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第2話 名前入りの黒いペン

失恋届の手がかりは、生徒会で支給されている一本の黒いペン。

湊とひよりは、犯人が生徒会内部にいる可能性を追い始める。

名前入りの黒いペンは、生徒会役員だけに配られている。


それ自体は、別に珍しいものではない。

学校行事の受付、文化祭の書類確認、体育祭の記録係。

生徒会は何かとペンを使う場面が多いから、去年の秋、当時の会長がまとめて注文したものだ。


黒い本体に、銀色で名前が入っている。

それだけなら、全員同じ。


でも、ぼくが見たペンには、細いラメ入りの透明シールが巻いてあった。


「三枝先輩のですね」


ぼくがそう言うと、一ノ瀬ひより先輩は、少しだけ目を細めた。


「やっぱり、書記くんもそう思う?」


「思うも何も、あの飾り方をする人は一人しかいません」


三枝莉子先輩。

生徒会会計。

三年生で、文化祭予算の管理も担当している。


几帳面で、数字に強くて、書類の角を一ミリ単位でそろえる人。

その一方で、文房具だけは妙にかわいいものを使う。


本人いわく、「帳簿が地味だから、せめてペンくらい光っていてほしい」らしい。


白石すずさんは、ぼくとひより先輩の会話を不安そうに聞いていた。


「それって、三枝先輩が犯人ってことですか?」


「まだ、そうとは言えない」


ひより先輩がすぐに答えた。


「ペンがここにあることと、その持ち主が犯人であることは別問題だから」


「でも……」


白石さんはスマホを握りしめた。

画面には、さっき届いた脅し文句がまだ表示されている。


次は、公開告白で恥をかかせてあげる。


文字だけを見ると、ただの嫌がらせだ。

けれど添付されていた画像には、文化祭の企画書が写っていた。


生徒会室の共有フォルダにしかない資料。

そして、旧進路指導室の机。

青い相談メモ用の付箋。


つまり犯人は、生徒会室の資料を見られて、この相談室にも入れた可能性がある。


「白石さん」


ひより先輩が声を少しやわらかくした。


「このメッセージ、藤原くんには見せた?」


「まだです」


「見せない方がいい。少なくとも、今は」


「どうしてですか?」


「犯人の目的が、あなたと藤原くんを離すことなら、二人が疑い合う流れにしたいはずだから」


白石さんの表情が、少しだけ揺れた。


「海斗くんを、疑えってことですか」


「違うよ」


ひより先輩は、首を横に振った。


「疑わないために、まだ見せない」


その言い方は、少し不思議だった。

でも、たぶん正しい。


疑う材料だけを先に渡されると、人は相手の言葉より証拠っぽいものを信じてしまう。

それが偽物だったとしても、一度生まれた疑いは簡単には消えない。


恋愛相談室で何度も見てきた。

好きな相手の既読が遅いだけで不安になり、友達の一言で勝手に絶望し、何も起きていないのに心だけが先に別れてしまう。


犯人は、たぶんそれを知っている。


「じゃあ、まず何を調べるんですか?」


白石さんが聞いた。


ひより先輩は、ぼくの方を見た。


「書記くん、生徒会室のコピー機って使用履歴見られる?」


「見られます。印刷枚数と時間だけなら」


「共有フォルダのアクセス履歴は?」


「先生の管理アカウントが必要です。でも、文化祭企画書の更新履歴くらいなら、生徒会の端末から見られるかもしれません」


「さすが。地味に頼れる」


「地味は余計です」


ぼくがそう返すと、ひより先輩は少し笑った。


その笑い方がいつも通りだったので、白石さんの肩から力が抜けたように見えた。


「白石さんは、今日はもう帰って」


「でも……」


「大丈夫。これは恋愛相談室の問題でもあるから」


ひより先輩は、机の上に置かれた失恋届を軽く指で押さえた。


「ここで話したことを外に出した誰かがいるなら、相談室として放っておけない」


白石さんは、しばらく黙っていた。

それから、小さく頭を下げた。


「お願いします」


彼女が部屋を出ていくと、旧進路指導室は急に静かになった。


ひより先輩は、机の上の黒いペンを持ち上げた。

軸の中央には、銀色で名前が入っている。


三枝莉子。


その文字を見た瞬間、事件は急に近くなった気がした。


「どうします?」


ぼくが聞くと、ひより先輩は椅子から立ち上がった。


「もちろん、本人に聞きに行く」


「いきなりですか」


「いきなり聞かないと、いきなり嘘をついてくれないでしょ」


「その理屈、怖いですね」


