第19話 写真から消えた一年生
合唱部の相談が一段落した放課後相談室。
文化祭の終わり際、見知らぬ一年生の男子生徒がスマホを手に訪れる。
写真から、僕だけ消えてるんです。
新しい相談は、文化祭の写真にまつわる奇妙な謎だった。
「写真から、僕だけ消えてるんです」
その一年生は、震える声でそう言った。
文化祭が終わりかけた夕方。
校舎の外では、片づけの声が響いている。
模擬店の看板を外す音。
段ボールをたたむ音。
誰かが「打ち上げ行こうぜ」と笑う声。
その明るさとは反対に、旧進路指導室の空気は静かだった。
放課後相談室。
まだ正式には再開準備中のはずのこの部屋に、また新しい相談が届いた。
目の前に立っている男子生徒は、制服の袖を強く握っていた。
背は高くない。
髪は少し寝ぐせが残っていて、眼鏡の奥の目は不安で揺れている。
手にはスマホ。
画面には、文化祭の写真が表示されていた。
「落ち着いて。まず、名前を聞いてもいい?」
一ノ瀬ひより先輩が言った。
声はやわらかい。
でも、前より少し慎重だ。
この部屋は、もう何でも軽く受け止める場所ではない。
誰かの不安を預かるなら、最初の一言から丁寧に扱わなければならない。
男子生徒は、小さくうなずいた。
「一年二組の、瀬戸陽太です」
「瀬戸くんね。私は一ノ瀬ひより。こっちは高槻湊くん」
「生徒会書記の高槻です」
ぼくがそう言うと、瀬戸陽太くんは少しだけ頭を下げた。
けれど、その視線はすぐにスマホへ戻る。
怖くて見たくない。
でも、目を離せない。
そんな顔だった。
「ここで話す内容は、勝手に外へ出さない」
ひより先輩は、まずいつもの説明をした。
「ただし、誰かの安全や大きな問題に関わる時は、先生に相談することがある。その時も、できるだけ説明してから進める。話したくないことは、今すぐ話さなくていい」
瀬戸くんは、その説明を聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。
「……はい」
「それで、写真から消えてるって、どういうこと?」
瀬戸くんは、スマホを机の上に置いた。
写真には、教室展示の前で笑う一年二組の生徒たちが写っていた。
教室の入り口には、手作りの看板がある。
一年二組 星ヶ丘ミニ水族館
青いビニールテープで波の模様を作り、紙で作った魚が壁に貼られている。
生徒たちは、その前で楽しそうにピースをしている。
文化祭らしい写真だった。
「これが、どうかしたの?」
ひより先輩が聞く。
瀬戸くんは、画面の中央付近を指さした。
「ここに、僕がいたんです」
写真の中央。
男子生徒二人の間。
少しだけ空間が空いている。
確かに、人一人分くらいの隙間があった。
でも、そこには誰もいない。
ただ、背景の青い波模様が見えているだけだ。
「撮った時は、この場所にいたんですね」
ぼくが確認すると、瀬戸くんはすぐにうなずいた。
「いました。クラスのみんなで写真撮ろうってなって、僕も入って。隣は浅野くんと、森田さんでした」
「写真を撮った人は?」
「担任の先生です。先生のスマホで撮って、あとでクラス共有アルバムに上げてくれました」
「これは、その共有アルバムから保存したもの?」
「はい」
ぼくは画面を見た。
写真の画質は普通だ。
加工されたような強い違和感は、ぱっと見ただけではわからない。
ただ、瀬戸くんが指さした場所だけ、妙に空いている。
「もともと写っていなかった可能性は?」
ぼくが聞くと、瀬戸くんは顔を強張らせた。
「写ってました」
「確認したんですか」
「撮った直後に、担任の先生のスマホで見ました。その時は、ちゃんと写ってました」
「それが共有アルバムに上がった写真では消えていた」
「はい」
ひより先輩が、少しだけ眉を寄せた。
「消えてる写真は、この一枚だけ?」
瀬戸くんは、スマホを操作した。
「最初はこの一枚だけだと思いました。でも、他にもあって」
画面が切り替わる。
二枚目は、教室内の展示風景だった。
紙で作った水槽の前で、数人が説明している。
そこにも、妙な隙間がある。
三枚目。
受付係の集合写真。
