第10話 一年越しの答え合わせ
犯人が用意した新しいステージ企画。
その名は「一年越しの答え合わせ」。
湊たちは、一年前の実行委員の中にいた人物へ近づいていく。
一年越しの答え合わせ。
その企画名を見た瞬間、音楽準備室の空気が冷たくなった。
後夜祭ステージの進行表。
本来なら、照明の順番やマイクの位置、出演団体の名前が並ぶだけの書類。
そこに、ありえない名前が書かれている。
倉橋蓮。
倉橋怜。
一ノ瀬ひより。
白石すず。
藤原海斗。
去年傷ついた人。
今年傷つけられそうになった人。
相談室を続けた人。
そして、その周りで何もできなかった人たち。
犯人は、それを一つのステージに並べようとしている。
「公開告白じゃない」
ひより先輩は、スマホ画面を見つめたまま言った。
「これは、公開処刑だよ」
その言葉に、誰も反論しなかった。
音楽準備室の窓の外では、文化祭の準備をする生徒たちの声が聞こえている。
笑い声。
足音。
何かを運ぶ音。
明るい音ばかりだった。
なのに、この部屋だけは違う。
一年分の後悔と、数日分の悪意が、机の上に積み上げられている。
倉橋怜は、兄の倉橋蓮先輩の前でうつむいていた。
さっきまで怒りで張りつめていた肩が、今は小さく震えている。
「僕は……」
怜は、かすれた声で言った。
「こんなことまで、するつもりはなかった」
蓮先輩は、弟を責めなかった。
ただ、静かに見ていた。
その沈黙が、怒鳴るよりずっと重い。
「怜くん」
ひより先輩が言った。
怜は、顔を上げない。
「あなたがしたことは、なかったことにはならない」
「……はい」
「相原さんに送ったメッセージも、公開告白企画を動かしたことも、白石さんと藤原くんを追い詰めたことも。それは、ちゃんと謝らないといけない」
怜の手が、ぎゅっと握られた。
「はい」
「でも」
ひより先輩は、ゆっくり続けた。
「あなた一人に全部を背負わせて終わりにはしない」
その言葉に、怜が初めて顔を上げた。
ひより先輩の目は赤かった。
けれど、もう揺れていなかった。
「犯人は、あなたの怒りを利用した。相原さんの不安も、青柳の後悔も、黒崎くんの秘密も、私の罪悪感も。全部、都合よく並べて、ステージに上げようとしている」
「誰なんですか」
怜の声は震えていた。
「誰が、そんなことを」
誰もすぐには答えられなかった。
でも、答えは少しずつ近づいている。
ぼくは、倉橋蓮先輩に向き直った。
「蓮先輩。さっき言っていた、去年の冬に謝りに来た文化祭実行委員の人について、もう少し思い出せませんか」
「三年の女子だったと思う」
「それは、当時三年生ですか。それとも、今三年生?」
蓮先輩は少し考えた。
「今、三年生。俺と同じ学年だったはずだ。去年は二年生だった」
青柳楓先輩が、はっとした顔をした。
「それなら、私たちの代の実行委員」
「赤い腕章を持っていたんですよね」
ぼくが確認すると、蓮先輩はうなずいた。
「うん。あと、首からカメラを下げていた」
「カメラ?」
三枝莉子先輩が反応した。
「文化祭実行委員で、カメラを持つ担当なら記録広報班ね」
青柳先輩の顔色が変わった。
「記録広報班……」
「心当たりがありますか」
ぼくが聞くと、青柳先輩は唇を結んだ。
すぐには答えなかった。
その沈黙が、答えに近いものを含んでいた。
「楓先輩」
相原真帆さんが小さく呼んだ。
青柳先輩は、苦しそうに息を吐いた。
「宮野千紗」
その名前を聞いた瞬間、黒崎悠真先輩の表情も動いた。
「宮野か」
三枝先輩が眉を寄せる。
「確か、今年も記録広報班のリーダーをしてるわよね」
「うん」
青柳先輩はうなずいた。
「去年も記録担当だった。ステージ、実行委員会議、生徒会との打ち合わせ、全部を写真に残していた」
ぼくの頭の中で、これまでの手がかりが一気に並び始めた。
写真。
音源。
共有フォルダ。
文化祭実行委員の備品。
赤い腕章。
ステージ進行表。
校内グループへの投稿。
中庭を見下ろす位置から撮られた写真。
記録広報班なら、校内のあらゆる場所を自然に移動できる。
カメラを向けても不自然ではない。
音響班や生徒会室に出入りしても、文化祭準備の一部に見える。
犯人に必要だったものを、宮野千紗という人物は持っている。
「でも、それだけでは犯人とは言えません」
ぼくは言った。
「記録広報班だからできる、というだけです」
