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第30話 黒崎悠真が隠した声

放送室の非表示フォルダには、これまで放課後相談室が関わってきた生徒たちの音声が集められていた。


そして、次の月曜日に予約されていた校内放送。


06 一ノ瀬ひより 最後の相談。


そのデータが作成された端末は、生徒会室の共用パソコン。

操作したアカウントには、黒崎悠真の名前が残されていた。


放課後相談室を支えてきた黒崎は、本当に相談者たちの声を集めていたのか。


黒崎悠真。


画面に表示されたその名前を、一ノ瀬ひより先輩は黙って見つめていた。


放送室の中では、誰もすぐには声を出せなかった。


音源用パソコンの冷却ファン。

記録機器の低い作動音。

壁に掛けられた時計の秒針。


普段なら気にも留めない音が、やけに大きく聞こえる。


黒崎先輩は、放課後相談室の先生連絡担当だ。


相談内容の一部を教職員へ伝える必要がある時、本人へ説明し、伝える範囲を確認し、先生との間をつなぐ。


第一の事件では、自分の判断で情報を外へ出した。


公開告白を止めるためだった。

誰かが傷つくのを防ぐためだった。


しかし、その情報が別の形で広がり、水瀬灯里さんの名前が噂になった。


黒崎先輩自身も、その責任から逃げなかった。


だから、正式に再開した放課後相談室では、先生との連絡役を引き受けた。


今度は勝手に動かないために。

誰に何を伝えたかを記録するために。


その黒崎先輩の名前が、相談者たちの声を集めたデータに残っている。


「一ノ瀬さん」


放送委員長の久世綾音先輩が声をかけた。


「今、この記録だけで黒崎くんが作成者だと決めるべきではない」


ひより先輩は、ゆっくり顔を上げた。


「わかってる」


声は思ったより落ち着いていた。


「綾音のアカウントも、誰かに使われてたんだよね」


「ええ」


「だから、黒崎くんの名前があっても、本人が操作したとは限らない」


「そう」


久世先輩は短く答えた。


「でも、確認は必要」


「うん」


ひより先輩は、放送室のドアを見た。


「呼ぼう」


ぼくは佐伯先生へ連絡した。


黒崎先輩は、生徒会室で文化祭後の書類を整理していた。


電話を受けてから十分ほどで、放送室へ来た。


ドアを開けた黒崎先輩は、室内にいる人数を見て少し眉を寄せた。


ぼく。

ひより先輩。

久世先輩。

鳴海律くん。

放送委員会顧問。

佐伯先生。


そして、パソコン画面には自分の名前。


「何があった」


声はいつも通り静かだった。


ひより先輩が答える。


「黒崎くんに確認したいことがある」


黒崎先輩は、ひより先輩の顔を見た。


何かを感じ取ったらしい。


「わかった」


言い訳をする前に、椅子へ座った。


佐伯先生が、ここまでに確認された内容を説明する。


放送室の記録に残された、存在しない声。


私がいなくなったら、この放送を流してください。


複数の過去音声をつなぎ合わせて作られていたこと。


非表示フォルダに、水瀬灯里さんをはじめ、放課後相談室が関わった生徒たちの音声が集められていたこと。


月曜日の昼休みに、一ノ瀬ひより先輩の名前をつけた放送が予約されていたこと。


作成に使われた端末が、生徒会室の共用パソコンだったこと。


そして、最終更新者として黒崎悠真の個人アカウントが残されていたこと。


黒崎先輩は、一度も口を挟まなかった。


説明が終わると、画面を見た。


「俺のアカウントが使われているのは事実だと思う」


ひより先輩の目が揺れる。


「作ったの?」


「作っていない」


答えは早かった。


でも、黒崎先輩は続けた。


「ただし、俺の不注意で使われた可能性はある」


「どういうこと?」


「三日前、生徒会室の共用パソコンから自分の学校アカウントへログインした」


鳴海くんが、端末の履歴を確認する。


「時刻は?」


「放課後。五時二十分頃」


「記録と一致します」