机の端に、誰も座っていない椅子がある。
四枚目。
片づけ前のクラス集合写真。
一番後ろの列、男子生徒二人の間に不自然な空白。
瀬戸くんは、震える指で画面を止めた。
「ここにも、僕がいました」
写真から消えた。
それは、比喩ではなかった。
少なくとも瀬戸くんにとっては、自分がいた場所だけが切り取られたように見えている。
「クラスの人には聞いた?」
ひより先輩が言った。
瀬戸くんは、すぐに首を横に振った。
「聞けません」
「どうして?」
「変なやつだと思われるから」
その声は小さかった。
でも、重かった。
「写真に写ってないだけで騒ぐなって言われるかもしれないし。もともと入ってなかったんじゃないのって言われるかもしれないし」
瀬戸くんは、スマホを握りしめた。
「それに……」
「それに?」
ひより先輩が促す。
瀬戸くんは、少しだけ唇を噛んだ。
「たぶん、みんな気づいてないんです」
その言葉で、部屋の空気が少し変わった。
「気づいてない?」
「はい。クラスのグループでは、みんな普通に写真いいねとか、楽しかったねとか言ってて。誰も、僕がいないことに触れてません」
瀬戸くんの声が、少し震えた。
「僕が消えてても、誰も気づいてないんです」
その一文が、胸に刺さった。
写真から消えていることよりも。
もしかすると、彼にとってはそちらの方が怖いのかもしれない。
自分がいない写真を見て、誰も違和感を持たない。
自分がいたはずの場所に空白があっても、誰も名前を呼ばない。
存在が消えるというのは、写真の中だけの話ではない。
「瀬戸くん」
ひより先輩が静かに言った。
「まず一つ、言っておくね」
「はい」
「あなたが怖いと思ったことは、変じゃない」
瀬戸くんの目が揺れた。
「写真から自分だけ消えていて、誰も気づいていないように見えたら、怖いよ。寂しいし、腹も立つし、自分が本当にそこにいたのかわからなくなると思う」
瀬戸くんは、何も言わなかった。
でも、眼鏡の奥で目が少し赤くなった。
「だから、ちゃんと確認しよう」
ひより先輩は、スマホの画面を見た。
「ただし、決めつけない。誰かが悪意で消したのか、アルバムに上げる時に加工されたのか、撮影データが違うのか。順番に見る」
「はい」
瀬戸くんは、少しだけ呼吸を整えた。
ぼくはメモ用紙を取り出した。
「確認したいことがあります」
「はい」
「まず、写真を撮ったのは担任の先生。元データは先生のスマホにある。共有アルバムに上がった画像では、瀬戸くんが写っていない」
「はい」
「撮影直後に先生のスマホで見た時には、写っていた」
「はい」
「消えていたのは、共有アルバムの複数枚。すべて一年二組の文化祭関係写真」
「そうです」
「他のクラスや全体写真では?」
瀬戸くんは少し考えた。
「まだ見てません」
「では、まず元データとの比較が必要です」
「担任の先生に聞くんですか?」
瀬戸くんの顔がこわばる。
「聞く必要はあります。ただ、いきなり瀬戸くんが一人で聞く必要はありません」
ぼくはひより先輩を見た。
「生徒会として文化祭記録の確認という形なら、先生に聞きやすいと思います」
「うん」
ひより先輩はうなずいた。
「私たちが一緒に行こう」
瀬戸くんは、ほっとしたような、それでも不安そうな顔をした。
「でも、もし先生のスマホでも消えてたら……」
「その時は、その時に考える」
ひより先輩は言った。
「今ここで、怖い想像を全部先に信じなくていい」
その言葉に、瀬戸くんは小さくうなずいた。
ぼくたちは、まず一年二組へ向かうことにした。
文化祭後の校舎は、まだ片づけの途中だった。
廊下には、はがされた装飾や、使い終わった看板、半分だけ空になった段ボールが置かれている。
一年二組の教室は、ミニ水族館の名残で青い紙だらけだった。
壁には魚。
窓にはクラゲ。
黒板には「来場ありがとうございました」と書かれている。
しかし、教室の中に入った瞬間、ぼくは少し違和感を覚えた。
瀬戸くんの姿が、この教室のどこにも残っていない。
もちろん、本人は隣にいる。
でも、掲示物や役割表、写真の印刷物を見ても、彼の名前が見当たらない。
