第13話 再開届
公開告白のステージは止まった。
けれど、事件が終わったあとにも、説明しなければならないこと、謝らなければならないこと、変えなければならないことが残っている。
恋愛相談室は、もう一度始められるのか。
事件が終わったあと、体育館は思ったより静かだった。
もっと騒ぎになると思っていた。
誰かが怒鳴って、誰かが泣いて、先生たちが走り回って、文化祭そのものが中止になるくらいの大事になるのではないかと、ぼくは少しだけ覚悟していた。
でも、実際には違った。
ざわめきはあった。
不安そうな声もあった。
何が起きたのか知りたがる生徒も、もちろんいた。
けれど、体育館の空気はどこか慎重だった。
たぶん、みんなもわかっていたのだと思う。
これは、面白がっていい話ではないと。
白石すずさんが主電源のケーブルを握ったまま震えていたこと。
藤原海斗くんが、その隣で何も言わずに立っていたこと。
倉橋怜が泣き崩れたこと。
宮野千紗先輩が、マイクを持ったまま動けなくなっていたこと。
そういうものを見てしまったあとでは、軽い噂話にするには、少しだけ重すぎた。
先生たちが来てからは、すべてが急に現実の手続きになった。
関係者は別室へ移動。
体育館の使用を一時停止。
音響機材の確認。
校内連絡グループの投稿履歴確認。
文化祭実行委員と生徒会の共有アカウントの一時停止。
関係する生徒への聞き取り。
そして、何より大事なこと。
これ以上、誰かの名前や相談内容を広げないこと。
先生は体育館にいた生徒たちへ、はっきりと言った。
「今日ここで見聞きしたことを、面白半分で広めないように。誰かの名前を勝手に出したり、憶測で話したりしないこと。それも、人を傷つける行為です」
その言葉が、どれだけ届いたかはわからない。
人の口を完全に止めることはできない。
噂は、閉めたドアの隙間からでも出ていく。
でも、少なくともその場にいた何人かは、顔を引き締めてうなずいていた。
それだけでも、何も言わないよりはずっといい。
その日の放課後は、文化祭準備どころではなくなった。
ぼくたちは、生徒指導室の隣にある小さな会議室で、それぞれ事情を説明した。
宮野千紗先輩は、自分がしたことを認めた。
失恋届を作ったこと。
閉鎖届を作ったこと。
青柳先輩のアカウントを使って告知画像を投稿したこと。
ひより先輩を責める音源を作ったこと。
白石さんと藤原くん、相原さん、倉橋怜を匿名メッセージで動かそうとしたこと。
声は震えていた。
でも、逃げなかった。
倉橋怜も、最後の動画を仕込んだことを認めた。
水瀬灯里さんの名前を、全員に見せようとしたこと。
相原さんへ「裏切り者」と送ったこと。
公開告白企画を利用したこと。
彼は何度も謝った。
けれど、白石さんは「今は受け取るだけにします」と言った。
それは、正しいと思った。
謝ったから終わり、ではない。
傷つけられた側が、すぐに許す必要はない。
宮野先輩と倉橋怜は、それぞれ先生と保護者を交えて、改めて話し合うことになった。
文化祭実行委員としての役割も、一時的に外されることになった。
文化祭は中止にならなかった。
でも、後夜祭の公開告白企画は正式に取り下げられた。
その代わりに、後夜祭のステージには、軽音部とダンス部の発表時間が追加されたらしい。
恋の答えを出す場所ではなく、ただ楽しむ場所に戻ったのだと思うと、少しだけ安心した。
それから三日間、恋愛相談室は閉まっていた。
旧進路指導室のドアには、ひより先輩が書いた紙が貼られていた。
相談室は一時休止中です。
再開まで少しだけ待ってください。
少しだけ。
その言葉を見た時、ぼくは思った。
ひより先輩は、まだ続けるつもりなのだと。
事件の翌日も、その次の日も、先輩はいつも通り学校へ来た。
廊下で誰かに話しかけられれば笑っていたし、生徒会室でも仕事をしていた。
でも、ふとした瞬間に、表情が抜け落ちることがあった。
コピー機の右上のかすれを見る時。
青い付箋の束を見る時。
体育館の方からマイクテストの音が聞こえた時。
そのたびに、先輩の中で何かが少しだけ痛んでいるのがわかった。
ぼくは、それを見ないふりしないようにした。
「書記くん、そんなに見られると、先輩照れるんだけど」
生徒会室で資料を整理していると、ひより先輩が言った。
「見てません」
「見てた」
「確認してました」
「何を?」
「先輩が、大丈夫じゃないのに大丈夫って言ってないかどうかです」
ひより先輩は、少しだけ目を丸くした。
それから、困ったように笑った。
「書記くん、最近ちょっと強くなったね」
「事件のせいです」
「それは責任重大だ」
先輩はそう言って、机の上に新しい書類を置いた。
表紙には、こう書かれていた。
旧進路指導室相談企画 再開案
ぼくはその文字を見て、少しだけ背筋を伸ばした。
「作ったんですか」
「作った。三枝にも見てもらったし、青柳と黒崎くんにも意見をもらった」
「本気ですね」
「うん」
