表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
21/47

第21話 助けてください、助けないでください

正式に再開した放課後相談室。

最初に持ち込まれたのは、図書室の本『銀河鉄道の夜』に挟まっていた二枚のメモだった。


助けてください。

助けないでください。


その本を最後に借りた生徒は、今日、学校に来ていない。

助けてください。


助けないでください。


机の上に並んだ二枚のメモを見ていると、胸の奥がざわついた。


同じ白いメモ用紙。

同じ黒いペン。

よく似た筆跡。


けれど、書かれている言葉は真逆だった。


助けを求める声。

助けを拒む声。


どちらかが嘘なのか。

それとも、どちらも本音なのか。


放課後相談室が正式に再開して、まだ一時間も経っていない。


入口に貼った案内文も、鍵付きの保管箱も、相談記録用紙も、まだ新品の匂いがする。

机の上の「相談番号一」は、まっさらな状態だった。


そこへ持ち込まれた最初の相談が、これだった。


図書室の本に挟まれていた二枚の紙。

貸出禁止になっていたはずの本。

そして、その本を最後に借りた生徒は、今日学校に来ていない。


「まず、落ち着こう」


一ノ瀬ひより先輩が言った。


その声は静かだった。

けれど、少しだけ硬い。


文化祭の事件を越えて、先輩は変わった。

目の前の不安にすぐ飛び込むのではなく、一度立ち止まる。

相談者を守るために、手順を確認する。


それが今の放課後相談室だ。


図書委員の男子生徒は、旧進路指導室の入口付近で立ち尽くしていた。

肩で息をしている。

走ってきたのだろう。

図書委員の腕章が少し曲がっている。


その隣で、本を持ってきた一年生の女子生徒が不安そうにしていた。


彼女はまだ名前を言っていない。

言わなくてもいい、とひより先輩は言った。

だから、ぼくたちは今のところ彼女を「本を持ってきた生徒」として扱う。


名前を急がない。

それも、決めたばかりのルールだった。


「確認します」


ぼくは記録用紙にペンを置いた。


「本のタイトルは『銀河鉄道の夜』。図書室の返却棚にあり、相談者が昼休みに借りた。その本に二枚のメモが挟まっていた」


「はい」


女子生徒が小さくうなずく。


「図書委員さん」


ぼくは男子生徒を見る。


「名前を聞いてもいいですか」


「二年の、神谷陸です」


「神谷先輩ですね。この本が貸出禁止だったというのは、どういうことですか」


神谷先輩は、机の上の本を見た。


「その本は、昨日の放課後から行方不明になっていました」


「行方不明?」


ひより先輩が聞く。


「はい。貸出処理はされているのに、返却予定の確認で見つからなくて。昨日の閉館前に、返却ポストにも棚にもなくて」


「最後に借りた生徒は?」


神谷先輩は一度言葉に詰まった。


「個人名をここで言っていいか……」


その反応は正しい。


前の恋愛相談室なら、そこで勢いのまま聞いていたかもしれない。

でも今は違う。


ひより先輩がすぐにうなずいた。


「ここではまだ言わなくていい。先生に確認しよう」


「先生に?」


「うん。欠席している生徒が関わるなら、私たちだけで扱う内容じゃない」


神谷先輩は、少しほっとした顔をした。


「でも」


女子生徒が小さく声を出した。


みんなが彼女を見る。


「でも、もし本当に助けてほしい人だったら、急いだ方がいいんじゃないですか」


その声は震えていた。


「私、これを見た時、ただのいたずらじゃない気がしました」


ひより先輩は、彼女をまっすぐ見た。


「うん。その感覚は大事にする」


それから、二枚のメモへ視線を戻す。


「でも、急ぐことと、雑に扱うことは違う。特に、欠席している生徒の名前や事情は慎重に扱わないといけない」


「はい……」


女子生徒は、少しだけうつむいた。


ぼくは、二枚のメモを近くで見た。


一枚目。


助けてください。


文字は小さく、少し右に傾いている。

「助」の字の力が弱い。

最後の「さい」は、震えたように線が揺れている。


二枚目。


助けないでください。


一枚目より、少し字が濃い。

ペンを強く押しつけて書いている。

「ないで」の部分だけ、やや大きい。