たまたまかもしれない。
でも、気になった。
「瀬戸くん、文化祭での担当は何でしたか?」
ぼくが聞くと、瀬戸くんは黒板横の掲示を見た。
「受付と、展示説明です」
「役割表に名前がありますか?」
「あるはずです」
そう言って、瀬戸くんは教室の後ろに貼られた役割表へ向かった。
けれど、そこで足が止まった。
ぼくも表を見る。
受付担当。
展示説明担当。
装飾担当。
片づけ担当。
生徒の名前が並んでいる。
でも、受付にも展示説明にも、瀬戸陽太の名前はなかった。
代わりに、受付担当の欄には別の名前が増えている。
浅野拓海。
瀬戸くんが写真で隣にいたと言っていた男子生徒の名前だ。
「……昨日は、僕の名前がありました」
瀬戸くんの声が震えた。
「絶対にありました」
ひより先輩の表情が変わった。
写真だけではない。
役割表からも、名前が消えている。
「これは、誰かが書き換えた可能性がありますね」
ぼくが言うと、瀬戸くんはぎゅっと拳を握った。
「やっぱり、誰かが僕を消そうとしてるんですか」
「まだ断定はできません」
ぼくは言った。
「でも、写真だけの問題ではないことは確かです」
ひより先輩が、教室の中を見回した。
「担任の先生は?」
瀬戸くんは、廊下の方を見る。
「たぶん職員室です」
「まず先生に確認しよう」
その時、教室の入口に男子生徒が現れた。
「あれ、瀬戸?」
瀬戸くんがびくっとする。
入口に立っていたのは、明るい雰囲気の男子生徒だった。
少し茶色がかった髪。
腕には、文化祭の片づけで使ったガムテープをぶら下げている。
「浅野くん……」
瀬戸くんがつぶやく。
浅野拓海。
役割表で、瀬戸くんの代わりに名前が増えていた生徒。
浅野くんは、ぼくたちを見ると少し不思議そうな顔をした。
「生徒会の人? 何かあったんですか?」
ひより先輩が、自然な笑顔を作る。
「文化祭の記録確認。ちょっと一年二組の写真を見ていて」
「写真?」
その瞬間、浅野くんの表情がほんの少しだけ固まった。
本当に一瞬だった。
でも、ぼくは見逃さなかった。
瀬戸くんも気づいたのか、浅野くんを見つめている。
「浅野くん」
瀬戸くんが言った。
「クラス写真、見た?」
「見たよ」
「僕、写ってなかった」
瀬戸くんの声は震えていた。
でも、逃げなかった。
浅野くんは少し困ったように笑った。
「え、そうだっけ? たまたまじゃない?」
「一枚だけじゃない」
「でも、写真って角度とかあるしさ」
「役割表からも、名前が消えてた」
その言葉に、浅野くんの笑顔が止まった。
音が、少し消えたように感じた。
ひより先輩の目が細くなる。
「浅野くん。役割表を直したのは誰か知ってる?」
「知らないです」
答えが早かった。
まただ。
今回も、早すぎる否定が出た。
ぼくは、役割表をもう一度見た。
瀬戸陽太の名前が消えた場所。
代わりに浅野拓海の名前がある。
「浅野くん」
ぼくは言った。
「受付担当、もともと瀬戸くんと一緒だったんですか」
「そうです」
「今の表では、浅野くんの名前が受付に二回出ています」
「え?」
浅野くんが表を見る。
本当に知らなかったのか、顔に困惑が浮かんだ。
受付担当の一段目。
浅野拓海。
展示説明担当の一段目。
浅野拓海。
同じ名前が二か所にある。
しかも、筆跡が違う。
片方は印刷。
もう片方は、あとから黒いペンで書き足されたように見える。
「これ、僕が書いたんじゃないです」
浅野くんは言った。
「じゃあ、誰が?」
瀬戸くんが聞く。
浅野くんは、少しだけ目をそらした。
「知らないって」
その声には、さっきより余裕がなかった。
ひより先輩が一歩近づく。
「浅野くん。写真のこと、本当に何も知らない?」
「知らないです」
「瀬戸くんが写っていないことにも、気づかなかった?」
浅野くんは、黙った。
沈黙。
それは、とてもはっきりした答えだった。
「気づいてたんだ」
瀬戸くんの声が細くなる。
「浅野くん、気づいてたの?」
浅野くんは、顔をしかめた。
「気づいたけど、別に……」
「別に?」
「言いにくいだろ」
「何が」
瀬戸くんの声が少し大きくなる。
