第26話 奪ったのではなく、渡された
放課後相談室へ向かう佐久間亮を撮影した、新たな写真。
写真には、新しいポイントガード・藤堂も写っていた。
裏側に書かれていたのは、次の言葉。
お前だけが消えるわけじゃない。
次は、奪ったやつだ。
退部した成瀬冬馬のポジションを、本当に藤堂が奪ったのか。
男子バスケットボール部への確認が始まる。
次は、奪ったやつだ。
赤い文字で書かれたその一文を見つめながら、佐久間亮くんは何も言えなくなっていた。
写真に写っているのは、今日の放課後。
雨の中、旧進路指導室へ向かう佐久間くん。
その少し後ろを歩いている、男子バスケットボール部の藤堂くん。
写真には、二人を囲む赤い丸が描かれている。
一つは、相談室へ来た佐久間くん。
もう一つは、けがをした成瀬冬馬くんに代わり、新しいポイントガードになった藤堂くん。
写真の裏側。
お前だけが消えるわけじゃない。
次は、奪ったやつだ。
「藤堂は、今どこにいるんですか」
一ノ瀬ひより先輩が聞いた。
佐久間くんは、スマホを取り出した。
「放課後の練習に出ていたはずです。今日は体育館で基礎練習なので」
「連絡できる?」
「できます」
「待って」
佐伯先生が制止した。
「本人に直接、脅迫を受けているかもしれないと伝える前に、顧問へ確認します」
先生は、すぐに男子バスケットボール部の顧問へ電話をかけた。
「榊先生ですか。佐伯です。男子バスケットボール部の藤堂くんについて、今そちらにいるか確認をお願いします」
短いやり取りのあと、佐伯先生の表情が少し緩んだ。
「体育館にいるそうです。けがもなく、今のところ変わった様子はありません」
その言葉に、佐久間くんが大きく息を吐いた。
本人も気づかないうちに、呼吸を止めていたらしい。
「よかった……」
声が小さく漏れた。
ひより先輩が、佐久間くんを見る。
「心配なんだね」
「そりゃ、同じ部員ですから」
返事は少し強かった。
でも、さっきまでの怒りとは違う。
藤堂くんは、成瀬くんのポジションを奪った人物だと写真には書かれている。
それでも佐久間くんにとっては、現在一緒にプレーしている仲間だ。
「榊先生が、藤堂くんを連れて職員室へ来てくれます」
佐伯先生が言った。
「この件は、顧問にも正式に共有します。佐久間くん、よろしいですね」
「はい」
佐久間くんは、今度は迷わず答えた。
佐伯先生が写真と封筒を預かり、職員室へ持っていくことになった。
ぼくたちも同行する。
机の上に並んだ五枚の写真は、一枚ずつ透明な袋へ入れられた。
誰が触ったか。
いつ見つかったか。
どこに置かれていたか。
三枝莉子先輩が、それぞれの袋に付箋を貼っていく。
「一枚目から三枚目は、佐久間くんの部室ロッカー。朝練前」
「はい」
「四枚目は、今日の放課後、同じロッカー」
「はい」
「五枚目は、生徒会室前の廊下」
「そうです」
三枝先輩は、五枚目の封筒を見た。
「相談室へ来たことを知っていた人物がいる。少なくとも、写真を撮った時点で佐久間くんの動きを追っていた」
「成瀬くんは、今日は欠席です」
ぼくが言う。
「通院のあと学校へ来た可能性はありますが、まだ確認できていません」
「それに」
三枝先輩は写真の端を指さした。
「この写真、雨にぬれていない」
「封筒に入っていたからでは?」
佐久間くんが聞く。
「写真を撮った場所の話よ」
三枝先輩は、写っている佐久間くんの足元を指した。
雨にぬれた廊下。
窓の外は暗い。
写真には、窓ガラスに反射する校内灯が写り込んでいる。
「屋外から撮ったのではありません」
ぼくは言った。
「校舎内の窓越しです」
「たぶん、特別棟の階段」
三枝先輩が答える。
旧進路指導室へ続く廊下は、本校舎と特別棟をつなぐ渡り廊下から見下ろせる。
写真の角度を考えると、撮影場所はかなり限られる。
「この時間に、その階段を通った人を確認できれば」
佐久間くんが言う。
「簡単ではないわ」
三枝先輩は、はっきり答えた。
「文化祭後で部活動も通常に戻っている。特別棟には音楽室、図書室、美術室、生徒会室がある。通った可能性のある生徒は多い」
