第1話 失恋届
放課後だけ開く、少し変わった恋愛相談室。
ここに持ち込まれるのは、恋の悩み――のはずだった。
放課後の旧進路指導室には、恋がうまくいく音と、だいたいうまくいかない音が混ざっている。
その日、ぼく――高槻湊が聞いたのは、後者だった。
「書記くん、これ、どう思う?」
部屋に入るなり、一ノ瀬ひより先輩が一枚の紙を差し出してきた。
白いコピー用紙。
中央に大きく、いやに事務的な書体でこう書いてある。
――失恋届
「……離婚届みたいなノリで作ったんですか、これ」
「そう。問題は、作ったセンスじゃなくて中身」
ひより先輩は机の端を指で叩いた。
ぼくは紙に目を落とす。
記入欄のような罫線の上に、二人分の名前が印字されていた。
白石すず と 藤原海斗は、すみやかに距離を置くこと。
理由、周囲への迷惑。
「付き合ってる二人なんですか」
「そこが一つ目の謎。二人はまだ付き合ってない」
「告白前に失恋してる……」
「しかも、これが白石さんの下駄箱に入ってた。今朝」
進路指導室の窓から差し込む夕方の光が、紙の端を浅く照らした。
恋愛相談室と呼ばれるこの場所は、学校公認というには少し怪しい。
生徒会の企画として始まった“悩み相談の延長”が、いつの間にか校内の恋愛トラブルまで扱うようになった結果、ここに来れば恋が叶うだの、別れ話まで上手くやってくれるだの、勝手な噂が育ってしまっただけだ。
ぼくは本来、相談を受ける側ではない。
生徒会書記として記録をまとめる雑用係。
なのに、ひより先輩は困るたびにぼくを呼ぶ。
「紙は生徒会室のコピー機ですね」
「早いね」
「角のかすれ方がそうです。右上だけ少し熱が弱いんで」
ひより先輩が目を丸くして、それから楽しそうに笑った。
「そういうところ、ほんと便利」
褒め言葉として受け取るかは少し迷う。
ぼくは紙を持ち上げた。
インクは黒一色。
けれど、文字の上下にわずかなズレがある。
家庭用のテンプレートではなく、誰かが表計算ソフトで無理やり作った感じだ。
そして、一番気になったのは内容ではなく、文末だった。
「“周囲への迷惑”って、先生っぽい言い回しですね」
「でも、白石さんは先生に相談してない」
「じゃあ、クラスメイト?」
「それも微妙。白石さん、藤原くんのことを相談室で話したの。三日前に、ここで」
ぼくは紙から顔を上げた。
「その言い方、嫌ですね」
「うん、嫌でしょう」
ひより先輩は椅子の背にもたれ、珍しく目を伏せた。
「相談内容を知ってる人が、これを作った可能性がある」
部屋が少しだけ静かになる。
廊下から聞こえる運動部の掛け声が、ひどく遠い。
相談室に来る生徒は、たいてい自分の気持ちをうまく言葉にできない。
好きだとか、怖いとか、恥ずかしいとか、まだ決まっていない感情を、とりあえず机の上に置いて帰る。
ここで話したことは外に出さない。
それが一応のルールだった。
そのルールを知っていて破るなら、悪意はかなり丁寧だ。
「白石さんには、なんて説明したんですか」
「いたずらの可能性が高い、って。でも、あの子、泣かなかったんだよね。代わりに言ったの」
ひより先輩は、ぼくを見た。
「『どうして、わたしが海斗くんを好きだって知ってるんですか』って」
恋の相談ではない。
これは、秘密の流出事件だ。
そう言おうとしたとき、ドアがノックされた。
二回、規則正しく。
「どうぞ」
入ってきたのは、制服のリボンをきっちり結んだ二年女子、白石すずだった。
顔色は悪くない。
むしろ、決心を固めたみたいにまっすぐ前を向いている。
「失礼します。あの……もう一つ、見てほしいものがあって」
彼女はスマホを差し出した。
画面には、メッセージアプリのトーク画面が映っていた。
送り主不明。
本文はたった一行。
次は、公開告白で恥をかかせてあげる。
その下に添付されていた画像を見て、ぼくは息を止めた。
文化祭の企画書の写真。
まだ生徒会室の共有フォルダにしか入っていないはずの資料だ。
そして、画像の端に映り込んでいたのは、進路指導室の机と、相談メモ用の青い付箋だった。
ひより先輩が、いつもの軽い調子を消して言った。
「ねえ、書記くん」
「はい」
「犯人、生徒会の中にいるかもしれない」
ぼくはうなずきながら、なぜか先輩の机の上に置かれたペンを見ていた。
相談者が使う備え付けのボールペンじゃない。
生徒会で支給されている、名前入りの黒いペンだ。
そして、その軸には、細いラメ入りの透明シールが巻いてあった。
その飾り方をする人を、ぼくは一人しか知らない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
第1話は「恋愛相談のはずが、秘密の流出事件だった」という入口の回です。
次回から、失恋届を作った人物と、生徒会内部の疑いを追っていきます。




