員が、数年前に何を選んだのかが残っている。
第35話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、御影音羽本人の口から、偽の告白音声が作られた経緯と、桐生先生がそれを校内へ流した理由が語られました。
音羽自身が音声編集の練習として偽の告白音声を作っていたことは事実です。
しかし。
音声を作ったことと、それを本人に無断で校内放送へ流したことは別の問題です。
桐生先生は、音羽本人へ確認せず音声を流し、事故が発覚したあとも、自分の責任を恐れて訂正放送を行いませんでした。
大ごとにしない方がいい。
その言葉によって、音羽は自分の声を訂正する機会を失いました。
一方、御影朔の相談も変化します。
姉の声を元に戻したい。
そこから。
姉の事件を追うことをやめたら、自分が何をすればいいかわからない。
ようやく、御影自身の悩みが見え始めました。
しかし最後に、旧放送室から新しいカセットテープが発見されます。
そこに残されていたのは。
事件当日の桐生先生と、現在の放課後相談室担当・佐伯先生の会話でした。
次回は、佐伯先生が数年前の事件で何を知り、何を選んだのかが明らかになっていきます。




