第3話 相談メモの写真
恋愛相談室を終わらせるための「閉鎖届」。
その手がかりは、旧進路指導室に置かれていた青い相談メモの写真だった。
相原真帆は、閉鎖届を持ったまま泣きそうな顔をしていた。
けれど、本当に泣いてはいなかった。
目のふちが赤いだけで、涙は落ちていない。
それが少しだけ、白石すずさんと似ていると思った。
怖い。
悔しい。
でも、ここで泣いたら負けた気がする。
そんなふうに、感情をぎりぎりのところで押さえている顔だった。
「相原さん、これ、どこにあったの?」
一ノ瀬ひより先輩が聞いた。
「旧進路指導室のドアに、挟まってました」
相原さんは、小さな声で答えた。
「ドア?」
「はい。ノックしようとしたら、紙が落ちてきて……それで」
ひより先輩は、閉鎖届を机の上に置いた。
白いコピー用紙。
中央の文字は、第1話の失恋届と同じような事務的な書体。
右上のわずかなかすれも同じ。
印刷した場所は、生徒会室のコピー機で間違いない。
「相原さんは、どうして旧進路指導室へ?」
ぼくが聞くと、相原さんは肩を小さく震わせた。
「ペンを……返しに行こうと思って」
「ペン?」
「三枝先輩のペンです」
その言葉に、生徒会室の空気が少し動いた。
三枝莉子先輩が、すぐに眉を寄せる。
「私のペンを、あなたが持っていたの?」
「違います!」
相原さんは慌てて首を振った。
「持っていたわけじゃなくて、昨日、拾ったんです。生徒会室の床で。でも、三枝先輩が職員室に行っていて、そのあと私も用事があって……返すのを忘れてしまって」
「それが、どうして旧進路指導室に?」
ひより先輩の声はやさしい。
でも、質問の芯はまっすぐだった。
相原さんは、袖口を握りしめた。
「今日の昼休みに、相談室の机に置きました」
「どうして直接返さなかったの?」
「三枝先輩が怖かったからです」
三枝先輩が、少しだけ目を見開いた。
相原さんは、しまったという顔をした。
けれど一度言ってしまった言葉は、もう戻らない。
「ごめんなさい。でも、昨日、備品リストの数字を間違えて……三枝先輩に注意されて。それで、また何か言われるのが怖くて」
三枝先輩は黙っていた。
ぼくは、机の上の閉鎖届を見る。
そして、頭の中で時間を並べた。
昨日の放課後、三枝先輩のペンが生徒会室からなくなった。
相原さんは、それを床で拾った。
今日の昼休み、相原さんはそのペンを旧進路指導室の机に置いた。
そして放課後、ぼくたちはそのペンを相談室で見つけた。
話としてはつながる。
けれど、つながりすぎている。
「相原さん」
ぼくは聞いた。
「今日の昼休み、旧進路指導室には誰かいましたか?」
「いませんでした」
「鍵は?」
「開いてました」
ひより先輩が、すっとぼくを見た。
旧進路指導室の鍵は、普段は生徒会室にある。
相談室を開ける時は、ひより先輩かぼくが持っていく。
昼休みに開いていたなら、誰かが先に入っていたか、鍵を閉め忘れていたことになる。
「昼休みに相談室を使った人、いる?」
ひより先輩が部屋の中を見回した。
三枝先輩は首を横に振る。
黒崎悠真先輩も、無言で否定した。
「私は予算会議。黒崎くんは?」
「昼は体育館だった。ステージの照明確認」
「私は……」
相原さんが小さく手を上げた。
「本当に、ペンを置いただけです。机の上に置いて、すぐ出ました」
「その時、青い付箋は見た?」
ひより先輩が聞いた。
相原さんは、きょとんとした顔をした。
「青い付箋?」
「相談メモ。机の上に置いてあったはずなんだけど」
「見てません」
即答だった。
嘘か本当かはわからない。
でも、彼女の反応は少なくとも作ったものには見えなかった。
「じゃあ、相談メモの写真を撮ったのは相原さんじゃない?」
三枝先輩が言った。
その声には、ほんの少しだけ安堵が混ざっていた。
ひより先輩は、閉鎖届を指先で軽く叩いた。
「まだ、そうとは言い切れないかな」
「どうして?」