「防犯カメラは?」
「校舎内のすべての廊下にはありません」
佐伯先生が答えた。
「玄関と昇降口付近にはありますが、特別棟の階段にはありません」
佐久間くんは、悔しそうに唇を噛んだ。
ぼくは五枚目の写真をもう一度見た。
写真の左上に、白い光が細く伸びている。
窓ガラスに反射した蛍光灯だろう。
そして写真の右端。
ぼんやりと、赤い物が写り込んでいる。
「これは何でしょう」
ぼくが指すと、三枝先輩が目を細めた。
「手すりかしら」
「特別棟階段の手すりは灰色です」
「では、誰かの服?」
写真を拡大してみる。
赤い布。
白い細い線。
男子バスケットボール部の練習着には、紺色の生地に白い線が入っている。
赤は使われていない。
文化祭実行委員の腕章も赤かったが、文化祭はすでに終わっている。
「今の段階ではわかりません」
ぼくは言った。
「ただ、撮影者の服や持ち物が写り込んだ可能性があります」
三枝先輩がうなずく。
「元の写真データがあれば、もう少し確認できるかもしれない。でも、今あるのは印刷された写真だけ」
「印刷した場所も調べられませんか」
佐久間くんが聞いた。
ぼくは四枚の写真を並べた。
どれも、はがきより少し小さな光沢紙。
縁に白い余白がある。
ただし、一枚目から三枚目と、四枚目、五枚目では微妙に紙の質が違って見える。
「最初の三枚は少し厚いです」
「本当ね」
三枝先輩が袋の上から確認する。
「四枚目と五枚目は薄い」
「最初の三枚は、以前にまとめて印刷された可能性があります」
ぼくは言った。
「四枚目と五枚目は、今日、新しく印刷された」
「つまり、全部を最初から準備していたわけではない」
ひより先輩が言う。
「佐久間くんが相談室へ来たから、今日の写真を追加した」
「その可能性が高いです」
送り主は、佐久間くんの行動に反応している。
写真を送り始めた時点で決めていた計画を実行しているだけではない。
今、学校の中で起きていることを見ている。
ぼくたちは職員室の隣にある面談室へ移動した。
少しして、男子バスケットボール部の顧問・榊先生が藤堂くんを連れてきた。
榊先生は、三十代後半くらいの男性教諭だった。
体育教師らしい大きな体格で、髪を短く切っている。
表情は険しかった。
隣にいる藤堂くんは、写真で見た通り細身だった。
背は佐久間くんと同じくらい高いが、肩幅はそれほど広くない。
前髪が少し長く、目元が隠れかけている。
右手には、体育館の鍵を持っていた。
写真と同じだ。
「藤堂」
佐久間くんが立ち上がる。
藤堂くんは、佐久間くんを見た。
「佐久間。何があった」
その声には、まだ何も知らない人の戸惑いがあった。
佐伯先生が椅子を示した。
「まず座ってください。藤堂くんには、安全確認と事情確認のために来てもらいました」
藤堂くんは、榊先生を一度見てから椅子に座った。
佐伯先生は、写真の内容を必要な範囲で説明した。
退部した成瀬冬馬くんが消されたように加工された写真。
佐久間くんへの予告。
そして今日、藤堂くんを赤く囲んだ写真が届いたこと。
写真の裏の文章は、そのまま読み上げなかった。
けれど藤堂くんは、写真を見た瞬間に理解したようだった。
「俺が、次の対象なんですか」
「可能性があります」
佐伯先生が答える。
藤堂くんは、しばらく黙って写真を見ていた。
怖がるというより、何かを考えている顔だった。
「これ、成瀬が送ったんですか」
「まだ決まっていません」
ひより先輩が言う。
「佐久間くんは、最初はそう思った。でも、成瀬くんは今日は欠席している。それに、送り主が別にいる可能性もある」
藤堂くんの視線が佐久間くんへ向く。
「お前、相談したのか」
「悪いかよ」
佐久間くんの声が強くなる。
「毎日ロッカーに入ってるんだぞ。今日は俺たちが歩いてるところまで撮られた」
「悪いとは言ってない」
「じゃあ、その言い方は何だよ」
「二人とも」
榊先生の低い声が、間に入った。
「今は言い争っている場合ではない」
二人は黙った。
でも、目はそらさない。
中学から成瀬くんと一緒だった佐久間くん。