鳴海くんが答えた。


共用パソコン、SC―01。


黒崎先輩のアカウントへのログイン。

午後五時二十一分。


「ログアウトしましたか」


ぼくが聞く。


黒崎先輩は、すぐには答えなかった。


「したつもりだった」


「確認は?」


「していない」


鳴海くんが、画面を操作する。


「ブラウザの終了だけなら、ログイン情報が残る設定です」


「つまり」


ひより先輩が言った。


「黒崎くんが席を離れたあと、誰かがそのまま使えた?」


「可能です」


鳴海くんは淡々と答えた。


「パスワードを知らなくても、保存された認証情報が有効なら操作できます」


黒崎先輩は、机の上で手を組んだ。


「俺の確認不足だ」


「何のためにログインしたの?」


ひより先輩の問いに、黒崎先輩は黙った。


ほんの数秒。


けれど、ひより先輩には十分長く感じられたらしい。


「黒崎くん」


声が少し低くなる。


「何を見てたの?」


黒崎先輩は、ひより先輩から目をそらさなかった。


「水瀬灯里の音声だ」


放送室の空気が変わった。


ひより先輩の指先が震えた。


「灯里さんの?」


「はい」


「さっき見つかった、文化祭のインタビュー?」


「違う」


黒崎先輩は答えた。


「一ノ瀬に宛てた音声」


ひより先輩は、言葉を失った。


「私に?」


「そうだ」


「いつの話?」


「水瀬が転校したあと」


「どうして、黒崎くんが持ってるの?」


黒崎先輩は、一度息を吐いた。


「俺が頼んだからだ」


「何を?」


「水瀬に、俺がしたことについて謝罪する機会がほしいと、担任を通して伝えた」


第一の事件。


黒崎先輩は、体育館で行われる予定だった公開告白を止めるため、先生へ相談内容の一部を伝えた。


止めるためには必要だと思った。


しかし、伝えた内容は別の生徒へ漏れ、噂になった。


水瀬灯里さんの名前が広がった。


「水瀬は、俺とは直接話したくないと答えた」


黒崎先輩は言った。


「当然だと思う」


「でも、そのあと音声ファイルが届いた。学校の担当教員を通して」


「私に宛てた?」


「そうだ」


ひより先輩の顔が、少しずつ歪んでいく。


「どうして、渡してくれなかったの?」


黒崎先輩は答えなかった。


「聞いたの?」


「聞いた」


「私に宛てた音声を、黒崎くんが先に聞いた?」


「内容の確認をしてほしいと、本人から言われていた」


「それで?」


「一ノ瀬へ渡すかどうかは、俺に任せると書かれていた」


ひより先輩が、椅子から少し立ち上がりかけた。


「何それ」


声が震えている。


「どうして灯里さんが、黒崎くんに決めさせるの?」


「俺にもわからない」


「黒崎くんは、どうして私に聞かなかったの?」


「当時の一ノ瀬には、聞かせない方がいいと思った」


その言葉で、ひより先輩の表情が変わった。


怒りだった。


「また勝手に決めたんだ」


黒崎先輩は、何も言わない。


「灯里さんの時も、今回も」


ひより先輩は立ち上がった。


「私が知らない方がいいって、黒崎くんが決めた」


「そうだ」


「そうだ、じゃないよ」


久世先輩が、わずかに動く。


しかし、口は挟まなかった。


今は黒崎先輩とひより先輩の間に置くべき言葉ではないと判断したのだろう。


「私に宛てた音声だったんでしょ」


ひより先輩は言った。


「私が聞くかどうかを、どうして黒崎くんが決めるの?」


「当時のお前は、恋愛相談室を閉じて、自分を責め続けていた」


「だから?」


「音声を聞けば、もっと自分を責めると思った」


「それも、私が決めることだった」


「わかっている」


「今わかっても遅いよ」


黒崎先輩の表情が、初めて痛んだ。


「その通りだ」


すぐに謝らなかった。


許してもらうための言葉にしないよう、受け止めているようだった。


「俺は、水瀬のために情報を伝えたつもりで失敗した」


黒崎先輩は言った。