「相原さんがメモを見てないと言っているだけだから。見たけど言っていない可能性もある」
相原さんの顔が一気に青くなる。
「私、本当に見てません!」
「うん。だから、今はそれを確かめる」
ひより先輩は、やさしくうなずいた。
「責めるためじゃなくて、疑いを減らすためにね」
疑いを減らす。
それは、ひより先輩らしい言い方だった。
犯人を探すというより、犯人ではない可能性を一つずつ積み上げる。
恋愛相談でも、先輩はよく同じことをする。
「嫌われたかもしれない」
「返事が遅いから脈なしだ」
「目が合わなかったから避けられてる」
そういう思い込みを、一つずつ外していく。
すると最後に、本当に向き合うべき気持ちだけが残る。
ミステリーも、たぶんそれに似ている。
「では、旧進路指導室を確認しましょう」
ぼくが言うと、ひより先輩はにやっと笑った。
「出た。書記くんの確認しましょう」
「何ですか、それ」
「証拠を見ないと落ち着かない時の口ぐせ」
「普通です」
「普通の高校生は、放課後にコピー機のかすれ方で事件を追いません」
それは、たしかに普通ではないかもしれない。
ぼくたちは、生徒会室を出て旧進路指導室へ向かった。
相原さんも一緒に来ると言った。
三枝先輩は少し迷ったあと、「私も行く」と言った。
黒崎先輩だけは、生徒会室に残った。
「文化祭の申請がまだ残ってる」
そう言っていたけれど、ぼくにはそれが本当かどうか判断できなかった。
旧進路指導室の前に着くと、相原さんは足を止めた。
「ここです」
ドアの上の方を指さす。
紙が挟まっていたのは、ドアと枠の間。
少し高い位置だった。
ぼくはその場所を見上げた。
「相原さんの身長だと、ここに紙を挟むのは少し大変ですね」
「え?」
「背伸びすれば届くと思います。でも、自然に挟むには高い」
相原さんは、ぽかんとした顔をした。
三枝先輩が、ぼくの横に立つ。
「それ、私でも少し高いわね」
三枝先輩は背が高い。
それでも少し高いと言うなら、相原さんが自然に挟んだとは考えにくい。
ひより先輩が、ぼくを見た。
「つまり、閉鎖届を挟んだ人は、背が高い?」
「または、踏み台を使ったかです」
「踏み台……」
ぼくはドアの下を見る。
床には、薄い砂ぼこりの跡があった。
旧進路指導室はあまり使われないので、廊下の隅には細かいほこりがたまりやすい。
そこに、四角い跡が二つ。
「何か置いた跡がありますね」
「踏み台?」
ひより先輩がしゃがみ込む。
「たぶん。文化祭準備で使っている折りたたみ椅子かもしれません」
「それなら、誰でも届くね」
「はい。身長だけでは絞れません」
相原さんが、ほっとしたような、逆に不安になったような顔をした。
ぼくはドアを開けた。
旧進路指導室の中は、昨日とほとんど同じだった。
窓際の机。
相談者用の椅子。
青い付箋。
備え付けのボールペン。
ただ、机の上の付箋の束が、少しずれていた。
「昨日、ここに置いてあった相談メモって、どれですか?」
ぼくが聞くと、ひより先輩は机の引き出しを開けた。
「相談メモは、相談が終わったらここにしまってる。白石さんのは……」
先輩の手が止まった。
「ない」
その一言で、部屋の温度が下がった気がした。
「白石さんの相談メモだけ?」
「うん。他のメモはある。でも、三番だけない」
ひより先輩は、引き出しの中をもう一度確認した。
けれど、青い付箋の束の中に三番はなかった。
soudan_memo_03。
昨日、文化祭企画書に一度だけ貼られて、すぐ削除された画像ファイル名。
そして今、実物の相談メモも消えている。
「つまり、写真を撮ったあと、現物も持ち出した?」
三枝先輩が言った。
「もしくは、先に持ち出してから写真を撮った」
ぼくは机の上を見た。
ペン立ての位置。
付箋の束。
相談用のノート。
昨日から変わっていないように見える。
でも、一つだけ違和感があった。
「ひより先輩」
「なに?」
「この相談ノート、昨日もここにありましたか?」