同じ人が時間を置いて書いたようにも見える。

あるいは、同じ字を真似て別人が書いたようにも見える。


「書記くん」


ひより先輩が小さく呼んだ。


「どう見る?」


「筆跡は似ています。でも、筆圧が違います」


「同じ人?」


「可能性はあります。ただ、一枚目は迷いながら書いたように見えます。二枚目は、止めるために書いたように見えます」


「止めるため」


「はい。助けを求めたあとに、それを取り消した。もしくは、誰かが助けを求めるメモを見つけて、助けないでくださいと追加した」


三枝莉子先輩が、いつの間にか赤ペンを持ったまま立っていた。


正式再開後の初期チェックに来ていた彼女は、こういう時、とても頼りになる。


「紙の種類は同じね」


三枝先輩が言った。


「図書室に置いてあるメモ用紙?」


神谷先輩がうなずく。


「貸出票を書く台に置いてあります。利用者が予約番号とかメモする時に使うものです」


「ペンも?」


「黒いペンはカウンターにあります」


「つまり、図書室にいた人なら誰でも書ける」


「はい」


三枝先輩は、メモに触れないように端を見た。


「折り目が違うわね」


「折り目?」


ぼくは目を凝らした。


確かに、一枚目には縦に軽い折り目がある。

二枚目には折り目がない。


一枚目は一度折られていた。

二枚目は、そのまま挟まれた。


「同じタイミングで挟まれたとは限らない」


三枝先輩が言った。


「一枚目が先。二枚目が後の可能性が高いわ」


「なるほど」


ぼくは記録用紙へ書き込んだ。


一枚目、折り目あり。

二枚目、折り目なし。

同じ本に挟まれていたが、挟まれた時刻が異なる可能性。


「神谷先輩」


ぼくは聞いた。


「この本は、どのページにメモが挟まっていましたか」


神谷先輩が答える前に、本を持ってきた女子生徒が言った。


「たしか、真ん中より少し後ろです」


彼女は本を開いた。


二枚のメモが挟まっていたページ。

そこには、鉛筆で薄く線が引かれていた。


印刷された文章の一部に、細い線。


ぼくは思わず身を乗り出した。


「ここに線が」


ひより先輩も覗き込む。


線が引かれていたのは、一文だった。


けれど、本文をそのまま声に出すのは少し躊躇した。

古い文学作品とはいえ、この場で長く引用する必要はない。


ぼくは、内容だけを確認した。


そこは、誰かが本当の幸せについて問う場面に近い箇所だった。


「本当の幸せ……」


女子生徒がつぶやいた。


「私も、そこが気になって」


「線は、最初からありましたか?」


ぼくが聞くと、彼女は首を横に振った。


「わかりません。でも、読もうとして開いたら、メモと一緒にこの線が目に入りました」


神谷先輩が困った顔をした。


「図書室の本に書き込みは禁止です。前に借りた人が引いたのかもしれません」


「最後の貸出者が引いた可能性もありますね」


ぼくは本の貸出票を確認した。


今は電子管理が主だが、この古い本には返却期限カードの名残が残っている。

ただし、個人名は書かれていない。


「神谷先輩。最後の貸出者が今日欠席していると知ったのは、どうしてですか」


「朝、図書委員の先生に報告しようとして、担任の先生に確認してもらったんです。その生徒は今日欠席だと聞きました」


「欠席理由は?」


「そこまでは聞いていません」


当然だ。

図書委員が個人の欠席理由まで聞けるはずがない。


ひより先輩は、すぐに判断した。


「佐伯先生に相談しよう」


放課後相談室の担当教員。

試験運用を認めてくれたばかりの先生。


ぼくはうなずいた。


「はい。欠席者の確認と、本の扱いについて先生に入ってもらうべきです」


女子生徒は不安そうに本を見た。


「私、変なことに巻き込んでしまいましたか」


「違うよ」


ひより先輩は、すぐに言った。


「あなたは、変だと思ったものをちゃんと届けてくれた。それは大事なこと」


女子生徒は、少しだけ目を伏せた。


「でも、もしこの紙を書いた人が、知られたくなかったら……」


「だから慎重に進める」


ひより先輩は、二枚のメモをそっと封筒に入れた。


「助けてほしい気持ちも、助けられたくない気持ちも、どちらも雑に扱わない」


その言葉で、部屋の空気が少し落ち着いた。