ひより先輩は、珍しくまじめな顔でうなずいた。
「本気」
ぼくは書類を開いた。
まず、相談室の名前が変わっていた。
旧名称、恋愛相談室。
新名称、放課後相談室。
「恋愛相談室じゃなくなるんですか」
「呼び名としては残るかもしれないけど、正式には変える」
「どうして」
「恋愛だけを特別扱いしないため。恋の悩みも、友達の悩みも、部活の悩みも、全部、その人にとっては大事だから」
次のページには、相談記録のルールが書かれていた。
相談者の名前は原則記録しない。
相談内容は要約のみ。
個人が特定される情報は書かない。
記録は紙ではなく、施錠できる保管箱で管理する。
電子データ化する場合は、先生管理のアカウントのみ使用。
生徒会共用アカウントには保存しない。
相談内容を先生へ共有する必要がある場合は、相談者本人に説明する。
緊急性がある場合を除き、本人の了承なく第三者へ伝えない。
ぼくは、思わず声を漏らした。
「ちゃんとしてますね」
「ちゃんとしないと、続けちゃだめだと思った」
ひより先輩は言った。
「今までの私は、気持ちばかり先にあった。守りたい、助けたい、聞いてあげたい。でも、それだけじゃ守れないってわかった」
「はい」
「鍵も、記録も、ルールも、説明もいる。誰かの秘密を預かるって、優しい言葉だけじゃ足りない」
その言葉は、事件のあとだからこそ重かった。
ぼくはページをめくる。
最後の方に、相談者へ最初に伝える説明文があった。
ここで話した内容は、原則として外へ出しません。
ただし、あなた自身や誰かの安全に関わる場合、先生へ相談することがあります。
その場合も、できるだけあなたに説明してから進めます。
話したくないことは、話さなくてかまいません。
今ここで答えを出す必要もありません。
ぼくは、その最後の一文で手を止めた。
今ここで答えを出す必要もありません。
白石さん。
藤原くん。
水瀬灯里さん。
倉橋蓮先輩。
相原さん。
宮野先輩。
倉橋怜。
たくさんの人の顔が浮かんだ。
答えを急がされた人。
答えを勝手に決められた人。
答えを出せないまま、責められた人。
この一文は、その全員に向けたもののように見えた。
「いいと思います」
ぼくは言った。
ひより先輩は、少しだけ息を吐いた。
「よかった」
「でも、一つ足したいです」
「何?」
「相談室側も、一人で抱え込まない」
先輩が、ぼくを見る。
「相談を受ける側も、悩んだら先生や他の担当者に相談する。もちろん、個人情報には気をつけて。でも、ひより先輩一人が全部背負う形にはしない」
ひより先輩は、しばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「書記くん、それは私への注意?」
「はい」
「即答」
「必要なので」
先輩は、降参するように両手を上げた。
「わかりました。入れます」
その時、生徒会室のドアがノックされた。
二回。
規則正しく。
ぼくとひより先輩は、思わず顔を見合わせた。
このノックのリズムを、ぼくたちは少しだけ覚えすぎている。
「どうぞ」
ひより先輩が言うと、ドアが開いた。
入ってきたのは、白石すずさんだった。
少し緊張した顔。
でも、前よりも目に力がある。
その後ろには、藤原海斗くんが立っていた。
二人は、並んではいない。
少し距離がある。
けれど、その距離は以前よりも自然だった。
「失礼します」
白石さんが言った。
「どうしたの?」
ひより先輩の声は、いつもより少し慎重だった。
白石さんは、手に持っていた紙袋を机に置いた。
中には、焼き菓子の小さな袋がいくつか入っていた。
「母が、お世話になったなら持っていきなさいって」
「そんな、気を使わなくていいのに」
「私も、持ってきたかったので」
白石さんは、少しだけ笑った。
その笑顔を見て、ぼくは胸の奥がゆるむのを感じた。
完全に元気になったわけではないと思う。
傷が消えたわけでもない。
でも、笑えた。
それだけで、少し救われる。
藤原くんが一歩前に出た。
「一ノ瀬先輩、高槻くん。ありがとうございました」
「私は、ちゃんと守れたわけじゃないよ」
ひより先輩が言った。
白石さんは、首を横に振った。
「でも、最後に止めてくれました。高槻くんも、答えなくていいって言ってくれました」
ぼくは少し照れくさくなって、視線を落とした。
「事実を言っただけです」
「それが助かりました」
白石さんは、静かに言った。
ひより先輩が、二人を見比べる。
「二人は、その……大丈夫?」
聞き方が少しぎこちなかった。
恋愛相談の達人と言われている先輩が、ここで言葉に迷っているのが、なんだかおかしかった。
白石さんと藤原くんも、少しだけ気まずそうにした。
でも、藤原くんが先に口を開いた。
「大丈夫かは、まだわかりません」
正直な答えだった。
「でも、ちゃんと話しました。みんなの前じゃなくて、二人で」
白石さんの頬が少し赤くなる。
「まだ、結論は出してません」
「うん」
ひより先輩はうなずいた。