机の端に、大学ノートが一冊置かれていた。
表紙には、丸い字で「恋愛相談室」と書かれている。
ひより先輩は、首をかしげた。
「それは、いつもあるよ。相談内容じゃなくて、次回の予定とか、誰が来たかだけ書いてるやつ」
「見てもいいですか」
「もちろん」
ぼくはノートを開いた。
一ページ目から、相談者の名前は書かれていない。
日付と時間、相談の種類だけ。
たとえば、「片思い」「告白前」「友人関係」「噂の確認」。
白石さんが来た日の欄には、こう書かれていた。
三日前 放課後
二年女子
告白前相談
相手 二年男子
文化祭前に進展希望
個人名はない。
でも、知っている人が見れば想像できるかもしれない。
そして、そのページの端に、小さな黒い点があった。
インクの染みではない。
紙に押しつけられたような、丸い跡。
「これ、何でしょう」
ぼくが指で示すと、ひより先輩がのぞき込む。
「穴?」
「穴というより、へこみです。スマホのストラップか、何か硬い飾りが当たったような」
相原さんが、びくっとした。
その反応を、ぼくは見逃せなかった。
「相原さん?」
ひより先輩が声をかける。
相原さんは、慌てて自分のスマホを胸元に隠すように持った。
でも、遅かった。
彼女のスマホには、小さな星形の金属チャームがついていた。
ノートの端に残った丸いへこみ。
星形なら、もっと角の跡がつくはずだ。
ただし、チャームの先についている小さな丸い金具なら、似た跡を残すかもしれない。
「私じゃありません」
相原さんは震える声で言った。
「まだ、何も言ってないよ」
ひより先輩が静かに返す。
「でも、今、疑いましたよね」
「疑ったんじゃない。気づいたの」
「同じです!」
相原さんの声が、部屋に響いた。
その瞬間、ぼくは思った。
彼女は、犯人かもしれない。
でも、それ以上に、何かを隠している。
罪ではなく、弱さのようなものを。
「相原さん」
ひより先輩が言った。
「相談メモの写真を撮った?」
沈黙。
廊下の向こうから、吹奏楽部の音合わせが聞こえた。
ばらばらの音が重なって、すぐに消える。
相原さんは、うつむいたまま答えた。
「撮りました」
三枝先輩が息を飲んだ。
「真帆、あなた……」
「でも、ばらまいてません!」
相原さんは顔を上げた。
「撮っただけです。送ってません。誰にも見せてません」
「どうして撮ったの?」
ひより先輩が聞く。
相原さんの目に、今度こそ涙が浮かんだ。
「怖かったんです」
「何が?」
「私の相談も、誰かに見られるかもしれないって」
ひより先輩の表情が、少しだけ変わった。
「相原さんも、相談に来てたの?」
相原さんは、小さくうなずいた。
「一週間前に。誰にも言わないでほしいって言いました。でも、そのあと、私の好きな人の名前を知ってるみたいなことを言われて……」
「誰に?」
「わかりません。下駄箱にメモが入ってました」
「そのメモは?」
「捨てました。怖くて」
相原さんは、袖で目元を押さえた。
「だから、相談室に本当に秘密が守られているのか知りたかったんです。白石先輩のメモを見つけて、写真を撮りました。でも、それだけです。誰かを脅すつもりなんてありません」
話はつながる。
相原さんは不安から相談メモを撮った。
その画像が、なぜか文化祭企画書に一度貼られた。
そして失恋届と閉鎖届が作られた。
問題は、相原さんが撮った写真を、誰が使ったのか。
「写真、まだスマホにある?」
ぼくが聞くと、相原さんは迷ったあと、スマホを差し出した。
「あります。でも、本当に誰にも送ってません」
写真フォルダを確認する。
青い付箋。
白石さんの相談メモ。
撮影時刻は、昨日の十七時五十八分。
昨日の十八時十二分に、文化祭企画書へ画像が貼られた。
十四分後。
「相原さん、この時間、どこにいましたか?」
「生徒会室です。備品リストを作ってました」
「スマホは?」
相原さんは、はっとした顔をした。
「机の上に置いてました」