ぼくたちは、佐伯先生のところへ向かった。


本を持ってきた女子生徒は、ここで待つことになった。

名前を聞くか迷ったが、彼女はまだ少し不安そうだった。


ひより先輩は、無理に聞かなかった。


代わりに、こう言った。


「あなたが持ってきてくれたことは、記録には残す。でも名前はまだ書かない。必要になったら、その時に確認するね」


女子生徒は、小さくうなずいた。


「はい」


職員室へ向かう途中、神谷先輩はずっと黙っていた。


図書委員として責任を感じているのかもしれない。

自分が管理していた本から、こんなメモが出てきたのだ。


「神谷先輩」


ぼくが声をかけると、彼はびくっとした。


「はい」


「昨日、この本がなくなったと気づいた時、何か変わったことはありましたか」


「変わったこと……」


神谷先輩は考え込んだ。


「図書室は文化祭後で人が少なかったです。展示の片づけで忙しい人が多くて。本を借りる人も少なくて」


「昨日の放課後に図書室へ来た人は?」


「図書委員と、数人の利用者です」


「その中に、最後の貸出者は?」


神谷先輩は、少しだけ表情を硬くした。


「いました」


「その人は、どんな様子でしたか」


神谷先輩は、答えるのをためらった。


「先生に話してからの方が」


「はい。それで大丈夫です」


ぼくは無理に聞かなかった。


でも、わかったことがある。


神谷先輩は、最後の貸出者の様子に何かを感じている。


職員室で佐伯先生に事情を説明すると、先生の表情はすぐに引き締まった。


「二枚のメモですか」


「はい」


ひより先輩は封筒を渡した。


佐伯先生は、内容を確認し、しばらく黙った。


「これは、生徒だけで判断してはいけない案件ですね」


「はい」


「最後の貸出者については、私から確認します。神谷くん、名前を教えてください」


神谷先輩は、少し緊張した顔で答えた。


「二年三組の、朝倉澪さんです」


朝倉澪。


名前を聞いた瞬間、ひより先輩がわずかに反応した。


「知っていますか」


ぼくが小声で聞くと、先輩は少しだけうなずいた。


「名前だけ。去年、読書感想文で表彰されてた子」


佐伯先生は、職員室の端にいる別の先生へ声をかけた。

二年三組の担任らしい男性教諭が来る。


事情を簡単に説明すると、その先生は困った顔をした。


「朝倉は、今日は体調不良で欠席です。保護者から連絡がありました」


「最近、学校で変わった様子はありましたか」


佐伯先生が聞く。


担任の先生は少し考えた。


「おとなしい生徒ですが、提出物も出ていますし、大きなトラブルは聞いていません。ただ……」


「ただ?」


「文化祭のあと、少し疲れているようには見えました」


文化祭のあと。


その言葉が、また出てくる。


放課後相談室に持ち込まれる相談は、なぜか文化祭の影を引いている。


公開告白。

合唱部のステージ。

文化祭写真。

そして今度は、図書室の本。


文化祭は、楽しい行事だ。

でも、人が集まり、役割が生まれ、誰かの姿が見えやすくなる。

同時に、見えないものも増える。


「朝倉さんは、文化祭で何を担当していましたか」


ぼくが聞くと、担任の先生は答えた。


「図書委員企画です。古本市と読書紹介カードの展示を担当していました」


神谷先輩が顔を上げた。


「朝倉さん、図書委員じゃありません」


「え?」


ぼくたちの視線が神谷先輩に集まる。


「図書委員企画を手伝っていましたけど、正式な図書委員ではありません」


佐伯先生が担任へ確認する。


「どういうことでしょう」


担任の先生は、少し困ったように言った。


「図書委員の人数が足りなかったので、読書好きな生徒に手伝ってもらったんです。朝倉は本が好きなので、自分から手伝いたいと」


神谷先輩は、何か言いたそうにしたが、すぐに口を閉じた。


その反応を、ひより先輩が見逃さなかった。


「神谷くん」


「はい」


「朝倉さんについて、何か気になることがある?」


神谷先輩は、佐伯先生と担任の先生を見た。


先生たちがうなずく。


「話してください」


神谷先輩は、ゆっくり口を開いた。


「朝倉さんは、図書委員企画の読書紹介カードをほとんど一人で作っていました」


「一人で?」