「そのあと、一ノ瀬を守るつもりで音声を隠した」


「どちらも、本人へ聞かなかった」


「はい」


黒崎先輩は、ゆっくり頭を下げた。


「申し訳なかった」


ひより先輩は、何も答えなかった。


許すとも。

許さないとも言わない。


そのまま椅子へ座る。


ただ、両手を強く握っていた。


ぼくは聞いた。


「三日前、なぜその音声を開いたんですか」


黒崎先輩が顔を上げる。


「放課後相談室が再開したからだ」


「今度こそ、ひより先輩へ渡そうと思った?」


「迷っていた」


「そのために、共用パソコンから?」


「音声は、学校管理の個人用保存領域に入っている。自分の端末では再生できない設定だった」


「誰かに、その音声を開くよう求められましたか」


黒崎先輩の目が、わずかに動いた。


「なぜそう思う」


「放送の作成者は、相談者たちの音声を集めています」


ぼくは答えた。


「水瀬灯里さんの未公開音声が必要なら、その場所を知っている黒崎先輩に開かせる方法を考えるはずです」


黒崎先輩は、しばらく黙った。


そして、制服の内ポケットから白い封筒を取り出した。


「三日前、生徒会室の机に置かれていた」


表には、黒崎悠真へ。


差出人名はない。


中には、小さな紙が一枚。


放課後相談室を再開するなら、最初に消えた声を聞いてください。


「これを見て、灯里さんの音声を?」


ひより先輩が聞く。


「そうだ」


「どうして誰にも言わなかったの?」


「ただの悪趣味ないたずらだと思った」


「それで、言われた通り音声を開いた?」


「確認だけするつもりだった」


黒崎先輩の声には、後悔があった。


「再生したあと、佐伯先生との打ち合わせがあった。パソコンを閉じ、生徒会室を出た」


「ログアウトを確認せずに」


「はい」


鳴海くんが、端末の操作記録を調べる。


「黒崎先輩の操作終了は、午後五時四十七分」


「打ち合わせは?」


佐伯先生が答えた。


「五時五十分から、職員室横の会議室です。黒崎くんは開始前に来ていました」


「非表示フォルダの作成は、午後六時十二分」


鳴海くんが言った。


少なくとも、その時刻に黒崎先輩は会議室にいた。


「フォルダ作成後、外部記憶装置が接続されています」


「外部記憶装置?」


久世先輩が聞く。


「USBメモリです」


鳴海くんが記録を表示する。


午後六時十三分、接続。


午後六時十九分、取り外し。


機器名。


ZERO。


「ゼロ」


ひより先輩がつぶやいた。


非表示フォルダの中で、水瀬灯里さんには番号の代わりに零がつけられていた。


偶然とは考えにくい。


「USBメモリに音声を移した?」


ぼくが聞く。


「移した可能性があります。ただし、端末側の履歴だけでは中身まで確認できません」


「その時間、生徒会室へ入れた人は?」


佐伯先生が聞く。


生徒会室には、電子錠はない。


鍵を使う。


ただし、文化祭後の資料返却期間中は、生徒会役員や各委員会責任者の出入りが多い。


入口には簡単な入室記録が置かれている。


しかし、全員が必ず記入しているとは限らない。


「三日前の記録を確認します」


ぼくが言うと、佐伯先生がうなずいた。


「先生立ち会いで行いましょう」


その前に、ひより先輩が黒崎先輩を見た。


「灯里さんの音声」


黒崎先輩の表情が硬くなる。


「聞かせて」


「今、ここで?」


「私が聞くかどうかは、私が決める」


黒崎先輩は、しばらくひより先輩を見ていた。


「わかった」


佐伯先生が確認する。


「一ノ瀬さん。本当に今聞きますか。気持ちが落ち着いてからでもかまいません」


「今、聞きます」


「一人で?」


ひより先輩は、ぼくを見る。


「書記くん」


「はい」


「一緒に聞いて」


「わかりました」


鳴海くんが、黒崎先輩の許可と佐伯先生の確認を受け、学校管理領域から音声を開いた。


ファイル名。


一ノ瀬ひより先輩へ。


再生時間、一分三十六秒。


