7.三年前
霧が晴れるとフィオナとヨハンは林の中にいた。アーティファクトは過去の同じ場所に時間を遡る。屋敷の中で三年前のフィオナに遭遇するのを避けるため、誰にも会わない林の中でアーティファクトを使った。
木漏れ日が、ゆらゆらと揺れながら地面に落ちていた。林は静かで、遠くから鳥のさえずりが聞こえた。歩を進めると、地面がさくさくと音を立てた。
「お母様とこんな場所を歩いたのは久しぶりです」
ヨハンがぽつりと呟いた。フィオナが「そうなの?」と肩越しに振り向くと、ヨハンの顔が赤くなった。
「お母様は忙しくされていて、僕はお祖母様と過ごすことが多いです」
「母は厳しいでしょう?」
「いえ、とても優しいです」
フィオナは耳を疑った。厳しい母だった。笑った顔を想像できない。
カルネラ子爵家は敵が多い。貴族令嬢としての作法、処世術を身に着けなければ、家に迷惑がかかる。そう言われて、フィオナは母の雇った音楽、ダンスの講師の教えを受けた。食事中の母は、試験官のようにフィオナの作法に目を光らせていた。
そんな母も、孫には甘かったようだ。手のひらを返したような母の態度に、フィオナは苦笑いした。
アーサーをカルネラ子爵家に迎えるためには、父の許可が必要だ。三年前と見た目は変わらないだろうから、今のフィオナが父に会っても気付かれない。フィオナはその足でカルネラ子爵家に向かうことにした。
レイモンド子爵家の馬車は使えないから、通りで馬車を呼んだ。徒歩で実家に帰ったら、貴族婦人にあるまじき行為、と母に怒られる。
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馬車が速度を落とし、きしむ音を立てて止まった。フィオナが実家を訪れるのは二年ぶりだった。鉄門の向こうには、十八年間暮らした屋敷が当時と変わらぬ姿で佇んでいた。
「僕の知っている正門と違います。あっ、温室もありませんね」
記憶している屋敷と、現在の屋敷を比較して、ヨハンの目が輝いていた。
門番はフィオナを確認すると、「お帰りなさいませ」と鉄門を開いた。馬車は屋敷の前で止まった。
フィオナが馬車から降りると、屋敷の大扉から使用人が出てきた。
「お帰りなさいませ。本日、いらっしゃるとは聞いておりませんでしたが」
「急用なの。お父様はいるかしら?」
使用人はフィオナとヨハンを玄関横の応接室に案内した後、「確認してまいります」と出ていった。
部屋の窓から中庭が見えた。幼いころ、フィオナはこの中庭で剣術の練習をさせられた。手の豆が潰れても、木刀を振った。あんなに硬かった指や手の平は、すっかり柔らかくなった。カルネラ子爵家に戻ったら、感覚を取り戻すために、訓練をし直さないといけない。辛かった訓練を思い出して、フィオナは長いため息をついた。
「お母様、どうされたのですか?」と覗き込むヨハンに、「何でもないわ」とフィオナは苦笑いした。
扉をトントンと叩く音がして、使用人が入ってきた。ちょうど父の来客が帰ったようで、フィオナに会うそうだ。
アーサーを救うために父を説得する。書斎へ続く黒い絨毯を踏みしめながら、フィオナは拳を握りしめた。
ヨハンに廊下で待つように伝えると、フィオナは扉をノックして、書斎の扉を開けた。重厚な扉が閉まると、外の音が消えた。窓から橙色の光が差し込み、壁一面の書棚を照らしていた。
机に座る父が、書類から目を上げた。父の視線はいつものように鋭かった。けれど、フィオナを見た瞬間、わずかに緩んだ。
「久しいな」
低く落ち着いた声だった。
「ええ、お父様」とフィオナはゆっくりと一礼し、顔を上げた。緊張して肩に力が入った。
「それで、用向きは何だ」
遠回しな言葉を好まない父は、単刀直入に切り出した。フィオナは一歩、前に進んだ。
「お願いがございます」
父の眉がぴくりと動いた。
「申してみよ」
フィオナは息を整えて、まっすぐに父の目を見た。
「アーサー、私の夫を、この家の婿養子として迎えていただきたいのです」
フィオナが言葉を発した瞬間、空気が変わった。
父は腕を組んで、机の一点を見つめた。驚きとも、探るような眼で、フィオナを見ていた。
「……理由を聞こう」
ようやく発せられた言葉は、低く、重かった。フィオナは父から視線を逸らさなかった。
「アーサーは弟たちに命を狙われています。私とアーサーはレイモンド子爵家の家督争いに巻き込まれたくないのです。家督はミカエルかモーリスのどちらに継いでもらえばいい」
「レイモンド子爵は納得しているのか?」
「レイモンド子爵は、お父様に承諾していただいてから説得します。弟が二人いるので問題ないはずです」
父は腕を組み、椅子の背にもたれた。
「しかし、アーサーを婿養子にするとジャンはどうするのだ?」
「アーサーはカルネラ子爵家の家督は継ぎません。ジャンに継がせてください」
「そうか」
「それに、アーサーをこの家に迎えていただければ、私が家業を手伝います。お父様にとって、悪い条件ではないはずです」
再び沈黙が訪れた。時計の針の音が聞こえる。父はゆっくりと立ち上がると、外の庭を見下ろした。
「我が家としては悪くない……よかろう」
父の声には苦笑が混じっていた。
「ありがとうございます、お父様」
フィオナは父に頭を下げた。