「はい。本当は何人かで分担する予定だったんです。でも、朝倉さんが文章を書くのが上手で、みんな頼ってしまって」


ぼくは、合唱部の時のことを思い出した。


歌が上手な早川琴音さん。

説明を任された森田紗季さん。

できる人に、仕事が集まる。


頼られることは、必ずしも悪いことではない。

でも、頼られすぎると、逃げ場がなくなる。


「朝倉さんは、嫌がっていましたか」


佐伯先生が聞く。


神谷先輩は首を横に振った。


「はっきり嫌だとは言っていません。でも、昨日の放課後、図書室で……」


「図書室で?」


「読書紹介カードを片づけている時、カードが一枚なくなっていると騒ぎになりました」


「カードがなくなった?」


「はい。来場者投票で一番人気だったカードです」


「それを書いたのが朝倉さん?」


「そうです」


神谷先輩はうなずいた。


「『銀河鉄道の夜』の紹介カードでした」


ぼくは、机の上の本を思い浮かべた。


『銀河鉄道の夜』。

メモが挟まっていた本。

最後に借りた朝倉澪さん。

なくなった紹介カード。


つながってきた。


「そのカードは、見つかったんですか」


ぼくが聞くと、神谷先輩は首を横に振った。


「まだです」


「朝倉さんは、その時どうしていましたか」


神谷先輩は、少し言いにくそうにした。


「泣きそうでした」


「泣きそう?」


「はい。でも、泣いてはいませんでした。『大丈夫です。探します』って言って、ずっと棚の間を探していました」


ひより先輩の表情が曇る。


「それで、この本を借りた?」


「はい。閉館ぎりぎりに、『この本、もう一度読みたいので借ります』って」


「そのあと本が行方不明になった」


神谷先輩はうなずく。


「貸出処理はしたのに、帰る時には本が見当たりませんでした。朝倉さんが持って帰ったと思っていたんです。でも今日、返却棚に戻っていて」


そして、朝倉さんは欠席。


本には、二枚のメモ。


助けてください。

助けないでください。


「佐伯先生」


ひより先輩が言った。


「朝倉さん本人に確認する必要があります」


「はい。ただし、今日は欠席しています。体調不良ということなので、いきなり生徒から連絡させるのは避けます。担任から保護者へ、必要な範囲で確認します」


担任の先生もうなずいた。


「私から連絡します」


そこで話は一度区切られた。


けれど、ぼくの中にはまだ引っかかりが残っていた。


「なくなった読書紹介カードは、どんな内容だったんですか」


ぼくが神谷先輩に聞くと、彼は少し考えた。


「正確には覚えていません。でも、すごく評判がよかったです。『本当の幸せは、誰かに褒められることではなく、自分が何を選ぶかで決まる』みたいな文章があって」


本当の幸せ。

自分が何を選ぶか。


それは、メモが挟まっていたページの線とつながっている気がした。


「そのカードの写真はありますか」


「展示記録用に撮った写真なら、図書委員の共有フォルダにあると思います」


「確認できますか」


神谷先輩は、佐伯先生を見る。


佐伯先生がうなずいた。


「先生立ち会いで確認しましょう」


図書室へ向かうことになった。


夕方の図書室は、静かだった。


文化祭中は古本市の会場になっていたらしく、入口にはまだ片づけ途中の段ボールが積まれている。

机の上には、読書紹介カードを貼っていたボードが立てかけられていた。


その一角だけ、カードが抜けている。


『銀河鉄道の夜』の場所。


神谷先輩が図書室のパソコンを開き、共有フォルダから展示記録の写真を探す。

佐伯先生が隣で確認する。


「ありました」


画面に、文化祭中の展示写真が表示された。


読書紹介カードが並ぶボード。

その中に、『銀河鉄道の夜』のカードがある。


神谷先輩が拡大した。


カードには、丁寧な文字で文章が書かれていた。


長い文章ではない。

でも、目を引く力がある。


内容は、物語の紹介というより、読む人自身へ問いかけるようなものだった。


誰かに正しいと言われる道ではなく、自分が本当に選びたい道を探すこと。

遠くへ行きたいと思う気持ち。

でも、残していく人を思う気持ち。

その間で揺れること。


ぼくは、その文章を読んで、胸の奥が少しざわついた。


うまい。

確かに、これは人の目を引く。