成瀬くんの代わりにポイントガードへ入った藤堂くん。
二人の間にも、何かがある。
「藤堂くん」
ぼくは声をかけた。
「確認したいことがあります」
「はい」
「写真には、あなたを『奪った人』とするような言葉が書かれています」
藤堂くんの眉が動く。
「成瀬くんのポジションを、藤堂くんが奪ったという意味だと思われます」
「違います」
藤堂くんは、すぐに答えた。
早い否定だった。
けれど、これまでの早すぎる否定とは少し違う。
焦りよりも、怒りがある。
「俺は、奪ってません」
「そう思う理由を聞かせてください」
藤堂くんは、机の下で拳を握った。
「成瀬本人に言われたからです」
佐久間くんが顔を上げる。
「何を」
「俺の代わりにポイントガードをやってくれって」
部屋が静かになる。
「いつ言われたんですか」
ぼくが聞く。
「成瀬が病院へ行った次の日です」
「練習を休み始めた時?」
「はい」
藤堂くんは、ゆっくり話し始めた。
「成瀬から連絡が来ました。放課後、体育館裏に来てくれって」
その日は雨ではなかった。
けれど風が強く、体育館裏には誰もいなかったという。
成瀬くんは、右手首に固定具をつけていた。
「一か月はボールを持つなって言われた」
成瀬くんは、そう言った。
藤堂くんは、何と返せばいいかわからなかった。
けがの状態を聞くべきなのか。
試合のことを謝るべきなのか。
戻ってくるまで待つと言うべきなのか。
迷っている藤堂くんに、成瀬くんは言った。
「次の試合、ポイントガードはお前がやれ」
「藤堂は、最初は断ったそうです」
榊先生が言った。
どうやら、顧問もその一部を知っているらしい。
「俺は、成瀬が戻るまでの代わりならやるって言いました」
藤堂くんは続ける。
「でも成瀬は、代わりじゃないって」
「代わりじゃない?」
ひより先輩が聞く。
「俺より、お前の方が今は迷わない。だからお前がやれって」
佐久間くんが、信じられないような顔で藤堂くんを見る。
「成瀬が、そんなこと言ったのか」
「言った」
「俺には、何も」
「お前には言えなかったんだろ」
藤堂くんの声が少し鋭くなる。
「試合のあと、あんなことを言われたから」
佐久間くんの顔が硬くなった。
迷うくらいなら、最初から試合に出るな。
その言葉が、また部屋の中に戻ってきた。
「藤堂」
榊先生が止める。
「事実だけを話せ」
「事実です」
藤堂くんは、榊先生を見た。
「成瀬は、佐久間から連絡が来ても返せないって言ってました」
佐久間くんの表情が変わる。
「連絡って、戻ってこいって送ったやつか」
「そうだ」
「お前、知ってたのか」
「成瀬が見せてきた」
「何で」
「どう返せばいいと思うって聞かれたから」
藤堂くんの声には、抑えていた苛立ちが混じっていた。
「俺は、返さなくていいって言った」
佐久間くんが椅子から少し身を乗り出す。
「何でお前が決めるんだよ」
「成瀬が泣いてたからだよ」
その一言で、佐久間くんの動きが止まった。
藤堂くんは、視線をそらさなかった。
「体育館の用具室で、成瀬は泣いてた」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「成瀬が、部活で泣くわけ」
「お前の前では泣かなかっただけだ」
佐久間くんの顔から、怒りが消えていく。
代わりに、受け止めきれないものが浮かぶ。
藤堂くんは続けた。
「戻ってこいって言われても、どこに戻ればいいかわからないって言ってた」
誰も口を挟めなかった。
メンバー表から名前は消えた。
ポイントガードには藤堂くんが入った。
過去の写真は部活動紹介ページから外された。
共有グループからも、やがて成瀬くんは抜けた。
戻ってこい。
その言葉だけでは、戻る場所にはならない。
「でも、成瀬は俺に言いました」
藤堂くんは、机の上の写真を見る。
「俺はお前に取られたんじゃない。俺が渡したんだって」
佐久間くんが、赤い丸で囲まれた藤堂くんの顔を見る。
次は、奪ったやつだ。
その言葉は、成瀬くん本人の認識と合わない。
少なくとも、藤堂くんの話が本当なら。