「ミステリーはね、優しく聞くより、少しだけ相手をびっくりさせた方が本音が出るんだよ」


「恋愛相談室の理念から外れてませんか」


「今日はミステリー相談室だから」


そんな名前にした覚えはない。


ぼくたちは旧進路指導室を出て、生徒会室へ向かった。


放課後の廊下は、文化祭準備の気配で少し騒がしかった。

美術部がポスターを運び、演劇部が台本を片手に早口でセリフを合わせている。

階段の踊り場には、実行委員が貼った注意書きが増えていた。


第38回星ヶ丘祭まで、あと十二日。


たった十二日。

でも、恋を壊すには十分すぎる時間だ。


生徒会室の扉は、少しだけ開いていた。


中から聞こえてきたのは、三枝莉子先輩の声だった。


「だから、今年の装飾費は去年より上げられません。領収書の提出も遅すぎます」


「そこをなんとか」


「なんとか、で予算は増えません」


きっぱりした声。

数字に対しては一切の情がない。


ひより先輩がノックすると、中の会話が止まった。


「失礼しまーす」


「ひより?」


三枝先輩が顔を上げた。

机の向かいにいた文化祭実行委員らしき男子生徒が、書類を抱えてそそくさと出ていく。


生徒会室には、三枝先輩のほかに、副会長の黒崎悠真先輩がいた。

黒崎先輩は窓際の席でノートパソコンを開き、何かの一覧表を見ている。


「どうしたの? 恋愛相談室の方?」


三枝先輩が言った。


その一言に、ぼくはわずかに引っかかった。


恋愛相談室。

それは校内で広まっている呼び名ではあるけれど、生徒会内で正式にそう呼ぶ人は少ない。

特に三枝先輩は、いつも「旧進路指導室の相談企画」と呼んでいたはずだ。


ひより先輩も同じことに気づいたのか、にこにこしたまま首をかしげた。


「莉子、このペン、旧進路指導室に落ちてたよ」


そう言って、黒いペンを差し出す。


三枝先輩は、それを見た瞬間、明らかに表情を変えた。


驚き。

困惑。

それから、ほんの少しの警戒。


「……どこにあったの?」


「相談室の机の上」


「おかしいわね」


「おかしい?」


「それ、昨日から探してたの」


三枝先輩はペンを受け取ると、軸のシールを指でなぞった。


「昨日の放課後、ここで文化祭の予算表を書いていた時には使ってた。そのあと、職員室に領収書を出しに行って、戻ったらなくなってたの」


「誰かが持っていったってこと?」


ひより先輩が聞く。


「そうかもしれない。でも、ただのペンだから大げさに探すのも変でしょう」


三枝先輩はそう言ったけれど、声はあまり軽くなかった。


「昨日の放課後、生徒会室には誰がいましたか?」


ぼくが聞くと、三枝先輩は少し考えた。


「私と黒崎くん。あと、途中まで一年の相原さんがいたわ。文化祭の備品リストをまとめていたから」


「相原さん?」


「相原真帆。庶務担当よ」


名前を聞いて、ぼくは頭の中で顔を探した。

小柄で、いつも大きめのカーディガンを着ている一年生。

生徒会に入ったばかりで、まだ先輩たちに遠慮している印象がある。


「その三人だけですか?」


「途中で実行委員が何人か書類を取りに来たけど、長くいたのはその三人ね」


「旧進路指導室には?」


ひより先輩が続ける。


三枝先輩は眉を寄せた。


「私は行ってない。昨日は会計の処理で手いっぱいだったし」


「じゃあ、このペンが相談室にあった理由は?」


「私が聞きたいわ」


その声には、少し怒りが混じっていた。

自分の物が勝手に使われたことへの怒り。

あるいは、疑われていることへの怒り。


黒崎先輩が、そこで初めて顔を上げた。


「何かあったのか?」


低い声。

落ち着いているけれど、必要以上に感情が見えない。


「ちょっとした相談室のトラブル」


ひより先輩が答えた。


「文化祭に関係する?」


黒崎先輩の質問は、妙に鋭かった。


ぼくはひより先輩を見た。

ひより先輩は、ほんの少しだけ笑っている。


「どうしてそう思ったんですか?」


「最近、文化祭関係のトラブルが多いからだ。予算、場所取り、告白イベント。生徒会に文句が来るものはだいたい文化祭に絡む」


「告白イベント?」


ぼくが思わず聞き返した。


三枝先輩がため息をつく。


「二年生の有志企画よ。後夜祭で、体育館ステージを使って公開告白をしたいって申請が出てるの」


公開告白。


白石さんに届いたメッセージの言葉が、頭の中で重なった。


次は、公開告白で恥をかかせてあげる。


ひより先輩の目が、少しだけ細くなった。