「それでいいと思う」
「はい」
白石さんは、小さく息を吸った。
「今ここで答えを出さなくてもいいって、思えたので」
さっき書類で見た言葉と同じだった。
ひより先輩も、それに気づいたのだろう。
目元が少しだけやわらかくなった。
「それなら、相談室をやった意味が少しはあったかな」
「あります」
白石さんは、すぐに言った。
「私は、ここがなくならない方がいいと思います」
ひより先輩は、驚いたように白石さんを見た。
白石さんは、言葉を選びながら続けた。
「怖いこともありました。でも、最初にここへ来た時、話を聞いてもらえて少し楽になりました。今回みたいなことが起きないように変える必要はあると思います。でも、なくなったら、次に困った人が行く場所がなくなる気がします」
その言葉に、ひより先輩はしばらく何も言えなかった。
代わりに、ぼくが言った。
「再開案、今作ってます」
「本当ですか」
白石さんの顔が少し明るくなる。
「はい。ただ、前よりかなり面倒なルールが増えます」
「その方が安心です」
藤原くんが言った。
「秘密を守るための面倒なら、あった方がいいと思います」
それは、生徒会としても相談室としても、たぶん正しい意見だった。
しばらくして、白石さんと藤原くんは帰っていった。
二人が生徒会室を出る時、藤原くんが少しだけドアを押さえ、白石さんが小さく「ありがとう」と言った。
ただそれだけのやりとりだった。
でも、それを見たひより先輩は、ほっとしたように笑った。
「よかったですね」
ぼくが言うと、先輩はうなずいた。
「うん。よかった」
「恋愛相談室っぽいですね」
「放課後相談室です」
「もう変えるんですね」
「書類上はね」
先輩は、再開案の表紙を軽く叩いた。
「でも、恋の相談が来たら聞くよ」
「でしょうね」
「書記くんも聞く?」
「記録係としてなら」
「相談員としては?」
「向いてません」
「そうかな」
ひより先輩は、少しだけいたずらっぽく笑った。
「白石さんに、答えなくていいって言えたのは、かなり相談員っぽかったけど」
ぼくは返事に困った。
そんなふうに言われると、少しだけ落ち着かない。
その日の夕方、ぼくたちは旧進路指導室へ行った。
三日ぶりに開ける相談室は、少しだけ埃っぽかった。
窓を開けると、文化祭前の校庭から風が入ってくる。
机の上にあった青い付箋は、一度すべて回収することにした。
相談ノートも、保管箱へ移す。
備え付けのボールペンはそのままにするが、名前入りのペンは置かない。
鍵の管理表を作り、入退室の記録を残す。
やることは多い。
でも、不思議と嫌ではなかった。
ひより先輩は、ドアに貼っていた「一時休止中」の紙をはがした。
そして、新しい紙を貼る。
放課後相談室
再開準備中
相談したい人は、生徒会室または担当の先生まで。
ぼくは、その下に小さく一文を書き足した。
今ここで答えを出す必要はありません。
ひより先輩が、それを見て笑った。
「いいね」
「はい」
「じゃあ、これで再開届かな」
「届は出してませんけど」
「気持ちの問題」
先輩はそう言って、窓の外を見た。
夕方の光が、机の上に長く伸びていた。
第1話で失恋届を見た時と同じような光だった。
でも、今は少し違って見える。
同じ放課後。
同じ旧進路指導室。
同じ机。
それでも、ここにいるぼくたちは、少し変わった。
その時、廊下から小さな足音が聞こえた。
誰かが、ドアの前で止まる。
ノックはなかった。
代わりに、ドアの下から白い封筒が一枚、すっと差し込まれた。
ぼくとひより先輩は、同時にそれを見た。
「……また?」
ぼくがつぶやくと、ひより先輩は苦笑した。
「再開準備中なんだけどな」
封筒には、差出人の名前はなかった。
ただ、表に一言だけ書かれている。
恋ではありません。
でも、誰にも言えません。
ひより先輩は、封筒を拾い上げた。
その目に、もう以前のような軽さだけはなかった。
でも、怖がっているだけでもなかった。
「書記くん」
「はい」
「最初の相談、来ちゃったね」
ぼくは、ドアの向こうの気配を探した。
廊下にはもう誰もいない。
でも、確かに誰かがここへ来た。
答えを出すためではなく、答えを一緒に探すために。
ぼくは、机の上に新しい記録用紙を置いた。
名前欄のない、まっさらな紙。
「始めますか」
ひより先輩は、少しだけ笑った。
「うん」
放課後相談室は、まだ準備中だった。
けれど、その日からもう一度、静かに動き始めた。
第13話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、事件後の後始末と、恋愛相談室から「放課後相談室」への再出発を描きました。
白石すずと藤原海斗も、すぐに答えを出すのではなく、自分たちのペースで向き合っていく形になりました。
そして最後に、新しい相談が届きます。
次回からは、恋愛だけではない「誰にも言えない悩み」を扱う新しい章へ入っていきます。