「書記くんらしいね」
ひより先輩が、少しだけ笑った。
「疑う時ほど、決めつけない」
「決めつけて間違えたら、犯人の思い通りです」
ぼくは机の上の進行表を見た。
「必要なのは、宮野先輩にしかつながらない証拠です」
三枝先輩が腕を組んだ。
「証拠なら、去年の実行委員資料にあるかもしれない」
「資料?」
「文化祭の反省会議事録。記録広報班がまとめたものが、生徒会室の古い共有フォルダに残っているはず」
黒崎先輩がすぐにノートパソコンを開いた。
「探す」
パソコンの画面に、古いフォルダが並ぶ。
去年の文化祭。
実行委員。
反省会。
ステージ企画。
記録写真。
ファイル名は雑然としていた。
文化祭前後の忙しさが、そのまま残っているようだった。
青柳先輩が画面をのぞき込む。
「反省会議事録は、たぶんこれ」
ファイルを開く。
去年の文化祭後に行われた実行委員の反省会。
そこには、企画ごとの反省、トラブル対応、来年度への申し送りが記録されていた。
公開告白企画についての項目もある。
実施前に中止。
理由、本人確認不十分。
今後、個人の恋愛感情を公の場で扱う企画は慎重に判断すること。
文字だけ見ると、冷静な反省だった。
でも、その下に自由記入欄があった。
そこに、一文が残っている。
秘密を守れない相談室に、恋を預かる資格はない。
ぼくは、息を止めた。
第2話の閉鎖届。
第9話で蓮先輩が聞いた言葉。
そして、今ここに残る反省会議事録。
同じ言葉。
「書いた人は?」
ひより先輩の声が低くなった。
黒崎先輩がカーソルを動かす。
自由記入欄の横に、記入者の名前があった。
記録広報班 宮野千紗
音楽準備室が静まり返った。
誰も、すぐには声を出せなかった。
言葉が見つかったからではない。
見つかりすぎて、逆に怖くなったからだ。
「宮野先輩……」
相原さんが小さくつぶやいた。
その声には、信じたくないという気持ちがにじんでいた。
「知ってるの?」
ひより先輩が聞く。
相原さんは、うなずいた。
「今年、文化祭実行委員に入った時、最初に声をかけてくれた人です。灯里先輩のことも知っていて……」
「何て言われたの」
「灯里さんのこと、忘れないであげてねって」
相原さんの声が震えた。
「優しい人だと思ってました」
その言葉が、胸に刺さった。
優しい人。
謝りに来た人。
忘れないでと言った人。
それが、本当に優しさだったのか。
それとも、誰かの痛みを手元に置いておきたいだけだったのか。
ぼくにはまだわからない。
「でも、まだ確定ではない」
黒崎先輩が言った。
「この言葉を書いたのが宮野でも、今の事件を起こした証拠にはならない」
「そうね」
三枝先輩がうなずく。
「でも、少なくとも、犯人はこの反省会議事録を見ている。もしくは、これを書いた本人」
「宮野先輩は、今どこに?」
ぼくが聞くと、青柳先輩がスマホを確認した。
「記録広報班は、今、放送室で後夜祭用の紹介動画を編集しているはず」
放送室。
また、音と映像の場所だ。
今回の犯人は、ずっと音と映像を使っている。
写真。
音源。
告知画像。
ステージ進行表。
匿名メッセージ。
そして最後に、全員をステージへ集めようとしている。
「行きましょう」
ひより先輩が言った。
その声は静かだった。
でも、その静けさの奥に、はっきりとした怒りがあった。
ぼくたちは音楽準備室を出た。
廊下に出ると、文化祭準備の空気が一気に戻ってきた。
生徒たちがポスターを抱えて走っている。
教室からは笑い声が漏れている。
誰かがスマホで写真を撮り、誰かが「本番まであと少し」と叫んでいる。
祭りは、進んでいる。
誰かの痛みなど知らないまま。
ぼくはそのことが、少し怖かった。
人は、自分の目の前にない傷には気づけない。
だから噂は広がる。
だから誰かが泣いていても、周りは笑っていられる。
犯人は、その空気を利用している。
「白石さんと藤原くんは?」
ひより先輩がふと立ち止まった。
「会議室にいるはずです」
青柳先輩が答える。
「二人も呼ぶ?」
三枝先輩が聞いた。
ひより先輩は少し迷った。
そして、首を横に振った。
「今は呼ばない」
「どうして?」
「犯人は、あの二人の反応も見たいはずだから」
ひより先輩は、廊下の先を見つめた。
「白石さんは、もう十分傷ついた。藤原くんも。これ以上、犯人の舞台に上げさせたくない」