「僕が消えてるって、わかってたのに?」
「だから、そんな大げさに言うなよ」
浅野くんの声も少し強くなった。
「写真に写ってなかったくらいで」
「くらい?」
瀬戸くんの顔が歪んだ。
「僕、文化祭にちゃんといたよ。受付もしたし、説明もしたし、片づけもした。なのに、写真からも役割表からも消えてるんだよ」
「俺に言われても知らないって」
「でも、気づいてたのに黙ってた」
瀬戸くんの声が震えている。
怒りと、悲しさと、信じたかった相手に裏切られたような痛みが混ざっていた。
浅野くんは、唇を噛んだ。
「……悪かったよ」
「何に?」
瀬戸くんが聞く。
「気づいてたのに言わなかったこと?」
浅野くんは黙る。
「それとも、何か知ってること?」
教室の空気が重くなる。
ひより先輩が、間に入るように声を出した。
「二人とも、ここで決めつけるのはやめよう」
その声はやさしいが、しっかりしていた。
「浅野くん。知っていることがあるなら、話してほしい。瀬戸くんが怖がっているのは、写真そのものだけじゃない。自分が消えても、誰も気づかないことなんだと思う」
浅野くんの表情が少し変わった。
「……消えても、誰も」
「うん」
ひより先輩がうなずく。
「だから、気づいていたなら、そこは大事なこと」
浅野くんは、長く黙っていた。
廊下の向こうから、片づけの声が聞こえる。
文化祭は終わっているのに、この教室だけまだ終われていない。
やがて、浅野くんは小さく言った。
「写真を上げたのは、先生じゃない」
瀬戸くんが顔を上げる。
「え?」
「先生が撮った写真を、クラスの記録係がまとめてアルバムに上げた」
「記録係?」
「うちのクラスの文化祭記録係」
ぼくはメモを取る。
「名前は?」
浅野くんは少し迷ってから答えた。
「森田紗季」
瀬戸くんが、はっとする。
「森田さん……」
写真で瀬戸くんの隣にいたと言っていた女子生徒だ。
ぼくは尋ねる。
「森田さんが、先生のスマホから写真を受け取って、共有アルバムに上げたんですね」
「たぶん。先生が忙しかったから、森田がやるって」
「浅野くんは、森田さんが写真を編集しているところを見た?」
浅野くんは、すぐには答えなかった。
その沈黙で、また何かが見えた。
「見たんですね」
ぼくが言うと、浅野くんは目をそらした。
「消してるところまでは見てない。ただ、パソコンで写真を整理してたのは見た」
「役割表は?」
「それも、森田が文化祭後に清書するって言ってた」
瀬戸くんの手が震える。
「森田さんが、僕を消したの?」
浅野くんは、苦しそうな顔をした。
「知らない。でも……」
「でも?」
「瀬戸、最近森田と何かあった?」
瀬戸くんは、目を見開いた。
「何もないよ」
「本当に?」
「何もない」
その言い方は、少しだけ強すぎた。
ぼくとひより先輩は、同時に瀬戸くんを見る。
瀬戸くんは気づいて、視線を落とした。
「……たぶん」
「たぶん?」
ひより先輩が聞く。
瀬戸くんは、しばらく黙っていた。
そして、小さく言った。
「展示説明の時、僕が森田さんの説明を途中で止めました」
「どうして?」
「間違えてたから」
浅野くんが、気まずそうに顔をしかめた。
「それ、みんなの前で言ったやつ?」
瀬戸くんは、うなずいた。
「森田さんが、クラゲの説明を間違えてて。来場者の前だったけど、違うって言いました。僕は、展示の内容が間違っていたらよくないと思って」
「言い方は?」
ひより先輩が聞く。
瀬戸くんは、黙った。
浅野くんが代わりに答えた。
「結構、きつかった」
「浅野くん」
「いや、言わなきゃわからないだろ」
浅野くんは、少し苛立ったように言った。
「瀬戸は間違ったことは言ってない。でも、来場者の前で『その説明、違うよ。ちゃんと資料読んだ?』って言ったんだよ。森田、固まってた」
瀬戸くんの顔が赤くなる。
「でも、本当に違ってたから」
「それはそう。でも、言い方があるだろ」
「じゃあ、間違ったまま説明すればよかったの?」
「そうじゃなくて」
二人の声がぶつかる。
ひより先輩は、その間に静かに立った。
「瀬戸くん」
「はい」
「正しいことを言ったんだと思う」