でも同時に、書いた本人の気持ちが入りすぎているようにも見えた。


ひより先輩が、小さく言った。


「これ、紹介文というより、手紙みたい」


「はい」


「誰かに向けてる気がする」


佐伯先生も、画面をじっと見ていた。


「朝倉さんが誰かに助けを求めていた可能性もありますね」


神谷先輩は、不安そうに言った。


「でも、助けないでくださいってメモもあります」


「そこが問題です」


ぼくは、メモの二枚を思い出す。


助けてください。

助けないでください。


もし一枚目が朝倉澪さんの本音なら、二枚目は誰のものなのか。


本人が書いたのか。

誰かが書いたのか。


「神谷先輩」


ぼくは聞いた。


「この紹介カードがなくなった時、誰かが朝倉さんを責めましたか」


神谷先輩は、はっとした顔をした。


「責めた、というか……」


「誰が何を言ったか、覚えている範囲で」


神谷先輩は目を伏せた。


「図書委員長の白井先輩が、『一番大事なカードをなくすなんて、最後まで管理してよ』って」


「白井先輩?」


「三年の白井悠花先輩です。図書委員長で、今回の企画責任者です」


ひより先輩が、少しだけ眉を寄せる。


「白井悠花……」


「知っていますか」


「生徒会に図書委員会の報告で来る人。かなりしっかりしてる」


かなりしっかりしている人。


それは、時々危うい。


片桐玲奈先輩の時もそうだった。

責任感が強い人ほど、誰かの弱さを許せなくなることがある。


「白井先輩は、朝倉さんに厳しかったんですか」


神谷先輩は迷った。


「厳しいというか、期待していたんだと思います。朝倉さんの文章をすごく褒めていて、展示の中心にしたいって」


「頼っていた」


「はい」


「頼って、最後に責めた」


神谷先輩は何も言えなかった。


その時、図書室の入口から声がした。


「神谷くん」


落ち着いた女子生徒の声だった。


振り返ると、そこには三年生らしい女子生徒が立っていた。


黒髪をきれいにまとめている。

図書委員の腕章。

手にはファイル。

姿勢がよく、表情は落ち着いている。


白井悠花。


おそらく、この人だ。


彼女は、ぼくたちと佐伯先生を見て、少しだけ目を細めた。


「先生まで、どうされたんですか」


佐伯先生が答える。


「白井さん。少し確認したいことがあります。『銀河鉄道の夜』の紹介カードと、朝倉澪さんについてです」


白井先輩の表情はほとんど変わらなかった。


けれど、ファイルを持つ指に少しだけ力が入ったのを、ぼくは見た。


「朝倉さんは、今日欠席しています」


白井先輩は言った。


「体調不良だと聞きました」


「そのことも含めて確認しています」


佐伯先生は、二枚のメモについて簡単に説明した。

ただし、文面は必要な範囲だけ。

過度に晒さないように。


白井先輩は黙って聞いていた。


そして、静かに言った。


「朝倉さんらしいですね」


その言葉に、ひより先輩の目が変わった。


「どういう意味ですか」


白井先輩は、少しだけ困ったように笑った。


「助けてほしい。でも、助けられたくない。あの子は、そういうところがあります」


「白井先輩は、朝倉さんのことをよく知っているんですか」


ぼくが聞くと、白井先輩はぼくを見た。


「図書委員企画を一緒にやりましたから」


「朝倉さんは正式な図書委員ではないと聞きました」


「ええ。でも、誰よりも本を読んでいました。文章も上手でした。だからお願いしました」


「かなり多くの仕事を?」


「本人が引き受けました」


その答えは、正しいようで少し冷たい。


本人が引き受けた。

そう言えば、頼みすぎた側の責任は薄くなる。


「紹介カードがなくなった時、白井先輩は朝倉さんに何と言いましたか」


ぼくが聞くと、白井先輩の表情が少し硬くなった。


「責めたつもりはありません」


「何と言ったかを聞いています」


白井先輩は、しばらく黙った。


佐伯先生が静かに言う。


「白井さん。確認のためです」


白井先輩は、小さく息を吐いた。


「一番大事なカードだから、最後まで管理してほしかった、と言いました」


「朝倉さんは?」


「大丈夫です。探します、と」


「そのあと?」


「閉館まで探していました」


「白井先輩は一緒に探しましたか」


白井先輩は、また黙った。