今回は編集されていない。


波形は一続きだった。


ひより先輩とぼくは、ヘッドホンをつけた。


再生ボタンが押される。


最初に、小さく息を吸う音。


そして、女子生徒の声。


水瀬灯里さん。


以前の記録で聞いた声より、少し疲れている。


けれど、言葉ははっきりしていた。


「ひより先輩。これを聞いているかどうかわからないけど、話しておきたいことがあります」


ひより先輩の手が、膝の上で強く握られる。


「私は今も、あの時のことを全部整理できていません。誰を許せるのか、誰を許せないのかも、まだわかりません」


雑音はない。


静かな部屋で、一人で録音したのだろう。


「先輩に相談しなかったことを、後悔している時もあります。でも、相談していたら全部うまくいったとも思っていません」


灯里さんの声は、少し震えた。


「だから、私のことで、先輩が相談室を続けるかどうかを決めないでください」


ひより先輩の目から、涙が落ちた。


「やめたいなら、やめていいです。続けたいなら、続けてください。でも、私を理由にしないでください」


それは、許しの言葉ではなかった。


続けてほしいというお願いでもない。


灯里さんは、自分の傷を使って、ひより先輩の未来を決めないでほしいと言っている。


「それから」


灯里さんは、少し間を置いた。


「私の気持ちを、誰かが勝手に使うのは嫌です」


放送室に残された偽の音声。


水瀬灯里さんの声を切り取り、別の文章へつないだ誰か。


灯里さんが最も嫌だと言ったことを、その人物はしている。


「忘れないでほしい、とは思います。でも、覚え方は私に決めさせてください」


最後に、小さな呼吸音。


「ひより先輩。私は、先輩の相談者にはなれませんでした」


ひより先輩の肩が震える。


「でも、今度誰かが相談に来た時は、その人の話を、その人から聞いてあげてください」


「私の代わりではなく、その人のために」


音声は、そこで終わった。


ヘッドホンを外しても、ひより先輩はしばらく動かなかった。


誰も声をかけない。


慰める言葉を急いで置けば、灯里さんの声が薄くなってしまう気がした。


ひより先輩は、自分で涙を拭いた。


そして黒崎先輩を見る。


「どうして、聞かせない方がいいと思ったの」


黒崎先輩は、静かに答えた。


「最後の言葉を聞いて、お前が相談室を続けなければいけないと思い込むと考えた」


「続けるかどうかは、私が決めるって言ってたのに?」


「当時の俺は、水瀬の言葉を信じるより、自分の判断を信じた」


「そう」


ひより先輩は、それ以上責めなかった。


許したわけではない。


ただ、今すぐ結論を出さなかった。


「この音声、灯里さんの許可なく、相談室の資料には入れないで」


「わかった」


「コピーもしないで」


「はい」


「私が聞いたことを、灯里さんに伝えられる?」


黒崎先輩は少し驚いた顔をした。


「担当教員を通せば可能だと思う」


「伝えて」


ひより先輩は言った。


「遅くなったけど、聞きましたって」


「それだけでいいのか」


「今は、それだけ」


黒崎先輩はうなずいた。


「わかった」


久世先輩が言った。


「この音声の一部が、予約放送に使われています」


「うん」


ひより先輩は答えた。


「灯里さんが嫌だと言った使われ方をされてる」


「だから、作成者を止める」


久世先輩の声には、静かな怒りがあった。


放送委員長として、他人の声を勝手に切り取り、意味を変え、校内放送へ流そうとした人物を許せないのだろう。


鳴海くんは、波形を見ていた。


「灯里先輩の元音声と、予約放送に使われた断片は一致します」


「黒崎先輩が三日前に再生した音声から、抜き取られた?」


「可能性が高いです」


「では、三日前の午後五時四十七分から六時十九分までに、生徒会室へ入った人物」


ぼくは言った。


「その人物が、少なくとも音声を持ち出した可能性があります」


「入室記録を確認しよう」