瀬戸くんは少しだけ顔を上げた。
「でも、正しいことでも、人前で言われると傷つくことがある」
瀬戸くんの表情が固まる。
「森田さんが写真を消したかどうかは、まだわからない。でも、あなたと森田さんの間に、何か引っかかりがあったことは確認した方がいい」
「僕が悪いんですか」
その声には、傷ついた響きがあった。
「そうは言ってない」
ひより先輩は、すぐに答えた。
「写真から消されることと、説明を注意したことは別。もし森田さんが消したなら、それは森田さんがしてはいけないこと。でも、そこに至るまでの気持ちは、ちゃんと見た方がいい」
瀬戸くんは、何も言えなくなった。
ぼくは、役割表を見た。
写真から消えた瀬戸陽太。
役割表から消えた名前。
代わりに書かれた浅野拓海。
記録係の森田紗季。
そして、来場者の前での注意。
今回は、存在を消す謎だ。
でも、その根っこにあるのは、たぶん「見られ方」だ。
間違えたところを見られた森田さん。
写真から消されて、誰にも気づかれない瀬戸くん。
黙っていた浅野くん。
それぞれが、自分の立ち位置を気にしている。
その時、教室の外から女子生徒の声がした。
「浅野、まだ片づけ終わってないの?」
入口に立っていたのは、肩までの髪をきれいに結んだ女子生徒だった。
手にはノートパソコンのケース。
胸元には、文化祭記録係と書かれた小さな名札。
森田紗季。
瀬戸くんの顔が強張る。
森田さんは、ぼくたちを見て足を止めた。
「……何ですか」
その声は冷たかった。
ひより先輩が、一歩前に出る。
「生徒会の一ノ瀬です。少し確認したいことがあって」
森田さんは、すぐに状況を察したようだった。
視線が、役割表へ。
次に瀬戸くんへ。
そして、浅野くんへ動く。
「写真のことですか」
瀬戸くんの肩が震えた。
ひより先輩は、静かにうなずく。
「うん。瀬戸くんが写っていない写真について」
森田さんは、少しだけ笑った。
その笑顔は、楽しそうではなかった。
「やっと気づいたんだ」
瀬戸くんの顔が、はっきりと歪んだ。
「森田さんが、やったの?」
森田さんは、すぐには答えなかった。
代わりに、ノートパソコンのケースを机に置いた。
「消したわけじゃないよ」
「じゃあ、何?」
瀬戸くんの声が震える。
森田さんは、まっすぐ彼を見た。
「写ってない写真を選んだだけ」
教室の空気が冷たくなった。
「先生のスマホには、瀬戸くんが写ってる写真もあります。でも、共有アルバムに上げる時に、写ってないものを選びました」
「どうして」
瀬戸くんが言う。
「どうしてそんなことするの」
森田さんの目に、怒りが浮かんだ。
「瀬戸くんは、私のことをみんなの前で消したから」
その言葉に、瀬戸くんは息を止めた。
「私、展示説明の係でした。ちゃんと練習もしました。でも、来場者の前で間違えて、瀬戸くんに止められて。『ちゃんと資料読んだ?』って言われた」
森田さんの声が震えている。
「その瞬間、私、説明係じゃなくなったんだよ」
「そんなつもりじゃ」
「ないんでしょ」
森田さんは、言葉をかぶせた。
「正しいことを言っただけ。間違いを直しただけ。展示のため。クラスのため。そうでしょ」
瀬戸くんは、何も言えない。
「でも、そのあと、誰も私に説明を任せなくなった。浅野が代わりに話して、瀬戸くんが資料を見て、私は横に立ってるだけ」
森田さんは、拳を握った。
「写真には写ってた。でも、そこにいた気がしなかった」
ぼくは、胸の奥が少し痛くなった。
瀬戸くんは、自分だけ写真から消えたと言った。
でも、森田さんはその前に、役割から消されたと感じていた。
もちろん、それで写真を選んで瀬戸くんを消していいわけではない。
でも、気持ちの形は見えてきた。
「だから、僕を消したの?」
瀬戸くんの声は小さかった。
「消される側の気持ち、少しはわかった?」
森田さんの声も震えていた。
その言葉は、刃だった。
でも、振るっている本人の手も傷ついているように見えた。
ひより先輩が、静かに言った。
「森田さん」
森田さんは、ひより先輩を見る。