「ロックは?」
「してます」
「パスコードは?」
「誕生日です」
三枝先輩が、思わず額に手を当てた。
「それ、だめなやつよ」
「でも、誰にも教えてないです」
「誕生日は、書類を見ればわかります」
ぼくは言った。
生徒会には、役員名簿がある。
学年、クラス、連絡先、誕生日。
緊急連絡用として、役員なら見られる場所に保管されている。
誰かが相原さんのスマホを勝手に開いた。
写真を取り出し、共有フォルダの資料に一度貼り付けた。
そのあと、削除した。
そして、白石さんに脅しのメッセージを送った。
「でも、なんでわざわざ文化祭企画書に貼ったんでしょう」
三枝先輩が言った。
「そんなことをしたら、履歴に残るのに」
「ミスかもしれません」
ぼくは答えた。
「画像を別の場所にコピーしようとして、誤って企画書に貼った」
「あるいは」
ひより先輩が続ける。
「誰かに見つけさせたかった」
見つけさせたかった。
その言葉は、部屋の中で妙に重く響いた。
犯人は、ただ隠れているだけではない。
こちらに手がかりを渡している。
失恋届。
閉鎖届。
相談メモの写真。
三枝先輩のペン。
相原さんのスマホ。
全部、誰かを疑わせるために置かれているように見える。
「犯人は、相原さんを犯人に見せたかった?」
ぼくが言うと、ひより先輩はうなずいた。
「たぶんね。でも、完全に犯人にしたいなら、もっと決定的な証拠を置くはず」
「じゃあ、何が目的なんですか」
「相談室の信用を落とすこと。あと、私たちに生徒会を疑わせること」
ひより先輩は、消えた三番の相談メモが入っていたはずの引き出しを見た。
「犯人は、秘密をばらす人間じゃない」
「違うんですか?」
「うん。ばらすんじゃなくて、ばらすぞって見せている」
その違いは小さいようで、大きい。
本当に秘密を傷つけたいなら、今すぐ全校に広めればいい。
でも犯人はそれをしない。
白石さんにだけ送る。
相談室にだけ閉鎖届を出す。
ぼくたちが気づける場所に、証拠を残す。
まるで、こちらの反応を見ているみたいに。
その時、相原さんのスマホが震えた。
短い通知音。
相原さんはびくっとして、画面を見た。
そして、顔から血の気が引いた。
「どうしたの?」
ひより先輩が聞く。
相原さんは、震える手でスマホをこちらに向けた。
送り主不明。
本文は、たった二行。
相談メモを撮ったのは、あなたですよね。
次は、あなたの恋を閉鎖します。
添付されていた画像には、相原さん自身の相談メモが写っていた。
一週間前の相談。
まだ誰にも見せていないはずの、彼女の秘密。
ぼくは、その写真を見て息を止めた。
青い付箋の端に、丸いへこみがある。
ノートに残っていた跡と同じだ。
でも、写真の隅にもう一つ、別のものが写っていた。
黒い袖口。
銀色のボタン。
そして、胸元にわずかに見える文化祭実行委員の赤い腕章。
ぼくはスマホ画面を見つめたまま、言った。
「この写真を撮った人、生徒会役員じゃありません」
ひより先輩が、ゆっくりこちらを見た。
「書記くん、どういうこと?」
「生徒会役員の腕章は青です。でも、文化祭実行委員は赤」
ぼくは、画面の隅に映る赤い布を指さした。
「相談室の秘密を見ていたのは、生徒会の中だけじゃない」
その時、廊下の向こうで誰かが走る音がした。
ひより先輩がドアを開ける。
けれど、そこにはもう誰もいなかった。
ただ、床の上に小さな紙片が落ちていた。
文化祭ステージ企画書の端を破ったような紙。
そこには、手書きで一行だけ書かれていた。
公開告白は、予定通り行います。
第3話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、相原真帆が相談メモの写真を撮っていたことが判明しました。
しかし、本当の犯人はその写真を利用し、さらに文化祭実行委員の影も見えてきます。
次回は、公開告白イベントと文化祭実行委員の周辺を追っていきます。