佐伯先生が答えた。


ぼくたちは生徒会室へ移動した。


黒崎先輩は、ひより先輩から少し距離を取って歩いていた。


ひより先輩も、声をかけない。


二人の関係は、すぐには戻らないだろう。


それでいい。


謝罪をしたから、元の信頼へ戻らなければいけないわけではない。


生徒会室の入口に置かれた入室記録。


三日前の日付を開く。


午後四時十二分、三枝莉子。


午後四時三十五分、青柳楓。


午後五時八分、黒崎悠真。


午後五時二十六分、文化祭実行委員会、資料返却。


午後五時四十八分、黒崎悠真、退室。


その下。


午後六時五分。


名前は書かれていない。


用件欄だけに、文字がある。


忘れ物。


「名前がない」


ひより先輩が言う。


「筆跡は?」


ぼくは、ほかの行と見比べた。


黒いボールペン。

少し右上がり。

「物」の最後の払いが長い。


どこかで見た気がする。


しかし、すぐには思い出せない。


鳴海くんが、記録用紙の端を指した。


「この紙、筆圧が強い」


「下のページに跡が残っています」


ぼくは、記録用紙を傷つけないよう、斜めから光を当てた。


次のページに、文字のくぼみが見える。


名前を書いたあと、消した可能性がある。


鉛筆ではない。

消しゴムで消した跡もない。


上から別の紙を重ねて名前を書き、その紙だけを持ち去ったのかもしれない。


「久世先輩」


ぼくは聞いた。


「放送室の音声にあった、紙を破るような音を確認できますか」


「なぜ?」


「名前を書いた紙を、入室記録の上に重ねていた可能性があります」


「その紙を音声作成者が別の場所で破ったなら、無関係かもしれないけれど確認材料にはなる」


鳴海くんが、元の音声データを開く。


存在しない声。


私がいなくなったら、この放送を流してください。


言葉の間に残る環境音。


椅子を引く音。

時計の秒針。

空調。


「最後の断片の後ろ」


鳴海くんが音量を上げた。


かすかな音。


紙が折れる音。


そして、短い電子音。


「電子音?」


ひより先輩が聞く。


久世先輩の表情が変わる。


「生徒会室のコピー機」


「わかるんですか」


「紙切れ警告の音。一度だけ短く鳴る」


生徒会室の隅にある複合機。


ぼくは操作履歴を確認する。


先生の許可を得て、三日前の午後六時前後の記録を開く。


午後六時九分。


コピー、一枚。


午後六時十一分。


スキャン、二件。


使用者。


黒崎悠真。


アカウントが残ったままなら、コピー機との認証も自動で行われた可能性がある。


「何をスキャンしたのかは?」


ぼくが聞く。


「ファイル名が残っています」


佐伯先生が画面を見る。


一件目。


放課後相談室 再開届。


二件目。


相談担当者一覧。


ひより先輩の名前。

ぼくの名前。

三枝先輩。

黒崎先輩。

青柳先輩。


役割まで記載された資料。


作成者は、放課後相談室の関係者を知ったのではない。


資料を持ち出していた。


「スキャンデータの送信先は?」


「外部記憶装置」


ZEROと表示されたUSBメモリ。


「相談者の名前は、再開届には書かれていません」


ぼくは言った。


「では、白石さんや早川さん、朝倉さん、成瀬さんの名前は、別の方法で知った」


「相談室を近くから見ていた」


ひより先輩が言う。


「誰が入ったかを見ていたか、関係する委員会や部活の情報をつなげた」


黒崎先輩が、入室記録の「忘れ物」を見つめる。


「この筆跡」


「心当たりがありますか」


ぼくが聞く。


「断定はできない」


「誰ですか」


「青柳楓に似ている」


文化祭実行委員長。


放課後相談室では、行事に関係する相談の連絡担当。


第一の事件から、ぼくたちを支えてきた一人。


ひより先輩の顔が強張る。


「楓が?」


「似ているだけだ」


黒崎先輩が言う。


「名前を書かずに忘れ物と記入した人物が、音声を作ったとも決まっていない」