「メッセージは残っていますか」
ぼくが聞く。
藤堂くんはスマホを取り出した。
「あります」
榊先生と佐伯先生の確認を受け、画面を見せてもらう。
成瀬冬馬。
一か月前のメッセージ。
次の試合、頼む。
藤堂くんならできる、という短い言葉。
そのあとに、藤堂くんからの返信。
戻ってきたら返す。
成瀬くんの返事。
返さなくていい。
さらに、その下。
取られたんじゃない。
俺が渡した。
だから謝るな。
写真に書かれた「奪ったやつ」という言葉と、完全に反対だった。
「成瀬くんは、藤堂くんを恨んでいなかった」
ひより先輩が言う。
藤堂くんは、少しだけ目を伏せる。
「少なくとも、俺にはそう言いました」
「では、この写真を送っている人物は」
ぼくは五枚目の写真を見る。
「成瀬くん本人の気持ちを誤解している可能性があります」
「成瀬をかわいそうだと思ってるやつ?」
佐久間くんが聞く。
「その可能性があります」
「でも、誰が」
藤堂くんが答える。
「成瀬が辞めたことを一番怒ってたやつなら、います」
全員が藤堂くんを見る。
「誰ですか」
「マネージャーの高瀬真琴です」
新しい名前だった。
高瀬真琴。
男子バスケットボール部、二年生マネージャー。
「高瀬さんは、成瀬くんと親しかった?」
ひより先輩が聞く。
藤堂くんは、少し考えた。
「中学が同じです。佐久間と成瀬と高瀬は、三人とも同じ中学」
佐久間くんが、苦しそうに顔をしかめる。
「真琴は関係ない」
否定が早かった。
「佐久間くん」
ひより先輩が静かに呼ぶ。
「まだ高瀬さんが送り主だとは言ってない」
「でも、違います」
「どうして?」
「真琴は、成瀬が辞めた時も普通でした」
藤堂くんが、佐久間くんを見る。
「普通じゃなかっただろ」
「何が」
「お前が見てなかっただけだ」
二人の間に、また硬い空気が流れる。
「高瀬は、成瀬の写真を共有アルバムから消すことに最後まで反対していました」
藤堂くんは説明した。
「部活動紹介ページを新しくする時、武田先輩が退部した部員の写真は外すように言った。高瀬は、過去の記録まで消す必要はないって」
「でも、アルバムから写真がなくなっていました」
ぼくが言う。
「高瀬さんが削除したのでは?」
藤堂くんは首を横に振った。
「共有アルバムの整理をしたのは、もう一人のマネージャーです」
「名前は?」
「三年の大橋先輩です」
また新しい人物。
三年生マネージャー、大橋先輩。
写真管理の担当者。
「高瀬さんは、成瀬くんが辞めたあと、何かしていましたか」
ぼくが聞く。
藤堂くんは、少し言いにくそうにした。
「成瀬の名札を探していました」
「名札?」
「メンバー表に貼ってあった、名前の磁石です」
成瀬冬馬。
部員全員の名前を貼るホワイトボードから外された磁石。
「武田先輩が外したあと、どこへ置いたんですか」
「部室の机の引き出しに入れたはずです」
佐久間くんが答えた。
藤堂くんが首を横に振る。
「違う。ごみ箱に入ってた」
佐久間くんが藤堂くんを見る。
「は?」
「高瀬が見つけた。紙くずの下にあった」
「誰が捨てたんだよ」
「知らない」
「武田先輩じゃないのか」
「武田先輩は、引き出しへ入れたと言ってた」
「じゃあ、誰かがあとで捨てた?」
「そうなる」
メンバー表から名前を外す。
名札を引き出しへ入れる。
そのあと、誰かがごみ箱へ捨てる。
単なる試合メンバーの変更ではない。
本当に、名前を消そうとした誰かがいたのかもしれない。
「高瀬さんは、その名札をどうしましたか」
ひより先輩が聞いた。
「自分で持っています」
藤堂くんが答える。
「捨てられないって」
佐久間くんは、何も言わなかった。
「高瀬さんは今日、学校にいますか」
佐伯先生が榊先生へ聞く。
榊先生はうなずいた。
「練習に参加しています。現在、体育館にいるはずです」
佐伯先生は時計を見る。
「事情を聞く必要があります。ただし、今ここへ呼ぶ前に、写真の件は顧問から確認してください」
「わかりました」
榊先生が答える。
「私が話します」
佐久間くんが、榊先生を見る。
「先生」