「やったことは、ちゃんと確認しよう。写真を選んだのは森田さん。役割表を書き換えたのも?」
森田さんは、少しだけ目を伏せた。
「はい」
「浅野くんの名前を代わりに書いた」
「はい」
「瀬戸くんが文化祭に関わっていなかったように見える形にした」
森田さんの顔が歪む。
「……はい」
「それは、してはいけないことだよ」
森田さんは唇を噛んだ。
「わかってます」
「瀬戸くんがあなたを傷つけたことと、あなたが瀬戸くんを消していいことは別」
その言葉に、森田さんの目に涙が浮かんだ。
「わかってます!」
声が大きくなった。
「わかってるけど、悔しかったんです。私が間違えたのが悪いって、みんなそう思ってるのもわかってる。でも、あんな言い方しなくてもよかったじゃないですか」
瀬戸くんは、うつむいた。
「ごめん」
小さな声だった。
森田さんの表情が止まる。
「僕、間違いを直せばいいと思ってた。森田さんがどう見られるかまで考えてなかった」
瀬戸くんの声は震えている。
「でも、僕を写真から消したのは、嫌だった」
森田さんは、涙をこらえるように目を伏せた。
「ごめん」
短い言葉だった。
でも、簡単に全部が戻るわけではない。
その時、浅野くんが気まずそうに手を上げた。
「俺も、ごめん」
瀬戸くんと森田さんが、同時に浅野くんを見る。
「俺、写真見た時に気づいた。瀬戸がいないって。でも、森田がやったんだろうなって思って、面倒だから黙ってた」
「浅野くん……」
瀬戸くんがつぶやく。
「役割表も、変だと思った。でも、文化祭終わったし、もういいかなって」
浅野くんは、照れ隠しのように笑おうとして、失敗した。
「よくなかったな」
それは、軽い言い方だった。
でも、彼なりの謝罪だったのかもしれない。
ひより先輩は、三人を見た。
「この件は、担任の先生に話そう」
森田さんが、びくっとする。
「先生に?」
「うん。写真の共有アルバムと役割表は、クラスの記録だから。勝手に直して終わりにはできない」
「怒られますよね」
「たぶん」
ひより先輩は、ごまかさなかった。
「でも、怒られるためだけじゃない。元の写真も確認して、瀬戸くんがちゃんといた記録を戻す。森田さんが説明係として頑張ったことも、ちゃんと残す。そのために先生に話す」
森田さんは、涙をぬぐった。
「……はい」
瀬戸くんも、小さくうなずいた。
「僕も、先生に話します。森田さんへの言い方が悪かったこと」
浅野くんが言った。
「俺も、黙ってたこと話す」
「珍しくちゃんとしてる」
森田さんが小さく言う。
「珍しくは余計だろ」
そのやりとりに、少しだけ空気がゆるんだ。
完全に仲直りしたわけではない。
でも、さっきまでの冷たさは少し薄くなった。
その時、森田さんがノートパソコンを開いた。
「元の写真、あります」
画面には、先生のスマホから受け取った写真データが保存されていた。
森田さんは、一枚を開く。
そこには、ちゃんと瀬戸陽太くんが写っていた。
浅野くんと森田さんの間で、少し緊張した顔をして立っている。
ピースはしていない。
でも、確かにそこにいる。
瀬戸くんは、その写真を見て、長く息を吐いた。
「いた」
その声が、妙に幼く聞こえた。
「僕、ちゃんといた」
森田さんは、画面を見つめたまま言った。
「うん」
「消えてなかった」
「うん」
「……よかった」
その一言で、森田さんの目から涙が落ちた。
「ごめん」
もう一度、彼女は言った。
瀬戸くんは、すぐには答えなかった。
少し考えてから言った。
「今は、まだちょっと怒ってる」
「うん」
「でも、写真を戻してくれるなら、いい」
「戻す」
森田さんは、しっかりとうなずいた。
「全部、戻す」
その日のうちに、担任の先生へ話すことになった。
先生は驚き、森田さんを厳しく注意した。
同時に、写真の共有を任せきりにしたこと、役割表の更新を確認していなかったことを反省していた。
元の写真は共有アルバムへ再投稿された。
役割表も、瀬戸くんの名前を戻した状態で保存し直された。
そして、担任の先生はクラスのグループに短い文章を投稿した。
文化祭記録写真の一部に、掲載ミスがありました。
修正した写真を再投稿します。