久世先輩がうなずく。


「筆跡比較は、本人に説明せず勝手に行うものではない。先生を通して確認する」


「青柳先輩は、三日前の六時頃どこにいたんでしょう」


ぼくが聞く。


佐伯先生が、学校行事の予定を確認する。


「文化祭実行委員会の反省会は、五時半に終了しています」


「そのあと?」


「記録はありません」


青柳楓先輩。


行事に関する調整力が高く、文化祭では全体をまとめた。


公開告白の計画を止めるためにも協力した。


相談室の再開にも賛成した。


それだけに、動機が見えない。


「青柳先輩を呼びますか」


ひより先輩が聞く。


佐伯先生は時計を見た。


「今日はすでに下校した可能性があります。まず所在を確認します」


先生が連絡を始める。


その時、黒崎先輩のスマホが鳴った。


着信ではない。


学校の担当教員からのメッセージだった。


黒崎先輩が画面を確認し、表情を変えた。


「どうしたの?」


ひより先輩が聞く。


黒崎先輩は、しばらく画面を見ていた。


「水瀬灯里の保護者と連絡が取れた」


「灯里さんの?」


「音声が無断で使用された可能性を、学校から説明した」


ひより先輩が緊張したように唇を結ぶ。


「水瀬本人が、話したいと言っている」


生徒会室が静まり返った。


「誰と?」


黒崎先輩は、ひより先輩を見る。


「一ノ瀬と」


ひより先輩の顔が揺れた。


「今?」


「電話なら」


「無理に出なくてもいい」


佐伯先生がすぐに言った。


「一ノ瀬さんが話せる状態か、相手の保護者も含めて確認します」


ひより先輩は、両手を握った。


怖いのだと思う。


一年以上、ずっと向き合えなかった相手。


守れなかったと思い続けてきた相手。


音声を聞いただけでも、涙が止まらなかった。


それでも先輩は言った。


「話します」


「本当に?」


ぼくが聞く。


ひより先輩は、少しだけ笑った。


「私が決める」


それは、黒崎先輩にも。

自分自身にも向けた言葉だった。


佐伯先生の立ち会いのもと、黒崎先輩のスマホをスピーカーにはせず、ひより先輩へ渡す。


ほかの人間は、少し離れた。


ぼくも、先輩の隣には立たなかった。


一緒にいてほしいと言われれば行く。

でも、今は灯里さんとひより先輩の会話だ。


発信。


一度目の呼び出し音。


二度目。


三度目。


接続される。


ひより先輩は、すぐには声を出せなかった。


電話の向こうから、女子生徒の声が聞こえる。


音声ファイルより少し大人びていた。


でも、間違いない。


「もしもし」


ひより先輩の目から涙が落ちた。


「灯里さん?」


短い沈黙。


「はい」


水瀬灯里さんが答えた。


「お久しぶりです。一ノ瀬先輩」


ひより先輩の唇が震える。


「ごめん」


最初に出たのは、その言葉だった。


電話の向こうで、灯里さんが息を吸う。


「その話をする前に、伝えたいことがあります」


ひより先輩は、涙を拭いた。


「うん」


「学校から、私の声を使った放送データが見つかったと聞きました」


「うん」


「『最後の相談』って名前だったんですよね」


ひより先輩が、ゆっくりうなずく。


電話では見えないと気づき、声にする。


「そう」


再び、短い沈黙。


そして、灯里さんは言った。


「その言葉、初めてじゃありません」


ひより先輩の表情が止まった。


「どういうこと?」


「私が転校する前にも、届いていました」


「何が?」


「音声です」


生徒会室にいる全員が、息を止めた。


「誰の声?」


ひより先輩が聞く。


灯里さんは答えた。


「私の声でした」


「でも、私が話していない言葉に、つなぎ合わされていました」


一年以上前。


放課後相談室が正式に再開するより前。


水瀬灯里さんにも、複数の音声をつなぎ合わせた偽の声が届いていた。


「何て言ってたの?」


ひより先輩の声が震える。