「何だ」
「成瀬がけがをしていたこと、試合前から知っていましたか」
突然の質問だった。
榊先生の表情が硬くなる。
藤堂くんも、顧問を見る。
「軽い痛みがあるとは聞いていた」
「それでも試合に出したんですか」
「本人が出られると言った」
榊先生の声は低い。
「試合前の確認では、動かせないほどの痛みではないと」
「でも、次の日には靱帯を痛めてるって」
佐久間くんの声が大きくなる。
「佐久間」
「俺たちには、成瀬が迷ったせいで負けたって言ったじゃないですか」
「私は、判断を早くしろと言った。負けた責任が成瀬一人にあるとは言っていない」
「でも、そう聞こえました」
佐久間くんは言った。
「俺には、成瀬が悪いって聞こえた」
榊先生が黙る。
その沈黙は、否定ではなかった。
「佐久間くん」
ひより先輩が声をかける。
佐久間くんは拳を握っていた。
「自分が言ったことを、先生のせいだけにはできないよ」
「わかってます」
「でも、先生の言葉や判断も別に確認しないといけない」
「はい」
ひより先輩は榊先生を見る。
「成瀬くんのけがについては、学校として確認した方がいいと思います」
榊先生の顔に、苦いものが浮かんだ。
「その通りです」
短い答えだった。
その時、榊先生のスマホが鳴った。
体育館に残っていた部員かららしい。
榊先生は電話に出る。
「どうした」
相手の声は聞こえない。
しかし、榊先生の表情が急に変わった。
「触るな。そのままにしておけ」
電話を切ると、榊先生は立ち上がった。
「藤堂のロッカーに、封筒が入っているそうです」
藤堂くんの顔が強張る。
「俺の?」
「練習を中断して、部員を体育館から出します」
佐伯先生も立ち上がる。
「私も行きます」
ぼくたちは体育館へ向かった。
雨のせいで、渡り廊下は薄暗い。
靴底の音が、濡れた床に響く。
体育館の入口には、男子バスケットボール部の部員たちが集められていた。
不安そうな顔。
何が起きているのかわからず、ざわついている。
「全員、部室へ近づくな」
榊先生が言った。
「先生が確認するまで、体育館で待機しなさい」
部室前には、三年生らしい背の高い男子生徒が立っていた。
「武田」
榊先生が呼ぶ。
男子バスケットボール部主将、武田先輩。
「封筒は?」
「中です。藤堂の棚に」
「誰が見つけた」
「高瀬です」
その名前に、ぼくたちの視線が動く。
部員たちの少し後ろに、女子生徒が立っていた。
肩までの髪を一つに結び、マネージャー用のジャージを着ている。
手にはスコアブック。
高瀬真琴さん。
彼女は、ぼくたちが自分を見ていることに気づくと、表情を硬くした。
「私は入れてません」
まだ、誰も聞いていなかった。
ひより先輩が、静かに彼女を見る。
「高瀬さん。今は、封筒を確認するところだから」
高瀬さんは、唇を噛んだ。
「……はい」
佐伯先生と榊先生が部室へ入る。
ぼくたちは入口から中を確認した。
男子バスケットボール部の部室。
壁際に棚型のロッカーが並び、中央に長机がある。
ホワイトボードには、現在のメンバー表。
成瀬冬馬の名前はない。
藤堂くんの棚には、白い封筒が一つ置かれていた。
表には、黒い文字。
藤堂へ。
佐伯先生が手袋をつけ、封筒を取り出す。
中には、一枚の写真が入っていた。
試合中の写真。
一か月前、成瀬くんが最後に出場した練習試合だろう。
コートの中で、成瀬くんがボールを持っている。
佐久間くんはゴール下。
相手選手が二人、成瀬くんへ近づいている。
写真の中心は試合だ。
しかし、赤い丸が描かれているのは、成瀬くんの右手首だった。
テーピングが巻かれている。
試合前から、すでに手首を痛めていた証拠。
写真の裏側には、赤い文字が書かれていた。
けがをしたのは、試合のあとじゃない。
その下に、もう一文。
知っていたのに、出した。
「先生……」
佐久間くんが、榊先生を見る。
榊先生の顔色が変わっていた。
「これは」
声が詰まる。
藤堂くんが、写真を見つめる。
「成瀬、試合前からテーピングしてた」
「はい」
ぼくは答えた。