役割表も最新版に差し替えました。
文化祭に関わった全員の取り組みを、正しく記録します。
森田さんの名前も、瀬戸くんの名前も、そこには出ていなかった。
必要以上に晒さない。
でも、記録は正す。
それは、今のぼくたちには一番いい形に見えた。
放課後相談室へ戻る頃には、外はもう暗くなり始めていた。
文化祭の片づけはほとんど終わり、校舎は少し寂しい顔をしている。
旧進路指導室の机に、ぼくは今日の記録を書いた。
一年二組。
文化祭写真。
共有アルバム。
役割表。
写真から消えたように感じた生徒。
人前で役割を失ったように感じた生徒。
記録の修正済み。
最後に、一文を加える。
人は、写真に写っているだけでは足りない。
そこにいたことを、誰かに覚えてもらって初めて安心できる。
ひより先輩がのぞき込んだ。
「また詩みたい」
「消しますか」
「消さない」
いつもの返事だった。
ひより先輩は、椅子に座って大きく伸びをした。
「文化祭、終わったね」
「はい」
「でも、相談は終わりませんね」
「終わりませんね」
ぼくは窓の外を見る。
暗くなった校庭に、片づけ忘れられた青い紙の魚が一枚、風で揺れていた。
誰かが作ったもの。
誰かが貼ったもの。
誰かが片づけ忘れたもの。
小さなものでも、そこにあったことには意味がある。
「書記くん」
ひより先輩が言った。
「はい」
「放課後相談室、正式に再開しようか」
「まだ準備中でしたね」
「うん。でも、もう準備中って言い張るの、無理がある気がしてきた」
「確かに、相談を三件ほど受けています」
「実績十分」
「運用ルールも必要です」
「作ろう」
ひより先輩は、机の上の紙を一枚取った。
そして、大きく書いた。
放課後相談室 再開届
ぼくは思わず笑った。
「また届ですか」
「今度はいい届」
ひより先輩は、少し得意そうに言った。
「失恋届でも、閉鎖届でも、退部届でもない。再開届」
「誰に出すんですか」
「まずは、私たちに」
その答えは、少しだけ照れくさい。
でも、悪くなかった。
ひより先輩は、紙の下に自分の名前を書いた。
一ノ瀬ひより。
そして、ペンをぼくへ渡す。
「書記くんも」
「相談員ではなく、書記ですが」
「細かい」
「必要なので」
「はいはい」
ぼくは少し迷ったあと、名前を書いた。
高槻湊。
その二つの名前が並んだ紙を見て、ひより先輩は満足そうにうなずいた。
「よし。再開」
旧進路指導室の外では、文化祭後の静かな校舎が広がっている。
明日からは、また普通の学校が戻ってくる。
授業。
部活。
小テスト。
昼休み。
放課後。
そして、その隙間に、誰にも言えない小さな謎や悩みが生まれる。
写真から消えたこと。
歌えなくなったこと。
告白を勝手に決められそうになったこと。
それらは、誰かにとっては小さなことに見えるかもしれない。
でも、本人にとっては十分に大きい。
放課後相談室は、たぶんそのためにある。
ひより先輩が、再開届を机の真ん中に置いた。
「明日、先生に出そう」
「正式な書式ではありませんけど」
「そこは書記くんが整えて」
「結局、仕事ですね」
「頼りにしてる」
先輩は笑った。
その笑顔は、文化祭前より少しだけ大人びて見えた。
たくさん傷ついて、たくさん間違えて、それでも続けると決めた人の顔だった。
ぼくは、再開届の文字を見た。
今度の紙には、誰かを消す言葉ではなく、誰かの声を待つ言葉が書かれている。
それだけで、少し救われる気がした。
第19話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、文化祭写真から自分だけが消えているという相談を扱いました。
写真を加工して消したのではなく、瀬戸陽太が写っていない写真だけを選び、役割表からも名前を消していたのは、クラスの記録係・森田紗季でした。
その背景には、瀬戸が来場者の前で森田の説明を強く訂正し、森田が自分の役割を失ったように感じた出来事がありました。
今回のテーマは「そこにいたことを、ちゃんと残すこと」。
そして、放課後相談室はいよいよ正式再開へ向かいます。