その沈黙で、答えはわかった。


「私は、片づけと集計がありました」


「つまり、探していない」


ひより先輩の声は、少しだけ厳しかった。


白井先輩の目が、ひより先輩へ向く。


「一ノ瀬さん。私は企画責任者です。全体を見なければいけません。一枚のカードだけに時間をかけるわけにはいきませんでした」


「でも、その一枚を書いたのは朝倉さんです」


「もちろん、わかっています」


「本当に?」


ひより先輩の声が低くなる。


白井先輩の表情が、初めてはっきり揺れた。


「どういう意味ですか」


「朝倉さんは、文章が上手だから頼まれた。展示の中心にされた。人気投票で一番になった。でも、そのカードがなくなった時は、本人だけが探していた」


ひより先輩は、静かに続けた。


「それは、助けてほしいって思ってもおかしくない状況だと思います」


図書室が静まり返った。


白井先輩は、しばらく何も言わなかった。


その沈黙は、怒りにも見えたし、動揺にも見えた。


やがて、彼女は言った。


「朝倉さんは、そんな弱い子ではありません」


その一言に、ぼくは強い違和感を覚えた。


弱い子ではない。


それは、信頼の言葉に見える。

でも時々、人を追い詰める言葉にもなる。


弱くないから大丈夫。

できる子だから任せてもいい。

優秀だから、少しくらい負担をかけても平気。


「弱いかどうかではありません」


ぼくは言った。


「助けてほしいと思うことと、弱いことは同じではありません」


白井先輩がぼくを見る。


「高槻くんでしたね」


「はい」


「あなたたちは、朝倉さん本人に確認したんですか」


「まだです」


「なら、決めつけない方がいいと思います」


その言葉は正しい。


そして、正しいからこそ、少し痛い。


「はい。決めつけません」


ぼくは答えた。


「だから確認しています」


白井先輩は、口を閉じた。


その時、図書室の奥で何かが落ちる音がした。


全員が振り返る。


書架の間。

古い文学全集の棚のあたり。


神谷先輩が小さく言った。


「誰かいる?」


返事はない。


ぼくとひより先輩は、書架の方へ向かった。


棚の下に、紙が一枚落ちていた。


読書紹介カードだった。


『銀河鉄道の夜』。


なくなっていたはずのカード。


でも、それは元のままではなかった。


カードの右下が破れている。

そして、文章の一部が黒いペンで塗りつぶされていた。


塗りつぶされていたのは、最後の一文。


ぼくは写真に残っていた元の文章を思い出す。


誰かに正しいと言われる道ではなく、自分が本当に選びたい道を探すこと。


その部分が、真っ黒に消されている。


カードの裏には、新しい文字が書かれていた。


選ばなければ、誰も傷つかない。


ひより先輩が、息を止めた。


佐伯先生がすぐにカードを確認する。


白井先輩の顔色が変わっていた。


神谷先輩は、呆然とつぶやく。


「これ……朝倉さんの字じゃない」


ぼくは神谷先輩を見る。


「わかるんですか」


「はい。展示カードは何度も見ました。朝倉さんの字はもっと細いです。これは……」


神谷先輩は、途中で言葉を止めた。


その視線が、白井先輩の手元へ向く。


白井先輩のファイル。

その表紙に貼られたラベルの文字。


そこに書かれている筆跡は、カード裏の文字とよく似ていた。


選ばなければ、誰も傷つかない。


白井先輩は、何も言わなかった。


ただ、ファイルを抱える手に、強く力を込めていた。



第21話まで読んでくださり、ありがとうございます。

今回は、『銀河鉄道の夜』に挟まれていた二枚のメモから、最後の貸出者・朝倉澪へ近づいていきました。


朝倉澪は正式な図書委員ではないものの、図書委員企画で読書紹介カードを多く任され、その中でも『銀河鉄道の夜』の紹介カードが人気を集めていました。

しかし、そのカードが文化祭後に紛失し、朝倉は今日欠席しています。


そして、見つかった紹介カードの裏には新たな一文。


選ばなければ、誰も傷つかない。


次回は、図書委員長・白井悠花と朝倉澪の関係、そして「助けて」と「助けないで」の本当の意味に迫っていきます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