それは、相談室の答えだった。
逃げるのではなく、守るために距離を置く。
ぼくは小さくうなずいた。
「なら、二人には別で連絡します。公開告白企画には反応しないように。勝手に送られてくる情報も、すぐには信じないように」
「お願い」
ぼくは白石さんと藤原くんに短いメッセージを送った。
今は動かないでください。
送られてくる情報を信じる前に、必ずこちらへ見せてください。
二人のせいではありません。
送信ボタンを押す時、少し指が止まった。
二人のせいではありません。
本当は、もっと早く誰かが水瀬灯里さんにも、倉橋蓮先輩にも、そう言ってあげるべきだったのかもしれない。
「書記くん」
ひより先輩が言った。
「はい」
「その言葉、いいね」
「何がですか」
「二人のせいではありません、って」
先輩は少しだけ目を細めた。
「去年、私が言えなかった言葉だ」
胸が詰まった。
ひより先輩は悔やんでいる。
でも、ただ悔やんで立ち止まっているわけではない。
今年は、言葉にしようとしている。
守れなかった過去を、守るための行動に変えようとしている。
放送室は、北校舎の三階にある。
階段を上がるたびに、校舎のざわめきが少しずつ遠くなる。
三階は人が少ない。
廊下には、古い掲示物と、文化祭用の番組表が貼られている。
放送室のドアの前には、赤い腕章が掛かっていた。
記録広報班。
その下に、小さな紙が貼られている。
編集中につき入室禁止。
青柳先輩がノックした。
返事はない。
もう一度ノックする。
やはり、返事はない。
黒崎先輩がドアノブを回した。
開いた。
放送室の中は薄暗かった。
窓には遮光カーテン。
机の上には複数のノートパソコン。
マイク。
ヘッドホン。
カメラ。
文化祭紹介動画の素材。
でも、人はいなかった。
「宮野……?」
青柳先輩が部屋の中へ入る。
ぼくはすぐに机の上を見た。
開きっぱなしのパソコン。
画面には動画編集ソフト。
タイムラインには、ステージ紹介映像が並んでいる。
その中に、不自然なファイル名があった。
answer_stage_final
答え合わせステージ最終版。
ひより先輩が息を飲んだ。
ぼくは動画を再生した。
画面に映ったのは、去年の文化祭写真。
水瀬灯里さんの顔は黒く塗られている。
続いて、倉橋蓮先輩。
一ノ瀬ひより先輩。
青柳楓先輩。
黒崎悠真先輩。
そして今年の白石すずさんと藤原海斗くん。
字幕が入る。
一年越しの答え合わせ。
次のカットで、音声が流れた。
「秘密を守れない人たちに、もう一度ステージへ上がってもらいます」
加工された声。
これまで何度も聞いた声だ。
でも、動画の編集画面には、加工前の音声ファイルも残っていた。
voice_original_miyano
宮野。
その名前が、画面の中で決定的に光っていた。
青柳先輩が口元を押さえた。
「千紗……」
ひより先輩は、何も言わなかった。
ただ、画面を見ていた。
その目にあったのは、怒りだけではない。
悲しみ。
悔しさ。
そして、最後まで信じたかった人を失うような痛み。
「本人はどこに?」
三枝先輩が部屋を見回す。
ぼくは机の上のスマホを見つけた。
古い端末。
画面は点灯している。
そこには、予約投稿画面が開いていた。
投稿先は、校内連絡グループ。
公開予定時刻は、今日の十八時。
現在時刻は、十七時五十六分。
あと四分。
「まずい」
ぼくは端末を操作しようとした。
でも、ロックがかかっている。
「パスコードは?」
三枝先輩が聞く。
「わかりません」
黒崎先輩がパソコンに向かう。
「投稿元を止める。ネットワークを切る」
「間に合いますか」
「やるしかない」
ひより先輩は、パソコンの画面を見つめたままだった。
「先輩」
ぼくが呼ぶと、先輩はゆっくり顔を上げた。
「宮野先輩を探してください」
「書記くんは?」
「ここを止めます」
「わかった」
先輩は迷わなかった。
青柳先輩と一緒に放送室を飛び出していく。
三枝先輩は古い端末のロック画面を見ながら、何か試している。
黒崎先輩はネットワーク設定を開き、共有フォルダの接続を切ろうとしている。
ぼくは予約投稿の画面を見つめた。
十七時五十七分。
あと三分。
スマホが震えた。
また、送り主不明。
本文は一行。
止められるものなら、止めてみてください。