「送り主は、成瀬くんがけがをしていたことを知っていた人物を責めています」
「顧問を?」
三枝先輩が言う。
「それとも、出場を止めなかった部員全員を?」
誰も答えられなかった。
ぼくは写真の端を見る。
今回の写真も、最初の三枚と同じ厚い光沢紙だった。
つまり、この写真は今日撮影されたものではない。
以前から準備されていた。
「おかしいです」
ぼくは言った。
「何が?」
ひより先輩が聞く。
「四枚目と五枚目は、今日印刷された可能性が高い薄い用紙でした。でも、今の写真は最初の三枚と同じ厚い用紙です」
「前から用意していた写真に戻った?」
「はい」
写真は、最初から何枚か準備されていた。
しかし佐久間くんが相談室へ来たことで、新しく二枚を追加した。
送り主には、最初から伝えたい順番がある。
その途中で、佐久間くんの行動に反応したのだ。
「それから」
ぼくは写真の表面を見た。
右下に、小さな数字が印刷されている。
6。
これまでの写真には、目立つ番号はなかった。
袋の上から確認すると、一枚目の写真の端にも、小さく1と書かれている。
二枚目には2。
三枚目には3。
四枚目には4。
五枚目には、手書きで5。
そして今回が6。
「送り主は、順番を決めています」
ぼくは言った。
「少なくとも六枚目までは、最初から内容を考えていた」
「次もあるってこと?」
佐久間くんが聞く。
「可能性があります」
部室の空気が、一段冷たくなった。
高瀬真琴さんは、入口で写真を見つめていた。
その顔は、驚いているようにも見える。
怒っているようにも見える。
ひより先輩が、高瀬さんへ近づいた。
「高瀬さん」
高瀬さんが顔を上げる。
「成瀬くんが試合前からけがをしていたこと、知ってた?」
高瀬さんは、すぐに答えなかった。
視線が、榊先生へ。
武田先輩へ。
佐久間くんへ動く。
そして最後に、藤堂くんを見た。
「知っていました」
その声は小さかった。
「いつから?」
「試合の三日前です」
佐久間くんの顔が強張る。
「三日前?」
「成瀬から、テーピングをしてほしいって言われました」
高瀬さんは、スコアブックを抱きしめた。
「手首が痛いって。でも、試合には出たいから、誰にも言わないでほしいって」
「榊先生には?」
ひより先輩が聞く。
「試合当日の朝、私が言いました」
高瀬さんの声が震える。
「成瀬が手首を痛めているって。出さない方がいいんじゃないかって」
全員の視線が、榊先生へ向く。
榊先生は、ゆっくり目を閉じた。
「聞きました」
「先生」
佐久間くんの声が低くなる。
「知ってたんじゃないですか」
「本人にも確認した」
榊先生は答えた。
「成瀬は、動かせる。出場できると言った」
「だから出した?」
「医療的な判断をせず、本人の言葉を優先した。それは私の判断ミスだ」
榊先生は、写真を見た。
「学校へ報告する」
言い訳をする声ではなかった。
でも、それで成瀬くんのけがが消えるわけではない。
高瀬さんは、唇を震わせた。
「私も、止められませんでした」
「高瀬さん?」
「先生に言ったあと、成瀬に怒られました。余計なことをするなって」
涙が目に浮かぶ。
「それで、私は何も言えなくなりました。試合前も、テーピングをして、いってらっしゃいって送り出しました」
高瀬さんの声が崩れる。
「私も、知っていたのに出しました」
写真の裏。
知っていたのに、出した。
この言葉は、榊先生だけに向けられたものではない。
高瀬さん自身にも向いているのかもしれない。
「この写真を送ったのは、高瀬さんですか」
佐久間くんが聞いた。
高瀬さんは、涙を拭かずに首を横に振った。
「違う」
「でも、成瀬のけがを知ってた」
「だからって、こんなことしない」
「成瀬の名札も持ってるんだろ」
「捨てられてたから拾ったの!」
高瀬さんの声が体育館に響いた。
「誰も冬馬の名前を戻さなかったから!」
冬馬。
初めて、成瀬くんを下の名前で呼んだ。
高瀬さんは、息を切らしていた。
「みんな、冬馬が辞めたら、すぐ次の試合の話をした。藤堂がどう動くか、次のメンバーは誰か、練習メニューをどうするか。冬馬がどうして辞めたのか、誰も話さなかった」