「その企画書、誰が見られますか?」


「生徒会役員と文化祭実行委員。それから担当の先生」


黒崎先輩が答えた。


「ただし、最新版は共有フォルダに入っている。権限がある端末なら見られる」


「更新履歴、見てもいいですか?」


ぼくが聞くと、黒崎先輩は何も言わずにノートパソコンをこちらへ向けた。


文化祭企画書。

ファイル名は「hoshigaoka_fes_stage_plan」。


更新履歴を開く。

最新更新は昨日の十八時十二分。

更新者は、生徒会共用アカウント。


「共用アカウントですか」


ぼくは思わず顔をしかめた。


「誰が触ったかわからないってことですね」


「だから本当は個人アカウントで作業しろって言ってるの」


三枝先輩が不機嫌そうに言った。


「でも、文化祭前はみんな急いでるから、ログインし直す時間がもったいないって共用のまま使う人が多いのよ」


「昨日の十八時十二分、この部屋にいた人は?」


ひより先輩が聞いた。


三枝先輩は首を横に振った。


「私は職員室。戻ったのは十八時二十分くらい」


黒崎先輩が答える。


「俺は体育館にいた。ステージ使用の確認だ」


「相原さんは?」


「さあ。私が出る時には、まだいたと思う」


つまり、その時間に生徒会室にいた可能性があるのは、相原真帆。

そして、出入りした文化祭実行委員。


候補は増えた。

でも、まだ犯人には届かない。


ぼくは画面を見ながら、ふと気づいた。


「このファイル、昨日の十八時十二分に更新されていますけど、変更内容がありません」


「どういうこと?」


ひより先輩がのぞき込む。


「本文は変わっていません。ただ、画像が一度貼り付けられて、すぐに削除されています」


「画像?」


ぼくは履歴をたどった。

一時的に貼られた画像ファイルの名前が、記録に残っている。


「soudan_memo」


口に出した瞬間、生徒会室の空気が変わった。


相談メモ。

旧進路指導室にしか置いていないはずの、青い付箋。


ひより先輩が、低い声で言った。


「誰かが相談メモの写真を、文化祭企画書に貼った?」


「たぶん、間違って貼ったか、作業の途中で隠したかです」


「画像ファイルは残ってる?」


「削除済みです。でも、ファイル名だけなら」


ぼくは履歴の欄をもう一度見た。


soudan_memo_03


三番目の相談メモ。


白石さんが相談に来たのは、三日前。

その時、ひより先輩は青い付箋に相談内容を簡単にメモしていた。


たしか、番号は三番だった。


「つまり」


ひより先輩は静かに言った。


「白石さんの相談メモを撮影した人が、少なくとも一度、この端末で作業している」


三枝先輩は、ペンを握ったまま黙っていた。

黒崎先輩も表情を変えない。


ただ、生徒会室の中にあった文化祭前の騒がしさは、もう消えていた。


その時だった。


生徒会室の扉が、そっと開いた。


「あの……すみません」


入ってきたのは、一年の相原真帆だった。


大きめのカーディガンの袖を両手で握っている。

目は少し赤い。


「相原さん」


三枝先輩が振り向く。


相原さんは、ぼくたちを見ると、ますます顔をこわばらせた。


「今、旧進路指導室に行ってきたんですけど……」


ひより先輩が一歩前に出た。


「どうしたの?」


相原さんは、震える手で一枚の紙を差し出した。


それは、また白いコピー用紙だった。

中央には、今度も同じように事務的な文字が印字されている。


――恋愛相談室 閉鎖届


その下には、こう書かれていた。


秘密を守れない相談室に、恋を預かる資格はありません。


ぼくは紙の端を見た。

右上が、わずかにかすれている。


生徒会室のコピー機で印刷されたものだ。


ひより先輩は、笑わなかった。


ただ、静かに紙を受け取って言った。


「なるほど」


「なるほど、なんですか」


ぼくが聞くと、ひより先輩は閉鎖届の文字を見つめたまま答えた。


「犯人は、白石さんだけを狙ってるんじゃない」


夕方の光が、生徒会室の机の上に長く伸びていた。


ひより先輩は、その光の中で小さく息を吐く。


「この相談室そのものを、終わらせたいんだよ」


後書き


第2話まで読んでくださり、ありがとうございます。

失恋届の次に現れたのは、恋愛相談室そのものを否定する「閉鎖届」でした。

次回は、相談メモを撮影した人物と、相原真帆の行動を追っていきます。


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