添付画像はなかった。
代わりに、放送室のスピーカーから小さな音がした。
ノイズ。
そして、声。
今度は加工されていない。
柔らかい、落ち着いた女子生徒の声。
「答え合わせは、もう始まっています」
三枝先輩が顔を上げる。
「この声……」
青柳先輩が言った名前が、頭の中で響いた。
宮野千紗。
声は、静かに続けた。
「誰か一人を犯人にして終わりにしたいなら、どうぞ」
ぼくの背筋が冷たくなる。
「でも、去年、灯里を笑ったのは一人ではありません」
スピーカーの声は、淡々としていた。
怒鳴らない。
泣かない。
責めているのに、優しい声のままだった。
それが、かえって怖かった。
「止められなかった相談室。守れなかった生徒会。見て見ぬふりをした実行委員。噂を楽しんだ生徒たち。誰も悪くない顔をして、今年も文化祭を楽しむ人たち」
十七時五十八分。
黒崎先輩が舌打ちした。
「回線が外部に逃げてる。校内ネットじゃない」
「どういうことですか」
「この端末単体で予約投稿している。ネットワークを切っても、モバイル回線で送られる」
三枝先輩が端末を見つめる。
「ロックを解除しないと止められない」
「パスコード……」
ぼくは考える。
宮野千紗。
記録広報班。
星ヶ丘祭。
水瀬灯里。
一年越しの答え合わせ。
犯人は、何度も同じ言葉を使っている。
秘密。
資格。
答え合わせ。
灯里。
パスコードにするなら、何だ。
その時、放送室の机の上に一冊のノートがあることに気づいた。
記録広報班 撮影管理ノート。
開く。
写真番号。
撮影場所。
担当者。
使用可否。
去年のページの端に、小さく書かれていた。
akari_1218
灯里、十二月十八日。
「十二月十八日?」
ぼくはつぶやいた。
ひより先輩から聞いた記憶がよみがえる。
水瀬灯里さんが学校を辞めたのは、冬休み前。
もしかして。
ぼくは端末のロック画面に、1218と入力した。
解除された。
三枝先輩が息を飲む。
「開いた!」
予約投稿画面を開く。
送信予定まで、あと一分。
ぼくは投稿を削除しようとした。
しかし、画面に警告が出る。
管理者権限が必要です。
「くそ……」
思わず声が漏れた。
黒崎先輩が横から覗き込む。
「アカウントを切り替える」
「できますか」
「やる」
十七時五十九分。
残り三十秒。
黒崎先輩の指が、信じられない速度で画面を動く。
三枝先輩は隣で必要な認証コードを探す。
ぼくは、ただ秒数を見ていた。
二十秒。
十五秒。
十秒。
その時、ドアが開いた。
ひより先輩が戻ってきた。
息を切らしている。
顔色は悪い。
「宮野先輩は?」
ぼくが聞く。
先輩は、短く答えた。
「体育館」
「え?」
「ステージにいる」
残り五秒。
黒崎先輩が叫んだ。
「切った!」
画面が切り替わる。
予約投稿は削除されました。
三枝先輩が大きく息を吐いた。
止めた。
そう思った瞬間だった。
校内放送のチャイムが鳴った。
ピンポンパンポン。
ぼくたちは一斉に顔を上げた。
放送室のマイクは切れている。
パソコンも止めた。
端末の投稿も削除した。
でも、放送は鳴っている。
ひより先輩の顔が、青ざめた。
「体育館の音響卓……」
スピーカーから、宮野千紗の声が流れた。
「星ヶ丘祭、後夜祭特別企画のお知らせです」
その声は、学校中に響いている。
明るく、やわらかく、文化祭の案内みたいに。
「一年越しの答え合わせを、これより開始します」
ぼくは走り出した。
ひより先輩も、黒崎先輩も、青柳先輩も、三枝先輩も、後を追う。
階段を駆け下りながら、心臓が痛いほど鳴っていた。
止めたと思った。
でも、犯人は最初から別の舞台を用意していた。
放送室は囮だった。
本命は、体育館。
公開告白のステージ。
そこに、宮野千紗がいる。
そしてきっと、彼女は待っている。
一年間、誰も答えを出せなかった問いを、全校の前で突きつけるために。
第10話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、一年前から「秘密を守れない相談室に、恋を預かる資格はない」という言葉を使っていた人物として、記録広報班の宮野千紗が浮上しました。
放送室の投稿は止められましたが、本命は体育館ステージでした。
次回は、宮野千紗との直接対決、そして「一年越しの答え合わせ」が始まります。