灯里さんは、少し迷った。


「次に相談室へ来るのは、あなたです」


その言葉は、今回ひより先輩へ送られたものとよく似ている。


次は、あなたが相談する番です。


「灯里さん」


ひより先輩が言う。


「その音声を作った人に、心当たりはある?」


電話の向こうで、長い沈黙があった。


「あります」


灯里さんは答えた。


「でも、名前は電話では言えません」


「どうして?」


「その人は、私が転校したあとも、一度会いに来ています」


ひより先輩の顔が強張る。


「会ったの?」


「はい」


「誰が?」


「私に、相談室へ戻ってきてほしいと言った人です」


電話の向こうで、かすかに紙を動かす音がした。


「一ノ瀬先輩」


「うん」


「青柳楓先輩を、今一人にしないでください」


全員の視線が、佐伯先生へ向く。


青柳楓。


三日前の入室記録に似た筆跡を残した可能性がある人物。


しかし、灯里さんは彼女を疑えとは言わなかった。


一人にしないでほしいと言った。


「楓が危ないの?」


ひより先輩が聞く。


灯里さんは、すぐには答えなかった。


「青柳先輩は、音声を作った人ではありません」


「じゃあ、どうして?」


「青柳先輩は、その人を知っています」


灯里さんの声が低くなる。


「たぶん、ずっと脅されています」


その瞬間、佐伯先生のスマホへ着信が入った。


学校の警備担当からだった。


先生が電話に出る。


表情が変わる。


「どこですか」


ぼくたちは、先生を見る。


「本人は?」


電話の向こうの声は聞こえない。


佐伯先生は、すぐに廊下へ向かった。


「わかりました。今向かいます」


通話を切る。


「青柳楓さんの鞄が、屋上へ続く階段で見つかりました」


ひより先輩の顔から血の気が引いた。


「本人は?」


「見つかっていません」


電話の向こうで、水瀬灯里さんが叫ぶ。


「先輩、屋上へ行かないで!」


ひより先輩の動きが止まった。


「どうして?」


「その人は、先輩が来るのを待っています」


同時に、生徒会室の共用パソコンから音が鳴った。


校内放送の開始音。


誰も操作していない。


放送予約は止めたはずだった。


スピーカーから、一ノ瀬ひより先輩の声が流れる。


過去の音声をつなぎ合わせた、存在しない声。


青柳楓さんを助けたければ。


一人で屋上へ来てください。


音声は、そこで途切れた。


電話の向こうで、灯里さんが言った。


「行かないでください」


ひより先輩は、閉じた生徒会室のドアを見つめた。


屋上。


いなくなった青柳楓先輩。


一年以上前から続いていた、偽の声。


放課後相談室を見続けてきた人物は、ついに相談室の外から、ひより先輩を指名した。

第30話まで読んでくださり、ありがとうございます。


今回は、音声データの最終更新者として名前が残されていた黒崎悠真へ確認を行いました。


黒崎は音声放送の作成者ではありませんでしたが、水瀬灯里から一ノ瀬ひよりへ宛てられた音声を、一年以上隠していました。

ひよりを守るつもりだったものの、それもまた、本人へ聞かずに選択肢を奪う行為でした。


灯里の音声には、次の言葉が残されていました。


私のことで、先輩が相談室を続けるかどうかを決めないでください。


私の気持ちを、誰かが勝手に使うのは嫌です。


さらに、三日前、何者かが黒崎のアカウントを利用し、灯里の音声や放課後相談室の資料を持ち出していました。


そして、現在の水瀬灯里本人から、重大な事実が語られます。


偽の音声は、一年以上前から存在していたこと。

青柳楓は作成者ではなく、その人物に脅されている可能性があること。


青柳楓の鞄は、屋上へ続く階段で発見されました。


青柳楓さんを助けたければ、一人で屋上へ来てください。


次回は、屋上へ呼び出されたひよりと、青柳楓が隠してきた秘密へ迫ります。

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