「真琴」
佐久間くんが呼ぶ。
「亮も同じだった」
高瀬さんは、佐久間くんを見る。
「戻ってこいって送っただけ。謝らなかった。話を聞かなかった」
佐久間くんは、言葉を失う。
「私は怒ってた」
高瀬さんは言った。
「ずっと怒ってる。でも、この写真は私じゃない」
「証明できる?」
佐久間くんが聞く。
「できない」
高瀬さんは、正直に答えた。
「でも、違う」
その時、武田先輩が口を開いた。
「高瀬ではないと思う」
全員が主将を見る。
「どうしてですか」
ぼくが聞く。
武田先輩は、六枚目の写真を指した。
「その写真を撮ったのは、俺だからだ」
部室が静まり返る。
「武田先輩が?」
「練習試合の記録用に撮った。大橋に渡して、共有アルバムへ入れてもらった」
「なら、高瀬さんも入手できます」
ぼくは言った。
「共有アルバムから保存すれば」
「この写真は、共有アルバムに上げていない」
武田先輩は答えた。
「成瀬の手首にテーピングが写っていたから、公開しなかった」
「元データは?」
「俺のスマホと、部の記録用パソコンだけだ」
武田先輩の声が低くなる。
「高瀬には渡していない」
では、この写真を持っている人物は限られる。
撮影した武田先輩。
記録用パソコンへ写真を移した人物。
そして、そのパソコンへアクセスできる人。
「部の記録用パソコンを使えるのは誰ですか」
ぼくが聞く。
武田先輩は答えた。
「俺と、大橋と、榊先生」
三年生マネージャーの大橋先輩。
主将の武田先輩。
顧問の榊先生。
高瀬真琴さんではない。
「ただ」
武田先輩は、ホワイトボードの横にある机を見る。
「文化祭前から、パソコンの保管場所が変わっている」
「どこへ?」
「体育館準備室だ」
「鍵は?」
藤堂くんが、自分の右手に持っていた鍵を見る。
「今日、俺が持っていました」
写真にも写っていた鍵。
「体育館準備室の鍵?」
ぼくが聞く。
藤堂くんはうなずいた。
「練習前に榊先生から借りました。ボールの空気入れを取るために」
「その時、記録用パソコンを見ましたか」
藤堂くんの顔が強張る。
「ありませんでした」
「なかった?」
「棚に置いてあるはずなのに、空いてました」
武田先輩が、すぐに準備室へ向かう。
榊先生も続いた。
数分後、二人は戻ってきた。
武田先輩の顔色が変わっている。
「記録用パソコンがない」
六枚目の写真。
試合前からけがをしていた成瀬くん。
限られた場所に保存されていた元データ。
そして、消えた部活動記録用パソコン。
写真を送っている人物は、ただ成瀬くんのために怒っているだけではない。
男子バスケットボール部が残してきた記録そのものを持ち出している。
ぼくは、ホワイトボードを見る。
そこには、現在の部員の名前が並んでいる。
成瀬冬馬の名前だけがない。
けれど、事件の中心には、ずっと成瀬くんがいる。
消されたはずの人物が、写真と記録を通して、もう一度部室へ戻ってきている。
六枚目の写真の裏。
知っていたのに、出した。
その下には、今まで気づかなかった小さな文字があった。
黒いペンで、端に書かれている。
七枚目で、全部わかる。
放課後相談室の相談番号二は、次の一枚を待つしかないところまで進んでしまった。
第26話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、「成瀬冬馬のポジションを奪った」と予告された藤堂への聞き取りを行いました。
しかし、藤堂は成瀬から直接ポイントガードを託されており、成瀬自身も「取られたのではなく、自分が渡した」と伝えていました。
そのため、送り主は成瀬本人の気持ちを誤解しているか、別の目的で藤堂を標的にしている可能性があります。
さらに、成瀬が試合前から手首を痛めていたこと、顧問やマネージャーがその事実を知りながら出場を止められなかったことも明らかになりました。
そして、部の記録用パソコンが体育館準備室から消えています。
七枚目で、全部わかる。
次回は、七枚目の写真と、消えたパソコンの行方を追います。




